4「桜野美海子の推理3」
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「どうして豊はあそこに閉じ込められていたのか、判る?」
〈処刑人〉が壁に背中を凭れたまま、桜野に問い掛けた。
やはり彼に焦りは見えず、開き直った様子でもない。
「それについては手掛かりが少ないけど、推測はできるよ」
対する桜野も、ともすれば普段以上に落ち着いた態度で答える。
劇的な解決編のはずなのに、失意に沈む総一郎さんや、ひたすら翻弄される僕と違って、〈処刑人〉と桜野だけがニュートラルな状態のまま、逆説的に不自然すぎる状態を保ち続けている。
「〈子どもの聖域〉という名称も対外的な名目に過ぎなくて、あのコンクリートの壁は最初から、本物の豊さんを閉じ込めるためにつくられたものだね。壁をつくったのが四年前というのも本当だろう。そのころには既に天地邸に客人を招くようになっていたし、〈子どもの聖域〉の存在は、その時期から客人に対して説明されるようになった。
それに、本物の豊さんが事故で全身火傷と歩行障害を負ったのは六年前だ。最初の二年間は本人が客人の前に姿を現していたからこそ、その後、偽物である貴方も、客人の前ではその変装をしないといけなくなったわけだね。
すると豊さんが閉じ込められる理由も、やはり四年前に生じたのだと考えられる。ゆえに壁がつくられたし、客人向けに豊さんを演じるため、貴方が秘密裏に家族入りさせられた。きっと貴方は、もともと家族入りを志願していた応募者のひとりだろう。それも、天地家に入ったことを疑われるような人間関係を持ってなくて、行政的にも存在を認められていない無戸籍者だ。社会から突然に姿を消したところで、誰にも探されない。天地家への応募者には、こういう特殊な条件を持つ人達が多く集まっている」
〈処刑人〉は反応を示さない。
だが、それは肯定と受け取って良いだろう。
「あとは声と体格がある程度、本物の豊さんと似ていることかな。いや、過去に本物の豊さんを見たことがある客人とさえ会わないようにすれば、まったく似ていなくても問題ないか。まあ恵ちゃんが撮影してくれた死体の映像を見るに、やっぱり体格は近いみたいだけどね。
豊さんはもとから仮面やタイツで肌をすべて隠していたから、入れ替わるのは簡単だ。全身火傷を隠していたそれらは、中身が貴方に替わって、今度はまったく火傷していないことを隠すように機能した。歩行障害がなくたって車椅子に座ることはできる。変装するのは来客があるときだけで構わないし、貴方が此処での実際的な生活面で苦労することはあまりなかっただろう。
さて、それでは四年前、この天地家で何があったのか。色々と考えられることはあるけど、最も可能性が高いもので云うと、きっと豊さんと満代さんの間で問題があったのだろうね。天地家において――いや、一般的な家族においても、あってはならないことが」
「すごいな。ははっ」
〈処刑人〉は笑った。思わず声が出た様子だった。
「どうしてそう思う?」
「当時は伊予さんがいたから、今と違って満代さんは家事の必要がない。すると車椅子生活になって以降の豊さんの介助は、基本的に彼女が担っていたんじゃないかと推測される。なら、そこで過ちが起きたと考えるのが自然な流れだよ」
あってはならないこと。過ち。
ようやく僕にも察しがついた。
それを裏付ける言葉を、〈処刑人〉が告げる。
「そのとおり。豊と満代は肉体関係を持ったんだ」
一般的な家族においては、近親相姦。
そして天地家という、血の繋がりがない〈新しい家族〉においても、それは――考え方が逆転し――血の繋がりがないからこそ、あってはならないことなのだろう。
天地家は出生や婚姻により形成される既存の家族像を否定している。よって〈家族〉同士が肉体関係を持ち、子どもができてしまったら、その在り方が崩壊する。
云うなれば、近親相姦でないがゆえの禁忌だ。
「合意の上じゃない。豊が満代に無理やり関係を迫った。だから満代はお咎め無しで、豊だけが天地家を追放された。追放と云っても、屋敷の外に出してこのスキャンダルを喋られたら堪らない。そういうわけで、あの〈聖域〉に閉じ込められたんだ。あそこは天地邸の中にあって、天地邸ではないんだよ」
にも拘わらず、其処は〈聖域〉という名目を与えられた。
倒錯的な皮肉。そんなつもりはなかったとしても、あまりに趣味が悪い。
「まあ、俺は後から話を聞いたに過ぎないけどね。ずっと断られていたのに、急に家族入りを許されたかと思ったらそれだ。来週には来客の予定があるから、早速、豊になりすましてくれなんて云う。ガッカリしたよ。天地家に抱いていた希望が、まさか入った初日に踏みにじられるなんてね。そのときは……と云うか今までずっと、不満を表に出さないようにはしていたけど」
「どうしてですか」と僕は訊ねた。彼に対する恐怖や警戒を忘れて訊ねていた。「どうして貴方は、従っていたんですか。そんな指示に……」
彼は僕を見て、口の端を歪めた。
「想像してみてほしいな。従うしかないさ。こんな山奥の、大屋敷で、僕は新入りで、他はみんな何年も一緒に生活してきた家族さん達なんだぜ? しかも全員、天地総一郎の信奉者だ。此処では総一郎の意思が絶対なんだよ。来客だって同じで、みんな総一郎を慕ってやって来る。それに来客が来ている間、俺の動きは常に家族の誰かが見張っているんだ。命令に逆らったり、誰かを頼ったり、逃げ出したりできると思うか?」
無理だ。そう答えようとしたとき、
「あたしは、そんなつもりじゃなかったわ!」
総一郎さんが叫んだ。
床に手をついて、しかし顔は上げて、〈処刑人〉に向かい吠えるように。
「あたしは、貴方も納得してくれていると思って……」
「だから不満を表には出さなかったと云ったじゃないか。当たり前だろ。そんなことをしたら、どんな目に遭ったか判らない。現に伊予は殺された。豊を閉じ込めることはもうやめようと提言したからだ」
「あれは事故よ! 殺したんじゃない。本当に」
「どうだかね。あんたじゃなければ耕大が突き落としたんだろ。伊予が外部に秘密を告発するようなことがあれば天地家はお終いだ。ああ、伊予もまさか殺されるとは思わなかっただろう。六年も尽くしてきたんだ。豊の世話だって二年も耐えて、それでようやく意を決して反対意見を表明したのにな。全部、天地家のためを思って」
「ああ、豊、豊……」
総一郎さんが、喘ぐようにその名を呼ぶ。〈処刑人〉に対する呼びかけのようだ。
頬を涙が伝い、その声には何か懇願するような調子がある。
「俺は豊じゃないだろ?」
〈処刑人〉は肩をすくめ、桜野と僕を交互に見た。
「客が来ているときだけじゃない。総一郎は普段から俺を豊と呼ぶのさ。当然、他の家族もそれに倣っていたけどね。総一郎は〈聖域〉に閉じ込めている本物の豊の世話は一切しない。話題にも出さない。そいつの中で豊は俺になっていたんだよ。過ちを犯した豊を、無かったことにしたかったんだろうな」
「違うの、豊……お願い。聞いて……」
「まあ俺からすれば豊だって、満代を強引に犯した罪人だ。奴への同情はない。この家の人間はどいつもこいつも揃って罪人だよ。欺瞞と虚栄に満ちた、救いようのない連中だ」
〈処刑人〉は総一郎さんに取り合わず、桜野と僕に語り続ける。
だが、それが総一郎さんを責めるためであることは明らかだ。
「久保田も全部を知りながら黙認しているヤブ医者だしな。半年前に来たばかりの拓也に天地家への忠誠心はなかったが、その代わり耕大の金に目が眩んでいた。あいつはクズだよ。正義感も倫理観も欠落していた。天地家の秘密を知っても興味を示していなかった。もう駄目だと思ったね。四年かかった。四年かけてやっと覚悟を決められた。それか、諦めがついたのかも知れないな。こいつらに裁きを下すことは、俺にしかできない」
「お願い。許して頂戴……」
「なに云ってるんだ? あんた」
その、見下げ果てるような視線が、やっと総一郎さんを向いた。
「状況を正しく認識しろよ。裁きは既に下された。地の底に沈め。罪人は地獄に落ちなければならない。地獄に落ちた罪人は業火に焼かれなければならない。最も罪深い貴様は、このまま生き地獄を味わうのだ。俺は仕事を完遂したんだ」
彼は背中を壁から離した。
ゆらりと揺れて、桜野の方へ向き直る。
「残念だったね、名探偵。それとも、実はもっと早く真相に気付いていたけど、あえて今まで黙っていたのかな? 途中で邪魔されていたら、俺はあんたらのことも殺さないといけなかったからね」
桜野は答えない。だが僕は知っている。
彼女は昨日、僕に対して、まさにそのことを云っていたのだ。謎を解いて殺されるのと、解かないで生き残るのと、どちらが良いか。彼女は気付いていた。一体、いつから気付いていたのだろう?
「まあいいや。俺は最初から生き残るつもりはなかった。もっと派手な土砂崩れで無理心中にしなかったのは、総一郎だけには生きて罰を受けさせるためだ。殺す連中にしても、やはり業火に焼かれながら罪を悔いてもらわないとね。結果、すべて上手くいったよ。苦労して爆弾までつくった甲斐があったというものだ。さあ、これで謎はすべて解けただろう? おめでとう」
「塚場くん!」
桜野が叫んだけれど僕は反応が遅れた。
〈処刑人〉は駆け出した。僕らに襲い掛かったのではない。僕らの間を通り抜けて、廊下の先へと逃げていく。僕は急いで追いかける。後ろから桜野がついてくる足音も聞こえる。
どこに行く気だ? 天地邸は地中に埋まっている。外には逃げられない。
彼は先ほど『生き残るつもりはなかった』なんて云っていた。彼はガソリンの入った赤い缶を片手に持ったまま走っている。ということは、つまり……。
迷宮のように入り組んだ天地邸の廊下。それを舞台とした逃走と追跡は、長くは続かなかった。何度目かの角を曲がったところで、彼がどこかの部屋へと入っていく姿が見えた。
蔵書室だった。
僕が駆け込んだときには遅かった。
「ううううっ、あああああああああああああああああああっ」
立ち並ぶ本棚と本棚の間。入口から左へ二列目。その奥。壁に刻まれた、五芒星をモチーフにした天地家の家紋の下で、彼は炎に包まれていた。
ああ、そうか。
罪人は業火に焼かれなければならないなら、彼自身も同じなのだ。
燃え盛る炎は本棚へと移り、広がっていく。すぐに蔵書室全体が火の海となるだろう。僕らも此処に留まってはいられない。そして引き返す直前、視界の端で〈処刑人〉の黒い影が床に倒れ、動きを止めたのが見えた。
それが名前のない男の最期だった。




