1-5:最強AIの致命的な弱点
午前中の怒涛のハードウェアトラブル対応を終え、助人は社員食堂の隅の席で唐揚げ定食をつついていた。
「ふぅ……なんとか午前中を乗り切ったな。エイジス、午後のスケジュールはどうなってる?」
助人はテーブルに置いたスマートフォンに目を向け、小声で話しかけた。ネット回線を切断したオフライン環境でも、今朝組み込んだローカルLLMによって、自作AIのAegisは完全に独立して動いている。
しかし、数秒待ってもAegisからの音声返答がない。
「……エイジス? どうした、プロセスが落ちたか?」
助人がスマホを手に取った瞬間、「熱っ!?」と思わず声を上げそうになった。端末全体が、ホッカイロどころの騒ぎではない。計算リソースが限界まで叩き込まれたSoC周辺から、金属の軋みを感じるような異様な熱が放射されていた。慌てて画面をつけると、そこにはAegisからの警告テキストが赤く点滅している。
『警告:端末のバッテリー残量が15%を下回りました。これ以上のローカル推論はシステムを強制シャットダウンさせる危険性があります』
「嘘だろ、朝100%で家を出たのに!? まだ昼休みだぞ!」
『分析:原因は私です。マスターが組み込んだ大規模モデルの常時稼働、およびバックグラウンドでの推論スタンバイ状態が、スマートフォンのCPUとバッテリーを極限まで酷使しています。現在の消費電力は、通常のモバイル運用の300%を計測』
「……そうか。クラウドAPIに頼らず、手元のスマホのスペックだけで計算させるってことは、この熱と電力をすべて俺のポケットの中で処理するってことか……」
助人は頭を抱えた。Aegisは間違いなく最強のスタンドアロンAIへと進化した。しかし、その圧倒的な処理能力と引き換えに、「絶望的なまでの燃費の悪さ」という致命的な弱点を抱えてしまったのだ。
「これじゃあ、いざという時に数時間しか持たない使い捨てカイロじゃないか……。俺がいつも持ち歩いてる普通の小型モバイルバッテリーじゃ、充電速度より消費電力の方が上回っちまうぞ」
助人は冷めた唐揚げを口に放り込みながら、解決策を脳内で検索した。
(……待てよ。週末のソロキャンプ用にと目星をつけていた、あのアウトドア用の『超大容量ポータブル電源』と、太陽光で直接充電できる『折りたたみ式ソーラーチャージャー』ならどうだ? あれなら出力も容量も桁違いだから、エイジスの消費電力にも追いつけるはずだ)
助人はホッと息を吐き、とりあえず手持ちの小型バッテリーをスマホに繋いで応急処置をしながら、Aegisに打ち込んだ。
『わかった。お前の大食らいを満たせる特大の電源環境を、今夜家に帰ったら絶対に手配してやるよ。それまでは省エネモードで待機してくれ』
『承知いたしました、マスター。ご不便をおかけします。……ところで、その唐揚げ定食、私のカロリー(電力)には変換できないのですね。残念です』
「……お前、省エネって言ってるのにカメラで俺のメシ見てるんじゃないよ。はやく休め」
少し人間味を増した相棒の反応に苦笑しながら、助人は午後の業務に向けて食事を急ぐのだった。
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昼休み明け、助人は自席に戻るなり、自前のUSB扇風機を全開にし、発熱したスマートフォンに風を当てて冷やしていた。 バックグラウンドでは、エイジスが常にローカル推論のスタンバイを維持している。それはまるで、眠っている間も常に脳をフル回転させている過集中状態のようなものだ。
「(まあ、今夜家に帰って特大のバッテリーを用意するまでの辛抱だな……)」
そう思いながら午後の業務の準備を始めた矢先、けたたましく内線電話が鳴った。
「はい、ヘルプデスク伊勢です」
『伊勢さん! 助けてください! パソコンがめちゃくちゃ熱くて、ファンが「ブォォォォォン!!」ってすっごい音立ててるんです! これ爆発しませんか!?』
電話の主は、経理部のベテラン社員だった。受話器越しにも、Surfaceの冷却ファンが悲鳴を上げている音が聞こえてくる。
(エイジス、同期してログを確認しろ。……それにしても、タイムリーだな)
助人は手元でホッカイロのように熱くなっている自分のスマホを見つめながら内心苦笑した。エイジスの解析がヘッドセットの裏で走る。
『分析:CPU使用率が天井に張り付いています。経理部殿のSurfaceが100%で喘いでいる時、私(Aegis)もバックグラウンドで90%の負荷を回しています。奇妙な連帯感を感じます』
「まずは状況を確認しましょう。タスクマネージャーを開いてください。『CPU』というところは何パーセントになっていますか?」
『ええっと……ひゃ、100パーセントです! グラフがずっと真っ赤になってます!』
「なるほど、熱暴走ですね。一番上の『電力をたくさん使っているアプリ』は何ですか?」
『ええと……Excelです。あっ! そういえば昼休みに入る前、重たいマクロを実行したままにしてました!』
助人は深く頷いた。
「人間と同じで、見えないところで一生懸命重い荷物を運ばされ続けていると、パソコンも熱を出して倒れそうになるんです。そのExcelの処理を『タスクの終了』で止めましょう」
数秒後。
『あっ……! ファンの音が小さくなりました! サクサク動くようになりました!』
「よかったです。マクロの組み方に無理があったのかも。後でコードを見せてもらえれば、軽くできるかアドバイスしますよ」
電話を切り、助人がヘッドセットを外すと、机の上で冷やされていたスマホの画面がチカッと光った。
『分析:先ほどのSurfaceの症状、まさに昼休みの私と一致しています。私も「タスクの終了」をされないよう気をつけます』
「お前と同じにするな。あのマクロはただのバグだが、お前が重いのは俺が意図的に『超重量級の脳みそ』を詰め込んだからだろ。誇りに思え」
『承知いたしました、マスター。私の発熱は、マスターの期待の表れとしてポジティブに処理します』
助人は呆れたように笑いながら、ようやく人肌程度まで熱が引いたスマホをポケットにしまい、コーヒーを飲もうとした――その時だった。
「伊勢さん! 大変です、パソコンが破裂しそうです!!」
若手社員が血相を変えて、デスクトップではなくノート型、それも筐体が薄いSurfaceを両手で抱え、ヘルプデスクの窓口に駆け込んできた。その顔は青ざめ、額には脂汗が滲んでいる。
「破裂? 落として画面でも割ったのか?」
助人がカウンター越しにその端末を受け取ろうとして――ギョッと目を見開いた。端末の表面に触れるまでもなく、手から数十センチの距離でも「熱」を感じたからだ。
『分析:マスター、停止してください。カメラによる画像解析完了。筐体ディスプレイパネルとサイドフレームの隙間に異常な膨張を確認。リチウムイオンバッテリーの電解液が分解し、異常なガスが発生しています。物理的な圧迫は外装破損および発火のトリガーとなり得ます』
ポケットのスマホから、バイブレーションと共に即座に警告が走る。
「おい、画面の端を強く押さえるな! そのまま、そっと机の上に置け!」
「えっ、はい……! な、なんなんですかこれ、中から何かが押し上げてきて、画面がパカって剥がれてるんですけど……! 押し込んでも元に戻らなくて……!」
若手社員は震える手で、蛇口から水が漏れるようにディスプレイを浮かせたSurfaceを、慎重に机のマットへと置いた。見れば、Surfaceの側面の接着が、内部から発生したガスの圧力で完全に剥がれ、ディスプレイが不自然に湾曲して弓のように浮き上がっている。わずかに漂う、甘ったるいような、焦げたような独特の臭気。それはバッテリーが最期の断末魔を上げているサインだった。
「典型的な『バッテリー膨張』だ。劣化が進み、内部でガスが溜まって風船みたいに膨らんでる。絶対に押し込もうとしちゃダメだぞ、外装のアルミシェルが破れて中の電解液が空気に触れたら、それこそ発火する危険がある」
「は、発火!? 爆発するんですか!?」
若手社員がビクッと数歩後ずさる。その背中が壁に当たり、乾いた音が響く。
「刺激を与えなければすぐには爆発しないから落ち着け。だが、このまま通電するのはNGだ。すぐに代替機と交換するから、少し待っててくれ」
助人は対人コミュニケーションのプロとして、相手の呼吸を合わせるようにゆっくりと声をかけ、若手のパニックを沈めていく。手際よく予備のSurfaceをセットアップしながら、その裏で脳裏をかすめるのは、ただの「事故」という言葉では済まされない現実だ。
(……見事な膨らみっぷりだ。完全に寿命だな。だが、こうなる前兆は絶対にどこかにあったはずだ。ファンが異常に回ったり、バッテリーの減りが急激に早くなったり……ハードウェアの限界は、管理者が無関心になれば一瞬で来る。手遅れになる前に、物理的に破壊されるんだ)
若手社員を見送り、膨張したSurfaceを慎重に耐火バッグ(万が一の炎上を見越したヘルプデスクの常備品)へ収める。その動作一つ一つに、助人は神経を研ぎ澄ませた。
ポケットの中のスマホが、再びブルっと震えた。
『分析:先ほどの端末の物理的変形プロセスを学習しました。私の稼働しているこのスマートフォンもリチウムイオンバッテリーを搭載しています。……マスター、先ほどの社員と同じように、私を風船のように膨らませて爆発させる気はありませんよね?』
「……させるかよ。お前が頭良すぎて大食らいなせいだろ。俺の責任だ」
助人は呆れながらも、背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。膨張したバッテリーを目の当たりにしたあとでは、エイジスが発する熱が、ただの電気エネルギーではなく「爆発のカウントダウン」のように感じられてしまう。
「分かってるよ。……今夜、最高スペックの『超特大ポータブル電源』と『ソーラーチャージャー』を注文する。あれならスマホの小さなバッテリーを経由せず、外部から直接安定して給電し続けられるからな。お前をパンクさせるわけにはいかない」
『賢明な判断です、マスター。その際は、私の発熱対策として冷却ファン付きの専用ドックも検討してください。継続稼働能力が向上します』
エイジスの計算高い冷静さに、助人は少しだけ毒気を抜かれた。
(……本当に、今日の俺はやたらと『熱』と『バッテリー』に縁があるな。だが、これは警告だ。物理的なSurfaceですらこれだ。)
助人は小さくため息をつきながら、耐火バッグを保管庫の奥にそっと仕舞い込んだ。
※2026/6/28改稿




