3「桜野美海子の推理5」
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「満代さん……?」
衝撃が飽和しているなか、何から訊けばよいのか判らずに、気付けば僕は最後の言葉だけを復唱していた。
「そうだよ」と桜野。「私達の前で満代さんとして振舞っていたのは偽物だからね。本物の満代さんは、天地総一郎として振舞っていたこの人だ。私達に対してだけじゃなくて、この人は六年前からずっと自分が天地総一郎であると偽ってきた」
そう云われた総一郎さん……いや、満代さん? とにかく彼女は、両手で顔を覆うと、ほとんど直角に首を折って俯いた。
「何のことだか……さっぱり判らないわ……」
認めないようだ。しかし様子がおかしい。
桜野の云っていることが間違っているなら、これほど失礼な話はないだろう。なのに、このような反応になるだろうか?
「前回、私がサインをお願いしたときには断られたけど、貴女が総一郎さんだと云うなら、今ここで何か文字を書いてくれるかな。作家・天地総一郎はデビュー時から一貫して原稿用紙に手書きしている。もともと実家にPCや原稿用紙がなくて、チラシの裏や学校のノートで小説を書き始めたのが執筆のスタイルとして確立したんだ。出版社には原稿が保管されているから、貴女の筆跡と照合すればいい」
〈総一郎さん〉は俯いたまま、答えない。
「それか、また私が天地総一郎作品について語るから、付き合ってくれる? 前回は作者本人とは到底思えないほどお粗末な受け答えだったけど、連続殺人事件の渦中で精神的な余裕がなかったとも考えられるからね。そうじゃなければ、私は他のファンとは比べ物にならないくらい天地総一郎作品についてもミステリについても造詣が深いと自負しているから、きっと会話内容を本にできるレベルの濃密な談義になるはずだよ」
〈総一郎さん〉は、これにも答えない。
「無理だよね。貴女が本物の天地総一郎なら、この事件で用意されたダミーの真相が、こんなにもイマイチな出来になるわけがない。それでも私は見破る自信があるけど、もっとずっと苦戦したと思うよ。貴女も、他の人達も、それなりにミステリに詳しいのだろうし、頑張って知恵を絞ったことは認めよう。展開や伏線の貼り方にはところどころ工夫が見られたし、推理が一本道とならないようミスリードも用意されていた。でも私のような真のミステリ愛好者からすれば、天地総一郎が監修に付いていないことは明らかなんだ」
最後の根拠は、個人的な感覚の問題という気もするけれど。
どうやらこの〈総一郎さん〉が偽物であることは、裏付けられたらしい。
「でも……桜野、どうしてこの人が、満代さんってことになるんだ?」
「天地家の成人女性は、流子さんと満代さんの二人だけだ。本物の総一郎さんは男性だよ。そして『新しい家族の実践1』には、流子さんが長身だったと窺える記述がある。七年前に発表されたこのエッセイ本は、本物の総一郎さんが書いたものだ。だからどう見ても小柄なこの人は、満代さんの方だと判る」
「長身は……むしろ満代さんの方じゃなかったか? ああ、これは……僕らの前で満代さんとして振舞っていた、あの満代さんのことだけど。一七〇センチ近くあったぞ」
僕はまだ理解しきれていないが、とりあえず思い浮かんだことを口にした。
「そうだね。だから彼女は、流子さんと入れ替わることができたわけだよ。満代さんのものと思われた死体は、流子さんの死体だからね」
「んん……?」
駄目だ。やっぱり判らない。
藤井さんも「あー……」と声を出しながら頭を掻いている。
「流子ってのは六年前に家族を抜けた奴だろ? そいつと入れ替わったとか、此処にいたのは偽物ばかりで、本物が殺されていたとか……あー、何だ、登場人物が一気に増えてる気がするんだが、そいつらみんな何処から湧いてきたんだよ」
「それです!」と僕も乗る。「桜野、屋敷の中には、僕らしかいなかったじゃないか。まあ〈処刑人〉……偽物の豊さんは潜んでいたけど、あの裏口の小部屋は狭くて、他に誰かが潜んでいるようなこともなかったぞ」
それ以外の隠れ場所は考えられない。
ダミーの真相とは云うが、あの推理の中でも、裏口の小部屋というのは消去法により最後に残った唯一の可能性だったはずだ。
「藤井さん、塚場くん、今や前提が変わっていることを認識しないといけないよ。この偽物の総一郎さんも含め、私達が接していた天地家はみんなで狂言をしていたんだからね。それなら、みんなでグルになって、もっと大きな隠し事が可能となるわけだ」
もっと大きな隠し事?
「この屋敷には、隠された地下空間が存在している」
僕はそれを聞いて、固まってしまった。
まさか今になって、そんなスケールの隠れ場所が明らかになるとは……。
「私がこの一週間に調べたことのひとつだよ。天地邸を建設した会社を突き止めて、当時の関係者から話を聞いたんだ。たしかに一階、二階と同様の広さの地下一階があって、しかも普通に探したのでは判らない……階段じゃなくて秘密の仕掛けによって、一階の特定の場所からのみ出入りできるということを確かめられた。
本物の総一郎さんが、天地邸を建てたときにつくらせた隠し地下さ。だから『新しい家族の実践1』でも、その存在は明かされていない。家族の他には秘密だったんだ。ミステリ作家が自分の屋敷を建てるとなれば、そういうものをつくりたくなる。いつだか塚場くんも疑っていたね。これは趣味であって、ロマンであって、それ自体が目的なんだよ。
その地下空間を、偽物の人達は利用した。
地下に閉じ込めておいた本物を殺害し、死体を地上……と云っても事件の間は土砂に埋まっていて、一階と二階も地下みたいなものだけど……地上に連れてきて焼く。交代で自分は地下に隠れる。そんなことを知らない私達には、最初から最後まで地上で、単純な連続殺人事件が進行しているように見える。これが、この事件の基本構造さ」
開いた口が塞がらない。
まったく気付かなかった。
屋敷ごと土砂に埋まったクローズド・サークル。その環境が、その閉塞感が、自分の見ている範囲こそ世界のすべてだと思わせていたのだろうか。
しかし真相は、そんな矮小な世界に収まっていなかった。
裏口の小部屋も、偽物の豊さんと本物の豊さんも、氷山の一角だったのだ。
巨大な地下空間。本物と偽物の人々による連続的な交代劇。
そんな大胆なことが行われていたなんて……。
「偽物の総一郎さんが、塚場くんにこの事件の小説化を禁じた理由も、この地下の存在が大きいだろうね。事件の一部始終を綴ったような内容なのに一度も地下への言及がないと、建設に関与した人間がそれを読んだとき不思議に思って、そこから地下の存在が取り沙汰される惧れがある。真の真相を悟らせないためには、地下の存在も隠し通さなければならない」
ところで満代さん――と、桜野は目の前の彼女に話の矛先を戻す。
「本物の総一郎さんが外部に向けて発信していたメッセージには、貴女も気付いていないんじゃないかな?」
彼女の肩がピクリと反応した。
顔を覆っている両手はそのままに、
「……何の、こと?」
「総一郎さんは継続的に新作小説を発表している。これは貴女が書いていたんじゃない。相変わらず原稿は直筆だったし、作品のクオリティからしても、本物の天地総一郎の手によるもので間違いない。総一郎さんを地下に閉じ込めて以降も、貴女はそれを世間から疑われないように新作小説の発表は許していた。むしろ強要していたのかも知れない。
もちろん出版社の担当編集とメールでやり取りしていたのは貴女だろう。総一郎さんは書き上げた新作を貴女に渡すしかなかったし、その内容には貴女も目を通す。そんななか、総一郎さんが外部に向けてメッセージを発信するには、貴女に気付かれないよう暗号の形をとるしかない。
答えを明かす前にひとつ確認なんだけど、『殺戮の御伽噺 其の二』は、実際には『神の毒か悪魔の薬か』と『あゝユーレカ!』の間に書かれたんじゃない?」
「……そうよ」
「やっぱりね。その作品だけ刊行が遅れたのは、何か出版社側の都合によるものだろう。とにかく刊行順からそこだけ直せば執筆順、つまり総一郎さんが意図した順番になる。そうやって五年前に刊行された『形而上の姿無き者達』からタイトルを順番に並べると……
『形而上の姿無き者達』
『神の毒か悪魔の薬か』
『殺戮の御伽噺 其の二』
『あゝユーレカ!』
『二千年、無知の殺人』
『アスタリスク館の奇蹟』
『二千年、離散の殺人』
『雷雨と相合傘』
……となるね。そして、ここから一番下の文字を一文字ずつ取り出せば、ちかにかんきんさ……地下に監禁というメッセージが――」
「ああっ!」と、偽物の総一郎さんが、まだ桜野が喋っている途中で声を上げた。
声を上げずにはいられなかったのだろう。
僕はひたすら唖然とする。メッセージが〈地下に監禁〉まで完成したのは『二千年、離散の殺人』が発表された昨年だけれど、それからおよそ一年が経過している。今まで、日本中の誰も気付かなかったのか……?
いや、しかし、十六年近く活動してきた小説家の作品タイトルに、いきなり五年前から暗号が仕掛けられ始めても普通は判らない。桜野だって、今回の事件があったから疑ったというだけで、それ以前から気付いていたわけじゃないだろう。たぶん……。
「頭文字にしなかったのは、それじゃあ露骨すぎて途中で貴女に気付かれると考えたのか、あるいは自分は地下にいるのだから、タイトルの上じゃなくて下にメッセージを仕込む方が相応しいと考えたのかもね。メッセージは〈地下に監禁〉で終わりとも取れるけど、おそらく今後も〈地下に監禁されている。助けて〉みたいに続けていくつもりだったんじゃないかな」
偽物の総一郎さん。地下の存在。本物の総一郎さんが其処に閉じ込められていること。
荒唐無稽と思われた桜野の推理は、次から次へと、その強度を増していく。
「あー……桜野、ウチは頭がどうにかなりそうだ」
藤井さんが、呆れ返ったような顔で天井を見上げながら云った。
「全然、考えがまとまらねー。なんつーか……この天地邸で起きた出来事を、もっと過去から順を追って説明してくれねーか?」
「僕からも頼むよ、桜野……」
もう疑わない。今度も桜野は正しいのだ。彼女は根拠のない思い付きを喋る人間ではない。耳を疑うような言葉も、目を疑うような光景も、彼女によって導き出されるのはすべて真実。ただ、それを僕らにも判るように理解させてほしい。




