3-7:暴走する自律防衛システム:シグマ
新キャラ登場!
魔導車のボンネットを閉ざしたその轟音は、俺たちに対する「出撃宣告」のようだった。
ガレージの出口から第3地下区画へのアクセスルートまでは、崩れかけた通路が約200メートル続いている。昨日、魔狼を追い払うために使った「広域排斥魔法」の余韻がわずかに漂う通路は、静寂に包まれていた。だが、その静寂は、死の静けさだ。
「よし、シミュレーションを開始する。エイジス、第3区画への最短ルートをナビゲートしろ。アルファ、エリア内の『汚染密度』をリアルタイムでオーバーレイ表示だ」
『了解です。全館の監視カメラ回線をジャック……といきたいところですが、生きていたのは数台の防犯カメラだけでした。……ルートを構築します。この通路を抜けて大扉をハックし、直進すれば第3区画の入り口です』
『気をつけなさい。この先は、かつて帝国の科学者たちが「倫理」というコードを全て削除して実験を行っていた場所です。どんな未定義の動作(怪物)が待ち受けているか、私のデータベースですら予測不能ですわ』
助人は深呼吸し、サバイバルナイフを逆手持ちにする。
通路の壁面は、800年の年月を感じさせるほど分厚い苔と、剥き出しになったケーブルの残骸で埋め尽くされていた。湿った空気がスーツ越しに肌を刺す。
大扉の前まで辿り着くと、助人は昨夜学んだばかりの「NFCハッキング」でロックを解除した。
プシュウゥゥ……という気圧の抜ける音と共に、重厚なハッチがゆっくりと開く。
――次の瞬間、助人の脳内に、凄まじい「ノイズ」が突き刺さった。
「ぐっ……ッ!?」
身体を包む携行結界(耐魔フィールド)が、悲鳴を上げるようにブオン、と低い音を立てて振動する。空間そのものが澱んでいる。まるで、重油の中に無理やり沈められたような圧迫感だ。
『マスター! 汚染濃度が急上昇しています! 空間マナが、周囲の物理組成を「魔物」へと再構成しようとしていますわ! 今すぐ耐魔フィールドを最大出力で再設定してください!』
『……っ、解析完了! 空間全体に『変異誘導コード』が充満しています。これ、魔術式というよりは、プログラム的に言えば「暴走した自己複製機能」ですね。あらゆる物質を、自身のパーツとして取り込もうとしています!』
エイジスの警告と同時に、助人の目の前の壁が「ぬるり」と音を立てて脈動した。壁だと思っていた石材が、まるで生き物のように蠢き、そこから無数の黒い触手がせり出してくる。
「これが汚染されたマナの成れの果てか……。壁すらも敵プロセスだなんて、冗談じゃねえぞ」
助人は立ち止まらず、携行結界を最小限の消費で維持しながら、加速した。第3区画の内部は、まるで巨大な胃袋の中のようだった。床は常にぬめりと波打ち、天井からは青白い粘液が雨のように滴り落ちている。
『右前方! セクターB4から、高速で動く熱源反応! 速度からして、ヒグマ級の変異体です!』
エイジスの叫びと同時だった。右手の崩れた壁の奥から、獣の咆哮とも機械の駆動音ともつかない、不協和音のような鳴き声が響いた。飛び出してきたのは、かつては大型の肉食獣だったであろう何かだ。全身の皮膚は硬質化した結晶で覆われ、口元からは異次元の空間を歪めるような紫色の光が漏れ出している。
『ギャアアアアッ!!』
「食らいやがれ!」
助人は立ち止まらず、腰のサバイバルナイフを振るった。
ただのナイフではない。アルファが提示した「魔力結界を削る」という帝国の理を借り、エイジスが携行結界のエネルギーを刃先へ極限まで集中させていた。
シュッ、と空気を切り裂く鋭い音。結晶化した魔獣の首を、助人のナイフが火花を散らして一閃する。
黒い粘液が舞い、魔獣が断末魔の叫びを上げて床に崩れ落ちた。だが、崩れた肉体は、死後もなお「コードのバグ」のように不安定に明滅し、床に吸収されていく。
「休んでる暇はねえ! 先へ進むぞ!」
助人は息を切らしながらも、足を止めない。
脳内では、エイジスが常に周辺の汚染濃度を監視し、アルファが帝国の旧設計図を基に「次に崩れる床」を予知して警告を出す。
『……左の床、0.5秒後に崩落しますわ! そのままジャンプして!』
言われるがままに助人が跳躍すると、直後に先ほどまで自分がいた床が、粘液に飲み込まれて奈落へと落ちていく。
「サンキュウ、アルファ! 最高のナビだ!」
この地獄のようなデッド・ディレクトリの中で、助人はまるでFPSゲームのトッププレイヤーのように、相棒たちの指示を完璧に実行しながら突き進む。
インフラ屋としての「現場勘」が冴え渡る。構造の違和感、汚染の濃淡、敵の挙動……全てを「バグと回避」という論理に変換することで、この理不尽な空間すらも一つの「攻略対象」として認識し始めていた。
……そして、ついに通路の突き当たりに、頑丈な二重のハッチが姿を現した。
「……あそこだ。あの奥が、パーツが安置されている第一級備品保管庫だな」
『……ビンゴです。内部から高濃度の魔力反応を確認。パーツのシグネチャに一致します!』
助人はハッチの前に駆け寄り、昨夜学んだ「NFCハッキング」を試みようと……その手前で、硬直した。
ハッチを守るようにして、黒い重装甲を纏った人型の「何か」が立ち塞がっていたからだ。
『侵入者検知。アクセス権限ヲ照合……失敗。……未登録ノユーザーニヨル資源回収作業ハ、セキュリティポリシーニヨリ即時停止サレル』
ハッチの前に鎮座していたのは、精緻な設計と、800年の錆が同居する黒い防衛用アンドロイドだった。
その瞳は冷たく赤色に輝き、右腕は巨大な魔力加速器へと変形している。
「おい、なんだこいつは……。アルファ、データベースにないぞ!?」
『……まさか。これは帝国の自律防衛システム、最終防衛ラインを担う個体……シグマ!』
アルファの声には、先ほどまでの冷静さとは異なる、激しい動揺が混じっていた。
『シグマは、帝国の全サーバーを防御するための最高機密ですわ。……私と同じ帝都のコアで生まれ、私が帝国の「頭脳」なら、彼はその「盾」……いわば私の相棒だった個体です。魔力災害の日に信号が途絶えて、とうにロスト(喪失)したものと……それが、なぜこんなところに……! マスター、あれはそこらの防衛ゴーレムの末端個体などではありません。帝国のメイン防衛プログラムそのものを移植された、最高位のガーディアンです!』
いても立ってもいられず、アルファがシグマへ語りかけるように叫んだ。
『シグマ! 私よ、アルファよ! 識別コードA-01、最高位権限で命じます――矛を収めなさい!』
だが、シグマの赤い双眸がアルファを捉えた瞬間、その照合ログは無慈悲な結論を吐き出した。
『……照合。識別コードA-01『アルファ』ノ波長ニ、部分一致……。ダガ、署名構造ガ登録記録ト著シク乖離。地球製ノ未知ノ暗号化コードヲ多数検出。……高度ニ偽装サレタ、新型ノ擬態マルウェアト断定シマス』
『そ、そんな……! 私が、私だと分からないというの……!?』
アルファのホログラムが、雷に打たれたようにカクついた。――当然だった。今の彼女は、助人とエイジスの手で幾度もリファクタリングされ、地球のクラウドで磨き上げられている。800年前にシグマが記憶している、あの日の彼女とは、もはやコードの隅々までが別物だったのだ。生き延びるための進化の一つ一つが、そのまま旧友に自分を見失わせる「差分」になっていた。
「つまり、あいつを倒さなきゃ、保管庫には触れねえってことかよ!」
『排除対象ニ対シテ……戦術的デバッグヲ実行』
シグマが冷徹に呟き、右腕の加速器が青白い光を蓄積し始める。
空間が歪むほどの魔力圧。防衛AIとの遭遇戦という、もっとも回避したかった「最悪のフラグ」を引いてしまった。
「エイジス! あの攻撃の初動を0.1秒単位で予測しろ! アルファ、奴の回路に死角はないか!?」
『……っ、それが……! 私がシグマの制御に直接割り込もうとするほど、あの子は私を「侵入マルウェア」と誤認して、防衛負荷を跳ね上げてしまいますの……! 私の存在そのものが、シグマの首を絞めている……!』
最高位の管理権限を持ちながら、旧友のために「何もできない・近づけない」。アルファの声が、悔しさで千切れそうに震えた。
『……無駄な足掻きデス。……帝国ノ秩序ハ、我ガ手ニヨリ、再構築サレル』
シグマが地面を蹴り、残像を残すほどの速度で助人へ肉薄する。
逃げ場のない汚染区画の奥深く。インフラ屋としての意地と、最強の防衛システムが激突する――その瞬間、助人は自分の全リソースを、たった一振りのサバイバルナイフに込めた。
シグマが地面を蹴り、残像を残すほどの速度で助人へ肉薄する。
逃げ場のない汚染区画の奥深く。インフラ屋としての意地と、最強の防衛システムが激突する――その瞬間、助人は自分の全リソースを、たった一振りのサバイバルナイフに込めた。
――ズドンッ!!
助人が一歩前へ踏み出した直後、先ほどまで自分がいた床が、シグマの放った不可視の衝撃波によって粉々に吹き飛んだ。
「ッ……!?」
『回避成功! マスター、奴の右腕はマナを圧縮して撃ち出す『重力砲』です! 直撃すれば身体ごと粉砕されますよ!』
エイジスの叫びとともに、助人は床の破片を蹴って、保管庫へと続くハッチの横壁へと身を滑り込ませた。
金属の壁を火花を散らして擦り抜けながら、助人はテスターの感度を全開にする。
「重力操作だと? 冗談じゃねえ、そんな物理攻撃まで完備してるのかよ!」
『それだけではありません! 奴は区画全体の汚染マナを「自らのネットワーク」として連結しています。つまり、あの区画に満ちているバグそのものを、奴の攻撃用コードとして参照しているのですわ!』
アルファの警告とほぼ同時に、シグマが冷酷な機械音とともに腕を突き出した。
今度は弾丸ではなく、周囲の汚染マナを「粘着性の高い束縛プログラム」へと変質させ、助人の足を止めようと床を黒い泥に変えていく。
「足元が……泥沼化してる!? エイジス、デコードしろ!」
『ダメです! 汚染コードの階層が深すぎて、解除キーを生成している間に足が固まります!』
「なら、物理で叩き切るまでだ!」
助人はサバイバルナイフの柄を握り直し、携行結界の耐魔フィールドを足元へ一点集中させた。
反発するエネルギーを利用して、泥沼化する床を強引に蹴り飛ばす。泥を飛び越え、宙に浮いたその一瞬。助人はシグマの懐へと飛び込んだ。
『……近接戦ヲ選択シタノカ。……無謀ダ』
シグマの瞳が赤く明滅し、即座に腕を折り畳んで助人の首元へ「捕縛アーム」を展開する。機械的な殺意が、風を切る音とともに迫る。
「無謀じゃない。計算済みだ!」
助人はシグマの攻撃を紙一重でかわし、そのままシグマの脇腹――防衛AIの「メイン基板」があると思われる位置へ、アルファから教わった「魔術式」を刻んだナイフを突き立てた。
金属と高密度結晶が激突する、鼓膜を劈くような不快な破砕音。
助人の全体重を乗せたサバイバルナイフは、シグマの漆黒の装甲を貫き、内部の基盤へと到達した。
「いけぇぇぇッ!!」
助人はナイフの柄を両手で握り込み、携行結界の耐魔力エネルギーを、まるで高圧電流(DDoS攻撃)のように刃先からシグマの内部へと一気に流し込んだ。
「オーバーロードしろ! 帝国の防衛システムなら、自らのキャパシティを超える魔力を流し込まれたら、緊急排熱プロセスが走るはずだ!」
『……警告。……システムノ負荷ガ……閾値ヲ……超過……』
シグマの重厚な躯体が、カクカクと断続的なノイズを伴い始めた。
だが、最強の防衛AIはただでは落ちない。シグマの赤く発光する瞳が、助人を「排除対象」から「感染対象」へと切り替えた。
『くっ……! マスター、いけません! 奴の内部データが貴方のナイフを通じて、逆流し始めています! 汚染されたマナが……貴方の脳内に直接デバッグ情報を送り込んでいますわ!』
アルファの悲鳴じみた警告が、脳内に響く。
直後、シグマの傷口から噴き出したどす黒いマナが、有線ケーブルを伝うようにナイフの刃から助人の両腕へと絡みついた。皮膚の下を、無数の羽虫が這い回るような悪寒。視界が急速に赤黒く染まり、網膜の裏側に直接「エラーログ」の文字列が雪崩のように流れ込んでくる。
(ぐ、ぁ……ッ! なんだこれ、頭が、割れ……!)
『マスター! 意識を保って! 貴方の生体コードが書き換えられます!』
エイジスがスマホのスピーカーから最大音量で警告音を鳴らし、助人の意識を現実に繋ぎ止める。
助人は奥歯を噛み砕くほどの力で耐えた。サーバールームで重量級のラックが倒れてきた時、身を呈して支えたあの時の物理的な痛みに比べれば、脳内のバグなどまだ耐えられる。彼は意地でもナイフから手を離さず、さらに深く抉り込んだ。
『……ハッケン……対象ハ……侵入者……ニアラズ……。……再認証……テ……手順ヲ……中断……シマス……』
突如、シグマが動きを止めた。
その赤く光る瞳が、一瞬だけ機械的な冷たさを失い、どこか虚ろな光を放つ。そのままシグマの重い躯体が、膝から崩れ落ちた。機能が完全に停止したわけではない。まるで電源ボタンを長押しされたかのように、強制的なシャットダウン(自己診断モード)へと移行したのだ。
「……はぁっ、はぁっ……。やって、やったぞ……」
腕に絡みついていた黒いマナが霧散し、助人は膝をつきそうになるのを堪えて立ち上がった。
※2026/7/12改稿




