4「蔵書室での一幕」
4
五芒星の中央に、正面すなわち東の方角から見た天地邸の姿を描き込み、余白には上から順に太陽と雲、木々、地面を表しているのだろう荒い凹凸を配して、周りを円でぐるりと囲った意匠。
蔵書室の壁にも、本棚と本棚の間に、それを彫り込んでいる箇所があった。
今朝に屋敷を調べて回った際、色んな部屋でこれと同じものを目にしたので訊ねてみたところ、総一郎さんから「天地家の家紋よ」と教えられた。家紋と云われてイメージする、たとえば徳川家や豊臣家のようなシンボリックなそれよりも随分と写実的だ。まあ既存の枠に囚われない天地家なのだから、それで良いのだろう。
……いや、家紋をつくるということ自体が、既存の枠ではないのか?
だがそれを云ったら〈家族〉というのも既存の枠だ。天地家は既存の枠を使いながらも、その内実が独自であると云うのが正確な気がする。なんて、よく知りもしないで批評めいたことを云うのは避けるべきだけれど。
僕は昨晩、総一郎さんの話を聞いて、無戸籍問題や天地家に強い関心を持ったところだ。蔵書室でも先ほどから総一郎さんのエッセイを探している。しかし小説も含めて此処にはなさそうだった。自らの著作は書斎に置いているのかも知れない。
あるいは見落としたか。
さすが総一郎さんが住まう屋敷の蔵書室だけあって、一般的に個人が所有する本の数とは比べ物にならない。たぶん僕が通っていた中学校の図書室に匹敵するだろう。それをひと回り小さな部屋に凝縮したような格好なので、かなりの密度だ。
天井近くまで達するスチール製の本棚がいくつも並び、そのほとんどに本がギュウギュウに詰まっている様子は、ともすれば威圧的でもあり、たまに桜野の付き添いで行くことのある古本屋を思い出させる。違いは、この蔵書室の方がずっと整理された印象を受けるという点か。本を平積みせず、すべて棚に収めているのが理由だと思う。
桜野のもとに戻ると、彼女は立ったまま分厚い本を読んでいた。本棚のそれを引き抜いた箇所を見るに、医学や薬学に関する専門書が並んでいるエリアのようだ。
「何を調べているんだ?」
「もしかしてと思ってねぇ。バセドウ病について」
「バセドウ病って……」
名前は知っているけれど、どんな病気か忘れてしまった。
「代謝をつかさどる甲状腺ホルモンと、交感神経系のカテコールアミン。これらが過剰に生産される病気だよ。その結果、動悸、体重減少、指の震え、暑がり、汗かき、軟便・下痢、筋力低下といった症状があらわれる。その他にも、疲れやすくなったり、落ち着きがなくなったり、肌が黒くなったり、眼球突出が起こることもある。目がとび出るということだね」
「それって……耕大さんか?」
桜野がいま調べている以上、事件に関することなのだろう。そして列挙された特徴から想起されたのが彼だった。特に、目がとび出ると聞けば、耕大さんのギョロリとした特徴的な目が真っ先に思い出される。
体重減少……たしかに彼は痩せ型だった。肌も浅黒かった。他の人達に比べて震えや発汗の目立つ場面が多かったし、それに落ち着きがなくなると云えば……。
「昨日の夕食で、耕大さんはかなり興奮していたよな。それで久保田さんが居間の方に連れて行ったけど、あのとき満代さんが『耕大は時々ああなるんです』って云ったのを憶えてるぞ」
「土砂崩れが起きた直後も、総一郎さんの書斎で久保田さんが汗だくの耕大さんに、動悸はしてないかって訊ねていたよ。その後には、ソファーに座って休むように促していた。久保田さんはよく耕大さんを気に掛けていたし、久保田さんは医者だ」
繋がっていく。昨日から何気なく目にして、耳にしていたことの数々が。
「久保田さんが隔週で此処に来ているのは、誰かに慢性的な病気でもないと頻繁すぎるよね。ただでさえアクセスの悪い場所なんだから。じゃあ誰が患者なのか? そう思って私は久保田さんの動きを中心に、みんなをよく観察していたんだ」
「ああ……僕は何となく、豊さんがいるからじゃないかと思っていたんだけど……」
「豊さんが全身火傷と歩行障害を負ったのは六年前だ。リハビリに励んでいる様子もないし、介助する家族もいる。今になっても医者が隔週で診察に通う必要はないだろうね」
桜野は手元の医学書に視線を落とす。
「基本的には、バセドウ病に食事制限は必要ない。でも耕大さんは用心深いのか、よほど病気を気にしていたみたいだよ。私達がはじめて総一郎さんの書斎に通されたとき、彼は総一郎さんと塚場くんには珈琲、私にはミルクティーを出してくれたけど、自分はただの水だった。たしかに珈琲はバセドウ病の治療に用いる抗甲状腺薬の吸収を妨げる場合があるし、その他のカフェイン類も睡眠障害や精神障害を悪化させる懸念がある。あとは夕食で炭水化物を抜いていたね。バセドウ病患者は、炭水化物によってまれに手足が突然動かなくなる発作を起こすらしい」
ひとつひとつは、耕大さんの身体的または生理的な特徴であったり、嗜好や気分であったりするかも知れない。だがこれだけ当て嵌まるものが多ければ、桜野が云うとおり久保田さんの存在もあるのだし、バセドウ病と推定することに無理はないだろう。
「でも、耕大さんが本当にその病気だったとして、そこから何が判るんだ?」
「それはまだ調べ中だよぉ。途中で塚場くんが来たんだから」
「ごめん……」
僕は蔵書室内の探索に戻った。
無数に並ぶ背表紙のタイトルを眺めながら、気になった本を引き抜いてはパラパラとめくる。そうしながら事件について考えてみたけれど、冴えた思い付きも加速度的な収束も、一向に訪れる兆しはない。




