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3-16:車輪の再発明という罪と、オープンソースという名の暴力

 翌朝。シグマ救出後泥のように眠った助人は慌てて起きた。


「はっ!今何時だ!?!?」

『おはようございますマスター。今日は月曜日の朝の8時です』

「いつもなら仕事行く時間だな……」


 助人はソファベッドの上で上体を起こし、ぼんやりと宙を見つめた。月曜の朝8時。体に染み付いた社畜のリズムが、自動的に「出社しなければ」という謎の緊張感を呼び起こす。


「……でも有給中だ。今週の金曜まではまだ猶予がある」

『はい。残有給38日。今週いっぱいは「療養中」の建前が生きています。……マスター、ちゃんと分かってますよね? 有給が切れたら次は本当に正念場です』

「分かってる。だから今週中に異世界リモートワークの環境を整える。それが今日からの最優先タスクだ」


 スマホの画面の中でエイジスが少し考えるような間を置いてから、おずおずと言った。


『……マスター。後悔、してませんか。異世界に来てしまったこと』


 助人は少し黙った。ソファベッドから立ち上がり、窓代わりのガレージの隙間から差し込む朝の光を見やる。異世界の朝は、地球とは少し違う色をしている。空が微妙に青紫がかっていて、鳥の声も微妙に違う。


「……してないな。する暇がない」

『それだけですか?』

「それだけだ。……まあ、帰れる見込みが全くないのはさすがに困ってるけどな」


 助人は苦笑しながら、漆黒の魔導車のボディを手のひらで叩いた。


「よし、感傷はここまでだ。今日のタスクを確認するぞ」


 助人はパンと両手を打ち合わせ、切り替えた。


「魔導車の本格的な大改修。これが最優先だ。終わったら次のセクターへの出発準備に入る。……エイジス、昨晩のうちに設計の洗い出しはやっておいてくれたか?」

『バッチリです! マスターが泥のように寝てる間に、私とシグマとアルファで設計レビューを3周回しました』

「お前ら、俺が寝てる間も働いてたのか」


 シグマが静かに補足した。


『貴方が眠っている間、本機にできることがあれば実行するのが最適解です』

「……初日から有能すぎるな、シグマ」


 エイジスが嬉しそうに言い、アルファがツンとして割り込んだ。


『当然ですわ。シグマは帝国が誇る最高位ガーディアンですもの。……ただし、「必要な情報」の選定基準が、私とは少々異なるようですけれど』

『アルファ先輩、それ妬きですよね?』

『妬いてませんわ!!』


 賑やかなやり取りを聞きながら、助人は苦笑して立ち上がった。


「よし、要件定義はフィックスだ。……だが、ゲートを開けて外へ出る前に、片付けないといけない最優先のタスクがあるぞ」


 助人は作業ステージの上でエメラルドグリーンの瞳を静かに輝かせているシグマを見上げ、不敵な笑みを深くした。


『あ、魔導車の改造です?』

『確かにそれが残ってましたわね。シグマも救えたことですし、一件落着かと思いましたわ』

「フフフ……結局ここまでの作業は緊急対応でその場つなぎが多かった。いろいろあきらめてたことも多かったけど、やっと時間的制約のない状態まで落ち着けたことで、こいつのバージョンアップができそうだ」


 助人は漆黒の魔導車のボディを手のひらでなぞった。その視線の先には、データセンターから回収してきた【対魔力シールド付き・高強度光ファイバーのドラム缶】と、あの【超高密度・不揮発性ストレージモジュール(1000TB SSD)】がある。


「ただ断線を銅線と絶縁テープで応急処置するだけじゃ、インフラ屋の名が廃る。……エイジス。俺の自宅マシンからサルベージしたローカルキャッシュ、あの中に地球のネットワーク規格の設計図――『オープンソースのハードウェア・ライブラリ』のクローンが丸ごと残ってたよな?」


『――ッ!! ありますあります、100%残ってますマスター!』


 スマホの画面の中で、エイジスがインフラ屋の意図を即座に察して狂喜乱舞した。


『私がローカルにまるごとミラーリング(同期)しておいた、GitHubのネットワーク機器設計リポジトリですね! 伝送帯域2000メガヘルツを誇る地球最高峰の『Cat8規格・40ギガビット超高速LANケーブル』の物理二重シールド構造から、光ファイバーのトランシーバーまで、地球中の優秀なエンジニアが作った『オープンソース・ライブラリ』が山ほどインポート可能です!』

『……ぎっとはぶ? おーぷんそーす、らいぶらり……?』


 クリスタルの上で4K描画されたアルファが、聞いたこともない単語に美しい眉をひそめた。


『何ですのその、怪しげな外部共有ディレクトリの巣窟は。まさか、国家の第一級技術仕様を、どこの馬の骨とも知れない有象無象の民間に、勝手に公開して使わせているというのですか!?』

「いいかアルファ、実例で教えてやる」


 助人は床にドカッとあぐらをかき、宙のホログラムを指差した。


「例えば、お前が『光を灯す魔法』を新しく作りたいとする。そのために空間マナの励起数を計算して、光子の波長をゼロから記述して、拡散範囲の配列を定義して……って、毎回いちいち一からカーネルコードを書くか?」


『当然ですわ! 大気マナへの厳密な引数定義を、寸分の狂いもなくゼロから美しくビルドしてこそ、帝国一流技師の職人技(美徳)というものですわ!』


 アルファがフンと胸を張ると、助人は人差し指をチッチッチと横に振った。


「地球じゃそれを【車輪の再発明】って言って、一番嫌われるクソコードの手法なんだよ」

『しゃ、車輪の再発明……!?』

「そうだ。誰かがもう作った、完璧に動く実績のある『汎用ライブラリ』がネット上にあるなら、そいつを一行インポートして使い回せば3秒で終わる。ゼロから書くのは時間の無駄だ。エンジニアの貴重な脳のリソースは、まだ誰も作ったことのない新しいシステムに回すべきなんだよ」

『な、何ですって……!? しかし、そんな出所不明のコード、誰が安全性を保証するのですの! 悪意あるウイルスを仕込まれていたら一発でシステムダウンですわ。帝国では、すべてのコードは国家(私)が検閲・管理していましたのよ!』

『アルファ、そこがモダンな地球の【Linuxの思想】の偉大なところなんですよ』


 スマホの中で、エイジスがブルーライトカット眼鏡をくいっと押し上げた。


『地球のインターネットの根幹を支えるシステムは、そのほとんどが「オープンソース」――世界中の誰もが自由にコードを閲覧し、書き換えられるよう全員に公開されているんです。先輩は「全員が触れるなら危険」と言いましたが、地球の思想は真逆。【目玉が多ければ、すべてのバグは浅い(リヌスの法則)】。世界中の何百万人という天才が常時ソースを監視し、凄まじい速度でコードレビューし合っているからこそ、悪意あるコードやバグは一瞬で弾かれ、国家独占のクローズドOSなんかより遥かに強固で最新のシステムへと、24時間リアルタイムで進化し続けるんですよ』

『国家の検閲なしで……世界中の、無償の集合知が、システムを永遠にアップデートし続けている……?』


 お堅い帝国の統合管理OSだったアルファは、地球のオープンソース文化が持つ「圧倒的な自由の暴力」のロジックを突きつけられ、今度こそ完全に宇宙猫のような顔でその場に硬直した。

 ――と、それまで黙って直立していたシグマが、静かに音声ログを差し込んだ。


『……補足。本機の内部にも、帝国の防衛規定により固く秘匿された、クローズドな独自ライブラリが眠っています。しかし、800年間ただ一度も外部レビューを受けなかった結果が――このザマだ。誰にも検証されないコードは、誰にも守られない』

『シグマ……あなたまで……っ』

「そういうことだ、アルファ」


 助人は不敵に笑い、立ち上がった。


「規約違反でも何でも、本番環境で動けば『ヨシ!』なんだよ。地球の天才たちが積み上げてきたオープンソースの叡智を、異世界の魔術コードにコンバートして、ファブリケーターに流し込む。……齧り取られて断線したこの魔力線の断面に、地球の『Cat8・40ギガビット端子』を分子レベルで直接実体化させて直結させてやる。ただ直す(現状復帰)だけじゃない。地球のエンジニアが遺した巨人の肩に、俺たちが乗っかるんだ」

『……はぁ。本当に貴方という人は、どこまで不条理な仕様変更をすれば気が済むのですの』


 アルファは深々とため息をつき――しかし、その口元には隠しきれない好奇の笑みが浮かんでいた。


『ですが、そんな世界中の人間の知恵が詰まった『らいぶらり』とやらで、我が帝国の技術がアップデートされるというのなら……元・最高位管理AI(この私)のプライドにかけて、完璧なコンパイルエラーチェック(バグ出し)をして差し上げますわ。やってみなさいな、マスター・イセ!』

「そうこなくちゃな。――お前ら、最高のコードレビューを頼むぞ!」


 世界がバグだらけなら、地球の偉大な集合知をインポートして、デバッグしながら進むだけだ。

 明確な仕様(ゴール)を引き直した助人は、不敵な笑みと共に、魔導車の大改修へと本格的に突入する。


「魔導車を単なる移動用コンテナから、俺たちのデバッグ現場そのもの(最強のモバイル・データセンター)に作り変える。……アルファ、シグマ、エイジス、手伝え。大改修(マイグレーション)だ!」

『いいですわね! 車体の装甲に回収したシールド配線を組み込んで、全方位防御の【魔力防壁(ファイアウォール)】を物理展開するのですね?』

『了解。本機の重力制御能力を車体に直結(ダイレクトマッピング)。車体周辺に重力障壁(グラビティ・フィールド)を常時展開可能な仕様へ変更します』


 助人はエンジンフードを開け、シグマに指示出しをしながら、作業に取り掛かった。


「ただ断線を繋ぎ直すだけじゃ、またすぐにショートする。エイジス、俺のローカルキャッシュに残ってる地球のネットワーク規格の設計図――伝送帯域2000メガヘルツを誇るモンスター規格『Cat8・40ギガビット対応超高速LANケーブル』の物理二重シールド構造(STP仕様)のトポロジーを展開しろ!」

『イエッサー! 地球のオープンソース・ライブラリを異世界スクリプトへコンパイル!』

「シグマ! この設計図の通りに、データセンターから持ち帰った帝国の高強度光ファイバーへ、二重ノイズシールド構造をアドオンして、お前の重力制御で魔導車のフレームへ分子結合(スプライス・マウント)してくれ。ミリ単位でいけるな?」

『肯定(アック)。誤差0.001ミリ以内で物理構築(ビルド)を実行します』


 シグマの指先から放たれる精密な重力線が、地球最高峰の「オープンソース・チート規格」を帝国の素材へと完璧に分子結合させていく。


「よし! ハードウェア(物理レイヤー)が超ギガ規格になったなら、次は中を走らせるソフトウェア層(OS)のアップデートだな。エイジス、車体内部にリンクさせた1000TBのSSDをサーバー基盤としてブリッジ接続しろ! さらに、溜まってる800年分のエラーキャッシュを一括消去(パージ)だ!」

『お任せを! うわぁ、車両OSのソースコード、冗長な条件分岐(if文)だらけのひどいスパゲッティ状態です……。地球の最新コンパイル言語である『Rust言語仕様』へリアルタイムでリファクタリング(超絶書き換え)を執行! 安全性と並行処理能力を極限まで引き上げます!』


 スマホの画面上で、数万行に及ぶ古代の魔術式が、メモリ安全かつ超高速な近代コードへと凄まじい速度で再構築されていく。


『ついでに、現代地球の『テスラ級自動運転アルゴリズム』と、3軸ジャイロセンサーに対応した『アクティブサスペンションの姿勢制御プログラム』、さらにコンソールに『Googleマップ風の最新ナビゲーションUI』も勝手に車両カーネル空間へアドオン(機能追加)実装しておきますね!』


 さらに助人は、魔導車のタイヤに【対魔力ダクトテープ】を巻きつけ、どのような荒地でもグリップを失わないよう補強を施し、車体後部には重力砲の反動を吸収するスタビライザーを組み込んだ。


 ――数時間後。


 ガレージの明かりの下で、魔導車はかつての面影を完全に消し去っていた。漆黒の装甲はより分厚く、それでいて重さを感じさせない軽快なフォルムに変貌し、車体からは常に淡いエメラルドグリーンの光の波紋が漏れ出している。

 ただの銅線とテープでの現状復帰予定だったレガシーシステムが、地球のオープンソースの英知とAIたちの無双処理によって、800年前の全盛期のスペックすら遥かに置き去りにする「異世界最強の移動要塞(最新鋭セーフハウス)」へと進化したのだ。


「よし、ハードもソフトも前提条件(依存関係)はすべてクリアだ。――異世界式・チート級デバッグ・リブート、実行(エンター)!!」


 助人がノートPCのエンターキーを力強く叩き込んだ。


 キュイィ ィ ィ ィ ィ ン ――――ッッッ!!!!


 新設されたばかりのCat8規格・二重シールド構造のメインケーブルが、マナのサージ抵抗を100%パケットドロップ(相殺)しながら、眩いばかりの青白い光を奔らせて心臓部の魔導炉心へと結合する。

 ドゴォォォォォォンッッッ!!!! と地響きが鳴った直後、巨大な漆黒の魔導車が、地球の最新リニアモーターカーのような、重厚でどこまでも滑らかな重低音の駆動ハミングを上げて完全覚醒(リブート)を果たした。


 ガガガガッ! と音を立てて、車体を支える六つの巨大な車輪が力強く路面をグリップし、サスペンションが最適な車高へと自動スケーリングを開始する。

 同時に、車内の照明が一斉に温かみのあるオレンジ色のLEDとなって明るく灯り、後部の広い居住スペースの空調ダクトから、800年の塵埃を完全サニタイズされた、極上の涼しい冷風が「ゴォォォ……」と心地よいエアフローを立てて吹き出してきた。


「うおっ、すげえ……!! エンジン(魔導炉心)一発始動!! エアコンもバッチリ効いてるし、自動運転もナビも全部オールグリーン(完全稼働状態)だ!!」


「……完璧だ。これならどんなバグが蔓延る魔境(デスロード)だろうと、俺たちは安全圏からデバッグ(冒険)を続けられる」


 助人はドライバーズシートに乗り込み、手首のスマートウォッチをコンソールにドッキングした。

 瞬時に車内の全システムと同期が完了し、一つのシステムとして完璧に統合される。


『システム同期、オールグリーン。……マスター、次のロールアウト(発進)準備は万端ですわよ』

『シグマ君の警備体制も盤石です! さぁ、この最強の要塞で、未定義のバグを全部ハントしに行きましょう!』


 助手席には、無限に電力を供給する結晶タップが美しく明滅している。


「これだよ、これ。……俺たちが求めていた最強の環境(インフラ)は」


 助人は不敵に笑い、アクセルを軽く煽る。

 エンジンではなく、魔力炉心が奏でる「高潔な調べ」がガレージに響き渡り、魔導車はまさに獣が獲物を狙うかのような鋭いオーラを放ち始めた。

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