◆天地総一郎の手記(五)
天地家は失敗です。
その始まりからして、天地家は私の欺瞞を抱え込んでおりました。
明治的価値観による支配が形骸化を始め、個人主義の社会が訪れるなかで、〈新しい家族〉と銘打ち組成したこの疑似家族は逆行です。また、出生によっても、婚姻によっても結ばれないこの疑似家族を、天地という氏で束ねたことも、理念に反する虚飾でした。
元を辿れば、氏は血統を表すものでした。夫婦となっても血は混じりませんので、かつては婚姻によって氏が変わること等なかったのですが、明治初期に氏が〈家〉を表すものに変化すると、それも変わるようになりました。これもまた明治的価値観における、戸籍と同じ、夫婦と未婚の子を単位とした家族を表すシンボルだったのです。
〈新しい家族〉を標榜しながら、旧来のやり方を部分的に踏襲した、私の欺瞞。
その訳は、私が抱く、旧来の家族像への強い憧憬でしょう。
戸籍によって規定される家族の在り方から弾き出された無戸籍者こそ、その在り方に執着を示すようになる例は珍しくありません。私も、対外的には先進的な風を装いながら、その実、ご多分に漏れなかったという、情けない真相であります。
私は家族が欲しかった。
自分に優しくしてくれる、家族が欲しかったのです。
此処に集まったのは皆、そういう者達です。■■もそうでした。嗚呼、それでも、私が高尚な理想を笠に着た唯の未熟者に過ぎないことを、早くに打ち明けていたなら、私達はもっと上手くやれていたでしょうか。互いを正しく理解し、破局の運命を避けられたのでしょうか。
判りません。これもまた、自らの罪をレヴェルの異なる問題と一緒くたにして有耶無耶にしようとする、卑怯な論法なのかも知れません。どんな真心も、言葉にした途端に嘘となることを、曲がりなりにも作家として生きてきた私はよく承知しています。
説明を付ける迄もなく事実は明瞭です。■が劣情に駆られて満代に手を出さなければ、こんなことにはなりませんでした。
私は自分が恥ずかしくて堪りません。
罪人は私です。私一人です。
ただ裁きを受けるだけで、この罪が償えるとは思えません。
これ以上、家族を殺させない為には、私が自ら命を絶てばよいのでしょうか?




