4「桜野美海子の推理6」
4
「混乱しないよう先に云っておくと、本物の豊さんと満代さんの肉体関係というのは、ダミーの真相におけるダミーの背景だよ。事実はそうじゃない。それに、〈子どもの聖域〉に閉じ込められていたのが本物で、〈処刑人〉が偽物というのも、実は逆なんだよね。
そもそも本物と偽物という表現は、何を観点として本物とするか判りづらい。この六年間、客人を相手に活動してきた人達の方がもはや本物じゃないかという考え方もあるだろう。だから以降、同名で二人いる人物については、新旧で表現させてもらうよ。その方が実態に即していることも、これからの説明で納得してもらえると思う」
混乱しないよう、と云っておきながら益々混乱するような前置き。
それを述べてから、桜野は改めて語り始めた。
「八年前、旧・総一郎は天地邸を建てて、旧・天地家を組成した。当時のメンバーは旧・総一郎、旧・耕大、流子、旧・満代、旧・豊、それから家政婦の伊予だ。久保田幸彦とも当時から付き合いがあったけど、当面は本筋に関わってこないから無視していい。
はじめのうちは概ね順調だったんだと思うよ。翌年に旧・総一郎が発表した『新しい家族の実践1』からも、苦労しつつも前向きな暮らしぶりが窺える。
でも、おそらく『新しい家族の実践1』が発表された直後、問題が起きた。過ちと云った方が良いかも知れない。それから七年の年月をかけて今回の大量殺人事件へと繋がっていく、天地家における最初の大きな過ちだ。
旧・総一郎が、旧・満代と肉体関係を持ち、妊娠までさせたんだよ。
それも、きっと一度きりじゃなくて、常習化していた。旧・総一郎から強引に迫った関係であることも想像に難くない。ゆえに旧・満代は旧・天地家に絶望したんだし、今回の事件におけるダミーの真相でも、それが豊と満代の間に起きたこととして援用されたようだからね」
「桜野、その旧・満代って云うのは……」
僕の曖昧な確認に、桜野はハッキリと頷いて「この人だよ」と目の前の彼女を示した。
示された彼女は、相変わらず顔を覆って俯いたまま、口を開かない。
「どうして……そこまで判るんだ?」
「それは後で。順を追って説明した方が良いんでしょ?
天地家は、出生や婚姻による既存の家族像を捨てた〈新しい家族〉だ。その家族同士で性交渉や出産は許されないはずだし、強引にとなれば、それ以前の問題だろう。しかも加害者が創始者たる天地総一郎となれば、旧・満代が傷付き、絶望するのは当然だね。
ただでさえ彼女は、新興宗教を信仰する両親のもとに生まれ、無戸籍のまま苦しい人生を生きてきた。そんな彼女にとって天地総一郎と彼が組成する天地家は希望であり、自分の居場所となるはずだった。『新しい家族のすゝめ』や家族の募集でも、散々そのように謳われていたんだ。それを旧・総一郎は裏切ったんだよ。
さらに、さっきも云ったとおり旧・総一郎による卑劣な搾取は、ある程度、常習化していたものと思われる。他の家族は、それを知っていながら旧・満代を助けなかった。彼女からすれば、他の家族も旧・総一郎と同罪だったんだろう。
だから彼女は、旧・天地家の人々を全員、地下に閉じ込めた。
彼らを責めて、いわば自粛のように、一定期間だけでも地下で過ごすように迫ったのかも知れない。あるいは、もっと実力行使だったのかも知れない。伊予だけはその後も地上に残されたから、伊予は味方だっただろう。この時点で、久保田幸彦や、新・天地家となる人々のうち数名と既にコンタクトを取っていて、彼らが協力したとも考えられる。
さっき話したとおり、地下との行き来は秘密の仕掛けによって行われる。もちろん地下から地上に戻ることも可能な設計だったんだけど、そちらの仕掛けは破壊したんだろう。これによって旧・天地家の人々は、旧・満代を除いて、地下から出られなくなったんだ」
それが、七年前の出来事。
以来・旧・天地家の人々は、ずっと地下に閉じ込められていたのか?
天地総一郎も、其処で『形而上の姿無き者達』以降の作品を執筆していた?
一作につき一文字しか進まない、SOSの暗号をタイトルに仕込みながら……。
「その翌年、つまり今から六年前に、旧・満代は旧・総一郎によって孕まされた子を出産した。この屋敷での自宅出産だっただろうね。当然ながら出生届は提出されていないし、行政的にこの子は存在していない」
「産んだのか、満代さんは」
僕はまたしても黙っていられなかった。
「でも、この家にそんな子どもは……あ! もしかして恵ちゃんが――」
「きみが云っている恵ちゃんは、四年前にどこかの児童養護施設から引き取ったという話で嘘じゃないと思うよ。その子と旧・満代さんが産んだ子どもは別人だ。顔もまったく似ていなかったじゃないか」
「そうか……。じゃあ、満代さんの子どもは……」
「その子も、産まれた直後から地下に閉じ込められたんだよ。育てたのは、同じく地下にいる旧・天地家の人々だ。どんな名前で呼ばれていたかは定かでないけど、この子のことは旧・恵と呼ばせてもらう」
「地下に……」
その瞬間、僕は全身が粟立った。
繋がってしまったのだ。
隣の藤井さんが「畜生……」と呟く。
地下の本物と地上の偽物の交代劇こそ、今回の事件の基本構造。
ならば、僕らが目にした、恵ちゃんのものと思われた死体――あの、トイレで焼かれていた、幼い女の子の死体こそが――。
「二人とも気付いたみたいだね」と、桜野が淡々と述べる。「新・恵と入れ替えるには、もうひとり同年代の子どもがいなければならない。私が天地家における最初の過ちの内容を推理した出発点だよ。でも、それは今回の事件だ。話を六年前に戻していいかな?」
僕は、何も云えずに、ただ頷いた。
「天地邸の地下には、旧・総一郎、旧・耕大、流子、旧・豊そして旧・恵の五人が揃ったことになる。一方の地上では、旧・満代が新・天地家を組成していた。
彼女は、メンバーを変えて天地家を存続させることにしたんだよ。
自分が受けた仕打ちを外部に告発しなかったのも、旧・天地家の人々を地下に閉じ込めたのも、そのためだ。彼女は天地家という、やっと手に入れかけていた居場所を失うことは拒んだ。そんなことをすれば、また無戸籍者に厳しい社会での生活に逆戻りだ。
ただし、当然ながら天地総一郎を外すわけにはいかない。他のメンバーも、天地家における名前と構成は『新しい家族の実践1』により世間に公表されている。
派手なメンバー交代はそれ自体がスキャンダルだし、そこから詮索でもされたら、旧メンバーを地下で監禁していることまで露見してしまうかも知れない。全員を事故で死亡なり、行方不明の扱いにするなんて論外だ。でも天地家には世間の注目が集まっているし、天地総一郎はその生活を継続的に発表していくと宣言してしまっている。
したがって、旧・満代は新・総一郎に。そして他のメンバーも、表向きは『新しい家族の実践1』で公表された名前と構成を維持することになったんだね」
桜野は淀みなく語る。
メモも何も見ずに、頭の中だけで整理しながら。
「新・天地家のメンバーは、新・総一郎が天地家への家族入り志願者から条件に合う人物を慎重に選定して、秘密裏に引き入れた。ダミーの真相における偽物の豊さんと同じだね。つまり、天地家に入ったことを疑われるような人間関係を持ってなくて、行政的にも存在を認められていない無戸籍者。社会から突然に姿を消したところで、誰にも探されない天涯孤独の人達だ。
そうやって、自分の他に、新・耕大、新・満代、新・豊が揃った。
理想を云えばもうひとり、新・流子も欲しかったはずだけどね。適任者がいなかったんだろう。家族入り志願者は大勢いたけど、新・天地家のメンバーはさっき説明した条件に加えて、あらかじめ……あるいは遅かれ早かれ、天地家の秘密を知ることになる。秘密と云うのはつまり、旧・天地家を地下に閉じ込めていることと、その原因となった出来事だ。それを知っても受け入れてくれると、確実に信じられる人物じゃないといけない。
結局、この時点で揃わなかった流子は、家族を抜けたという取扱いにせざるを得なかった。多方面から詮索を受けることにはなったけど、離脱者ひとりだけなら耐えられると判断したんだろう。
ところで、このとき新・満代を新・流子としなかったのは、どうしてだろうね? 体格も新・満代はむしろ流子に近かったのに。まあ新・総一郎からすれば、自分の正体が旧・満代だから、別人を新・満代に据えることで決別や隠蔽を図ろうとしたのかな。
それにこの時点では、新旧で体格を揃えることは意識されていなかったはずだ。今回の事件……新旧メンバーの入替殺人は、まだ計画されていなかった。このとき家族入りした新・豊も、もとから全身火傷と歩行障害を負っていた人物だろうね」
「もとから? 天地邸で事故があったんじゃないのか?」
「違うと思うよ。そんな大怪我を負ったら、さすがにどこかの病院に搬送されて、しばらく入院することになったはずでしょ? きっと無戸籍だろうから、久保田幸彦が融通を利かせたはずだ。でも、いくら調べてもそれらしい記録が見つからなかった。新・総一郎も私と塚場くんに、天地家の人間が敷地の外に出たのは、伊予の葬儀に参列したとき一度きりなんて話していたね。これは彼女の失言だ。
天地邸で事故なんてなかったんだよ。
一方で、全身火傷と歩行障害を負っていたのが、旧・豊じゃなくて新・豊であることも間違いないだろう。『新しい家族の実践1』はメンバーの外見的特徴にほとんど言及していないけど、全身火傷と歩行障害があれば、家族入りの動機にも必ず関連するし、書かれていないとおかしいよね。
以上のことから、旧・豊に全身火傷と歩行障害はなく、それらがある新・豊を家族に入れるにあたって、天地豊が天地邸での不幸な事故により大怪我を負ったという説明をでっち上げたんだと推定されるわけだ。
ちなみに、新・豊はもとから障害を負っていたから、天地家に来る前にも誰か介助人の世話になっていたはずだよ。さっき新・天地家の条件を天涯孤独の人達と云ったけど、彼は例外かも知れない。その線から素性を探れる見込みはある」
「判った。手配する」と短く述べる藤井さん。
「まあ、この人からも聞き出せるとは思うけどね」
桜野は目の前の彼女を視線で示してから、話を再開する。
「さて、新・天地家を組成した新・総一郎は、天地家の対外的な活動について、旧・総一郎とは異なる方針をとる。下手に自分で『新しい家族の実践2』なんて執筆するわけにはいかない。天地総一郎が貫いてきた原稿用紙への直筆が無理だし、何より大作家の思想や文章レベルを模倣するのは大変だ。
それに新・総一郎は、天地家が抱え込んでしまった秘密を隠蔽するためにも、むしろそれ以外をオープンにして、積極的に自分達こそが天地家であると公証させる傾向を持つようになった。
秘密を地下に閉じ込めて、地上では自分が理想とする天地家を描き出したんだ。
要するに、記者やファンといった客人を天地邸に招き始めたんだね。そして彼女自らが家族のメンバーを紹介し、此処での生活について講演を行うようになった。これは自分達には秘密なんてないというアピールだよ。しかも自分の顔写真までメディアに公開した」
なんて大胆な方針転換だろう。
しかし……とも、僕は思う。
そうまでしなければ、耐えられなかったのかも知れない。
それは、呪われた真相を塗り潰すための営みだったのではないだろうか。
「ここで初めて、世間的には、天地総一郎が女性であることも決定づけられた。
新・総一郎は、天地総一郎の性別が、過去に一度も明言されていないことに気付いたんだ。男性の名前ではあるけど、あくまで筆名なんだから、それで性別は決まらない。ジェンダーという既存の枠に囚われたくなかったとか、それらしい説明は簡単につけられる。
担当編集とのやり取りにしても、天地総一郎はデビュー時からずっとメールだ。誰もその姿を見たり、声を聞いたりした者はいない。有名なエピソードだし、実際に彼と生活していた新・総一郎は、それが事実であることを本人に確かめられただろう。
家族入り志願者を募集した際にも、家族入りが決定するまで、総一郎本人との顔合わせや音声でのやり取りはなかったんだろうね。あるいは、顔合わせをして選外となった人には、あれは本人じゃなかったとでも個別に連絡を入れたのかな。
ともかく、天地総一郎だと認識したうえで彼と会ったことがあるのは、天地家の人間と、あとは久保田幸彦くらいだったんだろう。まあ今にして思えば、そこまで徹底して人と会わないできた天地総一郎が六年前から一変して社交的に振舞うようになったのは、やっぱりおかしなことだったよ」
だが逆に云えば、謎に包まれた天地総一郎だったからこそ、新・総一郎は自由に、自分が理想とする天地総一郎を演じることができたのだ。
それもまた塗り潰しである。
自分を裏切った憧れの存在。その偶像を復権させる。それどころか自分自身が、その存在に成り代わる。一体、どんな気分だったのだろうか。
「おそらく、熟慮の末と云うよりは衝動的な行動だったんじゃないかな。一度そうしてしまったら、もう引っ込みがつくことでもない。これらが如何に軽率だったか、新・天地家は追い追い思い知ることになる。
話を進めようか。それから二年後……つまり今から四年前だね。歪な秘密を抱えながらも表向きは順調に回っていた新・天地家だけど、ここで新たな問題が生じた。その中心は、全身火傷と歩行障害を負って家族入りした新・豊だ。このときに彼は、あの〈子どもの聖域〉と呼ばれる領域に閉じ込められた」
なるほど、そうか。
今回、〈聖域〉で発見された死体は、ずっと昔に全身火傷を負ったものだった。それが新・豊だと云うなら、新・天地家の中で、彼だけは例外的に、旧・天地家の人々と同じく閉じ込められていたことになるのだ。地下か〈聖域〉かの違いはあるけれど。
そして、それは四年前……〈聖域〉がつくられたときの出来事となる。
ダミーの真相では〈聖域〉の豊さんが本物で〈処刑人〉が偽物という話だったが、桜野が先ほど前置きで述べたとおり、たしかに逆転している。
「ただし、私にはその結果しか判らない。このとき、どんな問題が生じたのか。その具体的な中身は不明だよ。できれば、貴女から聞きたいんだけどね」
桜野は、新・総一郎――旧・天地満代に向けて、そう云った。
彼女のことは、天地満代と、そう呼称すべきなのだろう。
天地満代は両手で顔を覆ったまま、やっと長い沈黙を破った。
「……お願い。もう、邪魔しないで」
はじめは、辛うじて聞き取れるような、小さくて、震えた声だった。
「やっと……あたしの、本物の家族を、築き上げることができたの。あとはもう……社会の誰にも、迷惑を掛けないで、静かに、生きていくつもりだったの……」
その声が徐々に大きく、感情的になっていく。
「今更、真相を暴いて、何になるの? 誰が、それを求めてるの? あたし達……天地家は……この天地邸は、貴女たちの社会とは違うの。貴女たちの社会から弾き出された者が集まって、そうやって出来た場所なの。あたし達は必死だった。ただ必死で、生きる場所を守ろうとしただけよ。それを貴女たちは奪うの? あたし達をこうしたのは、貴女たちの社会なのに。今度はあたし達を裁こうと云うの? 今まで一度も助けてくれなかったのに、こんなときだけ干渉してきて、そんな傲慢な――」
「聞けねーな」
彼女の訴えを、藤井さんが一蹴した。
「気の毒とは思うがな。ウチらはウチらの務めを果たすだけだよ。釈明とか問題提起とかは法廷でやってくれ。この国で生活していて犯罪を犯した以上は、無戸籍だろうと何だろうと、そっちのルートに乗せるのがウチらの仕事だ」
なんて、身も蓋もない。
だが藤井さんのスタンスは、刑事を続けるなかで現状、彼女が行き着いている答えなのだろうと思う。情けをかけることが必ずしも相手のためにならないことだって、彼女は経験から学んでいるのだ。
「で、桜野の質問には、答えられるのか?」
天地満代の手が、静かに顔を離れた。
そして露わになった彼女の顔は涙に濡れ、目は真っ赤に血走っていた。
「豊は、伊予と親しくなったのよ」
先ほどまで溢れていた感情は、その声から完全に欠落している。
「親しくって云うのは、肉体関係を持ったということか?」
「さあ。知らないわ。ただ、あたしの目には、二人が親しく見えたの。二人だけで通じ合っているような感じがあったの」
「それから、何があったんだ」
「それがすべてよ」
天地満代は、藤井さんを一瞥した。
「許せないでしょ。あたし達はみんなでひとつの家族なのに。そんな抜け駆けみたいに、他の家族と違う関係をつくられたら。二人とも身体的なハンデを持ってる者同士、通じ合うものがあったのか知らないけど、そんなのを認めたら家族の結束が乱れるわ」
それは……過剰な反応、ではないのだろうか?
ただ親しく見えただけで……と思った僕と、同じことを藤井さんが口に出す。
「それだけのことで、それからずっと〈聖域〉とやらに閉じ込めたって云うのか?」
「そうよ。閉じ込めたと云うより追放ね。豊は家族から追放。だって、あたし達を裏切ったんだもの。そんなに二人で親しくしたいなら、すればいいわ。だから伊予だけが〈聖域〉に入れる……いいえ、伊予が世話をしなければ、豊が生きていけないようにしてあげた。でも、あたし達には関係ないことね。あそこは天地家の外だから」
無感動な口調とは裏腹に、強い憎しみと怨みが籠った眼差し。
犯人だ。この人は、犯人で間違いない。
理屈だけではない。今ようやく、僕はそれを実感させられた。
「だけど表向きは、そうもいかないよね」
桜野が再び話を引き取る。
「ダミーの真相でも貴女はそう説明していたけど、流子が家族を抜けたと発表した際にも、世間からは好奇や疑惑の目を向けられた。もう家族を減らすわけにはいかない。だから客人に対してはこれまでどおり、新・豊が屋敷で生活しているように見せる必要がある。
でも、そのためだけに新しい人を入れたとは思えないんだよね。秘密を抱え過ぎてしまった天地家にとって、その共有者を増やすのはリスクが大きい。新・天地家の組成時に流子の代わりが揃えられなかったことから、適任者を選定するのだって大変だろう。
そこで貴女は、地下の旧・豊を使うことにした。来客があるときだけ彼を地上に戻して、新・豊のふりをさせていたんじゃない?」
「ええ、そうよ」
「やっぱりね。その一方で、貴女は諸々の秘密を隠し続けることに限界を感じるようになったんだろう。地下の旧・天地家にしても、〈聖域〉の新・豊にしても、いつまでも閉じ込めておくわけにはいかない。生かし続けるにも手間やお金がかかる。
そして貴女はこの時期から、今回の事件を構想し始めたんだ。
つまりは旧・天地家ならびに新・豊の虐殺。彼らの焼死体と新・天地家の人達が次々と入れ替わることによる、天地家が新旧二つ存在することの隠蔽だね」
「そこまでしないといけなかったのか?」
藤井さんが疑問を挟んだ。
「ただ秘密裏に抹殺して、死体を処理することだってできたんじゃねーか?」
「この人はそう考えなかった。一番の理由としては、いつか彼らを知る人達が訪ねてくる可能性を恐れたんだろうね。少なくとも旧・耕大は無戸籍者じゃないし、彼の親族も健在だろう。この土地や屋敷の名義、銀行口座なんかは彼の本名で管理されていて、所在を知っている人が外部に一定数いる。無戸籍であっても、親族や古い知人がいて疑われたら新・天地家では対応できない。だから新・総一郎は自分の顔写真しか公開していなかったし、客人は慎重に選んでいたんだ。
彼らを殺すのであれば、秘密裏じゃなくて、表向きも死亡扱にしないといけない。自分以外の全員が死んだことになれば、今後誰からも詮索される心配はなくなる。そのために新・天地家まで表向き存在しないことになるけど、この頃になるとそれも望むところだったんだよ」
「大体判ったが……」と云う藤井さんは、まだ腑に落ちない様子だ。
桜野は「ただし」と言葉を継ぐ。
「私も全員の入替殺人を実行する必要はなかったと思うよ。旧・恵なんて外部にはまったく存在を知られていなかったはずだ。それでも新・総一郎は、同時期に児童養護施設から新・恵を引き取っている。新・豊を閉じ込めるにあたってつくった領域を〈子どもの聖域〉という名目にするためだけなら、この子を引き取る必要性は薄い。他の名目を考えるか、其処には客人を近づけないようにすればいい。もしこの時点で新・恵を引き取ったのが、いずれ地下の旧・恵と入れ替えるためだったなら、それはただの強迫観念だね」
「ああ……」
僕は声を洩らした。
この事件の真相は、どれも受け入れ難いものばかりだ。
しかし、その中でもこれには最も異質な忌避感を覚える。
「本当なんだな。本当にこの人は、自分の子どもを……」
「彼女が旧・恵を自分の子どもとして大事に思っていたなら、最初から地下になんて送らないさ。理解できないと云う人も多いだろうけど、彼女にとってはそうなんだ」
桜野の言葉を聞いて、天地満代は「ふ……」と笑った。
一瞬だけ、可笑しそうに、笑みをこぼした。
「あれは天地総一郎と、その欺瞞に満ちた家族たちの罪の象徴だわ。だから彼らに背負わせるため、死にそうな思いで産んでやったのよ。あたしは最後まで、あれの顔も見ていない。便器に頭を突っ込んで死んでいるのを見たときには……まあいいわ。云わないけど」
嘲笑気味だった口調が、そこで一変した。敵意の籠った視線と声が僕らに向く。
「血縁による親子関係なんかにあたしは囚われない。天地家はね、出生や婚姻によって形成される家族じゃない。だからあたしの娘は恵なの。貴女たちには判らない。どうせ理解しようともしない。どうでもいいわよ!」
喉から奇妙な音を鳴らして、彼女はまた、今度は片手で顔を覆い隠した。
僕は自分の身体が痺れていることを自覚した。
〈新しい家族〉の体現。それが旧・恵と新・恵の入替殺人が行われた理由なのか?
だが彼女の云うとおり、僕は何も知らない。いま初めて話を聞いているだけに過ぎない。理解しようとする方が烏滸がましいのかも知れない。彼女は、彼女たちは、それを何年間もかけて生きてきた当事者なのだ。
「話を続けるよ」と云う桜野の冷静な声が、僕の意識を現実に引き戻す。
「ある程度の合理性と、あとは思想上の理由または感傷から、この人は入替殺人にこだわった。藤井さんもここまではいい?」
藤井さんは黙って頷いた。
「じゃあ、新・恵の家族入りからだね。ダミーの真相では彼女も伊予と一緒に〈聖域〉の豊さんを世話したことにされていたけど、実際はそんなことないだろう。新・豊は家族を追放されていて、その世話は伊予だけで足りるし、そうでなくてはいけない。
だから二年後に伊予が死ぬことになったのは、当初の想定とは違ったはずだ。計画上、この段階で伊予だけ先に死ぬ必要があったとは思えない。自殺か、あるいはやむを得ない事情が生じて殺害したのだろうね。これもダミーの真相がそうであったように、彼女は天地家が抱える秘密について何か抗議をしたか、外部に告発しようとしたのかも知れない。
伊予が死んだので、それからの二年間は仕方なく新・恵が、新・豊の世話をしていた。トイレや洗面所は〈聖域〉内にあった。立ち上がることはできなくても、這ったり、よじ登ったりすることはできる。だから排泄したり身体を拭いたりする面倒は見なかっただろう。主に食事を運ぶくらいなら、新・恵でもできないことはない」
僕は〈子どもの聖域〉内部の録画映像を思い出す。
埃が溜まっていて、ろくに掃除されている様子さえなかった。
あの死体も……下着しか身に着けていなかった。
「あとは半年前、拓也が家族に加えられたね。これは、いよいよ計画実行の時が近づいたからだ。彼は今回の事件で唯一、顔が判る死体だった。あれを第一の殺人として印象付けることで、以降の焼死体が別人であることを疑いづらくする狙いだろう。いくら『罪人は業火に焼かれなければならない』なんてメッセージで理由付けをするとしても、全部の死体が焼死体ではさすがに露骨すぎると感じたんだね。そのためだけに、彼は引き入れられた」
「違うわ。そんな理由じゃない」
天地満代が否定した。指と指の隙間から覗く目が、桜野を睨んでいる。
「貴女の推理からは漏れていたけど、地下にも……もとの拓也がいたのよ。だから彼と入れ替えるために、やっと見つけた適任者を天地家に迎えた。あたし達と一緒に、これからの真の天地家を生きていくはずだった」
「そっか。なるほどねぇ……納得したよ。最後のピースが埋まったという感じだ」
桜野は指先を唇に当てた。
「『新しい家族の実践1』には、拓也という家族への言及はなかった。執筆時には、まだいなかったんだろう。すると旧・天地家に旧・拓也が入ったのは、貴女が彼らを地下に閉じ込めることになる直前のことだったのかな?」
「ええ。偶然だけど……それも、だいたい半年前だったわ」
「よく判ったよ。でも新・拓也を家族に迎えて実際に生活してみると、彼は色々と問題のある人物だった。ヤクザに追われて云々というのはダミーの背景である可能性があるけど、まあそれに近い事情だったんだろう。秘密を知った以上、外に追放するわけにもいかない。そこで、彼のことも殺害する方針に変えたんだね。ついでに、さっき私が話したような効果も狙った」
天地満代は応えない。肯定の意味だろう。
桜野は「うん」と云って、一度頷いた。
「これで準備は整った。天地家が抱えてきた秘密、そして先送りにしてきた問題を、すべて精算するための大量殺人事件が幕を開ける」




