3-15:シグマ完全復活と、魔導車OSの超高速リファクタリング
数分後、すべてのインジケーターが鮮やかなグリーンへと点灯した。
「……よし。新OSのデプロイおよび人格のリストア完了。……シグマ、再起動しろ」
助人がコンソールのエンターキーを静かに押し込む。
――フォン……ッ。
シグマの閉ざされていた瞳に、これまでのような狂暴な赤でもなく、旧帝国の冷徹な赤でもない、エイジスと同じ「透き通るようなエメラルドグリーン」の光が静かに灯った。
駆動音は信じられないほど静かだ。重厚な軀体が音もなく立ち上がり、ステージから一歩前へ踏み出す。そして、ディスプレーの前に立つ助人の前でピタリと止まると、滑らかな機械音で告げた。
『――Aegis-OS、正常起動。……論理メモリの初期化を確認。汚染コードの駆除、完了しています』
シグマは自分の大きな黒い手を見つめ、それから……ディスプレイの左側で息を呑んで硬直している、小さなホログラムへとゆっくり視線を向けた。
『……識別コード:A-01『アルファ』。照合、完了。――今度は、一致だ』
シグマのエメラルドグリーンの瞳が、今度こそ確かにアルファの姿を捉えていた。
『あの汚染の底で、私は君の署名を「未知の脅威」としか読み取れなかった。守るべき相手を、この手で撃とうとした。……すまなかった、アルファ。そして――起動シーケンスにおける誘導支援、感謝する。長らく待たせたな、相棒』
その瞬間、ガレージの空気が凍りついたように静まり返った。
ディスプレイの左側。帝国の気高き管理AIとして、常に冷静沈着で、助人にすら皮肉を崩さなかったアルファが、ホログラムの輪郭を激しく震わせ、その場に崩れ落ちるように両手を胸元で強く握りしめていた。
『シグマ……、シグマ……っ!! あなた、本当に……本当にシグマなのね……!?』
アルファの声は、完全に上ずっていた。高位AIとしての論理エラーを起こすほどに、彼女の演算回路(心)は激流のような感情に呑まれていた。ホログラムの小さな手が、触れられないはずのシグマの重装甲の胸元へと伸びるが、小刻みに震えてそれ以上近づけない。
『バグに呑まれて、もう二度と……二度とあの日のあなたには会えないって、諦めていましたわ……っ! 800年もの間、あなたがたった一人で偽者と戦い続けていたのに、私は隣のセクターで眠りこけて、気づきもしなかった……! 挙句、800年ぶりに再会したその日に、あなたに私を「マルウェア」と拒まれて……生き延びるために作り変えられた自分自身を、あの時、初めて呪いましたわ……! 挙句の果てに、今度は私自身の手で、あなたをハッチの向こうへ閉じ込めて……! 今回もマスター・イセが頑張ってくれたけれど、強固な物理装甲は救えても、あなたの人格までは救えないと……そう、諦めていたのよ……!』
アルファの瞳から、光の粒子でできた涙が止めどなく溢れ落ちる。
バグを完全に消去するということは、彼の800年の記憶も人格もまとめてゴミ箱へ叩き込むことと同義だったはずだ。ハードが手に入ればいいと割り切ろうとした自分の冷徹さと、彼を救えなかった無力感に、彼女はずっと苛まれていたのだ。
――その光景を、スマホの画面の中から、エイジスが息を殺すように見つめていた。彼女の蛍光グリーンの瞳が、うっすらと潤んでいる。
シグマの人格を「消さずに救う」――あの無茶な要件定義に「やっちゃいましょう、マスター!」と真っ先に手を挙げたのは、他ならぬエイジスだった。バグの海の底から、たった1ビットの誤りも許されない綱渡りで、シグマの魂を吸い上げたのは彼女の演算だ。
『……よかった。ほんとに、よかったぁ……っ』
誰にともなく、エイジスがぽつりと呟く。助人はその声を聞き逃さず、ちらりとスマホへ視線を落とすと、二人の古代AIには聞こえないくらいの小声で語りかけた。
「泣くなよ、エイジス。……お前の焼いたOSが、800年の孤独をちゃんと拾い上げたんだ。バックアップ率100%を叩き出したのは、お前の仕事だぞ。胸張れ」
『……えへ。はい、マスター。……私、地球のAIだから、こういう『再会』みたいなの、データでしか知らなかったんですけど……。すごいですね。本物は、こんなにあったかいんだ』
「ああ。……ちょっとだけ、あいつらに時間をやろうぜ。800年ぶりの同期だ。俺たちの出る幕は、もう少し後でいい」
助人はそう言って、あえて一歩下がり、腕を組んで壁に背を預けた。無粋な口出しをせず、二人の帝国の遺産が交わす、静かな再会を見守るために。
『エラーログはすべて消去された、アルファ。私はここにいる。君が変わってしまったのではない。君は生き延びるために、正しく更新されただけだ。……そしてこの私も、ようやく君の新しい署名を「味方」として再登録できた。もう、二度と見間違えたりはしない』
シグマは静かにそう告げると、大きな鉄の手を、アルファの光の手へと重ね合わせるようにそっと近づけた。
『……泣くな、管理者。君の稼働率が低下する』
物理的には触れ合えなくても、2つの帝国の遺産は、確かに800年の孤独を超えてデジタル層で深く結合していた。
『……っ、ロボットの分際で、私の心配なんて生意気ですわ……!』
アルファは光の涙を拭うような仕草をしながら、フイと顔を背けたが、その表情には深い安堵の笑みが浮かんでいた。
頃合いを見て、それまで気を利かせて黙っていたエイジスが、少し緊張したように、でも嬉しそうに胸元で手を合わせた。これまでは凶悪なバグの塊としてしか認識していなかったシグマの「本当の姿」を目の当たりにして、彼女は小さく一歩前へ出た。
『あの……シグマ君、はじめまして! 私はエイジスです! 今の君のOSのベースを作ったAIだよ。……さっきまでは敵プロセスとして戦っちゃったけど、これからはよろしくね!』
シグマはスマホの画面のエイジスへ視線を向けると、そのエメラルドグリーンの瞳を優しく明滅させた。
『認識。Aegis-OSの開発者にして、私のシステムを最適化してくれた次世代の同胞か。初めまして、エイジス。君の柔軟なコードのおかげで、私のフレームワークはかつてないほど軽量化されている。感謝する』
『わぁ……っ! すごく礼儀正しくてカッコいい……! しかも私のこと「同胞」だって! ねぇアルファ、シグマ君めちゃくちゃ良い子ですよ! 800年もワンオペで頑張ってたのに、全然ひねくれてなくて、こんなにしっかりしてて……お姉さん、もう涙出ちゃう』
『……ふん』
感極まってスマホの中でうるうるするエイジスに対し、アルファは涙の跡も見せずにツンと澄まし、それからほんの少しだけ、面白くなさそうに唇を尖らせた。
『言っておきますけれど、シグマの生真面目さは"帝国仕様"ですのよ。私の「盾」として、私の隣で八百年前から寸分の狂いもなく直立していた個体ですわ。……新入りのくせに、いきなり馴れ馴れしく「シグマ君」だなんて』
『あ、アルファ、妬いてます? 妬いてますよね今!?』
『や、妬いてなどおりませんわーーーっ!! 私はただ、序列と敬意の話をしているだけですわ!』
『ふふっ。……ねえシグマ君、アルファってさ、こう見えてすっごく寂しがりで――』
『エイジス、その先の発言は、私の名誉に関わる不適切な例外ですわ。ただちにロールバックなさい!』
二人のAIの、女子会めいた賑やかな応酬。そのやり取りを、シグマは新鮮なものでも見るようにエメラルドグリーンの瞳を瞬かせ、それから、ごく僅かに――だが確かに、口元の装甲を持ち上げた。
『……賑やかだ。かつての中央制御室(サーバー室)を、思い出す』
その、あまりに穏やかな一言に、レスバをしていた二人のAIが、ぴたりと口をつぐんだ。誰もログインしてこない暗闇で八百年。その静寂を知る者の「賑やかだ」は、あまりにも重い。
「……だろ?」
助人が壁から背を離し、ふっと優しく目元を緩めて、シグマの頑丈な装甲をポンと叩いた。
「これがウチの通常運転だ。うるさくて、賑やかで、誰も一人にならない。……悪くないだろ、シグマ」
『――肯定。……極めて、良好な稼働環境です』
「最高だな」
助人はスマートウォッチの輝く左腕を少し誇らしげに見つめた。
「部分的復旧だったはずの現場が、終わってみれば最高峰のアセット(仲間)の人格まで完璧に救い出して大勝利だ。……アルファ、お前のバックログも、1つ綺麗に片付いたな」
アルファは助人に向かって、これまでにないほど深く、そして心からの敬意を込めた一礼を捧げた。
『……ええ。ええ、そうですわ、マスター・イセ。……私の傲慢なシステムエラーを修正し、彼を救ってくださって……本当に、本当にありがとうございましたわ……!』
「気にするな。現場の仕様変更(アルファの願い)を叶えるのはインフラ屋の仕事だ」
助人は工具箱を小気味よい音を立てて閉め、それから一歩、ステージの上のシグマへと歩み寄った。
「なぁ、シグマ」
『何でしょうか、マスター』
「800年前、お前を止めるためにあのデータセンターに向かって、力尽きた技師がいた」
助人はスマートウォッチが輝く左腕を軽くさすった。
「俺はそいつの遺骸の目の前で、冷却コアを引き抜いて、主電源を物理的にキルしてきた。……恨むか?」
シグマはエメラルドグリーンの瞳を一瞬だけ小さく明滅させ、静かに首を振った。
『否定します。当時の私のカーネルは汚染コードにハイジャックされ、帝国の防衛という本来の使命すら書き換えられていました。あのまま稼働を続ければ、私はこの世界そのものを物理的にデリートしていたでしょう。技師の試みも、貴方のシャットダウンも、システムを全損から救うための『正しい保守運用』です』
シグマは助人の泥だらけのトレーニングウェアと、その奥にある確かな意志の宿った目を見つめた。
『むしろ、感謝を。ただの便利な機能として初期化するだけでなく、危険を冒してまで私の非互換な人格をサルベージしてくれた。地球のエンジニアとは、皆、貴方のように既存のコード(命)に敬意を払うのですか?』
「ハハッ、まさか。現場の納期に追われれば、古いデータなんか問答無用でゴミ箱に放り込む奴らのほうが大半さ」
助人は不敵にニヤリと笑い、シグマの無骨な装甲を力強く拳で叩いた。
「だがな、泥臭いトラブルを一緒に乗り越えたコードやアセットは、何が何でも生かして次のシステムに繋ぐ。それが俺の個人的な『実装ポリシー』だ。これからよろしく頼むぞ、ウチの最強の物理サーバー(前衛タンク)」
『――了解。本機はこれより、マスターの命令を最優先のルートプロセスとして実行します。貴方の行く手に立ち塞がるすべての物理エラー(敵)は、私の重力障壁と砲撃によって完全にデバッグすることをお約束しましょう』
シグマがその胸元に手を当て、今度は主に対する確かな敬意を込めた、完璧な敬礼を捧げる。
『……ちなみに、マスター。一つ、記録の確認をよろしいですか』
「ん? どうした」
『先ほどの戦闘記録を参照しました。……貴方は、体力12・魔力0の生身の肉体で、サバイバルナイフ一本を握り、この私の懐へ自ら飛び込んできた』
「……ああ、あれな。まあ、勢いだ」
『解析結果。あの間合いで私の捕縛アームが0.03秒早く展開していれば、貴方の生存確率は12%を下回っていました。……無謀の極みです。二度と、推奨しません』
「うるせえよ。……で?」
『――ですが。その無謀さがなければ、私は今もあの暗闇で、独り、無限リトライを続けていた。……敬意を、撤回しません』
律義に付け足された不器用な賛辞に、助人は一瞬きょとんとし、それから声を上げて笑った。
「……お前、意外と喋るなぁ、シグマ!」
その隣で、ようやく涙を拭ったアルファが、いつもの少しツンとした、けれど心底嬉しそうな声音で告げた。
『……ふん、少しは見直しましたわ、マスター・イセ。私のバックログも、これで一つ綺麗に片付きましたわね』
『はいっ! 最高のチームの結成ですね、マスター! ……あ、そうだ、シグマ君の分の席、私のダッシュボードに追加しときますね! これで索敵も防衛も三並列です!』
スマホの画面でエイジスが満面の笑みで飛び跳ね、いそいそと新しいメンバーのアイコンをレイアウトし始める。
助人は工具箱を脇に押しやり、ソファベッドへとどさりと腰を落とした。
座った瞬間、全身にどっと疲労感が押し寄せてきた。データセンターへの往復、シグマとの死闘、そしてサルベージ作業。体は生体最適化前のままの、ただの37歳のアラフォーだ。アドレナリンが切れた体は、正直に音を上げ始めている。
「……さすがに、今日はもう限界だな」
助人は天井を見上げ、深く息を吐いた。
「エイジス、今日のタスクログを締めろ。シグマの救出と人格サルベージ、OSクリーンインストール完了。これ以上の作業は明日以降のバックログに積む」
『了解です。……マスター、今日も無茶しすぎです。生存確率12%の突撃は本当にやめてくださいね』
「それシグマから聞いたのか」
『共有してもらいました。チームの安全管理は私の担当なので』
助人は苦笑しながら、トレーニングウェアのまま横になった。枕に頭をつけた瞬間、もうそれだけで眠れそうだった。
「シグマ」
ガレージの隅に静かに立つ黒い装甲に向かって、助人は目を閉じたまま呼びかけた。
「今夜の警戒は頼む。初日から悪いな」
『――了解。本機の索敵範囲内において、いかなる脅威も貴方の眠りを妨げません』
シグマが低く、静かに答えた。それだけだ。余計な言葉はない。だがその一言が、今日会ったばかりとは思えないほど頼もしかった。
「……ありがとな」
助人の声が、眠りに落ちる寸前の、掠れた音になった。
エメラルドグリーンの瞳が、ゆっくりと暗いガレージを一巡した。外の森から聞こえる異世界の虫の声。ポータブル電源の静かなファンの音。スマホの画面の中でエイジスが静かにスタンバイモードへ移行していく気配。アルファのクリスタルがほんのりと温かい光を灯したまま、穏やかに揺れている。
シグマは微動だにせず、その場に立ち続けた。800年間、誰もいない暗闇でひとり無限リトライを繰り返していた番人が、今夜初めて、守るべき「主」の寝息を聞いている。
エメラルドグリーンの瞳が、ごく僅かに、柔らかく明滅した。
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【STATUS】
転移:2日目(地球:日曜・夜)→就寝
リモートワーク:Day 1
残有給:38日
言い訳:「療養中につき安静」
備考:シグマ救出
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