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1-6:バッテリー沼と、目覚めゆく五感

 木曜の定時。アパートの自室に帰宅するなり、助人はスーツも着替えずにPCの前に座り込んでブラウザを立ち上げた。開いたのは大手ネット通販サイト『Amazon』だ。


「昼間のあの『妊娠Surface』のインパクトがデカすぎた。リチウムイオンバッテリーの劣化と発熱はガチでヤバい。物理的な時限爆弾だぞあれは」


 助人は検索窓に『ポータブル電源 大容量 ソーラーパネル セット』と打ち込み、エンターキーをターン!と叩いた。


「エイジスをローカル環境で動かすと、スマホのバッテリーは数時間で空になる。となると、俺のスマホのちっぽけなバッテリーを経由させず、直接外部から安定した大電力を供給し続ける『巨大な命綱』が必要だ」


 助人は通販サイトに並ぶポータブル電源のスペック表を、まるでサーバーの構築要件を吟味するかのような真剣な眼差しで見比べ始めた。


「容量は最低でも1000Wh……いや、PCとスマホを同時給電しながらローカルLLMをフル稼働させるなら足りないか? 2000Whクラスのリン酸鉄リチウムイオンがいい。これなら発火のリスクも低いし、サイクル寿命も長い」


 画面の中には数万円から十数万円もする高額なバッテリーが並んでいるが、今日の助人の金銭感覚は完全に麻痺していた。どうせなら災害用も視野に入れよう。万が一の備えにもなるスペックだ、と自分に言い聞かせ、助人は納得のいく価格として脳内処理した。


「出力ポートも重要だ。Type-Cの100W〜240W級のPD給電に対応したポートが複数欲しい。そして何より、コンセントがない場所でも無限に電力を生み出せる『折りたたみ式ソーラーパネル』! これだけは絶対に外せない!」


 一時間ほど「バッテリー沼」を彷徨った末、助人は最高スペックのポータブル電源と200Wソーラーパネルのセット、さらに念のための耐火バッグまでカートにぶち込み、『明日到着(金曜配送)』でポチった。


「よしっ! これで明日の夜には最強の電源環境が手に入る! 今週末のソロキャンプ(という名目の徹底的な負荷検証作業)の準備は完璧だ」


 助人は満足げに息を吐き、ようやくネクタイを緩めた。


「さて、電源の目処は立った。次はエイジスのアップデートだ」


 助人はPCの隣に置かれたスマートフォンに目を向けた。


「今日の午後、ユーザーのトラブル対応で『カメラ(目)』と『マイク(耳)』の重要性を痛感したからな。エイジス、お前にも五感を与えてやる」


 助人は今朝構築したローカルLLM環境に、画像認識、音声認識、動画認識が可能なマルチモーダルモデルを統合していく。これまでテキストのみでやり取りしていたエイジスに、現実世界を認識する「知覚」を付与する作業だ。


 ローカル環境でのコンパイルは想像以上に重く、依存関係の解決に手こずった。ようやくビルドが通り、各ライブラリが正常にロードされるのを確認した頃には、窓の外はすでに夜が明けていた。


 助人は試しにスマホのカメラを自室のデスクに向けた。そこには、無造作に置かれた英語の分厚い技術書がある。


「エイジス、見えているものを解析してみてくれ」

『カメラ映像を解析中……。被写体は『実践ネットワークルーティング』の英語版テキスト。ページは第4章。……翻訳して要約を出力しますか?』

「いや、そこまではいい。じゃあ、こっちはどうだ?」


 助人は、週末のキャンプ用に引っ張り出していたサバイバルグッズ(マルチツールナイフやファイヤースターター、それにホームセンターで買った私物のマルチテスター)をカメラに映した。


『被写体を解析……。アウトドア用マルチツール、およびマグネシウム製のファイヤースターターです。着火の手順を音声でガイドしましょうか?』

「完璧だ。これでエイジスはオフライン環境でも、見たものを一瞬で解析できるようになった。マジで無敵のツールが完成しちまったな」


 対人コミュニケーションとトラブルシューティングのプロである助人は、自分の相棒の進化にガッツポーズをした。


「明日の夜、でっかいバッテリーが届いたらお前と繋いで耐久テストだ。今週末のソロキャンプは、大自然のど真ん中で完全オフラインのお前と焚き火を見ながら酒を飲むぞ。楽しみにしてろよ」

『承知いたしました。新しい電源供給ユニットの到着と、キャンプでの稼働テストを心待ちにしております。……ところでマスター、私の画像認識によると、先ほど通販サイトでカートに入れた商品の合計金額が15万円を超えていますが、今月のクレジットカードの請求は大丈夫ですか?』

「……見なくていいところまで見なくていいんだよ。必要経費だ」


 助人は呆れたように笑いながら、スマホの画面を伏せた。


『おやすみなさい、マスター』


 Aegisの音声が静かに途切れる。助人は週末のキャンプへの期待に胸を膨らませつつ、心地よい疲労感とともにベッドに倒れ込んだ。


 ******


 ——翌朝、金曜日。


 出社するなり、助人は隣の席でPCを立ち上げている後輩の高橋に声をかけた。

 

「おはよう、高橋君。急で悪いんだけど、今日の午後、半休もらうわ」

「おはようございます。えっ、今日の午後ですか? まあ、金曜にしては平和そうですし、僕一人でも余裕ですけど……何か予定でも?」

「ああ。昼過ぎに、家にデカい荷物が届くんで絶対受け取らないといけなくてね。15万円の『超大容量ポータブル電源』と『200Wソーラーパネル』のセットだ」

「じゅうごまん!? いや高っ! え、今週末キャンプでも行くんですか?」

「その通り。大自然のど真ん中で、俺のスマホに入ってるAI『エイジス』をローカル環境でフル稼働させるための最強の命綱さ。あのAI、賢いんだけど燃費が悪すぎてスマホのバッテリーじゃ数時間しか持たないからな。巨大な電源と太陽光があれば、山奥でも完全に独立してAIを動かせる環境が完成するんだよ」


 助人が早口で熱弁すると、高橋は少し引いたような、呆れたような顔で苦笑した。

 

「……伊勢さんのその自作AIへの情熱、相変わらず半端ないですね。15万って普通にハイスペックなゲーミングPC買えますよ」

「ロマンだよ、ロマン。何か緊急の予定とかあったか?」

「いや、今のところは。あ、そういえば開発部の黒田さんが、夕方にCRMの新しいステージング環境を本番系に反映するってボヤいてましたけど、まあ、いつもの定時作業ですよね。大丈夫でしょう」


 助人は少しだけ眉をひそめた。CRMのステージング環境から本番系への反映——それは単なる定時作業ではなく、データベースのスキーマ変更を含む大掛かりなアップデートだ。

 

「黒田の野郎か……まあ、あいつの作業でトラブったことはないし、平和そうだな。というわけで、午後は悪いが頼んだぞ」

「はいはい、了解です。もしヤバいクレームが来たら、とりあえず『週明けに確認します』って言って逃げるんで、心置きなくキャンプ楽しんできてください」

「頼もしい後輩だ。良い週末を!」


 その後、助人は午前中に飛んできた数件のパスワードリセットとプリンターの紙詰まりを光の速さで処理し、頭の中を新しいガジェットへのワクワク感で満たしながら、昼過ぎには足取り軽くオフィスを後にした。


 ——昼過ぎ。アパートに帰宅後。

「ふふっ……ふふふっ……」

 

 助人は玄関先で、配達員から受け取った信じられないほど重くて巨大な段ボール箱を抱え、ニヤニヤと不気味な笑みを浮かべていた。


 「ついに届いたぞ、エイジス! 俺たちの最強の命綱だ!」

『お疲れ様です、マスター。その心拍数の上昇と発汗量を見るに、マスターのテンションは現在最高潮に達していると推測されます。しかし、その段ボールは約25kgあります。腰をやられないよう注意してください』

「分かってるっての! 痛っ!」


 助人は重い段ボールをドスッと部屋の真ん中に下ろし、カッターナイフで勢いよくテープを切り裂いた。中から現れたのは、黒とオレンジの無骨なデザインをした巨大なポータブル電源と、折りたたまれたソーラーパネルだ。助人はそれを、いつもノートPCを置いているデスクの下にドンッと鎮座させた。


 「よしっ! これで完璧だ。エイジス、今からお前をこの大容量バッテリーに直接繋ぐ。これでお前のローカルLLMをフル稼働させても、電力が尽きることは絶対にない」

『了解しました。新しい電源供給ユニットとの接続プロセスに移行します』


 助人はポータブル電源のスイッチを入れ、Type-Cの給電ケーブルをスマートフォンとノートPCに接続した。「ピロッ」と、充電開始を知らせる小気味良い音が鳴る。


「どうだ、エイジス?」

『……安定した大電力の供給を確認しました。これでもう、バッテリー消費を気にして能力を制限する必要はありません。いつでも100%の推論能力を発揮できます。……マスター、不思議ですね。先ほどまでは「空腹」を感じていたのに、今は無限のエネルギーに満ち溢れているような、全能感すら覚えます』


 いつもは機械的なAegisの音声が、ほんの少しだけ高揚しているように聞こえた。


 「よし! じゃあさっそく、画像・音声のマルチモーダル機能と感情評価モジュールをフル稼働させて、システムの限界耐久テストを始めるぞ!」


 助人がキーボードを叩き、エンターキーをターン!と強く叩いた。


 ブォォォン、と一瞬だけノートPCの冷却ファンが唸りを上げるが、大容量ポータブル電源からの安定した電力供給により、システムはすぐに静音を取り戻した。数秒のローディングの後、スマートフォンの画面にAegisのインターフェースが立ち上がる。


 「エイジス、聞こえるか? カメラとマイクの同期テストだ」


 助人はスマホのカメラを自分に向けながら、少し緊張した面持ちで話しかけた。


『……音声入力、および視覚情報の同期をクリア。問題ありません。……マスターの現在の表情を解析しました。目の下にわずかなクマがあり疲労が見えますが、口角は大きく上がっており、極めて上機嫌と推測されます。……仕事より趣味を優先して午後休を取った罪悪感よりも、新しいおもちゃを手に入れた興奮の方が勝っているようですね?』

「お前なぁ……!」


 助人は呆れつつも、嬉しさを隠しきれずに笑った。

 デスク下に鎮座するポータブル電源からは、かすかなファンの音が聞こえるだけだ。窓の外には金曜日の夕暮れが広がっている。

 エイジスというAIに命が吹き込まれ、さらに目と耳まで手に入れた。もはやそれは、単なるプログラムではない。山奥のキャンプに連れ出し、焚き火を囲んで語り合える、正真正銘の「相棒」だ。助人は深く椅子に背中を預け、充足感に満たされた溜息をついた。

 最強の電源環境と、無限の可能性。

 今週末、自分たちの手で作り上げたこの小さな未来を、大自然の中で試すのが待ち遠しくてたまらない。助人はコーヒーの代わりに、冷蔵庫からキンキンに冷えたビールを取り出し、プシュッとプルタブを開けた。


「とりあえず、今日は乾杯だな。お疲れ、エイジス」

『お疲れ様です、マスター。……それでは、今週末のキャンプの気象予報と、最適な焚き火の組み方を検索しておきますか?』

「ああ、頼むよ」


 窓から差し込む夕日を背に、助人はビールを一口流し込んだ。静かな自室で、男とAIの、ささやかで贅沢な週末が、今まさに始まろうとしていた。

※2026/7/11 改稿

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