3「二年前の不幸な事故」
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桜野と僕は自分らの部屋で着替えを済ませた。二人とも昨日と同じ格好だ。
僕は下着の替えをあと二枚しか持ってきていないので、もし救助がそれより先になるようであれば洗濯機を貸してもらおうと思う。一方で、この息の詰まりそうなクローズド・サークルのなか、僕らが二日後も三日後も耐えて過ごしている光景を上手く想像できない。
気が滅入る一方である。
再び一階の食堂に集い、昼食を摂ることになった。満代さんがスクランブルエッグ、海老やアボカドの入ったサラダ、コーンスープを用意してくれた。会話は弾まなかった。次の明確な動きも決まらない。ただ用心して各々が時間を過ごし、夕食は七時頃にしようとだけ話して、一旦解散となった。
「食器はそのままでいいですよお」
満代さんがそう云うのに甘えて桜野と僕は席を立とうとしたが、総一郎さんに「二人とも、ちょっといいかしら?」と引き留められる。食器類をワゴンに載せていく満代さんと恵ちゃん、食べ終えているけれど席に座ったままの久保田さんを横目で気にしつつ、彼女は「居間の方で話しましょう」と促し、桜野と僕は従った。
居間のソファーに腰を下ろすと、まず総一郎さんは小さく咳払いした。
「美海子ちゃん……私から貴女への依頼は、手紙の差出人と、その目的の究明だったわ。それから状況は大きく変わったけど、引き続き貴女は探偵として、この連続殺人事件に当たってくれていると考えていいのよね?」
「そのとおりだよ」
「貴女の提案で〈子どもの聖域〉を塞いだけど、あの中に、私達以外の誰か……〈天国と地獄の処刑人〉が潜んでいると思うの?」
「さあ? どうだろうね」
はぐらかす桜野に、総一郎さんは目を伏せる。僕は桜野の味方だが、総一郎さんの気持ちも判った。桜野がそういう人間であることを評判や僕の小説で知っていても、いざ自分が当事者となれば、そろそろ苦言のひとつも云いたくなるだろう。
「逆に私からも訊きたいんだけど、六年前に家族を抜けた流子さんは、あの抜け穴を通れるくらい小柄だったりしなかった?」
「いいえ。流子がいたころはまだ〈子どもの聖域〉はなかったけど、彼女は私よりずっと背が高かった」
「この六年でどれだけ痩せたとしても、無理だと思う?」
「そのはずよ。屋敷にいたことのある人間で〈子どもの聖域〉に出入りできるのは恵と……もう亡くなってしまったけど、伊予さんだけだわ」
意外な名前が出た。伊予さん……二年前まで天地邸で働いていた家政婦。
「伊予さんは身体が小さかったの?」
「小人症だったのよ。とっくに成人していたけど、今の恵くらいの身体だった」
「伊予さんは、本当に、二年前に死んだんだよね?」
「本当に死んだわ。伊予さんのご両親に遺体を引き取ってもらって……実はあたしも葬儀に参列したの。天地家を代表してね。此処に住むようになってから、天地家の人間が敷地の外に出たのはあの一度きりよ」
「伊予さんが死んだときの状況を、詳しく教えてもらえる?」
それから総一郎さんが語ったところによれば――
二年前の七月三日だった。朝から伊予の姿がどこにも見えず、朝食の時刻であった九時半を過ぎても変わらないので、当時居住していた〈家族〉で探すことになった。総一郎さん、耕大さん、満代さん、豊さん、恵ちゃんだ。しかし屋敷の中にはいない。〈子どもの聖域〉も恵ちゃんが調べたけれどいなかった。
そして一時間近くが経ったころ、ついに耕大さんが発見した。
屋敷の西側にある裏口を出ると裏庭になっていて、二十メートルほど離れたところに物置小屋がある。その物置小屋のさらに裏から森が始まるのだが、其処に草木を掻き分けた痕跡があったため、耕大さんは奥に進んでみた。しばらく行くと、天地邸を建てるために山を切り崩して平らにしたエリアが終わる。斜面が北から回り込むように壁となり、南西の方角では地面が消えるわけだ。
伊予は其処を転がり落ちたらしい。ずっと下の方で、その小柄な身体は木の幹に引っ掛かっていた。全身が擦過傷と打撲まみれで、さらに腕と首の骨が折れていた。救急車を呼んでから到着までにも一時間近く掛かったが、耕大さんが発見したときには既に死んでいただろうという話だ。
なぜ、伊予はそんなところまで森の中を入っていったのか。
おそらく山に棲む動物を追っていたのではないかと推測されている。生前の伊予は裏庭に現れるニホンリスを餌付けしていた。それは山奥の屋敷に住み込みで働く家政婦の、ささやかな楽しみのようだった。いつものようにリスと戯れているうちに、いつも以上に深追いし、見通しのきかない森の奥で足を滑らせてしまったのだろう。リスが木の上を飛び移っていくのを見上げていたなら、足元を注視していなかったとしても不思議ではない。
天地家を組成してから六年間、〈家族〉と共に此処で生活してきた彼女の死を、天地家の人々は大変悲しんだと云う。以来、今日に至るまで、新たな家政婦は雇っていない。
「そういえば……恵ちゃんが、伊予さんと動物の世話をしていたと話していました」
僕は思い出したことを口にした。
「あれは、そのリスの餌付けのことだったんですね」
「そうね。裏庭で、恵も一緒になってリスを見ていたわ」
総一郎さんは往時を偲ぶようにして深く頷いた。
その時、居間の扉をノックする音が響き、こちらの返事を聞かずして扉が開いた。食堂ではなく廊下に通じる扉だ。其処には顔をしかめた久保田さんがひとりで立っていた。
「総一郎、ちょっと来てくれるかね」
「あら久保田さん、ひとりで行動したら危険よ」
「〈子どもの聖域〉を塞いだのだから問題ないだろう。もしものときには武器もある」
彼は杖のように使っているゴルフクラブを軽く持ち上げた。僕は自分達が借りている部屋に置いてきてしまったが、たしかに携行していた方が良さそうだ。
「ずっと人と一緒にいるのも、吾輩にはちと気詰まりだしな。それより個別に相談したいことがあるのだ。お前さんの書斎でどうだね」
「構わないけど……」
久保田さんは桜野と僕に向けて「気にするな。事件には関係ない、こっちの話だ」と、しかめっ面のまま云った。総一郎さんが出ていくと、居間には桜野と僕の二人だけになった。
「僕達も部屋に戻るか」
「その前にちょっと寄りたいところがあるんだよねぇ」
「どこ?」と訊ねると、桜野は「蔵書室」と答えた。




