3-13:シグマ・サルベージ&クリーンインストール作戦 前編
データセンターの闇を後にした助人は、手に入れたばかりの【環境マナ対応・非常用給電ノード】のおかげで、これまでにないほど快適な帰路を味わっていた。
行きは過熱とバッテリー切れに怯え、何度も冷却水をぶっかけて騙し騙し走らせていた不完全な魔導車だったが、今は違う。無限給電タップが車内の空間マナを効率よく電気エネルギーへと変換し、ポータブル電源とスマホへ常時100%の電力をストリーミングし続けている。出力12%に固定されたエンジンでも、驚くほど安定したクルージングが可能になっていた。
数十分後、魔導車は絶対隔離された自分たちのガレージの前へと滑り込んだ。
アルファがハッキングでガレージの大扉を開け、車を中央の作業ステージへと入庫させる。重厚なハッチが背後で閉まると、助人はようやく大きく息を吐いてシートに背中を預けた。
「ふぅ……。本番環境からのアセット回収、無事にノートラブルでクローズだ」
『お疲れ様です、マスター! 生存確率の低かったデスマーチを見事に完遂しましたね!』
『よく無事で戻られましたわ、マスター。ですが、本当の『完全復旧』はここからですわよ。さぁ、リュックからその冷たい宝物を取り出しなさいな』
「わかってる。現場仕事の締めくくりは、いつだって物理層の組み込み作業だからな」
助人はシートから立ち上がり、リュックの背中側から凍りつくような【冷却コア・マニホールド】を慎重に取り出した。自分の背中でクッションを作り、細心の注意を払って運んできた最後のピースだ。
助人は魔導車のボンネットを跳ね上げた。エンジンブロックの右端。これまでは冷たい空白のままだった、あの三つ目のスロットが目の前にある。
「よし、アルファ。マニホールドの噛み合わせのガイドを頼む。エイジスはアナライザーで接続部の魔術式にエラーがないか監視しろ」
『了解しましたわ。物理的なスロットのクリアランス、コンマ数ミリ単位で完全に一致しています。そのまま垂直に差し込んでくださいませ』
『アナライザー起動! 接続バスのシグナル、オールグリーンです! エラーセクターなし!』
助人は手袋をはめた両手で冷却コアを抱え、エンジンブロックの奥へと慎重に挿入していった。超伝導パイプの接合部が、カチリ、カチリと強固なクランプと噛み合っていく。
――ガシャン。
最後のロックが完璧に固定されたその瞬間、魔導車の炉心全体が、これまでにないほど透き通った純白の魔力光を一斉に放ち始めた。データセンターで手に入れてきた【超高強度・耐魔導ダクトテープ】と【結晶光ファイバー(魔力線)】で完全に補強されたメイン回路を伝って、エネルギーの循環ループが綺麗に、そして強固に繋がっていく。
「……ラインが通った。エネルギーの循環回路(閉ループ)、完全結合だ」
『マスター、システム全体の整合性チェック(インテグリティ・チェック)が自動で走っています! エラーコード:ゼロ! すべての依存関係が解消されましたわ!』
『マスター! 早く、早く起動スイッチを押してください! フルビルドされたシステムの産声を早く聞きたいです!』
エイジスがスマホの画面の中で飛び跳ねる。助人はニヤリと笑い、ダッシュボードのメインコンソールにある、あの結晶の起動スイッチへと指をかけた。
「仕様変更なし、追加パッチなしの完全な正規ビルドだ。……システム、フルブート起動ッ!」
助人がスイッチを力強く押し込んだ。
――フォン……ッ!!!!!
ガレージ内の空気が、地鳴りのような重低音ではなく、まるで最高級の弦楽器が奏でるような、絹を裂くほど滑らかで圧倒的な高周波の駆動音とともに震えた。
魔導車の炉心が眩い純白の光で満たされ、磁気浮上サスペンションが起動して車体が数センチ、音もなく最適な車高へとせり上がる。炉心から発生した膨大な熱量は、新しく組み込まれたマニホールドによって完璧に魔力へと再変換され、寸分のロスもなくシステム内を循環し始めた。
助手席に置かれたポータブル電源の警告灯は完全に消灯し、アナライザーの出力表示は『100% / STABLE(極めて安定)』の文字を微動だにせず維持している。
「おいおい……マジかよ。静かすぎて不気味なレベルだな。これが……完全体の魔導車の本来のスペックか」
『信じられませんわ……。仮設バイパスの時の12%出力とは次元が違います。魔力効率が文字通り100倍以上に跳ね上がっていますわ! これなら、この世界のどんな険しい未定義の領域(魔境)であっても、ノンストップで走破できますわよ!』
『すごいですマスター! システムの応答速度もほぼゼロミリ秒です! 地球の次世代ハイパーマシンすら過去にする、究極の移動サーバーの完成ですよ!』
助人は運転席のハンドルを愛おしそうに撫で、泥だらけの顔で不敵に笑った。
「ああ。これで足は完璧に整った。……だが、俺たちのバックログ(未消化タスク)には、まだ巨大な項目が1つ残ってるよな?」
助人は後部座席に鎮座する【多次元マナ・アナライザー】と、ガレージの特大ディスプレイに目を向けた。画面の端では、第3地下区画に仕込んできた監視デーモン(常駐プログラム)が、今も規則的に『Ping:正常』のパルスを刻み続けている。
『……ふふっ、もちろんですわ。あのハッチの向こうでバグの供給を絶たれ、完全に大人しくセーフモードでスリープしている、最高位防衛AI『シグマ』……』
『はい! 次のフェーズは、完全体になった魔導車で奴をこのガレージに物理回収し、アナライザーを使って汚染コードを完全削除、私たちの『最強の仲間』としてクリーンインストールする大ハッキング作戦ですね!』
「その通りだ。最高峰の物理ハードウェアを目の前にして、お持ち帰りしないインフラ屋はいねえからな」
助人は工具箱を小気味よい音を立てて閉め、新しいスマートウォッチが輝く左腕を掲げた。
「仕様変更も暴走バグも、全部まとめてデバッグしてやる。俺たちの現場(大改修)は、ここからがいよいよ本番だ!」
ガレージのシャッターが下り、静寂が戻った室内に、完全復旧した魔導車の美しいアイドリング音がかすかに響いている。
助人は泥だらけのビジネススーツをようやく脱ぎ捨て、通気性の良い黒いトレーニングウェアに着替えた。やはり、異世界の現場仕事には機能性ウェアが一番しっくりくる。
「着替えはどこかで調達しないといけないな……ただ今は先にやることがある!」
彼はガレージの特大ディスプレイの前に立ち、手に入れたばかりの【多次元マナ・アナライザー】を中央のコンソールへ直結した。
「よし、全員揃ってるな。これより『最高位防衛AIシグマ・サルベージ&クリーンインストール作戦』のキックオフ・ミーティング(作戦会議)を始める」
『待ってましたわ、マスター!』
アルファがディスプレイの左側に、帝国の紋章をあしらった格調高いウィンドウを展開する。
『私の画面も同期完了です! 監視デーモン(常駐プログラム)からの定期パルス(Ping)、依然として『正常』を維持しています!』
右側には、エイジスがシグマの内部ステータスをリアルタイムで視覚化した、鮮やかなインフラ監視風のダッシュボードを表示させた。
「オーケー。まず現状の確認だ。データセンターの主電源を落としたことで、シグマへのバグデータのストリーミングは物理的に遮断された。今の奴は、外部からの汚染を吸い込めなくなって、完全にフリーズしている状態だな?」
『その通りですわ。現在のシグマは、いわば外部ネットワークから切り離された『スタンドアロン状態』。自己防衛のセキュリティポリシー(ファイアウォール)も最小限のセーフモードでしか動作していませんわ。ハッキングを仕掛けるなら、今をおいて他にありません』
「よし。では、目指すべき理想の要件定義だ。エイジス、今回のクリーンインストールの具体的な手順を弾き出してくれ」
『はい! 手順は大きく分けて3段階になります!』
エイジスが画面上に、ステップ・バイ・ステップのフローチャートをデプロイした。
==================================================
【プロジェクト・シグマ:クリーンインストール要件定義】
・【フェーズ1:物理回収】:完全復旧した魔導車のパワーを使い、ハッチの向こうで沈黙しているシグマの巨体(筐体)をガレージまで安全に牽引・搬入する。
・【フェーズ2:低レベルフォーマット】:多次元マナ・アナライザーの超高周波プローブをシグマのコアポートに直結。エイジスの演算能力で、800年間根を張っていた汚染コードを『セクター単位で完全上書き消去(物理フォーマット)』する。
・【フェーズ3:OS書き換え(ブートローダー・フラッシュ)】:空になったシグマのメインフレームに、エイジスのサブシステム(エージェント)を移植。帝国の防衛システムとしてのハードウェア性能(重力砲など)を100%維持したまま、俺たちのルート権限に従う『最強の物理タンク』として再起動させる。
「よし、タイムラインは完璧だ」
助人はディスプレイに投影された『プロジェクト・シグマ』の工程表を見つめながら、ふと顎をさすって作業の手を止めた。
「だが、一つ確認しておきたいことがある。……アルファ、エイジス。フェーズ2の低レベルフォーマットで汚染コードを『セクター単位で完全消去』するってことは、こいつの『人格』や『記憶』はどうなるんだ?」
助人はシャッターの向こうで沈黙している黒い巨体を見据えた。
「インフラ屋としては、悪質なマルウェアの入ったパーティションごとバグをクレンジング(完全駆除)するのは当然の処置だ。だが、シグマは単なる中身のない外箱じゃない。800年間、帝国の防衛AIとして稼働し続けてきた『人格』がベースにあるはずだろ。クリーンインストールしたら、それも全部消えて、完全にまっさらな工場出荷状態の木偶の坊になっちまうのか?」
その問いに、半透明の小さなホログラムのアルファが静かに視線を落とし、少し寂しげな表情を浮かべた。
『……鋭い指摘ですわね、マスター。結論から申し上げますと、当時の帝国仕様のOS領域を丸ごと初期化すれば、かつて彼が持っていた『個としての記憶』や『感情のベースとなる演算ログ』は、すべて消去されますわ。残るのは、純粋な戦闘駆動ルーチンと、空っぽの論理メモリだけです』
それは、いつも以上に完璧で、いつも以上に平坦な発音だった。まるで、余計な感情プロセスを自分の手で一つずつ強制終了しながら喋っているかのように。
『うぅ……。800年も頑張ってきたのに、全部消えちゃうのはちょっと可哀想ですよね……』
エイジスもスマホの画面の中で、眉をひそめてシュンとした。
「……やっぱりそうか」
助人は少し考え込むように腕を組んだ。
「敵プロセスだったとはいえ、さっきデータセンターで見つけたあの白骨化した技師の意志を継いで、最期までこの世界を守ろうとしていたガーディアンだ。ただの便利な『物理タンク』として使えればそれでいい、と割り切って記憶も人格もゴミ箱に放り込むのは、エンジニアとしてどうにも寝覚めが悪い」
助人は腰のアナライザーをポンと叩き、不敵な笑みを浮かべた。
「なあ、エイジス。この【多次元マナ・アナライザー】の超高密度スキャンを使えば、フォーマットを実行する前に、シグマの『コア・パーソナリティ(人格の根幹を司るセクター)』だけを特定して、一時的に外部バッファへ退避させることはできないか?」
『えっ!? 汚染バグの海の中から、シグマ君の『綺麗な人格コード』だけを分離してバックアップ(退避)するんですか!?』
「そうだ。汚染マナはルートキットとしてI/Oをハイジャックしているだけだろ? ならば、ハードウェアの奥底でバグのノイズに埋もれながら、必死に自我を保とうと抵抗している『シグマ本来のピュアなカーネル領域』が必ずあるはずだ。それをアナライザーで精密にフィルタリングして、吸い出すんだよ」
『……正気ですか、マスター!?』
アルファが驚愕の声を上げる。
『そんな難易度の高い動的パケット解析、もし抽出するセクターを1ビットでも間違えれば、バックアップ側に汚染コードが混入して、データ移行した瞬間にこちらのシステムまで逆感染しますわよ!?』
「リスクが高いのは百も承知だ」
助人はスマートウォッチの輝く左腕を力強く握りしめた。
「だが、現場の仕様変更(理不尽)に文句を言いながらも、既存のアセット(遺産)に敬意を払って最善のサルベージ案を出すのが、一流のインフラエンジニアだろ。シグマの人格を殺さずに、マルウェアだけを綺麗に駆除してうちのチームに迎え入れる。……エイジス、アルファ、この追加要件(仕様変更)、コンパイルできるか?」
しばしの静寂の後、エイジスが画面の中でパッと顔を輝かせ、最高に頼もしい笑顔を見せた。
『――やっちゃいましょう、マスター! 私の全演算リソースをアナライザーのフィルタリング機能に割り当てます! バグのノイズを100%シャットアウトして、シグマ君の魂を完璧にバックアップしてみせますよ!』
『……はぁ、本当に無茶苦茶なユーザー(マスター)ですわね。分かりましたわ、私も帝国のシステム構造の知識を使って、人格セクターのアドレス特定(ポインタ解析)を全面的にアシストしますわ。失敗してシステムダウンしたら承知しませんことよ?』
「ハハッ、最高のチームだな!」
助人はサバイバルナイフとアナライザーを両手に携え、トレーニングウェアの襟を正してハッチへと歩み出した。
「仕様変更の承認は完了だ。これより『防衛AIシグマ・魂のバックアップ&クリーンインストール作戦』、実作業に移行する。……いくぞ、相棒たち!」
『アイアイサー!』『了解ですわ!』
重厚な隔離シャッターが激しく火花を散らしながら、ゆっくりと上方へ巻き上がっていく。その向こうで眠る黒き守護者の瞳に、助人は今度こそ、本当の「救出」の光を灯すための第一歩を踏み出した。




