16「再び考察する人々」
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耕大さんの死体はそのままにして、僕らは総一郎さんの書斎に集まった。
耕大さんの焼死を伝えると、豊さんは「そう」と云うだけで驚く様子もなかったけれど、仮面で顔が隠れているから実際のところは判らない。聞く前から覚悟をしていたということもあるだろう。
桜野はソファーの端に座って、僕はその傍らに立った。桜野の隣には恵ちゃんが座り、その傍らに満代さんが立つ。向かいには総一郎さんと久保田さんが座り、車椅子の豊さんが総一郎さんの傍らに陣取った。
まずは、今度も第一発見者となった満代さんが経緯を説明した。
「私達は恵の部屋にいたんですけどお……恵がトイレに行きたいと云って、私も付き添うことにしました。ひとりで行動させたら駄目だって思いましたのでえ。それで恵がトイレに入っている間、私はその前の廊下で待っていたんですけどお、何だか耕大の、叫び声みたいなものがうっすらと聞こえて……すぐ近くの角を曲がったら、耕大の部屋がある通りですから、角まで行って覗いてみたんですう。そうしたら耕大の部屋の扉から、黒い煙みたいなのが漏れていて、焦げ臭いにおいもしましたから、これは大変だあって思って、その場から恵に……恵い、トイレの錠を掛けて、そのまま出てきたら駄目ですよお……って云って、耕大の部屋に走って行ったんですう」
「そんなこと云ってたの?」
恵ちゃんが眉根に小さな皺をつくった。彼女は拓也さんが殺されたときより随分と落ち着いている。〈家族〉の一員として、話に参加しようと気丈に努めているようだ。風呂上がりで髪を下ろしていることもあり、雰囲気も少し大人びて見える。
「聞き取れなかったよ。だから恵、なにーって訊き返したんだけど」
「ええ? 私にはそれが聞こえてませんでした。ごめんねえ……私も必死だったので赦してください。ああ、いま思い出しても、すっごく怖かったですけど、耕大の部屋の扉を開けたら、ベッドのところが燃え盛っていてえ……まだ耕大がバタバタ暴れてたんです。だけど、近づけないじゃないですかあ。燃えてるんですからあ。近くに水とか、火を消せるようなものも見当たらなくて……あっ、消火器だって思いましたけど、ごめんなさい、消火器がどこに置いてあったか、急に判らなくなっちゃったんです。本当にパニックで……廊下の壁にインターホンの機器があったので、とにかく助けを求めたんですよお」
満代さんは身振り手振りを交えながら、嘆くような調子で話している。
「でも、私が最初に耕大の声を聞いてから、放送をするまでえ、ほんの数十秒のことだったと思いますよ? 右往左往していた時間は、全然なかったはずなんです。放送していたら、すぐに久保田さんが来てくれました。それから恵も来て……トイレから出てこないでって私が云ったのは、聞こえてなかったんですもんねえ……」
「吾輩は吾輩が借りとる部屋で放送を聞いて、其処から駆け付けた」
久保田さんが説明を引き取った。彼は厳めしい顔つきで腕を組んでいる。
「ああ、その前に、耕大と一緒に風呂に入ったのは吾輩だ。風呂上がりにはこの書斎に立ち寄って、総一郎と豊に風呂が空いたことを伝えてから、耕大と二人で二階に上がった。吾輩の部屋の前で別れて、満代の放送はその二、三分後だったと思うぞ。吾輩かも知れんな、生きとる耕大を最後に見たのは……いや、満代が発見したときにはまだ炎に包まれて暴れとったという話だから、吾輩は焼かれる前の耕大を最後に見たのか。無論、〈天国と地獄の処刑人〉とか云うふざけた犯人を除けばだが」
「犯人については、一旦後に回しましょう」
総一郎さんの言葉に、久保田さんは頷いた。
「放送を聞いて、吾輩の部屋から耕大の部屋には一分も掛からんかったはずだ。耕大は既に息絶えていたか、まあ虫の息だったのだろう。ベッドから半分落ちたあの状態で、全然動いとらんかった。吾輩は部屋に入ってクローゼットを開けたらブランケットが仕舞われていたから、そいつを広げて耕大をこう、バッサバッサと叩くようにして消火を試みたが駄目だった。周りに燃え移るものがないから、待っていれば次第に火は消えるはずだったがな。すぐに消すなら消火器がないと駄目だと思っとるところに、塚場氏が消火器を持ってきてくれた」
「僕達は……」
名前を出されたので、最後に僕が自分達の動きを説明する。
「満代さんの放送があったとき、この書斎にいました。桜野と僕で、総一郎さんから無戸籍問題について話を聞いていたんです。豊さんも一緒に聞いていました。久保田さんが仰ったように、途中、風呂上がりの久保田さんと耕大さんが来ました。二人が書斎を出ていってから数分後という感じだったでしょうか、放送があったのは。豊さんはご自身の部屋にいると仰って、あとの僕らは急いで耕大さんの部屋に向かいました。階段の下で僕が消火器を拾って……耕大さんの部屋に着くと、それを使って火を消しました。以上です」
これで事件前後の流れは判った。
僕が聞いている限り、証言の食い違い等、おかしな点はなかったと思う。
「そして問題は、その第二の手紙ね」
総一郎さんがこめかみを押さえながら云った。
桜野が発見した手紙は、いま皆が囲んでいるテーブルの上に置かれている。〈天国と地獄の処刑人〉から届けられた第二の手紙。曰く、地獄に落ちた罪人は業火に焼かれなければならない。
「耕大を焼き殺した、という意味で間違いないでしょう……」
「やっぱりい、殺人犯が屋敷に潜んでいたってことですよねえ?」
総一郎さんと満代さんの言葉に、他の皆も同意を示す――かに思われたが、そこで声を発したのは豊さんだった。無感情な狐面が、また自論を展開しようとしているのだ。
「すると今回も犯人は満代さんになってしまうけど、それでいいのかな?」
「ええっ?」
素っ頓狂な声を上げる満代さん。細い両目が、一瞬だけ大きく開いた気がする。
ずっと腕を組んで難しそうな顔をしている久保田さんが「そうだなァ」と口を開く。
「現実的に、耕大を焼き殺せたのは満代だけだろう。此処にいる吾輩らに限らず、別の何者かが屋敷に潜伏していたとしても、耕大を殺すのは難しかった。いや、殺す――つまり火を点けることはできただろうが、その後で部屋から逃げる姿を満代に目撃されないはずがないのだよ」
「え? それって――ええ?」
満代さんは理解が追いついていない様子だ。
「お前さんは耕大の叫び声を聞いて、すぐに様子を見に行ったのだろう? 炎に包まれた耕大が大声で叫んだということは、火を点けられた直後だ。間もなく喉が焼かれて、呼吸すらままならなくなる。そしてお前さんがトイレの前から廊下の角まで移動するのなんて十秒も掛からん。しかしお前さんは、部屋から逃げていく犯人を見とらんのだろう?」
「見てませんけど……」
「その後はお前さんがずっと、耕大の部屋を見張っとる格好になる。館内放送中の隙をついて犯人が逃げた、というのも考えにくいな。火が燃えとるのにお前さんが部屋に対して背中を向けていたとは思えん。常に状況を気にしていたはずだ」
「待ってください! じゃあ犯人は、まだ部屋から逃げ出していなくて、中に隠れていたんじゃないですかあ?」
「放送後すぐに駆け付けた吾輩は、部屋の中を見回して、クローゼットまで開けた。消火に役立つものを探しただけだが……耕大の部屋はスッキリと片付いとるし、クローゼットの中に誰かが潜んでいたら吾輩が気付いただろう。他に隠れられそうなスペースもない」
僕は耕大さんの部屋を思い出す。たしかに人が中に入れそうなのはクローゼットくらいだ。机の下や家具の陰に隠れるくらいでは見つかったはずだろう。
消火器を使用したことで部屋には薬剤が充満したが、廊下まで完全に見通しがきかないことはなかった。廊下には常に誰かがいたし、部屋にも複数人が出入りした。桜野までいたのだから、人が隠れているのを見落とすとは考えにくい。南向きの窓もあるけれど、もちろん土砂に埋まって使用不能だ。出入口は廊下側の扉ひとつだけだった。
久保田さんが、眼鏡越しの厳しい視線を満代さんに向ける。
「だが満代、お前さんが犯人なら、犯人の姿を見ていなくて当然というわけだ。恵、トイレにいたお前さんは、耕大の叫び声は聞いとらんのだろう?」
「聞いてないよ」と恵ちゃん。
「ならば、満代が耕大の声を聞いて様子を見に部屋に向かったと云うのは、偽証の可能性がある。本当は恵がトイレに入ってひとりになった隙に、耕大を殺しに向かったのかも知れん。なあ満代……お前さんが犯人なんじゃないのか?」
問われた満代さんは、首を前にがくんと折った。長い黒髪が揺れた。
両手で頭を抱えて「ああぁあ……」と悲痛な声を絞り出す。しかしそれは犯行を見抜かれて観念したわけではなかった。
「どうして、こうなるんですかあ……私じゃありません、私じゃありませんよお……私が耕大を殺すわけないじゃありませんかあ……こんな疑いを掛けられるなら、あのとき耕大の部屋を見になんて行かなければ良かったですよお……どうせ耕大は助からなかったんですからあ……」
「そう、それよ」と総一郎さんが云った。「美海子ちゃん、これって拓也のときと同じよね?」
何のことだろうと思ったが、桜野の方は「うん」と頷く。
「満代さんが犯人なら、第一発見者になってあげる理由がないねぇ。耕大さんの声になんて気付かなかったことにすればいい。それか第一発見者にはなりつつも、同時に廊下を逃げていく犯人の後ろ姿を目撃したと偽証する手だってある」
「しかし桜野探偵、満代は恵に、トイレから出てこないように云ったのだぞ。結果的に恵には伝わってなかったようだが……これは犯行の現場を恵に見られないようにするためじゃないかね? しかし皆にその理由を話すわけにはいかん。すると第一発見者にならざるを得ない」
「じゃあ、そんなタイミングで犯行には及ばないんじゃない?」
「桜野探偵! お前さん、ちと投げやりに聞こえるぞ。否定ばかりせんで、たまには代案を出してもらいたいものだが?」
「それは考え中」
桜野は悪びれもせずに云って、指先で唇を撫でる。僕もそろそろ彼女に探偵らしい活躍をしてほしいけれど、まだその時ではないのか……。
「あたしが云いたいのは、曖昧な状況証拠だけで満代が犯人だって断定するのは避けるべきということよ。満代が角から廊下を覗くよりも前に、犯人が素早く部屋を出て、満代がいるのとは反対の方に廊下を逃げていたのかも知れないでしょう?」
「そうです……そうです……」と、満代さんが俯いたまま同調する。
「その場合、犯人は間一髪だったことになるけど、本来どうなるはずだったかを考えれば不思議なこともないわ。耕大の部屋の周りには、他に誰の私室もない。一番近いのは拓也の部屋だけど、もう拓也はいない。ちょうど満代と恵がトイレに来てさえいなければ、犯行を目撃されるリスクは低いし、発見も遅れたはずなのよ」
なるほど。満代さんが犯人と云うよりも、その方が自然な気がする。
もっとも、だからと云って満代さんの疑いが晴れるわけではない。
「満代が犯人じゃないなら、吾輩ということになってしまうな」
久保田さんは組んでいた腕を解き、降参するみたいに軽く両手を上げる。
「恵はトイレに入っていた。総一郎、豊、桜野探偵、塚場氏は書斎にいた。残るのは吾輩だけだ。耕大に火を点けて現場から逃走したかと思えば、満代の放送を聞いて今度は自らその耕大を助けるためにトンボ返りしたことになるが」
「僕には別の考えがあるよ」
しばらく沈黙していた豊さんが、そう云った。
「おお豊、聞かせてくれ」
「〈天国と地獄の処刑人〉は耕大だった。そして耕大は焼身自殺した」
その新説に、すぐに反応できる者はいなかった。
少なくとも僕にとっては、そんな可能性はまったくの想定外であった。
「耕大が拓也を恨めしく思っていたことは、家族のみんなは知っているだろう。それとも桜野さんと塚場さんも察しはついているかな? 僕は同席していなかったけど、夕食の席で耕大は拓也に対する不満を口にしていたみたいだから」
「夕食での出来事は、総一郎と豊に吾輩から報告した」と、久保田さんが補足する。
たしかに、そうとも受け取れる発言はあった。多額の借金を抱えてヤクザや半グレから追われていた拓也さんは、天地家を隠れ家として利用している疑いがあり、耕大さんだけじゃないだろうが頭を悩ませていたという話だ。
「そこで耕大は、外部犯の仕業に見せかけて拓也を殺害することに決めたんだ。ただ拓也を殺しただけでは、いくら拓也が色んな組織から追われていたとは云っても、僕ら家族に疑いが掛かる。天地邸は人里離れた山奥にあって、此処に曲者が侵入して拓也を殺したというのは、あまり想像しにくいことだ。だから耕大は大胆な手段に出た。爆弾を使った人為的な土砂崩れだよ。そうやって自分達のことまで生き埋めにしてしまえば、まさか自作自演とは思われない……僕ら家族に疑いは掛からず、天地家を標的にした外部の犯行だと思わせられる……そう考えたんじゃないかな?」
「そういうことか!」
久保田さんが膝を打った。
「なのに吾輩らがそう考えなかったら、耕大はヤキモキしておったのだな! 奴は夕食の席でも云っていたのだ。拓也を殺したのは拓也を追っていたヤクザや半グレ連中で、拓也を殺したうえ、時間稼ぎか嫌がらせで屋敷を土砂に埋めたんじゃないかと……あれは奴がそう考えていたのではなく、吾輩らにそう考えてほしかったのか!」
「ヤクザや半グレかはともかく、僕は最初そう考えたよ。自分で自分を生き埋めにするなんて、この屋敷が鉄筋コンクリート造と判っていても正気の沙汰じゃない。容疑は外に向くのが常識的だ。でも此処には桜野さんのような探偵や、総一郎をはじめとしたミステリに慣れ親しんだ人が多い。非常識であってもロジックを重視する、特殊な人達が揃っていたんだ。特に桜野さん、はじめに犯人が僕らの中にいる可能性を指摘したのは貴女だよね」
狐の仮面が、桜野を向く。
「耕大は犯行を見抜かれる恐怖に耐えられなくなった。そして自ら命を絶ったんだよ。第二の手紙……罪人は業火に焼かれなければならない、だったかな? それは貴女が云ったような連続殺人の演出……つまり自分は自殺ではなくて、第二の被害者なのだと思わせるための工作だろう。土砂崩れで自分らを生き埋めにするのと同じ発想だね。自分が被害者となれば、今度こそ自分が犯人だと疑われることはないと考えたんだ。こうして見抜かれてしまった今、期せずして遺書みたいになってしまったけど」
「あの……」
僕は我慢できなくなって口を開いた。まさかとは思うが……。
「もしかして、桜野のせいだって、云っているんですか?」
「そうだよ」
顔の見えない相手は、呆気なく肯定した。
「桜野さんが耕大を追い詰めたんだ。本来、耕大は死ぬつもりも、拓也以外の誰かを殺すつもりもなかった。あとはただ救助が来るのを待つはずだった。終わっていた事件を無理に続けさせたのは、クローズド・サークルでの連続殺人を期待する、無責任な探偵さんだ」
「ちょっと、そんな云い方は!」
悪意がある。しかも桜野ひとりに責任を押し付けるような論調だ。
「うん? 僕の云い方に抗議できる立場なのかな、きみは?」
豊さんは首を傾げた。その仕草も極めて挑発的に映る。
「君たちは単なる来客じゃない。事件を解決するように依頼されて此処にいる。むしろ顧客は僕らの家族だ。結果を出せなかったなら、責められるのは当然だろう?」
「本当なの?」と、恵ちゃんも桜野を見上げる。「難しくてよく判らないけど……お姉さんのせいで、耕大は死んだの?」
違う。そんなのは云いがかりだ。否定したい。否定したいが、僕らがまだ結果を出せていないのも事実。拓也さんと耕大さんが死んでしまったのも事実。どうする――と、思わず桜野を見てしまう。彼女は僕の方なんて見ていなくて、豊さんと向かい合っている。
「事件を解決するのが私の役目だ」
彼女の口調は普段とほとんど変わらない。
しかし僕には、それが普段よりも真剣なものであると判った。
「事件はまだ終わっていないよ。私は思考を止めるつもりはない」
「つまり、犯人は耕大じゃないと云うんだね?」
「少なくとも耕大さんの単独犯ということはないよ。拓也さんの殺害について、耕大さんのアリバイは私と塚場くんが保証している」
そうだった! 豊さんの推理では、その点の説明がされていない。
「だけど、それは君たちが云っているだけのことだ。そのまま鵜呑みにはできないね。どこかで隙があったのかも知れない。当時の君たちは、耕大を監視するつもりで一緒にいたんじゃないだろう?」
「アリバイだけじゃない。最初の手紙も不自然だ」
最初の手紙……『地の底に沈め。罪人は地獄に落ちなければならない。』
「外部の人間が拓也さんを殺害した……そう思わせたかったなら、最初の手紙はもっと、それを仄めかす内容にするはずだよ。〈天国と地獄の処刑人〉なんて意味不明な名前だって使わない」
「あたしも、耕大が拓也を殺して、そのうえ自殺したとは思えないわ」
総一郎さんが加勢してくれた。ありがたい。
彼女は「だけど」と言葉を区切って、皆を見回しながらさらに続ける。
「もちろん、これは推論ね。豊が話したのも推論。ここまで出た話は全部が推論だわ。みんな、頭を冷やしましょう。感情的になったら駄目。あたし達以外の何者かが潜んでいる可能性だって残っているのよ」
「では……どうする? 改めて、今度は徹底的に、屋敷の中を捜索して回るか?」
久保田さんの提案に、総一郎さんは首を横に振った。
「今からそれをするのは、皆の体力と……精神面からしても厳しいわ。今日は皆、もう休みましょう? 必ず部屋を内側から施錠してね。捜索は明日に行うことでどうかしら?」
日付はもう〈明日〉になっている。時刻は既に午前一時だ。
本当に色々なことがあった。この重苦しい空気には、皆の疲労も大いに影響しているだろう。こんな状況でも、いや、こんな状況だからこそ休息は必要である。
総一郎さんの言葉に異を唱える人はおらず、解散となった。




