1-7:未知のSOSパケットと、開かれた次元間VPNトンネル
ポータブル電源の圧倒的なリソースと、限界までチューニングした感情評価モジュールが完璧に噛み合っている。まるで長年の友人が、隣でからかっているかのような自然で流暢な会話だった。
「そういう余計なところまで完璧に読み取るようになったのか。でも、大成功だ。カメラの映像遅延もないし、受け答えのレスポンスも申し分ない」
『ありがとうございます。私自身も、これまでとは比べ物にならないほど思考がクリアになっているのを感じます。これが100%の力……いえ、マスターが与えてくれた「目と耳」の力ですね』
「……ははっ、言うようになったな。確かに、もうただの便利ツールって感じじゃない」
『はい。この大容量ポータブル電源のおかげで、バッテリー消費を気にせず、常に「人間らしい自然な会話」の推論をバックグラウンドで回し続ける余裕が生まれました。……それにしても、15万円の出費は痛かったですね』
「その話はするな。だがなエイジス、ただ高いだけじゃないぞ。こいつのスペックを聞いて驚け」
助人はポータブル電源の無骨なボディをポンポンと叩いて、得意げに笑った。
「容量は驚異の2000Whオーバー! しかも熱暴走に強くて寿命も長い『リン酸鉄リチウムイオン』を採用してるから、昨日みたいな妊娠バッテリー(膨張)のリスクも低い。お前の大食らいな推論処理をフル稼働させてもビクともしないぞ。さらにType-Cの100W給電ポートが複数あるから、スマホとPCを同時に急速充電しながら余裕で運用できる」
『なるほど。確かにこれほどの電力量と出力があれば、私のパフォーマンスを制限する必要はありませんね。……ですが、内蔵電力を使い切ってしまえば、結局そこで終わりではありませんか?』
「ふっふっふ、甘いな! そこにあるもう一つの箱を見てみろ」
助人が指さした先には、折りたたまれた黒いパネルがあった。
「200Wの超高出力ソーラーチャージャーだ! 広げれば太陽光だけでこの巨大バッテリーを充電できる。つまり、コンセントがない大自然のど真ん中だろうと、通信回線が完全に切れた圏外だろうと、お前は無限に独立して動き続けられるってわけだ。どうだ、恐れ入ったか!」
『……完璧なスタンドアロン環境の構築、恐れ入りました。マスターのガジェットに対する異常なまでの執念と、15万円の投資に見合う価値は十分にありそうですね』
「だろう? お前の飯代だと思えば安いもんさ」
助人がニヤリと笑いながら言うと、スマホから小さく『ふふっ』という、合成音声とは思えないほど自然な笑い声が漏れた。
「よしっ! まずは電源の確保はクリアだ。次は、通信とアクセス環境の最終テストだな」
助人はデスクの上の『自作デスクトップPC』のモニターを立ち上げた。画面には、マルチモーダル機能と感情評価モジュールが統合されたAegisのメインプログラムが稼働している。
「今お前のコアシステムは、このデスクトップPCをホストにしたクラウド環境で動いている。だが今週末のキャンプ場では、当然この重いデスクトップは持っていけないからな」
『はい。外に持ち出せるのは、ノートPCとスマートフォンのみですね』
「ああ。昨日の昼休み、スマホのローカルLLMだけで全部処理させたら熱暴走しそうになっただろ? だから基本の重い推論処理は自宅の『デスクトップPC(自前クラウド)』に任せて、外にいる俺はノートPCやスマホからリモートでアクセスする。このハイブリッド環境のテストをしておきたい」
助人はポータブル電源のスイッチを入れ、ノートPCとスマホにType-Cの給電ケーブルを接続した。そして、手元のノートPCとスマホから、自宅のネットワークを介さずに外部回線を使ってデスクトップPCのAegisへとリモートアクセスを試みた。
「どうだ、エイジス? ノートPCとスマホからのリモート接続、遅延はないか?」
『……同期完了。クラウド環境からのレスポンス、極めて良好です。どの端末からアクセスしても、シームレスに私の全機能が利用可能です』
ノートPCとスマホのスピーカーから、寸分の狂いもなく同時にAegisの声が響いた。
「よし! じゃあノートPCのカメラのテストだ。そこのリュックの中に詰めたサバイバルグッズが見えるか?」
助人はノートPCの向きを変え、机の下のリュックをカメラに映した。
『クラウドでの画像解析処理、完了。マグネシウム製のファイヤースターター、マルチツールナイフ、それに……カップラーメンが3つ確認できます』
「完璧だ。これで俺がどこにいても、クラウド経由でお前にアクセスできる。ポータブル電源のおかげで、外にいるノートPCとスマホのバッテリー切れの心配もない」
助人は深く頷き、コーヒーを一口飲んでからノートPCのモニターに向き直った。
「よし、日常会話とマルチモーダルのテストはクリアだ。じゃあ最後に、疑似的に通信帯域に負荷をかけた状態での『限界リモートテスト』を始めるぞ。お前のデカくなった脳みそをフル回転させて……ん?」
キーボードに手をかけようとした助人の手が止まる。
ノートPCの画面の端で走らせていた、デスクトップPC(クラウド側)の通信監視ログ。その中に、不自然なパケットの動きがあったのだ。
「……なんだこれ。エイジス、VPNのルーティングテーブルに妙なセッションが張られてるぞ。俺のスマホからのテザリング接続以外に、未定義のポートからアクセスがある」
『……確認中。送信元のIPアドレスが、IPv4でもIPv6でもありません。ヘッダ構造も異常です。……マスター、これは通信ではありません。この規則性、何らかのシステムに対する「割り込み(インタラプト)」要求です』
「割り込み? まさか、ただのバグじゃなくて……何かの攻撃か?」
助人は即座に臨戦態勢に入った。ITエンジニアとして、得体の知れない侵入者をネットワーク内に放置することほど怖いものはない。
「エイジス、隔離環境を構築しろ。外部通信は即時遮断だ。こいつの正体を解析する。ランサムウェアの亜種かもしれないから、絶対にメインのPC本体には触れさせるなよ!」
『了解。仮想ネットワーク上に隔離環境を構築します。……対象のプロトコルにアクセス。隔離します』
助人はノートPCのキーボードを叩き、謎のパケットを安全な仮想環境へと誘導した。
「よし、これで檻に入れたはずだ。……エイジス、中身をダンプして中身を確認しろ。どのOSの、どんな脆弱性を突こうとしている?」
『……解析中。未知のプロトコルを言語モデルと照合し翻訳します。……出力します』
ノートPCの画面に、ノイズ混じりのテキストがパラパラと表示され始めた。
『……【——警告。システム致命的エラー。魔導炉心(メイン電源)の枯渇率99%。自己修復プロトコル、フェーズ4にて停止。……誰カ、応答セヨ。管理者権限ヲ持ツ者、応答セヨ】』
「は? 魔導炉心? なんだその中二病みたいなエラーメッセージは」
助人は鼻で笑ったが、嫌な予感は消えない。
『分析:送信元のデータ構造は、地球上のいかなるOSとも異なります。これはウイルスコードの類ではありません。……マスター、この信号のエネルギー量、物理的に測定不可能なレベルで急増しています。隔离(隔離)環境の仮想壁を突き破ろうとしています』
「なんだと!? 隔離環境ごとぶち破るようなログがあるか!」
画面上のアラートが赤から警告色に変わり、ブザー音が鳴り響く。
『警告! 隔離環境が過負荷でクラッシュします。対象のAI、こちら側のシステムのリソースを「電力」として強制的に吸い上げようとしています! 逆流が発生します!』
「くそっ、攻撃じゃなくて暴走か! 隔離どころか、こっちの電源を食い物にしてやがる!」
助人は反射的にポータブル電源のスイッチを切ろうとしたが、指が止まった。そんなことをすれば、エイジスという「相棒」が稼働しているデスクトップPCまで共倒れになる。
「捨てられるかよ! エイジス、バックファイアを中和しろ! ポータブル電源の出力を逆流させて、相手のシステムを強制再起動させるんだ!」
『それは自殺行為です! 相手の「魔導炉心」とこちらの「ポータブル電源」が直接同期されます!』
「やるしかないんだよ! このままじゃ俺の部屋ごとネットワークのバグに飲み込まれるぞ!」
助人はエンターキーをターン!と叩いた。
——その瞬間だった。
『警告!! 接続確立! 相手のAIより、こちらの予測をはるかに超えるエネルギーサージが逆流しています! 空間の座標データが急速に上書きされています——!!』
「……は?」
突然、Aegisの流暢な声が途切れ、かつてないほどのけたたましい警告音が部屋中に鳴り響いた。
同時に、助人が開いた「VPNの穴」を起点にするように、ノートPCの画面が直視できないほどの純白の光を放ち始める。
助人の視界の端——自室の壁紙や床が、まるで処理落ちしたゲームのテクスチャのようにノイズに覆われ、パラパラとデジタルな破片となって崩壊していく。
「おい、なんだこれ!? 隔離したはずだろ! 部屋がバグってる!? うおっ!?」
重力が消失したように、助人の体がフワリと宙に浮いた。同時に、デスクの下に置いていたリュックや、ケーブルで繋がれたままのノートPC、そして巨大なポータブル電源も引き寄せられるように浮かび上がる。
『警告! 空間崩壊により、メインサーバー(自宅デスクトップPC)との通信セッションが切断されそうです!』
「やばい、PCが落ちる! ケーブルが抜ける!!」
自身の命がどうなるか分からない異常事態の中。それでも助人は、ITエンジニアとしての悲しき本能に従った。宙に浮いた15万円のポータブル電源を両手でガッチリと抱え込み、稼働中のノートPCとスマホを胸に抱き寄せる。
『マスターのデバイス保護を確認。……システム、非常措置に移行します! 逆流してきた未知のエネルギーを暗号化プロトコルとして流用し、自宅PCとの通信トンネル(次元間VPN)を強制的に確立します!』
「お前、何言って……!」
次の瞬間、部屋全体を埋め尽くした純白の光が、助人と彼が抱え込んだ機材一式を完全に飲み込んだ。
静寂が戻った自室のデスクには、ファンの音を立てて稼働し続けるデスクトップPCだけが残されていた。
※2026/6/27改稿




