12「読書」
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一両日中に救助が来る見込みは薄いが、一週間以上の長期戦も想定されない。水や食糧の蓄えは充分にある。僕らは屋敷の中で過ごしながら救助を待てばいいし、それしかできない。あとは同じく屋敷の中にいるかも知れない殺人犯を警戒することのみだ。
現時点で出せる結論は、それまでだった。
単独行動を控えることを条件に、僕らは一旦解散となった。
総一郎さん、満代さん、豊さんは食堂で夕食の準備を始めた。無論、全員分の夕食だ。
耕大さん、久保田さんは拓也さんの遺体を彼の私室に運ぶと云う。現場保存の観点からは死体を動かすのは厳禁だけれど、警察を呼べない状況で階段にずっと放置しておきたくないという心理も否定できず、異論を唱える者はいなかった。
恵ちゃんは桜野と僕を、僕らが滞在中に使用する部屋に案内してくれることになった。彼女がその役割を買って出たのだ。
「大丈夫! それに、探偵のお姉さんと一緒にいるのが一番安全でしょ?」
彼女が気丈な様子でそう主張したので、総一郎さんも許可した。
案内されたのは、二階の空き部屋だった。天地邸に客人が寝泊まりするための部屋はないが、〈家族〉が増えた場合に備え、個人の私室として使える部屋はいくつか余っている。そのうちの一室だった。
もともと桜野と僕は泊まり込みの可能性があったので、隣り合った二部屋分が、あらかじめ掃除を済ませてベッドも整えて使用できる状態になっていた。しかし予定外の土砂崩れによって、宿泊客には久保田さんも加えなければならない。
その結果、片方の部屋が彼に宛てられ、桜野と僕は相部屋になった。
耕大さんからは「ひと部屋分を追加で整備します」と云われたけれど、僕は「それには及びません」と答えた。殺人犯への用心を考えるなら、むしろ相部屋の方が良いだろう。幼馴染の僕らは同じ部屋に寝泊まりした経験だって何度かある。桜野も嫌がらなかった。
部屋は十二畳ほどの広さだ。床はフローリングで絨毯は敷かれておらず、壁や天井は白い。テーブル、ソファー、ベッド、化粧台、椅子、棚といった家具はどれも木製で、白やグレーを基調としている。普段は使われていないのだから当然だが、飾り気はまったくない。脱色されたような、あるいは色を塗る前の部屋とでも云うような印象だった。
位置としては屋敷の南側にあたる。しかしグレーのカーテンを開けても、窓の外には黒い土砂がギュウギュウに詰まっているだけだ。かつての二階も今では地下。時刻はもうじき午後の七時だけれど、此処にいる間、朝や夜という感覚は失われていきそうである。
「もう! みんな心配しすぎだよ!」
恵ちゃんは両手を腰に当てて頬を膨らませた。
「そりゃあ死体を見るのなんて初めてだし、ちょっと驚いたけど。恵はもう平気。いつまでも怖がってない。子どもだからって話に混ぜてもらえないのって不服!」
僕は「判るよ」と云って宥める。死体を前にして涙を流し、その後もしばらく意気消沈していたのに、今の彼女は一転してエネルギッシュだ。悔しそうに歯噛みしながら、両手を大きく振り回している。
天地恵。八歳。天地家で唯一の未成年。
元は捨て子なのだと云う。両親は不明。児童養護施設に置き去りにされ、四歳まで其処で育ったのを、今から四年前に天地家が引き取って〈家族〉の一員にした。
親子関係を持たない天地家だから、養子という取扱いになっているのかはよく判らない。戸籍は存在している。捨て子は戸籍法第五七条に基づき『棄児発見調書』を使って戸籍が作成されるのだと、先ほど桜野から説明を聞いた。総一郎さんが過去に天地邸を訪れた記者に話し、それが記事になっているのを読んだらしい。
他の〈家族〉と同じく、天地邸の敷地から外に出ることはなくて、学校にも通っていない。勉強を含め、教育は〈家族〉の中で完結させているようだ。
「恵ちゃんは、流子さんのことは知らないもんねぇ?」
ソファーに腰掛けた桜野が訊ねた。僕は例によって手帳のメモを確認する。天地流子が〈家族〉を抜けたのは六年前という話だから、恵ちゃんが来るよりも前である。
「うん、知らない!」
「みんなから話も聞いてない?」
「聞いてない!」
「じゃあ伊予さんは?」
屋敷の近くで転落死したという家政婦の名前だ。亡くなったのは二年前だから、単純な引き算で、その前の二年間は恵ちゃんと此処で生活を共にしていたことになる。
「伊予さんは判る!」
「どんな人だった?」
「えー? お手伝いさんだったから、いつも家事してた。どんな人かって訊かれても、性格とかは知らない。あまり関わらないようにしてたから」
「どうして?」
「そういう決まりだったの。動物のお世話だけは一緒にしてたけど」
「動物を飼ってたの?」
「うーん……ごめん、よく憶えてない! どうしてそんなことを訊くの?」
「目を瞑った状態ではルービックキューブを解けないからさ」
不思議なことを云って、桜野は自分のバックパックを漁る。そして取り出したのはタクシーでも読んでいた『雷雨と相合傘』の文庫本だった。恵ちゃんへの質問はお終いなのだろうか。彼女が読書を始めてしまう前に、今度は僕が問い掛ける。
「本当にこれから連続殺人になると考えているのか?」
「うん? まあそうだねぇ。クローズド・サークルをつくり出した犯人の狙いとして、真っ先に思い付くのはそれでしょ」
「豊さんは別の考えを話していたよな。えーっと……天地家の人達同士を疑心暗鬼に追い込んで、崩壊させるのが犯人の狙いだって」
「犯人は大量の爆弾を用意して、土砂崩れまで起こしてるんだよ? その狙いが、そんな不確実なことでいいのかなぁ?」
「そう云われると、たしかにそうだな」
「あとは脅迫文……今となっては犯行予告状だけど、あれは拓也さん個人じゃなくて天地家に向けたものでしょ? 玄関の前に置かれていたんだから」
「ああ」
「地の底に沈め。罪人は地獄に落ちなければならない」
桜野はすらすらと暗唱してみせた。
「前半が土砂崩れの予告。そして後半が殺害の予告なら、その殺害対象も拓也さん個人で終わりだとは思えないよね」
「そういうことなのか? 僕はてっきり……地の底に沈むことと、地獄に落ちることは同じ意味で、つまりこれ全体が土砂崩れの予告なんだと思っていたんだけど……」
「そう捉えることも可能だ。もともと微妙に暗号っぽい文章だからね。短い文章でも様々な解釈が生じる」
「結局よく判らないじゃないか」
僕に続いて、恵ちゃんも「なんか期待外れ!」と遠慮のない言葉を放つ。
「名探偵って云うから、事件を即座に解決してくれるのかと思ったのに」
「それができると良いんだけどねぇ」
「え? 本を読むの?」
桜野が文庫本を開いて読書を始めたので、恵ちゃんは目を丸くした。僕は慣れているが、彼女のことをよく知らない人が驚くのは無理もない。
「もっと色々調べたり、訊いたりするんじゃないの?」
「これもその一環だよ。ほら、総一郎さんの本だから」
表紙を恵ちゃんに向けて見せる。総一郎さんの小説に今度の事件のヒントがあるという意味だろうか。いや、恵ちゃんに対する方便だろう。桜野はどんな事件現場でも趣味の読書を欠かさない。今回はたまたま事件の関係者に小説家がいたから、その著作を持ち込んでいるというだけだ。
しかし手を抜いているのではない。他人にはどうしても理解できない感覚だけれど、彼女は読書しながら事件のことを考えているらしい。むしろその方が解決に役立つ刺激を得られるのだと云う。だから無神経とは思いつつも、僕は彼女のそんな行動をとっくに咎めなくなっている。
恵ちゃんは絶句して僕の方に振り向いた。僕は苦笑しつつ「あれでも名探偵なんだよ、本当にね」と云った。説得力には欠けただろう。
桜野は周りがいくら求めても、推理が固まるまでは決定的な内容を口にしない。判ったような判らないようなことを云って誤魔化すばかりだ。彼女が信用を得るのは概して事件を解決してみせた後である。
読書に没入した桜野は空返事しかしないので、恵ちゃんも諦めて僕と雑談を始めた。事件に関する話題ではない。彼女が普段どんな勉強をしているか聞かされたり、小説家としての僕の仕事について訊ねられたりだった。
やがて廊下から館内放送が聞こえてきて、総一郎さんの声が、食堂のテーブルに夕食が並んだことを報せた。時刻は八時過ぎ。こんな状況でもお腹は空くものだ。




