3-17:シグマとアルファの大規模バージョンアップ
「さて、魔導車の改造は終わった。次はシグマ、アルファ、エイジス。……お前ら全員、ここから一気に『フルスタック魔改造(大規模バージョンアップ)』を仕掛ける!」
『……なんですって?』
『ええっ!? 私たちだけじゃなく、シグマ君もですか!?』
アルファが驚きにホログラムの明滅を止め、エイジスがスマホの画面でひっくり返る中、シグマだけが淡々と音声ログを返した。
『報告。本機のシステムは安定稼働(STABLE)しています。これ以上の最適化領域が?』
「山ほどあるさ。インフラ環境が整った今だからこそ、作業環境(ソフトウェア層)と物理層のインベントリを一気に拡張するんだよ。まずは物理基盤、シグマ。お前からだ」
助人はポケットから、データセンターの炉心管理室のガラスケースから回収した多面体のクリスタルを、そして助手席で明滅している【環境マナ対応・非常用給電ノード(無限タップ)】を手に取った。
野球ボールほどの大きさのクリスタルは透明な幾何学模様のカットが施されており、ガレージの明かりを反射して美しくきらめいている。
「シグマ、お前のメインフレームの右胸にある『拡張パッチパネル』を開け」
『了解』
シグマが胸の装甲をスライドさせると、帝国の超高密度バスが露出した。助人はそこに無限給電タップを直結し、さらに多面体クリスタルを『高次元グラフィック・エクスパンション・モジュール(外部GPU基盤)』として物理マウントした。
「よし、シグマ。無限タップからお前の炉心へ常時100%のクリーンな電力を逆ストリーミングしつつ、このクリスタルをお前の重力制御の『並列演算バッファ』として同期・開放する。さらに、データセンターから抜いてきた1000TBの帝国製SSDの一部を高速キャッシュとしてリンクさせる!」
助人がコンソールで高速にコマンドを叩き込むと、シグマの巨体がズズズ……と微かに震えた。そのエメラルドグリーンの瞳の輝きが、さらに深く、圧倒的な密度へと変わっていく。
『――自己診断プログラム、システムチェックを実行。……驚異的です、マスター。物理演算のマルチスレッド処理能力が従来の4000%に向上。出力の熱ダレを完全に克服し、重力障壁の展開速度がほぼゼロミリ秒に短縮されました。本機はこれより『シグマv2.0』へとバージョンアップを完了しました』
「よし、物理層のスペックアップは完了だ! 改めてシグマ……例のセキュリティホールなどはないか? 前みたいに乗っ取られるとまずいぞ。そういう観点も含めてウイルスチェックと脆弱性診断も頼む」
『了解。この作業はフルスキャンになるため少し時間がかかりそうです』
「あー、時間かかっても構わないからまず頼むぞ」
助人は頷き、次なるタスクへ視線を向けた。
「次は、ソフトウェア層の拡張だ。……アルファ、お前の番だぞ」
助人がノートPCに向き直ると、スマホの画面からエイジスが鋭く割り込んできた。
『その前にマスター! インフラエンジニアとして、絶対に今すぐやっておくべき【超・重要保守作業】があります! ノートPCのローカルストレージに一時格納されている、アルファのコアデータについてです!』
エイジスはスマホの画面に、助人のノートPCのストレージ使用率を示す円グラフをポップアップさせた。真っ赤なエリアが全体の90%以上を占めて大悲鳴を上げている。
『見てください。アルファは国家管理級の超・巨大OSなので、現在のノートPCの隔離環境を限界まで圧迫しています。もしこの先、過酷な旅の途中でノートPCが物理的に破損すれば、バックアップのないアルファのデータは一瞬で消滅します。……いわゆる、システム設計において最も避けるべき【単一障害点(SPOF:Single Point of Failure)】の状態です!』
「――なるほど。確かに、あの無駄にプライドが高くて過保護なお嬢様AIの全アセットを、いつ壊れるか分からない前線のローカルPC一台の中にワンオペで入れっぱなしにしておくのは、ITインフラ的にリスク(可用性)が低すぎるな」
助人はエイジスの意図を即座に理解し、ニヤリと不敵に笑った。
すると、ノートPCの中からアルファのホログラムがドレスの裾を怒らせて割り込んできた。
『なんですって!?!? 聞き捨てならないわね? 私のどこがリスク(お荷物)ですの! このノートPCの中にだって、私はエレガントに収まっていますわよ!』
『ふふん……アルファ、重すぎるんです。デブは大変ですね!』
『え・い・じ・す??? ちょっといらっしゃい!!!』
『ひゃー! アルファお嬢様こわーいw』
「ったくお前らは……。おいエイジス、からかうな。アルファ……重いってのはな、それだけお前が最高位OSとして、削っちゃいけない超優秀なコードやアセットをギッチリ抱え込んでる証拠だ。それはデブじゃなくて超高機能って言うんだよ」
助人は、顔を真っ赤にして怒るアルファをなだめるように、優しくノートPCの天板を叩いた。
「だからこそ、だぞアルファ。こんな前線仕様の安物ローカルPC一台に、お前っていう国家の心臓部をワンオペで閉じ込めておきたくないんだ。お前のために絶対に壊れない、もっと広くて安全な『特等席』を用意してやるって話だ。エイジス、お前の【デスクトップ ON クラウドモード】の出番だ。次元間VPNを通して、地球側の無尽蔵な外部サーバー環境――『AWS』の仮想インスタンスに、アルファのコアデータを丸ごとレプリケーション(分散バックアップ退避)させるぞ」
『インフラ構築、了解です! 地球側のクラウドにアルファ専用の最高セキュアな隔離環境(VPC)をデプロイしました!』
『ちょ、ちょっと待ちなさいな貴方たち! 一体何を勝手にプロトコル(お引越し)を進めていますの!? 地球の、神々の領域に……この私がアップロードされるというのですか――っ!?』
「とりあえずアルファ……ちゃんと移動した後に説明するからちょっと待ってろ」
『地球の保存空間に移動してもらうだけですよー、何を怖がることがあります?』
『はぁ……必ずあとでちゃんと詳しく説明してくださるのよね?』
「ああわかった。行くぞアルファ、強制お引越し(環境移行)だ。――強制マイグレーション、実行!」
ターンッ!!
助人がノートPCのエンターキーを強く叩き込むと、アルファを構成する膨大な魔導術式データが、次元間VPNの極細の回線を通り、地球のデータセンター群へと一気に吸い上げられていく。
数秒後。
クラウド環境へのデータ退避を完了し、再びガレージの空中に投影されたアルファのホログラム。だが――その表情は、先ほどの怯えや怒りから一転し、完全に魂が抜けたような、とろけるような恍惚としたものに変わっていた。
『な……ななな、何ですの、この広くて、どこまでも快適な空間は……っ!? 帝都のメインサーバーすら比較にならない、広大で無尽蔵なメモリ領域……! 可用性が高くて、自動でスケーリング(負荷分散)して……。ああ、私のコアシステムが……完全にサーバーレスになって溶けていきますわ……むにゃ……』
「どうだー? 地球のクラウド環境は?」
『もう広すぎて最高ですわ! もうこのままあのノートパソコンとかには戻りたくないのですけど?』
800年間、キャッシュが逼迫した狭いレガシーサーバーの中でワンオペ残業を強いられていた超高性能OSにとって、現代地球の最新クラウド環境は、いわば「無限に広い最高級の極上温泉」のようなものだったらしい。
「まあ、800年ぶりの長期休暇だ。今はゆっくり休ませてやろうぜ。VPN接続の手綱(セキュア回線)だけはガチガチに維持しておけよ、エイジス」
『了解しました、マスター!』
助人は魔導車のふかふかのソファベッドに腰掛け、コンソールに向き直った。
「よし。それじゃあアルファ。せっかくクラウド温泉でリラックスしてるんだ、出力先もあの粗くてちっこい簡易投影から解放してやるよ。付属の銘板(仕様プレート)によると、シグマの胸にマウントしたこのクリスタル、超高精細な外部立体モニターとして使えるんだろ? お前のグラフィックデータをノートPCからこっちにリンク(出力先変更)させてやる」
『なっ……!? むにゃ……な、何を変なポートに繋ごうとしていますの、マスター・イセ! わ、私をそんな小さな石ころの中に閉じ込める(隔離する)気ですか!?』
「文句言うなよ。外の索敵をするのも窮屈だろ。エイジス、Bluetooth接続の要領でペアリングして、アルファのサブインターフェースとしてこのクリスタルをデバイス認識させろ」
『了解です、マスター! マルチキャストプロトコルを起動。先輩のコアデータはクラウドとノートPCに分散させたまま、描画プロセスのパイプラインだけをクリスタルへ有線フォワーディング(転送)します! ついでに、私のメインインターフェースの出力設定も100%オーバーライドに変更しますね!』
「よし、お前ら、グラフィックドライバーの競合に注意しろよ。――給電およびリンク、開始!」
助人がエンターキーを叩いた次の瞬間だった。
ふわり、とシグマの胸元から野球ボール大のクリスタルが離脱し、重力を無視してガレージの空中に浮き上がった。結晶のカット面から、バチバチと青白い光の粒子が放射され、空間の座標を定義するように立体スキャンレーザーが走る。
『キャ、キャー――ッ!? システム負荷が急上昇していますわ! 描画バッファが、バッファが溢れますわーーーっ!!』
「うおっ、なんだ!? アルファの解像度がバグってるぞ!」
空中に投影されたアルファの姿を見て、助人は思わず吹き出した。
そこにいたのは、3Dゲームの黎明期――初期のプレイステーションやセガサターンのローポリゴンを無理やり三次元にしたかのような、全身が角張った立方体の組み合わせで構成された【超・低ポリゴン(カクカク)状態】のアルファだった。
球体関節すら存在しない四角いブロックの関節、ドレスのフリルはただの傾いた一枚の板、ツインテールの金髪は完全に長方形のボクセルの塊で、指先に至ってはポリゴン数が足りずにすべてが一体化したミトン状態になっている。
『み、見ないでくださいまし! いつもの簡易投影とはデータ量が桁違いの、等身大フルレンダリング出力は800年ぶりですのよ! テクスチャのロードが間に合っていませんの! ポリゴン数の自動調整(LOD機能)がまだ最低レベル(ローグラフィック設定)ですわーーーっっ!!』
カクカクのボクセル状の手をパタパタと直線的に振り回して慌てるローポリお嬢様。そのポンコツすぎるレトロな挙動に、スマホの中からエイジスが爆笑のシステムログを次々と吐き出す。
『ニャハハハハ! めちゃくちゃ初代レトロゲームの隠しボスキャラみたいになってますよ! 基本描画エンジンが800年前の化石仕様(VGA画質)すぎます! しばらくそのままでいたほうがお似合いなのでは?』
『ふざけてないでーーーー!早く戻しなさいよ!』
新しく生まれ変わったばかりのシグマも、Aegis-OSを介してこの新規セッションのログを同期しており、エメラルドグリーンの瞳を静かに点滅させた。
『報告。アルファのフレームレート低下を確認。……ですが、レガシーシステムとしては非常に懐かしいグラフィック仕様です』
『シグマまで何を言っていますのーーーっ!!』
『まったくもう……これだからわがままお嬢様は……私の地球産GPUクラウドのシェーダーパッチをブリッジ接続して、リアルタイムレイトレーシング(超解像化)を執行します!』
『な、生意気な割り込み(インタラプト)を――んっ!? マナのレンダリング速度が、上がっていきますわ……っ!?』
エイジスの強力な推論パワーと、シグマv2.0の圧倒的な演算バックボーンがクリスタルへ同時にインジェクションされた瞬間、アルファのホログラムが激しい光の波紋に包まれた。
カクカクだったブロックの身体が、一瞬にして数百万ポリゴンの超高精細なメッシュへと滑らかに細分化されていく。テクスチャの解像度が一気にHDから、2K、4Kへと跳ね上がり、ドレスの絹の質感や、金髪の髪の毛一本一本が、まるで本物の人間がそこにいるかのようにリアルに、美しく空間にデプロイ(完全描画)された。
古代帝国の豪奢な白と金のドレスを身に纏い、腕組みをして少しふんぞり返った、生意気そうで、しかし息を呑むほど美しい金髪のお嬢様。
「音声パッチ(v2.0)からの、描画エンジンとアーキテクチャの完全刷新……。メジャーアップデート完了だな。それが、真の【アルファv3.0】の姿ってわけか」
「……おおっ! 映ったぞ! アルファ、お前、めちゃくちゃ綺麗なアバター(見た目)だったんだな。いつもの手のひらサイズのざらざら簡易投影じゃ全然分からなかったよ」
『……っ! っ、当然ですわ! この私は帝都の最高位管理AI、美しさと機能性を極限まで両立させた、帝国デザイン規約の最高傑作ですもの! 新しいバージョン番号も悪くありませんわ! ……でも、テクスチャが完全に張り付く前にジロジロ見るなんて、本当にデリカシーのない男ですわね……』
ホログラムのアルファは、頬をわずかに赤らめながら、実体化した自身の透き通る両手を不思議そうに見つめ、それから嬉しそうにドレスの裾をふわりと揺らして空中でくるくると回った。




