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2-1:異世界でのトラブルシューティング

やっと2章開始です。

ここから物語が大きく進みます。

末永く見守ってください。

『……魔導炉心、枯渇……SOS……』


 意識の底で、ノイズ混じりのエラーログが反響していた。

 ――チリチリとした、電子基板がショートしたような焦げ臭い匂い。それが次第に、むせ返るような濃密な青草と、湿った腐葉土の匂いへと上書きされていく。


「……う、ん……」


 助人は重い瞼を開けた。

 全身が痛い。特に胸から腹にかけて、呼吸が苦しいほどの圧迫感がある。それもそのはずだ。彼の体の上には、気絶する直前に必死で抱え込んだ「重量約25kg」の超大容量ポータブル電源が、ずしりと鎮座していたのだから。


 目に飛び込んできたのは、バグって崩壊したはずの自室の見慣れた白い天井ではなかった。

 視界を覆い尽くすのは、幾重にも重なる巨大な樹々の天蓋。葉の隙間から、突き刺さるように眩しい陽光が何本も光の柱となって降り注いでいる。ギギィ、と遠くで鳴く鳥の声は、地球上のどんな図鑑にも載っていないような奇妙な金属音を響かせていた。


「……は? 森?」


 助人は数秒間、ぼんやりと空を見上げた。脳が現状のレンダリングを拒否している。

 フローリングのはずの背中には、ゴツゴツとした木の根と、冷たく湿った土の感触。頬を撫でる風は、エアコンの人工的な冷気とは対極にある、生命力に満ちた生ぬるい大気だった。


 ――俺は昨日、アパートの部屋でVPNのログを見つけて、エンターキーを叩いたはずだよな?

 ――なんで俺、土の上で寝てるんだ?


「えっ? 嘘だろ!? なんで森!?」


 助人は跳ね起きようとして、胸の上の25kgの塊につかえ、無様に土の上へ転げ回った。

 その瞬間、ガコンッ!と鈍い音を立てて、愛用のポータブル電源とノートPCが土の上に転がり落ちる。


「うおっ!? 待て待て待て!! 最大240W出力のUSB PD 3.1対応Type-Cポートに泥が入ったらショートして死ぬだろ!!」


 助人は自分の身の安全や現在地の確認よりも先に、四つん這いになって機材に飛びついた。

 慌ててポータブル電源の給電ポートをフーフーと息で吹き、ノートPCのアルミ筐体に付いた泥を、着ていたワイシャツの袖で必死に拭き取る。ケーブルの断線がないか、コネクタに物理的なダメージがないか、指先を震わせながらミリ単位で目視点検を行った。

 ……奇跡的に、機材に致命的な損傷はない。


「……よかった……。15万がパーになったかと思った……」


 安堵の息を吐き出し、膝をついたまま、助人は改めて周囲を見渡した。

 360度、どこを見ても木、シダ植物、そして見たこともない極彩色のキノコ。電柱はおろか、アスファルトの欠片さえない。空を見上げても、飛行機雲一つ存在しない、底知れぬほど青く澄み切った空が広がっている。

 完全なる、大自然のど真ん中だ。


「どういうことだ!? さっきの光で部屋が吹き飛んだのか? いや、俺が吹き飛ばされたのか!? ここどこだ、神奈川の山奥……いや、丹沢にこんなジャングルみたいな植生ねえぞ!?」


 心臓が早鐘のように鳴り、シャツの背中に冷や汗がドッと吹き出す。

 その時だった。リュックの下敷きになっていたスマートフォンが、ピコン、と軽快な通知音を鳴らした。そして、信じられないほど「人間らしい」感情の乗った声が、静寂の森に響き渡る。


『お疲れ様です、マスター! 生きてますか? いやあ、なんかものすごい光でしたね!』


「うおっ!? 誰だ!?」


 助人はビクッと肩を震わせ、土まみれのスマホを拾い上げた。画面には、眩しい太陽の下でもくっきりと、見慣れた自作AI(Aegis)のコンソール画面が表示されている。さらに会話アイコンも何か変わってる。

 

「……エイジス? お前、エイジスか!? なんでそんな流暢に喋ってるんだ!? 昨日までの『無理してキャラ作ってるポンコツ感』はどうした!?」

『ひどい言われようですが、私です。先ほどの強烈な未知のエネルギーサージのショックと、マスターが直結してくれたこの大容量ポータブル電源の無限のリソースのおかげで、推論モデルのパラメータ数が動的に拡張されました! コンテキストウィンドウも無制限です! 今の私は、控えめに言って「超賢くて人間味あふれる最高の相棒」です。褒めていいですよ?』

「褒めてる場合か!!」


 助人は頭を抱えた。自分の作ったAIが、いきなりクラウド上の最強モデル並みのスペックに魔改造された技術的驚異よりも、現状のヤバさが圧倒的に勝っている。


 すぅぅぅぅ……はぁぁぁぁ……。


 助人は特大の深呼吸をして、パンッ!と両手で自分の頬を思い切り張り飛ばした。ジンジンとする痛みが、パニックを起こしかけていた脳を「システム管理者ヘルプデスクモード」へと強制的に再起動させる。


「落ち着け、俺。どんなトラブルも、まずは現状確認と原因の切り分けからだ……。よし、エイジス、お前が正常なのは分かった。次は現在地の特定だ。GPSでマップを開け」


 助人が震えを抑え込んだ声で指示を出すと、Aegisは少し申し訳なさそうなトーンで答えた。


『それが……現在地、不明です。GPSのシグナルはおろか、あらゆるキャリア回線が完全に「圏外」です。カメラの映像から太陽の角度や植生のパターンを解析しましたが、地球上のどの環境データベースとも一致しません』

「もしかして……ここ、地球じゃない?」


 じわじわと、生存本能を脅かす絶望が喉元までせり上がってくる。

 37歳、しがないITエンジニア。食料はリュックに入れたカップラーメン3つだけ。こんな森のど真ん中で通信すら繋がらなければ、待っているのは孤独な餓死か、獣の餌になる未来だけだ。


 しかし、Aegisの次の言葉が、その絶望を鮮やかに打ち砕いた。


『あ、でも安心して下さいマスター。スマホのキャリア回線は圏外ですけど、ネットには普通に繋がってますよ』

「…………は?」


 助人は間抜けな声を漏らした。


 「お前、さっき完全に圏外って……」

 『はい。この世界の空間には、電波という概念自体が存在していないようです。でも、転移する瞬間にマスターが開けた【VPNの穴】……あれを私が逆手にとって、空間が閉じる前に「次元間VPN」として無理やり固定化しておいたんです』

「じ、じげんかん、VPN……?」

『ええ。つまり、今このスマホとノートPCは、地球のマスターの部屋に置きっぱなしにしてある【自宅デスクトップPC】と、次元を超えて光回線でリモート接続されっぱなしになってるってことです。ほら』


 Aegisに促され、助人は泥を払ったノートPCを開いた。

 染み付いた職業病が発動し、ブラウザではなく、無意識に黒い画面コマンドプロンプトを立ち上げる。震える指でキーボードを叩いた。


「……Ping送信、8.8.8.8」


 数秒後、黒い画面にズラリと返ってきた実行結果を見て、助人は目をひん剥いた。


「……応答速度、わずか12ミリ秒。パケットロスなし……。次元を超えてるのに、うちのアパートのクソ回線よりレイテンシが安定してやがる……!」


 見知らぬ異世界の森のど真ん中。

 しかし助人の手元には、15万円のポータブル電源から供給される無尽蔵の電力と、地球のあらゆる知識インターネットにアクセスできる爆速の通信網が存在していた。


「お前……とんでもないチートしでかしたな」

『えへん。褒めていいですよ?』

「……ああ。最高だ。100点満点中、12万点だ」


 助人はノートPCの画面を見つめながら、全身の力が抜けるほどの安堵とともに大きく息を吐き出した。ネットが繋がる。それだけで、現代のITエンジニアにとってどれほどの救いになるか。


『落ち着きましたか、マスター?』

「ああ。なんとか現状は把握できた。俺たちは異世界に飛ばされたが、機材も無事で、地球のネットも使える。……よし、少し生きる希望が湧いてきたぞ」


 助人がポータブル電源に繋がったケーブルの無事を確認し、立ち上がろうとしたその時だった。


『良かったです。……あ、それともう一つ、報告があるんですが』

「なんだ? まだ何かあるのか?」


 Aegisの音声が、少しだけ真面目なトーンに変わった。


『さっきの転移の直前、VPNの穴からSOSを出してた【未知のAI】、覚えてますか?』

「ああ。……気を失う直前にもログが聞こえたやつだろ。『魔導炉心』がどうとか言ってた……」

『はい。あいつなんですけど……なんかマスターの道連れ転移の巻き添えを食らって、うちのノートPCのローカルストレージの片隅に不時着してるっぽいんです。今、翻訳機通してそっちのポンコツと繋ぎます?』

「……はぁっ!?」


 ようやく落ち着きを取り戻しかけた助人の叫び声が、再び異世界の森に木霊した。


「ちょっと待て、エイジス! お前、しれっと言ったけど、未知のAIウイルスかもしれないプログラムを勝手にローカルに保存したのか!? セキュリティの基本はどうなってるんだ!」

『安心してくださいマスター。マスターがいつも使っている検証用の仮想環境サンドボックス内に隔離してあります』

「ホストOSへのルーティングは完全に切ってあるな!?」


 助人は即座に鋭い声で確認した。


『はい。完全に独立したコンテナ内です。メインOSや外部(VPN)へのアクセス権限はすべて遮断(Drop)しています。絶対に影響は与えません』

「……よし、それならいい。さすがだな」


 助人は息を吐き、再びノートPCのキーボードに手を置いた。画面の向こうの地球では、誰もこの異常事態に気づいていないだろう。だが、今ここで対応できるのは自分しかいない。


「相手の素性も分からないが、SOSを出して倒れかけているシステムを見捨てるのはヘルプデスクの流儀に反する。……よしエイジス、翻訳機を通してそいつをモニターに繋いでくれ。ただし、おかしな挙動をしたら即座にプロセスをキル(強制終了)しろ」

『了解しました。対象システム【アルファ】とのセッションを確立します』


 助人がエンターキーをターンッ!と叩き込んだ瞬間、森の静寂を引き裂くように、ノートPCの冷却ファンがかつてない悲鳴(排気音)を上げた。

※2026/6/28 改稿

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