3-9:多次元マナ・アナライザー
「アルファ! 来た道は使えるか!?」
『ダメですわ! シグマの重力場によって、背後の通路の空間構造そのものが『再コンパイル(地形変化)』されています! 物理的に圧潰していますわ!』
『マスター、左側の壁の最上部を見てください! 崩落した魔力配管の隙間に、直径80センチほどの管理用メンテナンス・ダクト(バックドア)が生きています! あそこなら奴の重力砲の射線も通りません!』
「よし、あそこの狭いポートへ滑り込む!」
助人は床に転がっていた鉄格子の破片を踏み台にし、泥だらけのビジネススーツの膝が擦り切れるのも構わずに、壁のダクトへとダイブした。
ズドンッ!!
直後に背後で鼓膜が破れそうな大轟音が響く。
助人が先ほどまでいた保管庫のハッチが、シグマの放った重力弾によって飴細工のように捻じ曲がり、一瞬で圧縮されて消滅した。
「うお、あぶねえ! 完全にデリートする気満々じゃねえか!」
ダクトの内部は狭く、カビと錆びた魔力ケーブルの悪臭が充満していた。助人は這いつくばって手足を泥臭く動かす。ビジネススーツの肩がダクトの金属壁に擦れ、嫌な音を立てるが、止まれば死だ。
問題は電源だった。25キロ近い鉄塊を背負ったままでは、この80センチの管はとても這い進めない。助人はポタ電を括りつけたリュックを体の前へ回し、リュックを前に押しやりながら進んだ。ズルズルと嫌な音を立てて滑る重量物。だが、これを手放せば携行結界の給電が落ちて即死だ。歯を食いしばって、前へジリジリと進む。
『シグマ、諦めていませんわ! 物理的な移動ではなく、周囲の空間そのものを捻じ曲げてダクトごとショートカットしてきています! あと20メートルで追いつかれますわ!』
「チッ、物理層の壁を無視してくるハッカーかよ! エイジス、このダクトの先はどうなってる!?」
『前方10メートルに、ガレージの換気系統に繋がる緊急排気ファンがあります! ですが、800年間停止したままで、完全にブレードが固着しています!』
「なら、物理的にロックをぶち壊すだけだ! エイジス、ポータブル電源の出力をファンへ直結しろ! 限界突破で回すぞ!」
助人はダクトを這い進み、通路を塞ぐ巨大な金属製のファンへと到達した。マルチツールの配線カッターでファンの制御盤の錆びたケーブルを剥き出しにし、リュックから引っ張り出したポータブル電源のコネクタを強引に突っ込む。
「いけぇぇぇッ!!」
エイジスが制御信号をバイパスし、ポータブル電源に残された貴重な電力をファンへ一気に叩き込んだ。
ギギギ、ギィィィィィッ!!
800年分の錆が悲鳴を上げる。
過剰な負荷によって火花が飛び散り、一瞬のタイムラグの後、巨大なファンが火を噴きながら猛烈な勢いで回転を始めた。固着していたギヤが物理的に破砕され、ブレードがダクトの壁を削りながら無理やり道を切り開く。
「ストップ! 電源落とせ!」
ファンが慣性で減速する瞬間のわずかな隙間に、助人は頭から滑り込むようにして体をねじ込んだ。リュックが引っかかりそうになるのを強引に引き剥がし、そのままガレージへと続く元のメイン通路へと転がり出た。
背後からは、ダクト全体が内側から押し潰されるような金属の破壊音が響いていた。シグマの一撃がダクトを完全に圧壊させたのだ。
「……ッハァ、ハァ……! まじで、命がいくつあっても足りねえ……!」
目の前には、見慣れたガレージの頑丈な大扉がそびえ立っている。あと数歩でセーフティエリアだ。
だが、振り返ると、ひしゃげたダクトの排気口から、全身を赤黒いバグのノイズで染め上げたシグマが、空間を割り裂くようにして姿を現した。奴の右腕には、これまでにない規模の青白い重力光が収束している。今度こそ、通路全体ごと助人を消し去るつもりだ。
「アルファ、ガレージの大扉の閉鎖シーケンスはハックできるか!?」
『可能ですわ! ですが、奴の出力なら、扉の物理装甲ごとガレージを吹き飛ばされますわよ!?』
「いや、ただ閉めるんじゃねえ。……扉の制御を書き換えて、この通路と第3区画全体をネットワークから【物理切断】するんだ!」
『――ッ、なるほど!』
インフラ屋の意図を、アルファの超高性能AIが瞬時にデコードした。
「汚染を外に出さないための、帝国本来の『絶対隔離プロトコル』がシステムに残っているはずだ。シグマがいるこの空間を『隔離フォルダ』に指定して、システムから完全に隔離しろ!」
『承認! 特権コマンドを実行しますわ! 汚染領域、完全閉鎖!!』
助人がガレージの床へとスライディングで滑り込むと同時、アルファが空中で高速の魔術コードを展開した。
――ガガガガシャンッ!!!
シグマが重力砲を放つ直前、ガレージの大扉から、超重量の隔離シャッターが火花を散らしながら床へと垂直に突き刺さった。単なる物理的な金属板ではない。扉の表面には、空間そのものを切断する古代帝国の絶対隔離障壁が青く脈動している。
ズドォォォンッ!!!
扉の向こう側で、世界の終わりかと思うほどの爆発音と重力波が炸裂し、分厚い隔離シャッターがギチギチと音を立てて内側にたわんだ。だが、エアギャップによる「絶対隔離」の檻は、防衛AIの暴走する一撃を見事に防ぎきった。
……やがて、通路の向こうからの振動が収まり、重低音の警告アラートが静かにフェードアウトしていく。ガレージ内には、静寂だけが残された。
「……ハァ、ハァ……、ハハッ……」
助人は冷たいコンクリートの床に倒れ込み、泥と冷や汗にまみれた顔で天井を仰いだ。リュックを開けて中を確認する。布に包まれた正十二面体の変換ユニットは無事だ。スマホの裏に養生テープでガチガチに固定されたクリスタルも、ひび一つなく虹色の光を放っている。
『マスター、お見事です。生存確率1.2%のデプロイを成功させましたね』
エイジスが画面の中で、パチパチと拍手を送る。
「……ああ。だが、ミッションは『部分的復旧(Partial Success)』だ。一番面倒な冷却コアが残っちまった」
助人は身体を起こし、手に入れた二つのパーツを見つめながら、不敵に笑った。
「まぁ、ジャンク再生には付き物のトラブルだ。パーツが一つ足りないなら、インフラ屋の腕の見せ所ってわけだな……!」
「……あー、クソ。お気に入りのビジネススーツが完全にオイルと汚泥で全損だな」
安全なガレージに戻った助人は、破れたスラックスの膝を見つめながら深いため息をついた。
ポータブル電源の残量は残りわずか15%。携行結界の耐魔フィールドも限界寸前だった。まさに首の皮一枚で繋がったデスマーチ(強行軍)だったが、ガレージの床に並べた戦利品を見つめると、自然と口元が緩む。
クッション布から現れた金色の幾何学模様が輝く【魔力変換ユニット】。
スマホの裏から養生テープを剥がして救出した、虹色に明滅する【高周波共振クリスタル】。
そして――何よりも助人のエンジニア魂を揺さぶっているのは、ずっしりとした金属ケースに収まった帝国の遺物、【多次元マナ・アナライザー】だ。
「よし、まずはこいつの電源から試すか。エイジス、インターフェースの互換性はどうだ? 繋げそうか?」
『マスター、任せてください! こいつのデータポート、形状は古代帝国の規格ですが、信号のプロトコルは高周波のシリアル通信です。私のコネクタをマルチツールの変換基盤経由で物理接続(直結)すれば、バスの信号を直接キャプチャできます!』
助人は手際よくマルチツールから細いリード線を引き出し、アナライザーの結晶プローブの根元にある端子へと器用に圧着していった。地球のホームセンターで買った絶縁テープで固定し、スマホのType-Cポートへと差し込む。
――チリン、と澄んだ電子音がガレージに響いた。
アナライザーの漆黒の鏡面ディスプレイに、見たこともないほど高精細なフォントで『SYSTEM READY / OS v8.0.4』の文字が浮かび上がる。同時に、エイジスの画面には、膨大なグラフと多次元の波形データがリアルタイムでスクロールし始めた。
『う、うわあああッ! 何ですかこれ、信じられないサンプリングレートです! 空間に漂うマナの『パケット』が、1ビット単位で完全に視認できます! 地球の最高級ロジックアナライザーすら過去にする超絶スペックですよ!』
「ハハッ、最高だな。数千万円の測定器を自由に使えるライン工の気分だぜ。……よし、アルファ。このアナライザーを使って、まずは持ち帰った2つのパーツのヘルスチェック(動作確認)を頼む」
『……了解しましたわ。まさか帝国の最高機密である計測器を、そんなガムテープ塗りの配線で起動させるなんて……でも、確かにこの精度は本物ですわね。スキャンを開始します』
透明な結晶プローブを魔力変換ユニットに近づけると、アナライザーの画面に綺麗な正弦波が描かれた。
『【魔力変換ユニット】、経年劣化によるエラーセクターが数箇所ありますが、ファームウェアの整合性は98%を維持。実用に問題ありません。【高周波共振クリスタル】も、内部の結晶格子に歪みはなく、仕様通りのクロック(波長周波数)を出力可能ですわ』
「よし、インフラ側の準備は整った。これで2ピースは揃ったな……」
助人は2つのパーツを、魔導車の跳ね上げられたボンネットの奥、あのぽっかりと空いた空洞へと慎重にマウントした。カチリ、と強固なクランプが噛み合う音がガレージに響き、実機にパーツがコンパイルされていく。
だが、やはり3つ目のスロット――『冷却コア・マニホールド』の場所だけは、冷たい空白のままだ。
「アルファ、この2つだけでも、最悪『片肺飛行』でエンジンを回すことはできないか? たとえば、冷却機能を地球の空冷ファンか何かで代用するとか、出力を10%に絞って熱の発生を抑えるとかさ」
『……理論上は不可能ですわ。先ほども説明した通り、帝国の炉心は『廃熱をマナに再変換してリサイクルする』という閉じたループ(クローズド・システム)で設計されています。冷却コアがないということは、熱が逃げないだけでなく、エネルギーの循環回路が途中で『断線』している状態なのです。出力をいくら絞ろうが、起動した瞬間に魔力が飽和してメルトダウンしますわ』
「つまり、ダミーの負荷をかけるか、完全にバイパスする回路を組まない限り、一秒も起動できないってわけか。手厳しいな」
助人が顎をさすりながら、魔導車の複雑怪奇な魔力配線を睨みつけていると、直結されたアナライザーから『ピコン、ピコン』と規則的な電子音が鳴り響いた。
『――あ! マスター! 届きました! シグマ君からのファースト・インパルス(Ping)です!』
エイジスが画面を切り替えると、そこには第3地下区画の隔離シャッターの向こう側から送られてきた、暗号化マナ波長のログが刻まれていた。
「ん? 待て。あの区画は『絶対隔離』したんだよな。なんで通信が届くんだ?」
『帝国の隔離障壁は、物理的な質量と高出力エネルギーを遮断するための結界ですわ。ですが、監視までは殺しませんの。検疫区画の内部を外から観測できなければ、隔離の意味がありませんもの。規定出力以下の極微弱なマナ波長――いわば
「読み取り用の低帯域監視回線」だけは、仕様として透過を許可していますわ』
『つまり、太いパイプは全部塞がってるけど、細い覗き穴だけは開いてる、ってことですね! シグマ君のビーコンは、その低帯域をぎりぎり通れるサイズなんです』
「なるほどな。……ってことは、逆も然りか。外のどこかからシグマへ何かを送りつける『細い回線』も、生きてる可能性があるわけだ」
この時の嫌な予感が的中するのは、もう少し後の話である。
シャットダウン中に助人とエイジスが仕込んだ、あの監視用のデーモン(常駐プログラム)が、暴走するシグマの内部で密かに回り始めたのだ。
「ログをデコードしろ。奴は今、どういうステータスだ?」
『調べてみますね。』
エイジスとアルファは2人でログの解析を進めていた。




