5、6「終わらない事件」
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その後しばらくして、書斎で総一郎さんが僕らに語ったこと。
豊さんを〈聖域〉に閉じ込めたのは、耕大さんの意思だったらしい。
耕大さんは総一郎さんを敬愛するあまり、彼女の思想について、時として彼女以上に厳格だった。自らも巨額の資産を投じてつくり上げた天地家を、決して失敗させるわけにはいかない。そんな思いが、豊さんが満代さんと肉体関係を持ったとき、ついに暴走を起こした。耕大さんは対応方針を策定し、総一郎さんに強要した。
一、廊下をコンクリートの壁で塞ぎ、二階の南西部に豊さんを閉じ込めること。
一、壁には小人症の伊予だけが通れる抜け穴を設け、伊予に豊さんの世話をさせること。
一、対外的な説明のため、幼い孤児を天地家に引き取り、この領域はその子のために新設した〈子どもの聖域〉という名目にすること。
一、もうひとり、豊さんとよく似た体格の男性を秘密裏に家族入りさせ、客人に対して豊さんを装わせること。
以上の四点により、表向きは何も問題が起きていない状態を演出したのである。
本物の豊さんを屋敷の外に追放することでは駄目だったし、屋敷の中に閉じ込めつつ、対外的には家族を抜けたと説明することでも駄目だった。
過去に流子が家族を抜けたとき、各方面からその理由を詮索され、一部では何か問題があったのだと邪推されたことを、耕大さんは酷く気にしていた。それ以降、ひとりとして家族を抜けさせるわけにはいかないと考えるようになったようだ。
総一郎さんは、こうした〈家族〉の方向性や対応について、耕大さんに逆らうことができなかった。この家は耕大さんの資産によって成り立っている。社会からの隔絶を謳いながらも、そこには極めて資本主義社会的な力関係が存在していた。総一郎さんは天地家の象徴、あるいは看板でしかなくて、いつしか耕大さんが実権を握るようになっていたのだ。
もっとも、他の〈家族〉がどこまでその実態を察していたか、今となっては定かでない。耕大さんが総一郎さんに指示を出すのはもっぱら二人きりの場だったし、その内容は総一郎さんから、総一郎さんの意向として他の〈家族〉に示されたからだ。〈処刑人〉も先ほど『此処では総一郎の意思が絶対なんだよ』と話していた。彼にはそう見えていたのだろう。
「全部、あたしの不甲斐なさが招いたことよ……」
すっかり憔悴した顔で彼女はそう云った。
ソファーに腰掛けた、その佇まいは、まるで枯れ尾花のようだった。
「もともと、天地家をつくろうと思い付いたのはあたしだもの……。耕大は、それを叶えてくれただけ……。その後のことだって……ああ、この環境が良くなかったんだわ。人里離れた大屋敷で、どんなことでも秘密にしてしまえる環境……それが彼を狂わせてしまったのよ……」
「いえ……」と云う僕も、その後は続かなかった。
総一郎さんは、この人は、この先どうしていくのだろう?
〈処刑人〉の目論見どおり、これでは生き地獄だ。
「ねえ、壮太くん」
「何でしょうか」
「お願いなんだけど……この事件は、小説にしないで頂戴。天地家の失敗は、あたしが、自分で書いて本にするわ。そうして世間に発表する……」
「判りました。僕は書きません」
もとより僕は、遺族や関係者の許可が下りなければ執筆はしない主義だ。
「でも、総一郎さん……無理しないでくださいね?」
「ありがとう。あたしは大丈夫……。ずっとエッセイの本は出してなかったけど、これまで書き溜めてきた手記があるのよ。事件の最中にも少し、書いていたの……」
彼女は本当に弱弱しい、消え入りそうな微笑を見せた。
書斎には再び静寂が訪れた。
総一郎さんは床の一点を見詰めて、物思いに沈んでいる。その目の下には隈ができている。きっと昨日も一昨日も、ろくに眠れなかったのだろう。
桜野は僕の隣で本を読んでいる。昨日、この部屋の本棚から借りた有為城煌路の小説だ。相変わらず、無神経というか、超然としているというか……連続殺人事件がつい先ほど、あんな凄惨な結末を迎えたばかりなのに……。
「何か聞こえるね」と云って、桜野が顔を上げた。
僕は気付いていなかったが、そう云われて耳を澄ませた。
するとたしかに、小さく、何か聞こえるようだ。
「何だ?」
僕は立ち上がった。どこから聞こえてくるのか判らないけれど、扉を開けて廊下に出てみる。音はあまり変わらない。しかし聞こえる。導かれるように廊下を進んでいく。
『………………すかー…………に……したー……』
まさか、と思う。歩調が早まる。
少しでもよく聞こえる方向。きっと屋敷の東側だ。玄関がある方角だ。この声は、外から聞こえているのだ。徐々にそれが、拡声器を使い、同じフレーズを繰り返し叫んでいるものと判る。内容も繋がる。
無事ですか――救助に来ました!
さらに何か、具体的なことを話しているらしい。
僕はずっと後ろをついて来る二人の方に振り返り、
「救助ですよ!」と云った自分の声の大きさに自分で驚いた。
6
午後八時十九分、総一郎さん、桜野、僕の三名は無事に救助された。
今朝に麓の町の住民が土砂崩れに気付き、警察と消防に通報してくれたらしい。北の斜面は麓の町からでも場所によっては見えると、以前に耕大さんも話していた。土砂崩れから二日経って、ようやく目に留まってくれたようだ。
僕らが予想したとおり、土砂崩れの範囲は北の斜面だけと云って良かった。天地邸は完全に埋まっていたが、そう深くもなかった。消防隊が時間を要したのは山奥に人員を集め、安全を確保しながら作業の準備を整える工程であり、実際の掘削作業は一時間も掛からなかった。
無論、屋敷を覆っていた土砂をすべてどかしたわけではない。東側、二階の窓が露出するように掘っただけだ。僕らが脱出するには、それで充分だった。
夜の山の空気は冷たく、澄んでいた。
満天の星空の下、地上へと出た僕は、途方もなく実感した。
ああ、生きている……。
こうやって呼吸をするのも、随分と久しいことのようだ。
たった三日間なのに、一週間以上の出来事だったみたいに思える。
七名もの人間が死んだのだ。
天地耕大、満代、拓也、豊、恵、久保田幸彦、そして〈処刑人〉。しかもそれが土砂崩れによる死傷ではなく、殺人事件による死者ばかりであったことは、警察と消防に大きな衝撃を与えた。騒ぎは別の種類の大騒ぎへと急激に発展した。
そんななか、生存した僕ら三人は、それぞれ救急車に乗せられて現場を離脱した。病院で検査を受けないといけないらしい。その後には事情聴取も控えているだろう。命が助かったのだから文句はないけれど、しばらく忙しくなりそうだった。
しかし、僕にはそれ以上に大きな気掛かりが残っていた。
残されたのだ。最後に、桜野によって。
別々の救急車に乗るため、一旦別れる直前、彼女は僕にだけ聞こえる声で云った。
「この事件はまだ終わってないからね」
「え?」
彼女は振り向いて、土砂に飲み込まれた天地邸を見ていた。
「あんなものじゃないよ、天地家の秘密は。この事件の真相は」




