2「桜野美海子の推理4」
2
屋敷の中の様子は変わっていない。あの三日間を生き抜いたときのままだ。
書斎に入って正面にある大きな張り出し窓も、依然として土砂に埋まっていた。
総一郎さんが珈琲を淹れて来ようとするのを桜野は断り、これも一週間前に何度もそうしたみたく、僕らは向かい合うかたちでソファーに腰を下ろす。藤井さんだけ座らず、傍に立って控えている。彼女は桜野に任せ、できるだけ静観の構えでいるらしい。静観と云うには眼光が鋭すぎるが。
「えーっと……今日は藤井さんから、追加で聞きたいことがあると窺っていたのだけど?」
総一郎さんは微笑を保ちながらも、怪訝そうにした。
桜野は「それがねぇ」と緩い口調で応じつつ、その顔は笑っていない。
「一週間前に私が話した推理は、出来がイマイチだったでしょ? まあ、あのダミーの真相を用意したのは犯人の方だから、私はそのイマイチさを指摘する立場なんだけどね。今日はそのために来たんだよ」
「……どういうことかしら?」
「ダミーの真相だよ。犯人が、私にそう推理させようとして、そうやって事件を解決させようとして誘導していた真相。一週間前には私もそれに従うしかなかった。クローズド・サークルに閉じ込められていたからね」
「犯人って……豊でしょう?」
「偽物の豊さん。彼ひとりで爆弾を製作して設置できたとは思えない。材料を揃えるためには長時間の外出も必要だっただろう。あれだけの土砂崩れを起こすには、家にある洗剤や肥料だけでは間に合わないよ。あるいは通販を使うにしても、何にせよ他の家族に知られずに行うなんて無理だ。そもそも、お金は耕大さんが管理していたんでしょ?」
「そうだけど。耕大が、豊……〈処刑人〉に協力していたということ?」
総一郎さんは訊ねつつも、助けを求めるかのように僕や藤井さんに視線を寄越す。
だが桜野が話している内容は、僕らもいま初めて聞いているのだ。必死に理解しようと頭を働かせている立場は総一郎さんと一緒である。
「たしかに耕大さんは、協力者として真っ先に疑うべき人物だ。
まず彼は、土砂崩れが起きたあの日、犯人が前の晩につくっただろう裏口の小部屋を発見しなかった。彼はよく昼頃に屋敷の周りを散歩するという話なのにね。出入りは玄関でも、屋敷を周るなら裏庭を通るだろう。でも気付かなかったか、あの日は散歩をしなかったことになる。
それだけじゃない。私が屋敷に到着してすぐ、屋敷の周りを見たいと云ったとき……それから屋敷の中を案内してもらっている最中、明るいうちに外を回った方がいいんじゃないかと云ったとき……どちらもそれを断ったか、あるいは後回しにしたんだ。一階を案内する際に裏口を開けて、裏庭を見せてくれても良さそうなものだけどね、それもしなかった。裏口の小部屋が露見しないように案内を避けていた疑いがある」
云われてみれば、たしかに怪しい。
桜野はさらに続ける。
「拓也さんに、久保田さんを出迎えに行かせたのも耕大さんだ。あれは拓也さんが階段を下りてくるところで偶然出会ったけど、そうじゃなくても彼は私達を連れて拓也さんの部屋を訪ねるつもりだっただろう。いつも恵ちゃんが率先して久保田さんを迎えに行くことは、彼も知っていたはずだよね。そのうえで拓也さんを行かせたのは、拓也さんが玄関近くでひとりになる状況をつくるためだ。もちろん、ひとりになった拓也さんを〈処刑人〉が殺害できるようにしたのさ。
一方の〈処刑人〉は、アリバイ工作のため同じ時刻に貴女と蔵書室にいなければならない。それに肝心の久保田さんが訪ねてくる時刻も、あらかじめ決めておく必要がある。事実、決めていたんだろう。色々とルーズな久保田さんは訪問の時刻も日によってバラバラだったという話だ。つまり時刻は、訪問者が久保田さんかどうかの判断材料とならない。それなのに、あの日、久保田さんが玄関のチャイムを鳴らすと、耕大さんは腕時計を見て『久保田さんか』と呟いたんだよ」
「耕大だけじゃない……久保田さんも、共犯だったと云うの?」
総一郎さんは小さく首を横に振る。桜野の考えを否定していると云うより、信じられないという気持ちの表れだろう。
そんな彼女に、桜野はさらなる衝撃発言を繰り出す。
「貴女もだよ、総一郎さん」
「あたし?」
「蔵書室から〈処刑人〉がこっそりと抜け出して、拓也さんを殺害して戻ってきた。これに貴女が気付かなかったというのは、やっぱり無理があるよ。しかも気付かれてしまったら〈処刑人〉……偽物の豊さんは、いきなり犯人の最有力候補になる。あれが耕大さん、久保田さんとも示し合わせた犯行だったなら尚更、こんなに不安なアリバイ工作に、しかも計画的に挑戦したとは思えないんだよね。そんなことをせずとも、共犯者同士でアリバイを保証し合うかたちにすればいいんだから」
「待ってよ。そんなふうに疑ったら、誰だって怪しくなってしまうわ!」
総一郎さんの抗議にも、桜野は動じないどころか、首を縦に振る。
「そう。全員が怪しいんだよ。しかもひとつや二つじゃない。怪しい点を挙げていったらキリがないんだ。
拓也さんの次に殺されたのは耕大さんだったね。あれは遠隔殺人だ。マットレスにガソリンを染み込ませておいて、寝転がると着火するような罠が仕掛けてあった。でも、久保田さんも貴女も、他の人達だって耕大さんに嗅覚障害があったのを知っていたのに、あの程度のトリックに気付かなかったの?
まだ八歳の恵ちゃんはともかく、他の皆さんは総一郎さんの関係者だけあって多かれ少なかれミステリには触れてきた人達だ。遠隔殺人なんて当然、疑われるべきだろう。なのに誰もその可能性を指摘しなかったのも不自然だったし、耕大さんの嗅覚障害さえ知っていれば、あんなのは恥ずかしいくらい初歩的なトリックじゃないか」
「そんなこと云われても、現に気付かなかったものは、仕方ないでしょう……」
「本気で云ってるの? 一流のミステリ作家である天地総一郎が?」
桜野は煽る。彼女の性格からして、煽っているつもりはないのかも知れないが。
対する総一郎さんは視線を逸らし歯噛みする。
「耕大さんの死には、もうひとつ不自然な点があるね。彼はどうして部屋を施錠していなかったんだろう? みんな単独行動をできるだけ避けて、部屋は必ず施錠しようと話していたなかだよ?
まさか忘れていたとは思えない。彼は拓也さんを殺したのはヤクザや半グレで、もう屋敷の中にはいないと主張していたけど、だからと云って安心しきっていたとも考えにくい。あるいは犯人の共犯者だったから、自分が殺されることはないと思っていた? とすれば芝居が不徹底だねぇ。いずれにせよ錠を掛けるべきか、掛けたっておかしくない状況だ。
だけど犯人からすれば、彼に施錠されるわけにはいかなかっただろう。なぜなら部屋が密室状態の場合、より遠隔殺人であることが疑われやすくなる。すると家族が耕大さんの嗅覚障害に言及しないことも、どうしようもなく不自然になってしまう」
一度、完全と思われていた真相が、
物の見事にボロボロと崩れていく。
「この事件は、すべてが上手くいきすぎているんだよ。犯人にとって想定外の事象がまったく起きていない。まるで被害者側の行動が、犯人の都合に合わせているみたいな有り様だ。いくら天地家における最大のタブーなんて云っても、自分が殺されかねない状況下で、本物の豊さんの監禁であったり、姿を消している偽物の豊さんへの疑念であったりを口にしないなんて、理解に苦しむんだよね。これではプロットが稚拙すぎると云わざるを得ない。トリック偏重で、登場人物の行動が不自然に歪められている」
つい先ほど、車中で聞いた表現だ。
あのときには、小説の話にすり替わっていると思ったけれど、ああ……そうじゃなかった。桜野は、現実の事件を指してそう云っていたのだ。
一週間前の推理が犯人によって用意されたダミーの真相だったなら、それは小説と同じこと。創作されたプロットである。
「どうにか頑張ったんだ、たまたま上手くいったんだ……と云って強引に納得すればそれまでだけど、私が理想とするミステリの探偵はそこまで疑う。この現実で、そんな探偵でありたいと思っている私も同じだよ」
しかし、僕にはまだ判らない。
偽物の豊さんが単独犯だったとすると、様々な無理が生じる……だから共犯者がいたと考えるべきで、しかもそれが耕大さんと……久保田さんと……もしかすると総一郎さんと、他の〈家族〉まで、そうだったんじゃないかということか?
「なあ桜野」
僕は我慢できず、自分から訊ねることにした。
「お前が云っているのは、この事件が、天地家の人達……久保田さんも含めた全員による、狂言だったんじゃないかという可能性だよな?」
「そうだね」と、彼女は肯定する。
「だけど総一郎さん以外、みんな死んでしまった。〈処刑人〉……偽物の豊さんだって、僕らの前で自殺したんだ。みんな、自分が殺されたり、最後には自殺しないといけない狂言に協力していたと云うのか?」
「違うよ。誰一人として、殺されるつもりも、死ぬつもりもなかったはずだ」
その返答に一瞬、理解不能に陥りかける。
しかしすぐ、残された可能性に思い至る。
「みんな、自分は殺されないという話だったのに、裏切られたということか?」
「それも考えにくいね。他のメンバーが殺されていくなかで、自分だけは裏切られないという確証を持ち続けないでしょ。久保田さんは殺される直前に館内放送ができたんだから、もっと直截的な告発をすればいい。それに偽物の豊さんの自殺も説明できなくなる」
「……じゃあ何なんだ?」
「みんな死んでしまった、というのが誤りなんだ。死体はほとんどが焼かれて、顔や指紋が判らないじゃないか。体格が大体同じなら、みんな別人と入れ替え可能だよね」
「え…………」
今度こそ、理解不能に陥る。
焼死体の入れ替え……それ自体は、特にミステリでは定番中の定番だ。それこそ手垢にまみれている。今時、そのフレーズに驚くようなことはない。
だが、今回の事件では使えないトリックだろう。
なにせ舞台はクローズド・サークルで、登場人物は限定されており、さらに、ほとんど全員が死んでいるのだ。誰と誰を入れ替えるんだ? 死体同士を入れ替えたってしょうがない。
「残念だが桜野、入れ替えの可能性はウチらの調べで否定されてる」
静観の構えでいた藤井さんが、口を開いた。
「久保田幸彦は素性が知れているから、DNA鑑定は簡単だった。天地家の連中はみんな偽名で素性の特定は難しいが、久保田が二年前に一度、天地家の健康診断をしていた。血液検査も含めて医療機関に情報が残っていたから、遺体のDNAと突合したよ。それに天地耕大は素性が判明している。本名は奥脇祐之助。ずっと昔の血液データと、歯科医院に残っていたレントゲン写真で鑑定できた。天地拓也も判明した。こいつは戸籍や住民票がないんで、本名と云っても、此処に来る以前に本人が名乗っていた名前に過ぎないけどな。河上徹。遺体は焼かれていなかったから指紋を確認できたよ。とにかく全員、本人で間違いない」
「それらの鑑定結果には意味がないよ」
桜野は、総一郎さんから視線を外さずに云う。
「久保田さんはこの犯罪に加担している。直近数年間の彼自身と、健康診断で提出されていた天地家の人達の情報は当てにならない。みんな、この事件で実際に殺された人達の情報となっていて当然だ。素性が知れた耕大さんと拓也さんも、殺されたのは本人なんだから、そりゃあ昔のデータと一致するさ」
「悪い、桜野。おめえが何を喋ってるのか全然判らねー」
僕も同じだ。桜野は自分で入れ替え説を否定しているように聞こえる。
結局、何が云いたいんだ……?
「そうだね。いよいよ、この事件の核心に触れる時が来たよ」
そして、桜野は告げた。
「私と塚場くんの前に姿を見せていたのは、はじめから偽物ばかりなんだよ。そして隠されていた本物の人達が次々と殺されて、死体を焼かれていたんだ。偽物の人達はすべての罪を偽物の豊さんひとりに押し付けて、自分らは殺されたことにしつつ、もちろん現在も生きている。そのために今回の事件を起こし、探偵の私を招いてダミーの真相へと誘導したのさ」
彼女は、正面に座っている総一郎さんを見据える。
その総一郎さんは、真一文字に口を結び、目を見開いて、微動だにしない。
「貴女は総一郎さんじゃない。以降は正しく、満代さんと呼ぶことにするよ」




