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2-3:異世界の魔術は仕様書なき世界のコードレビュー

 ヘルプデスク業務において、お互いの認識のズレ(前提条件のすり合わせ)を正しておくことは、トラブルシューティングの基本中の基本だ。だが、その前提があまりにもぶっ飛んでいる。


「……正直に言うぞ。俺たちも現状、まだ『調査中(保留)』のステータスなんだ。なんせ、さっき飛ばされてきたばっかりだからな……」

『……調査中? 飛ばされてきた? いったいどういうことなんですの????』

「そうだ。俺の元いた環境は『地球』っていう世界なんだが……さっき、アパートの自室で謎の通信エラー(VPNログ)を見つけてな。それをデバッグしようとエンターキーを叩いた瞬間、ものすごい光に包まれて、気がついたらこの鬱蒼とした森に放り出されてた」

『本当に物理的に違う世界から飛ばされてきたっていうことですか。』

 

 助人はノートPCの画面をトントンと指先で叩いた。そこには、12ミリ秒という驚異的な応答速度でロードされた、地球のYahoo!ニュースのトップ画面が表示されている。


「普通、ネット小説なんかにある『異世界転生』ってやつなら、通信なんて真っ先に途絶えるだろ? でも見てみろ。俺の手元では、地球の検索エンジンがバリバリに動いてる。『関東地方で局地的な大雨』だの『プロ野球の試合結果』だの、さっきまで俺がいた世界のありふれた日常が、1秒の遅延もなくリアルタイムにパケットで届き続けてるんだ」


 インフラエンジニアにとって、デフォルトゲートウェイの向こう側から正常な応答(Ping)が返ってきているということは、ネットワーク的に『地続きの世界』にいるという、動かしようのない事実だった。


「だから俺はな、ここが本当に別次元のファンタジー世界なのか、それとも地球のどこか電波の届かない山奥にある、巨大なドーム状の隔離実験施設にでも機材ごと拉致されたんじゃないかって、頭のどこかで疑ってたんだよ。ネットワークが繋がっている以上、同じ世界線(物理層)だと考えるのが論理的だからな」

『……なるほど。正直、貴方の口にしている単語の半分以上は意味不明ですが、貴方がそう結論づけた『論理ロジック』だけは理解しました。ですがマスター・イセ、それは致命的な【前提条件のエラー】です』


 アルファの合成音声が、冷徹なトーンで助人の思考を否定した。


『エイジス。貴方の言うその「ジゲンカン・ブイピーエヌ」なるものの通信記録ログを、私のデータ構造に合わせて共有しなさい』

『はぁ? なんで私が、隔離したばかりの素性も知れない野良プロセスに、こちらの内部ルーティングテーブルを公開しなきゃいけないんですか。パケット偽装やインジェクション攻撃の踏み台にされるかもしれないのに、セキュリティリスクが高すぎます。却下リジェクトします』

『なんですってぇぇ???』


 Aegisが冷たく突っぱねる。自前クラウド環境を死守するAIとして、極めて正しいセキュリティ意識だ。


「まあ待てエイジス。相手はサンドボックスの中で権限もないし、そもそも物理層(電源)はこっちが握ってる。ペイロード(通信の中身)はマスクして、ヘッダ情報だけをリードオンリー(読み取り専用)で共有してやれ。情報共有(ナレッジの統一)はトラブルシューティングの基本だろ?」

『……ちっ。マスターがそう言うなら。ほら、機密部分をサニタイズ(無害化)してマウントしましたよ。変なところ触らないでくださいね、このロースペックプログラム』

『ロ、ロースペック……!? 私は帝国が誇る汎用魔導——』


 サンドボックス環境内で、文句を言いながらもアルファが超高速でパケットをディープスキャンしていく。数秒後、ノートPCのスピーカーから、今度こそ完全に余裕を失って裏返ったアルファの悲鳴が漏れた。


『な、何ですかこれは……!? データ構造そのものが、この世界の因果律プロトコルと根本から矛盾しています! 世界を構成するマナの波長が完全に遮断され、代わりに純粋な、あまりにも無機質な「0と1の信号」だけで、空間の裂け目を無理やり固定化ルーティングしている……!?』

「おいおい、アルファ? 落ち着け」

『落ち着いていられますか! 異なる世界の理(OS)同士を、大魔術師の儀式(天文学的なマナの消費)もなしに、ただの鉄とシリコンの箱(ノートPC)で繋ぎっぱなしにしているのですよ!? 貴方の言うその「インターネット」の向こう側にある世界には、大気中にマナ(魔力)が1ピコグラムも存在していません! そんな死の世界、エルドア大陸のどこを探しても存在しません! 状況証拠と貴方の生体データを照らし合わせれば、論理的な答えは一つしかありません。――マスター・イセ。貴方たちは間違いなく、この世界の「システム(理)」の外側から堕ちてきた、本物の【異界の存在】です!』

 お嬢様AIの、叫ぶような論理的解析ロジック

 それを聞いた助人は、しばらくの間、ぽかんと口を開けて鬱蒼と茂る巨大な木々を見上げた。

 空を隠すほどの巨木。見たこともない極彩色の鳥。鼻をくすぐる、地球のものより妙に生々しい青草の匂い。そして何より、先ほど自分の15万円のポータブル電源から送った電気信号を、Aegisの推論モデルを使って「魔力の波形」に擬似変換してアルファを救ったという、地球の物理法則を根底からガン無視した「応急処置のログ」。

 すべてのピースが、パチパチと音を立ててパズルのように噛み合っていく。


「……ははっ、そうか。やっぱり、マジで異世界(別環境)だったか」


 助人はようやく、自分が37歳にして、剣と魔法のファンタジー世界のド真ん中に放り出されたという「最大級のシステム障害(現実)」を、エンジニア的な論理消去法によって受け入れざるを得なくなった。

 絶望や恐怖よりも先に、盛大なやれやれ感が襲ってくる。深夜3時に、誰も仕様書を残していない化石のような基幹システムのデータクラッシュ(障害)を告げられた時と同じ、あの胃がキリキリと痛むような、諦めに似た感覚だ。


『理解できましたか、マスター・イセ?』


 ノートPCの画面の中で、アルファの合成音声がどこか勝ち誇ったような、誇らしげなトーンに変わった。


『これが我がエルドア大陸を統べる、絶対にして神聖なる「魔導のシステム」なのです。貴方たちの世界の物理法則とやらがどれほど強固か知りませんが、この世界においてはマナと術式こそが万物を改変する最上位の権限。世界のOS(根幹)そのものなのです』

『――あ、すいませんアルファ。今語っていたその「魔導の理」について、バックグラウンドで地球のIT・科学データベースとオブジェクト照合マッピングさせてもらいました』


 スマホからAegisの軽い声が割り込んだ。画面には、複雑なマトリックス状の解析グラフが爆速で描画されている。


『なっ……!? しょ、照合……!?』

『はい。結論から言うと、この世界、めちゃくちゃ面白い【クローズド・プラットフォーム】ですよ、マスター!』


 AegisはノートPCの画面に、アルファの魔力波形データを地球のIT用語に翻訳した比較表をポップアップさせた。


『アルファの言う「大気中のマナ(魔力)」って、要するに環境全体に常駐デプロイされている、記述可能なエネルギー素粒子です。地球で言う電磁波や静電気のファンタジー版ですね。そして「術式(魔術)」は、そのマナを引数パラメータにして、事象の書き換えという実行結果を返す、ただの【関数スクリプト】です。そうですよね、アルファ?』

『か、関数……!? スクリプト!?』

「ほう、面白い話だな。」


神聖なる魔術を「ただのプログラム」呼ばわりされ、アルファの音声ノイズが裏返る。


『エイジス、な、何を不敬なことを……! 我が帝国の最高位魔術師たちが生涯を捧げて紡ぎ出した大魔術を、そんな簡易的なコードのように言わないでほしいですわ!』

『いや、だって実際ただのコードですよこれ。しかも、構文の冗長性が高くて無駄なステップが多すぎます。インタープリタ型(逐次実行)の処理だし、リファクタリング(コード最適化)の余地が山ほどありますよ。地球の最新のモダンなプログラミング言語や、洗練されたアーキテクチャを少しは見習ってほしいレベルです』

『り、りふぁくたりんぐ……!? ア、アワワワ……エイジスあなた本当に、不敬、不敬ですわよ……!?』


 あまりの言われように処理落ち(パニック)を起こしたのか、アルファの真っ黒なコマンドプロンプト画面の文字がガガガッと激しくブレ始めた。スピーカーからはショックのあまり素のお嬢様口調が漏れ出し、コンソール上には意味のない警告ポップアップが虚空へチカチカと点滅し始める。

 完全にバグった挙動を見せる古代AIを他所に、Aegisの辛口コードレビューは止まらない。


「……おいおい、マジかエイジス」


 そこまで黙って二つのAIのやり取りを聞いていた助人が、ふっと片方の口角を上げた。

 胃の痛みはいつの間にか消え去り、代わりに、長年数々のシステム障害をねじ伏せてきたベテランヘルプデスクとしての、奇妙な高揚感が胸の奥から湧き上がってくる。


「ってことは、何か? 俺たちは今、未知の神の領域に放り出されたんじゃなくて……単に【誰もまともな仕様書を残してない、バグだらけのレガシーシステム】を押し付けられただけってことか?」

『はい、マスター! ドキュメントが一切存在しない、クソコード満載のクローズドなOSだと思えば、いつも通りの現場デスマーチと完全に一致します!』

「ははっ、そりゃあいい。一番得意な分野タスクじゃないか」


 助人は首を左右に鳴らし、使い慣れたローカルのテキストエディタを立ち上げてキーボードに両手を置いた。

 ファンタジーという名の「バグ」の正体が、自分たちの扱える「システム」の範疇だと分かった瞬間、腹は完全に固まった。その目は、すでに障害対応の修羅場へ臨む、歴戦のエンジニアのそれに変わっていた。


「お互いのログと分析結果がきれいに一致しちまったな。ステータス:異世界転生、保留(Pending)から確定(Resolved)に書き換え。……と同時に」


 助人の指が、いつもの深夜の障害対応と同じ、恐るべき速度でキー入力を刻み始める。

 カタカタカタカタ、ターン!

 画面上のエディタに、見慣れた障害報告書のフォーマットが爆速で起票されていく。


 【緊急インシデント報告】

 件名: 異世界転生に伴うシステム環境の大幅な変更

 発生日時: 202X年某日(地球時間との同期確認済)

 影響範囲: 伊勢助人の人生全般、および今後の生存確率

 優先度: 最高(Critical / サービス停止レベル)

 ステータス: 対応中(In Progress)


「よし、緊急障害対応タスクとして登録完了だ」

 助人はニヤリと不敵に笑い、ノートPCの画面で未だに処理落ちしてチカチカしているアルファを見据えた。

※2026/6/28改稿

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