3-8:『シグマ』への物理ハッキングとお宝発見
崩れ落ちたシグマの躯体からは、低いファンが回るようなアイドリング音だけが残っていた。
外部インターフェースを遮断した「セーフモード」――地球のPCで言えば、BIOS(UEFI)画面で立ち止まっているようなものだ。完全な機能停止ではない。
張り詰めていた空気が、ようやく緩む。
助人は乱れた息を整えながら、目の前で沈黙する黒い重装甲のアンドロイドへとゆっくり近づいた。
そして、顔が触れるほどの距離まで歩み寄り――まるで極上のジャンクパーツを見つけたギークのように、舐め回すような視線でシグマの全身を隅々まで観察し始めた。
「……おいおい、マジかよこれ。近くで見るととんでもないビルド品質だぞ」
助人はマルチツールの柄で、シグマの漆黒の装甲をコンコンと叩く。さらに装甲の隙間から覗く駆動系のシリンダーや、青白いマナが微弱に流れる極太のケーブルへ顔を近づけた。
「この関節部の動力線、完全にシールドされてる。それにこの排熱機構……巨大な冷却ファンを積むんじゃなくて、装甲全体に微細なスリットが入ってて、空間そのものに熱を逃がしてるのか? まるで歩くハイエンド・ワークステーションだ」
『マスター! 奴のポートから漏れ出ている微弱な電波(マナ波長)から、スリープ時のメモリダンプを傍受しました!』
エイジスがスマホの画面で興奮気味にバグって明滅している。
『こいつの頭脳部分、信じられないスペックですよ! メインメモリはおろか、AIの並列処理に特化したVRAMのような領域が、地球のハイエンド機なんか目じゃないレベルで積まれてます! 私のサブシステム(エージェント)を複数ローカルで完全稼働させるには、完璧すぎる物理コンテナです!』
「ローカルでAIを並列稼働させられる物理リソース……! しかも重力砲なんていう馬鹿げた火力を標準搭載したベアボーンキットってことか。最高すぎるだろ」
『さらにログの構成を見てください。汚染マナがシステム全体を乗っ取っているように見えますが、コアのカーネル(OSの中核)自体は完全にプロテクトされています! 汚染コードは、最上位の権限を偽装した『ルートキット』として振る舞い、I/O(入出力)をハイジャックしているだけです!』
「なるほど……。ハードウェアの根幹まで腐ってるわけじゃなく、悪意のあるソフトウェアが間に挟まってる状態か。なぁエイジス、こいつ、汚染領域を物理フォーマットして新しいOS入れ直したら、ウチで使えないか?」
『いけます! 私のコアコードを焼き直せば、完全に私たちの管理下に置けますよ!』
『ちょっと、正気ですか貴方たち!?』
PCのスピーカーからアルファが、信じられないものを見るような顔で絶叫した。
『800年物のマルウェアに感染した自律防衛兵器ですのよ!? しかも先ほどまで貴方の脳内に直接バグを流し込んで殺そうとしてきた張本人です! それを地球のPC感覚でお持ち帰りしようとしないでくださいな!』
「いや、アルファ、インフラ屋としてこのスペックを見逃すのは罪だ。システムアーキテクチャの根幹は同じはずだろ? 完全にフォーマットが無理でも、汚染されたパーティションを切り離してデュアルブート環境に構築し直せば、少なくとも『最強の物理タンク役』として再利用できるはずだ」
『だ、か、ら! 汚染マナはハードウェアの奥深くまで根を張っているんです! 貴方たちの言う「フォーマット」なんて、そう簡単にできるレベルの話じゃありませんわ!』
「……まぁ、それもそうだな。今は直結するためのインターフェースケーブルもねえし、時間もない。だが……」
助人はニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべ、スマホ(エイジス)をシグマの装甲の隙間、データポートらしき窪みへと近づけた。
「セーフモードでメインのセキュリティ(ファイアウォール)が落ちてる『今』なら、バックドアくらいは仕込めるだろ。エイジス、こいつのスタートアップ領域に、監視用のデーモン(常駐プログラム)を紛れ込ませられるか?」
『お任せを! 標準のシステム監視プロセスに偽装した『極小のビーコンスクリプト』をコンパイルします。これで、奴が再起動しても、内部のステータスや現在位置、汚染コードの動向を、暗号化したマナ波長で私たちに定期送信(Ping)し続けるようになります!』
「よし、やれ。くれぐれもマルウェア側に検知されないよう、実行権限は最小にしておけよ」
『ちょっと!? 眠っている猛獣の耳元で、目覚まし時計をセットするような真似はやめてくださいな!?』
アルファが慌てて制止しようとするが、エイジスはすでにNFCハッキングの要領で、一瞬の間に悪意のない監視コードをシグマの深層ディレクトリへと流し込んでいた。
「安心しろ、システムに負荷をかけない、ただのログ収集(Cron)ジョブだ。こいつを仲間に引き入れるプロジェクトは、俺たちの『最重要バックログ』に追加だ。絶対に後で回収しに来るための、マーキング(布石)ってやつさ」
助人は名残惜しそうにシグマの冷たい装甲を撫でてから、ようやく本来の目的を思い出し、シグマが背に護っていた防壁の奥――【車両隔離ドック】へと向かった。
シグマがダウンしたことでセキュリティの連動が切れ、分厚いシャッターが無音で開かれている。800年間隔離されていた空間。そこには、ガレージにあるのと同じ型の【魔導車】が、車体を半ば結晶化させた状態で静かに放棄されていた。
「いたぞ。アルファが言っていた『パーツを奪っていった別の個体』だ。……シグマはこいつを守ってたのか?」
『……いえ、おそらく逆ですわ。ここは生体兵器用の検疫区画……帝国で最も頑丈な「檻」ですのよ。守っていたのではなく、誰かが意図的に、彼を「ここへ」封じ込めた……』
アルファの声が、何かを恐れるように低く沈んだ。
助人はすぐさま放棄された魔導車へ駆け寄り、マルチツールをねじ込んで重いボンネットを強引に跳ね上げた。
内部のエンジンブロックが露わになる。助人はリュックを前に回し、パーツの取り外し(デマウント)作業に掛かった。
「よし、お宝とご対面だ……。一つ目の【魔力変換ユニット】、クランプ解除! 二つ目の【高周波共振クリスタル】もコネクタ引っこ抜くぞ!」
助人は手際よく二つのコアパーツを剥ぎ取り、工具用のクッション布で丁寧に包んでリュックに収納した。共振クリスタルは、エイジスが入っているスマホの背面に養生テープでぐるぐる巻きにして物理固定する。
そして、三つ目の【冷却コア・マニホールド】のスロットへ手を伸ばそうとして――助人の動きが止まった。
「……おい、嘘だろ」
マニホールドが収められているはずの場所は、ぽっかりと空虚な空間が広がっていた。配線は無理やり引き千切られたように乱れている。
「マニホールドが無い……! このドナー車両からも、さらに別の誰かにパーツが抜き取られてるぞ!」
『えっ!? マスター、ログと突き合わせます! ……本当ですわ。緊急保守用にこの車両へパーツが集められた後、冷却コア・マニホールドだけが、さらにもう一台の別個体へと移設された痕跡があります!』
「最悪だ……! 命がけで奥地まで潜ってみたら、目的のパーツをさらに別のジャンクに食われて(共食い整備されて)たなんて、どこの世界の限界IT企業だよ!」
助人は悪態をつきながらも、すぐに頭を切り替えた。
「いや、待て。こういう『緊急保守』で慌ててパーツを持ち出した現場ってのは、大抵、作業用のツールや予備の備品が置きっぱなしになってるのがインフラ屋の鉄則だ。こんなヤバい場所まで来て、タダで帰るわけにはいかねえぞ」
助人は鋭い目つきで、放棄された魔導車のトランクや、傍らに置かれたツールワゴンを物色し始めた。
すると、ワゴンの下段に無造作に押し込まれていた、黒い重厚な金属ケースを発見する。留め具を弾いて開けると、中には漆黒の鏡面ディスプレイと、透明な結晶体でできた二本のプローブ(探針)を持つ見慣れないデバイスが収められていた。
「なんだこれ? 俺が持ってるテスターに形は似てるが……」
『マスター、それは……! 帝国の魔導技師が使っていた【多次元マナ・アナライザー】ですわ!』
アルファが驚きの声を上げる。
『現代の魔術技術では絶対に再現不可能な、魔力回路の超精密テスターです。マナの波長、コードの階層エラー、さらには物理的な断線箇所まで、これ一つで完全に解析できますわ!』
『おおお! 地球の機材で例えるなら、数千万円する超高級オシロスコープとネットワークアナライザを合体させた究極の複合デバイスですね!』
エイジスも大興奮だ。
『マスターがホームセンターで買ってきた市販のテスターとは次元が違います! これと私をケーブルで直結すれば、この世界のどんな魔導機器でも一瞬で解析できる神ツールですよ!』
「マジか! これがあれば、これからのトラブルシューティングの効率が爆上がりするじゃねえか! さすが第一級の現場、ジャンク屋のワゴンセールとは格が違うぜ!」
助人はニヤリと笑い、この世界標準(いや、それ以上)の超高性能テスターを、宝物を扱うように愛おしく撫でてからリュックの安全なポケットへと滑り込ませた。
「……まぁ、最高のお宝は手に入ったが、肝心のマニホールドがねえことには変わりないか。マジでどこに消えやがったんだよ……」
助人が手に入れた新たなツールに満足しつつも、やはり足りないコアパーツの事を思って天を仰いで愚痴をこぼした、その瞬間だった。
――ガゴンッ。
背後で、重々しい金属音が鳴り響いた。
助人が振り返ると、先ほどまで沈黙し助人に舐め回すように観察されていたシグマが、全身からどす黒いマナの蒸気を噴き出しながら、ゆっくりと立ち上がろうとしていた。
『……警告……再起動シーケンス……エラー。……環境マナニヨル……強制上書キ……実行中』
『しまった! マスター、逃げてください! 奴のシステムがセーフモードを維持できず、周囲の汚染マナがブートローダーを強制的に書き換えています! 暴走状態で完全覚醒しますわ!』
アルファの悲鳴とともに、シグマの瞳が虚ろな光から、殺意に満ちた真っ赤な光へと染まり直す。先ほどまで「お持ち帰りしたい」と思っていた極上のハードウェアが、再び最悪のバグの塊となって牙を剥いた。
「チッ、再セットアップは次回に持ち越しだな! 2つ手に入っただけでも儲けものだ! 全速力で脱出するぞ!」
助人はリュックのジッパーを力任せに閉め、駆け出した。
再起動したシグマの咆哮が、地下区画全体を揺るがせた。
※分のつなぎを修正
2026/7/12 改稿




