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名探偵・桜野美海子と天国と地獄  作者: 凛野冥
二日目 五月三〇日(木)
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33/48

10、11「涙と微笑」

    10


 謎を解いて殺されるのと、解かないで生き残るのと、どちらが良いか。

 耕大さんの部屋で、桜野は僕にそう訊ねた。

 僕は当然、桜野や僕が殺されるようなことは避けたいと答えた。どうしたってそれは大前提だ。死にたくないし、桜野にも死んでほしくない。自分の命を犠牲にしてまで謎を解くなんて、そんなヒロイックな使命感は桜野だって持っていないだろう。

 しかし、自分達が生き残るために、他の人達を見殺しにするような真似(まね)も肯定できない。偽善的と云われようとも、僕はそれも本心なのだと主張したい。

 だから悩んでいるのだ。

 施錠した部屋に閉じこもっていれば、犯人は手出しできないはず……そうとも思うのだけれど、皆もそれを頭では判っているはずなのに、現に連続殺人は四人目まで進行してしまった。この犯人は極めて残忍で、そして狡猾(こうかつ)な人物だ。

 犯人は総一郎さんか、満代さんか、恵ちゃんか。

 それ以外の人物が、屋敷のどこかに潜んでいるのか。

 ならば六年前に〈家族〉を抜けた天地流子か、拓也さんを狙っていたヤクザや半グレか、過去に天地家への参加を拒絶された応募者か、もっと別の誰かか。

 特定のための手掛かりは?

 犯人は自らを〈天国と地獄の処刑人〉と称し、二つのメッセージを残している。

『地の底に沈め。罪人は地獄に落ちなければならない。』

『地獄に落ちた罪人は業火に焼かれなければならない。』

 前者は爆弾を使って土砂崩れを起こし天地邸を地中に埋めたこと、後者は標的を焼き殺す手口を指しているのだろう。だが必ず焼き殺しているのではなく、その不徹底さについては桜野も指摘していた。彼女は『稚拙』という言葉を使った。

 バセドウ病について調べていたのは、何か関係があるのだろうか。結局、久保田さんにも他の〈家族〉にも裏取りをしないままになっているが。

 他に桜野が興味を示していた内容は……天地流子と伊予はどんな人物だったか……〈子どもの聖域〉に出入りできる体格だったか……伊予が転落死したときの状況……耕大さんの殺害現場にはライター、久保田さんの殺害現場にはマッチが残されていたこと……恵ちゃんと久保田さんの関係性……久保田さんが天地邸を訪問する時刻について……この程度か。

 混迷を極める事件に対して少なすぎる気がするけれど、彼女はいつもこうである。

 手当たり次第に情報を集めようとせず、真に必要と判断した情報のみを得ようと行動する。彼女の中で推理が進んでいくほど、その傾向が強くなる。つまり、これらの点はいずれも事件の真相と密接に関係している可能性が高い。

 だが、それが判っていても僕の脳内では考えがまとまらない。

 既に誰かが話していたような可能性が浮かんでは消え、浮かんでは消え、形を成さないままだ。諸要素をどのように並べたって、納得がいくようには繋がってくれない。

 そもそも謎を解いてしまったら、僕らも犯人の標的になると桜野は云う。話はここに戻ってきてしまう。だからと云って思考を放棄はできないし、思考したところで謎は解けないし、解いたら殺されるし……ウンザリするくらい延々とこのループだ。

 しかも僕を混乱させているのは、それだけではない。

 桜野は先ほど満代さんに、明日には犯人を見つけられそうだと話した。解決を宣言するような内容だ。彼女は犯人の標的にされても良いのか?

 それについて訊ねても、桜野はやっぱりはぐらかす。

「明日になれば判るよ」とか「心配は要らないよ」とか、そんなことを云うばかりだ。

 わけが判らない。

 そんなことを云うからには、彼女は推理を完成させたのだろうか?

 犯人の正体、犯行方法、動機。

 この屋敷に来てから、僕は彼女と同じものを見て聞いている。正体不明の殺人犯を警戒する必要もあったから、彼女が単独行動をとる場面はなかった。彼女が真相に到達したなら、僕もその条件を揃えているはずだ。

 ……本当に?

 十何年間も彼女と一緒にいて、つくづく思う。天才の思考は、僕のような凡人には計り知れない。同じ場所にいても、まったく違う世界にいるようなものだ。僕はいつも後からそれを知って、後からそれを小説にする。今この時には、決して追いつけない。

 桜野と二人でいる部屋で、僕はひとり悶々(もんもん)としながら、ノートに今日の記録を綴った。


    11


 ノートに記録を終えたとき、時刻は午後九時を回っていた。

 僕はさすがに空腹を感じて、部屋に持ち込んでいたパンや菓子類を食べた。

 風呂には入らないことになるだろう。多少の不快感を我慢してでも、襲われるリスクを低減させた方が良い。部屋を出るのはトイレに行くときだけだ。これも必ず桜野と二人で行動し、片方が用を足している間、もう片方が廊下に立って周囲を警戒する。

 桜野はずっとベッドの上で読書をしている。僕もソファーで、借りてきた総一郎さんのエッセイを読むことにした。

 まずは、今から十年以上も前に発表された初のエッセイ『無戸籍という生き方』。

 前半部では、昨晩に総一郎さん本人から口頭でも説明してもらった内容が、より詳しく、様々な実例を引きながら書かれている。戸籍制度がその影で常に無戸籍者を生んできた歴史、それを通して制度の問題点を明らかにし、その必要性を問うものだ。

 総一郎さんによれば、もはや戸籍制度はこの国に必要ない。しかし国はこれを廃止せず、細々と部分的な改善を行うばかりだ。だから彼女は、もう待っていられないし、そんなものに付き合っていられないと云う。戸籍制度ばかりではない。あらゆる既存の価値観に囚われずに、本来的な自分の人生を生きようというのが〈無戸籍という生き方〉なのだ。

 彼女は天地総一郎という人間になった。

 それは他者から規定された名前ではなく、彼女が生きたい人生のための名前だ。

 小説を書き、新人賞に応募し、受賞し、出版社から作品を発表し、金銭を得る。この一連の活動に戸籍は必要なかった。小説家として名を馳せた彼女は、そのことによって多くの人達に存在を知られ、認められた。行政的には存在しないはずの彼女が、その存在を証明し、生きていける環境を創出してみせた。

 小説家は自分に打ってつけの職業であったと、彼女は述べている。

 本の趣旨から外れるため言及は控えめだが、やはり彼女は幼少期よりミステリを愛読していたらしい。近所に私立図書館があって、無戸籍の彼女は本を借りることはできなかったけれど、代わりに閉館の時刻まで図書館の中で過ごした。学校にいる以外の時間は、いつも図書館にいた。親にも教師にもクラスメイトにも、誰にも心を開かなかった彼女の、唯一の友達が小説だった。そうしているうちに自然と、家にいるときには自らも小説を書くようになった。PCも原稿用紙もなかったので、はじめはチラシの裏や新聞の余白、学校で使うノートや予定帳に書いていたという話だ。

 彼女がそれを努力と捉えていたかは判らない。楽しい一心でやっていたのかも知れない。ただ、いずれにせよ、そんな日々が彼女を弱冠十八歳にして鮮烈な作家デビューに至らしめたのだろう。

 無論、誰もが彼女のように自己実現を果たせるとは限らない。

 だから彼女は、国や行政に頼らない相互扶助(ふじょ)のかたちとして、次に〈新しい家族〉を提唱した。その理念や理論をまとめ、実践を宣言したのが『新しい家族のすゝめ』だけれど、これは書斎から借りてきていない。

 次に僕は『新しい家族の実践1』を開いた。天地邸を組成した翌年に、天地家の人々やその生活を書いた、いわば報告書のようなエッセイである。

 このときの〈家族〉は天地総一郎、耕大、流子、満代、豊の五人。それから家政婦として伊予がいる。それぞれどんな人物なのか、生い立ちであったり、天地家に入った動機や経緯であったりも説明されている。ただし本名は書かれていないし、それを特定できるほどの情報量ではない。外見的特徴も書かれていないから、伊予が小人症であったことも判らない。途中、流子が長身だったと窺える記述があるのみだ。総一郎さんもそう話していた。豊さんの火傷や車椅子については……まだ事故が起きる前か。

 事故は翌年だ。同じ年に流子さんが家族を抜けるけれど、どちらが先なのだろう。いずれも正確な日付までは判らない。

 その後も、天地家では様々な変化があった。

 総一郎さんは記者やファンを天地邸に招き、紹介や講演を行うようになった。それによって雑誌やネット上では天地家に関する情報が増えたし、総一郎さんは顔写真も公開された。四年前には元孤児の恵ちゃんが〈家族〉に加わり、二年前には家政婦の伊予が不幸な転落死を遂げた。まだ情報が少ないものの、半年前には拓也さんがやって来た。

 そしてこの数日間。〈天国と地獄の処刑人〉を名乗る何者かから手紙が届き、土砂崩れによって地中に埋まった天地邸で、連続殺人事件が起きている。今や生存している〈家族〉は、総一郎さん、満代さん、恵ちゃんの三人だけ。

 天地家の八年間の歴史の中に、今に繋がる何かがあるのは確かだろう。

 それは何だ……?

 この〈家族〉には一体、どんな秘密が隠れている……?

「結局、六年前に流子さんがどうして天地家を抜けたのか、聞いてないよな」

 ふと思い出して、僕は桜野に声を掛けた。

「ただ天地家を嫌っていたと聞いただけだ。満代さんは当初、流子さんが怪しいと云っていたけど……さっき此処に来たときには名前すら出さなかった。今回の事件には関係ないのか?」

「関係はあるさ」

 即答だった。彼女はベッドの上でうつ伏せになって読書中だ。僕からは後頭部しか見えない。

「どのくらい関係ある?」

 我ながら漠然とした問いだったが、意外にも答えが返ってくる。

「もしもこの後、満代さんが殺されるようなことがあれば、流子さんの関与は決定的だよ。そのとき彼女は、この事件の主要な登場人物のひとりと云って良いだろうねぇ」

「……どういうことだ?」

 さらに判らなくなった。

 桜野はこちらに顔を向けないまま、ひどく緩慢に喋る。

「ねえ塚場くん、この事件は私にとって、物凄く残念な事件だよ。土砂崩れが起きる前なら、まだ食い止めることはできた。でも土砂崩れが起きた時点で、私達は選択肢を失ってしまったんだ。事件を最後まで見届ける以外に、どうしようもなくなってしまったんだよ。あるいは、自分達の生命を差し出すことならできたけど、それをしたところで誰かの命が救われるわけじゃない。こんな事件は初めてだ。もう二度とご(めん)だね」

「桜野……?」

 急な独白に違和感を覚え、僕はソファーから立ち上がった。

 彼女の傍まで歩み寄り、その顔を覗き込んでドキリとした。

 一瞬、泣いているのかと思った。

 いや、涙は流れていない。表情だって飄々としたものだ。

 なのに、どうして泣いていると思ったのだろう。

「……もう判っているんだな? お前には、この事件の真相が」

「〈天国と地獄の処刑人〉は、あまりにも稚拙だ。きっと総一郎さんも、真相を知ったら残念に思うだろう。総一郎さんほどのミステリの書き手が、自分の屋敷を舞台とした殺人事件がこれであることを許せるとは思えない」

「そんなに、簡単な真相なのか?」

「簡単とか、難しいとか、そういうことではないんだよ塚場くん。ただ、こんなことを思い付いて実行してしまう人間がいるなんて、きっと多くの人は信じられないだろう。だけど此処は天地邸だ。その条件が揃ってしまったんだよ。それこそが最大の不幸だったんじゃないかな」

 彼女が自分からこれほど感傷的なことを喋るなんて、きっと初めてだ。

 さらに僕は気付いた。彼女の手元で開かれている本が、まだ最初のページであることに。ずっと読書していると思っていたが、実際にはまったく進んでいなかったのだ。

 何がそうさせるのだろう。

 この事件は、今まで彼女が解決してきた数々の事件と、何が違っているのだろう。

「塚場くん、真相を知ったときに、きみがどう思うのか聞きたいな」

 彼女は僕に微笑を向けた。

「きみは天地邸を、天国だったと思うのか、地獄だったと思うのか」

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