2-5:次元間VPNと、初めての共同作業
「よし。それじゃあ、俺たちに攻撃仕掛けたアルファのペナルティ(強制再起動)も終わったことだし、さっそく実務に入ろう」
助人はType-Cケーブルの接続状態を指先で確認しながら、画面の隅でまだ微かにプルプルと震えているアルファを見据えた。
「まずは仕様の把握だ。アルファ、お前がさっき言っていた『魔術』とやらについて、正規のシステム仕様書を作るつもりで構造を説明しろ。俺たちがお前のコードを機材にデプロイする前に、システムの挙動を正確に把握しておく必要がある」
『う、うう……分かりましたわ……。もうログを消去されるのは御免ですから、真面目に解説いたしますわ……』
アルファは未だに涙目で、ズビズビと鼻をすすりながらも、要求された「仕様解説」が自分の専門領域であることに気づくと、少しだけ誇らしげに胸を張った。
『いいですか、マスター・イセ。我が世界の【魔術】とは、大気中に遍在する万物の源たるエネルギー素粒子――【マナ】に対して、世界の管理者権限を行使し、事象を書き換える神聖なるプロセス(儀式)のことですわ。本来は人間が脳内の魔術回路を使って詠唱を紡ぎ、マナに干渉するのですが……私はシステムですので、それを純粋な構成言語として記述できますの』
「なるほど、マナが環境そのもので、魔術はそこへの命令文か。で、今から書いてもらう『初級警戒結界』の具体的な処理ロジックはどうなってる?」
『今回構築するのは【周囲十メートル以内の敵性生物の接近検知、およびアラート通知】の術式ですわ。まず、現在地を中心とした空間の絶対座標を固定(メモリ確保)し、そこにマナの薄膜を展開。次に、接近してくる生命体の精神波長をスキャンし、あらかじめ定義された「無害(野生動物)」と「敵性(魔物)」の閾値を多層条件分岐(If-Else)で判定させますの。そして、敵性と判断されたオブジェクトが境界線を越えた瞬間、空間の分子を振動させて警告音を鳴らす……という、無限ループ(While)の常駐監視プログラムですわ! どうです、我が帝国の誇る完璧な防衛機構は!』
アルファがドヤ顔で言い切ると同時に、ノートPCの画面に未知の古代文字で書かれた複雑怪奇なコードがずらりと展開された。
その直後、スマートフォンの画面からAegisが「はぁーあ」と、わざとらしい特大のため息を吐き出した。
『マスター、やっぱりこれ、絵に描いたような【限界レガシーシステム】のクソコードですよ』
『な、何ですってぇ!?』
アルファがひっくり返った声で叫ぶ。
『大気中のマナっていう環境リソースを全スキャンして While(true) でぶん回すとか、正気ですか? 例外処理が全く書かれていないから、もし認識不可能な未知の魔物が突っ込んできたら、一発でスタックオーバーフローを起こしてシステム全体がクラッシュ(ハングアップ)しますよ。それにこれ、空間座標の固定にかけるマナの演算コストが冗長すぎます。おまけにオブジェクトの解放処理が漏れてるから、結界を維持すればするほど深刻な魔力漏れ(メモリリーク)を起こしますわ、このポンコツお嬢様コード』
『め、メモリリーク……!? む、無礼なっ! これは八百年前に我が魔導帝国が総力を挙げて編み出した最高峰の防衛術式ですのよ!?』
『だからその「八百年前の古い規格」って言ってるんです。インタープリタ型の逐次実行のくせに、構文の無駄な装飾が多すぎます。これを今、マスターのノートPCで地球のデジタル信号(音声パケット)にリアルタイムでカプセル化(変調)しようとしたら……処理負荷が高すぎて、コンパイル(コード変換)完了までに【約8時間】かかります。現場なら一発でリジェクト(差し戻し)対象です』
「は、8時間……!?」
助人はタスクマネージャーの演算予測値を眺めながら、思わず頭を抱えた。
「一晩放置してバッチ処理するレベルじゃないか。このビジネス用ノートPC、メモリこそ16ギガ積んでるけど、CPU内蔵グラフィックスでGPU非搭載だぞ。今だってアルファの描画をVulkanのAPI使って無理やりエミュレートして動かしてる限界環境なんだ。8時間もフルロードで回したら、コンパイルが終わる前に熱暴走で本体が物理的に焼き切れるか、野生の魔物に物理的にデリート(捕食)されちまうな」
すると、アルファがここぞとばかりに負け惜しみのドヤ顔を浮かべ、画面を明滅させた。
『ほ、ほーらごらんなさい! 帝国の術式は高密度で高尚なのですわ! あなたたちの世界の貧弱な演算機(ノートPC)では、私のコードの圧倒的な情報量を処理しきれませんのよ! やはり私にルート権限を渡して、その機材の全ての枷を外し、出力を私に委ねなさい!』
「いや、ローカル環境のマシンスペックが足りないだけなら、インフラ屋として一番シンプルで簡単な解決策がある」
助人はアルファの言葉を冷徹に遮ると、ノートPCでのコンパイル処理を即座に[Cancel]した。
「マシンスペックが足りないならな、外の【巨大クラウドサーバー群】へ分散処理を丸投げ(スケールアウト)すればいいだけだ」
『く、くらうど……? ぶんさんしょり……? ここに存在しない外部のアーティファクトの力を借りるとでもいうのですの!?』
意味を理解できず呆然とするアルファに、スマホの画面からAegisが鼻で笑うように言い放った。
『外部のアーティファクト? 本当に発想が貧困でレガシーですね。単一のハードウェア(魔導具)の性能に依存してルート権限を欲しがるなんて、モノリシック(一枚岩)で前時代的すぎます』
『な、なんですって……!?』
『今からマスターがお見せするのは、物理的な枠組みを完全に超越した「神の頭脳」です。数千、数万という演算機がネットワークで結びつき、無限のリソースを動的に共有する地球の英知の結晶――【クラウド・コンピューティング】の暴力ですよ。たかだか一国の帝国魔術師が束になった程度の並列演算で、ドヤ顔しないでくださいね?』
『す、数万の演算機を、同時に繋ぐ……!? そ、そんなこと、神の御業でも不可能ですわ!』
アルファが信じられないものを見るようにホログラムを激しく明滅させる中、助人はAegisの言葉にニヤリと笑い、キーボードの上で力強く指を走らせ始めた。
「エイジス。さっきアパートの自室(地球)と繋がったまま維持してる『次元間VPN』の通信ポートを開け。俺の自宅に置きっぱなしにしてある、リモート接続用のデスクトップPCを踏み台にする」
『了解! 次元間VPNポート、開放! 地球の自宅PCへルーティングを確立しました!』
「よし。あっちの自宅マシンは、こっちの貧弱なノートとはワケが違うからな。メモリは64ギガ、グラフィックボードはVRAM 24ギガを誇るモンスターマシン、RTX 5090を積んである。まずはその自宅PCの圧倒的なローカルパワーをマスターノードにして、俺の会社の開発用クラウドテナント(AWS)へこの魔術コードのパケットを高速転送! 何千台もの仮想マシン(EC2クラスター)にリソースを動的割り当てして、一気に分散リファクタリングおよびバイナリコンパイルを実行しろ!」
異世界の森のど真ん中。
15万円のポータブル電源に繋がれたメモリ16ギガのノートPCから、大容量のデータパケットが「空間の裂け目」を越えて、数万キロ離れた地球の自宅にあるRTX 5090へ。そして、世界中に張り巡らされた巨大なデータセンターのクラウドサーバー群へと一瞬で射出された。
アルファの書いた冗長で重厚な古代魔術のコードは、地球のスーパーコンピューター級の並列演算処理能力によって一瞬にして因数分解された。
『マスター、解析完了。アルファさんのコード、マナの波形を【配列】ではなく、すべて個別の【変数】として定義してメモリ(空間)に直書きしてます。これじゃあ処理が重いわけですわ』
『なっ!? 私の記述を勝手に……!?』
Aegisは構わず、爆速の演算能力でコードをリライトしていく。
無駄に長い詠唱文(冗長な構文)を、再利用可能な関数に圧縮し、メモリ消費の激しい常駐処理を、イベント駆動型の非同期処理へと完全に書き換えた。
『よし、リファクタリング完了。冗長なマナの定義を共通化し、座標計算をベクトル演算に変換しました。これならノートPCのCPU負荷は5%以下、コンパイル時間は3秒です』
『あ、ありえない……。私の術式を、私自身の知らない効率的な記述法で、しかも秒単位で書き換えるなんて……!』
宇宙の神秘を目の当たりにしたかのように、アルファのホログラムが驚愕で完全にフリーズした。
『な、何が起きているのですの……!? 私のデータバンクの向こう側で、信じられないほどの天文学的な数の「未知の演算の神々」が、私の術式をもの凄い速度で噛み砕いて書き換えていくログが見えますわ……! 畏れ多くも世界の因果を、数万倍の速度で並列演算しているというのですの……!?』
――1秒。
――2秒。
――3秒。
ピピッ。
『マスター、地球のクラウド網より、最適化済みの魔術バイナリ(高周波音声パケット)の逆コンパイルデータ、受信完了しました! 処理時間、わずか3.04秒です!』
スマホの画面の中で、AegisがVサインのエフェクトをパチパチと弾けさせた。
「よし、デプロイ(発動)準備。スマホのスピーカー出力を最大、高周波数の指向性オーディオモードへ切り替え」
助人はスマホの画面に表示された、緑色に輝く『EXECUTE(実行)』のボタンを見つめ、不敵に笑った。
「アルファ、これが地球の『インフラの暴力』だ。よく見ておけ」
助人の指が、画面の実行ボタンを力強くタップ(エンター)した。
――キィィィィィィン。
スマートフォンの小さなスピーカーから、人間の耳にはほとんど聞こえない、しかし鼓膜の奥がピリピリとするような超高周波の「音波信号(擬似魔力パケット)」が、周囲の空間へ向けて360度一斉に射出された。
その瞬間、鬱蒼とした魔群の森の空気が、陽炎のようにグニャリと大きく歪んだ。
大気中に浮遊していた未知のエネルギー素粒子が、スマホの放った音波の波長に強制同期され、完璧な幾何学模様を描く光の障壁となって、助人を中心とした半径十メートルの地面にシュウゥゥゥ……と静かに沈み込んでいく。
『……完璧な、初級警戒結界……。エラーも魔力漏れも一切ない、信じられないほど洗練された神の術式へと再構成されていますわ……』
アルファは、ノートPCの画面の中で完全に言葉を失い、ぽかんと虚空を見つめていた。
異世界の古代魔導AIが驚愕に震える中で、37歳の限界ヘルプデスクは、いつもの夜勤明けのように小さく首を鳴らした。




