第6話 剣と女と夜の家
お風呂を貸してくれて、ご飯まで作ってくれる。
でも「あの人は、絶対いい人じゃない」。
それでもイサヨイの剣が再び光る瞬間を、見届けていただけたなら幸いです。
その女ーー陶華葉は怪我をした金飛廉を手当し、私たちには、襖一枚隔てた奥の六畳間を貸してくれた。
返り血を浴びた服も洗ってくれ、お風呂も貸してくれ、翌朝には朝ご飯まで作ってくれた。
だが、私たちの意見は一致したーー
ーーあの人、全然いい人じゃないよ。
陶華葉がいなくなると、私とクズハ、ハヤブの三名は裏庭にある風呂小屋の影に集まった。
そして、そういう話ばかりしていた。
金飛廉……あいつ……あいつはーー
「ーー怪我が治ったら、ゼッタイ殺す!」
私は剣を三、四寸ほど抜いて、その刃をじっと見つめた。
その向こうでクズハとハヤブが心配そうにこちらを見ていた。
「イサヨイちゃん……」
「ネキ……落ち着けって……」
(……光らない……)
私の剣が光らない。私の心は今、混濁している。
ふと、イヨの顔が思い浮かんだ。
◇◇◇
我の国を出立する前、神殿に呼ばれた。
そこには大巫女様はおらず、イヨとナカツヒコがいた。
「イサヨイお姉様のために、剣を取り寄せました。宜しかったらお使いください」
「イヨ……様……」
「買ってきたのは俺だけどな!」
「まっ!……ナカツヒコったら!」
「出雲の名剣、名づけて『出雲一文字』!」
「勝手に命名しないの!」
あの時のイヨの笑顔、晴れやかで、涼やかだったこと……。
◇◇◇
「イヨ……私は……」
私は剣を鞘に収めると、そっと胸に当て、抱きしめた。
「あなたがくれた出雲一文字に誓うわ! 巫女として、清く、正しく、あり続けます!」
先ほどからハヤブとクズハは、こちらをじっと見ている。
「ネキ……大丈夫かよ」
「気にしないことだよ、イサヨイちゃん……」
※
ハヤブとクズハは街の様子を見に出かけた。
部屋に一人でいると、隣にいる陶華葉と金飛廉の様子がよく分かる。
二人が話すと、声が聞こえてくる。
襖を少し開けて隙間から覗くと、何をしてるのかも分かる……開けないけど。
「包帯を変えましょう」
「ご夫人……すみません」
「……飛廉様は、軍人さんでいらっしゃるの?」
「いえ、しがない傭兵です。……昔は辰韓の軍にいました。弁韓という地で……」
ところどころ聞き取れなかったが、金飛廉の昔語を初めて聞いた。
「まぁ……。やっぱり、ただの傭兵じゃありませんわね。こんなに……ご立派なお体、してらっしゃるんだもの……」
陶華葉は脇に置いた手桶で手ぬぐいを絞り、金飛廉の背中を丁寧に拭ってゆく。
金飛廉はうつ伏せに寝かされていた。
「飛廉様には奥様はいらっしゃるの?」
「ええ……でも、だいぶ前に死にました……馬韓との戦で……逃げ遅れて……」
「……その方は、どんな方だったのですか?」
「倭人でした。馬韓の街を占領した時に、取り残されていたのです」
「……戦のさなかに、おひとりで……怖かったでしょうに……」
「……それで、私の家に連れて行ったのです。忘れた頃に逃げ出すかと思って……」
いい夢を見ている時のような、穏やかな表情だった。
「……その晩、夫婦になりました」
言い終わると、金飛廉は大きく息を吐いた。
陶華葉は飛廉の背中をそっと撫でながら、静かに言った。
「……素敵な方だったのですね。まるで、戦の中に咲いた白い花のよう……。
貴方はその花を守るために、ずっと走り続けてこられた風のよう……」
陶華葉はそう言うと、金飛廉の袴下を下ろした。
「あっ!……ご夫人、今日はそこは……」
「あらあら……お怪我の時ほど、丁寧にしておかないといけませんのよ」
そして、金飛廉の股間を丁寧に拭うのだった。
私は居ても立ってもいられなくなり、部屋を飛び出した。
(ああ……また見てしまった……自分が恨めしい……)
あの女の言うことは、どこが悪いとも言えないのだけれど、妙に艶かしくて背筋がゾクゾクする。それでいて、頭は熱っぽい……まるで病気になったかのようだ。
表に立っていると、クズハとハヤブが帰ってきた。
「イサヨイちゃん! 前いた家は衛兵が出入りしてるね! 見張りも立っちゃった!」
「ネキ! 出陣した部隊が続々と帰城してるぜ! どこもかしこも負傷兵で一杯だ!」
(ああ……詰んだ……)
※
数日後の夜ーー
隣の部屋で、赤子が大声で泣き出した。
「おお……よしよし……」陶華葉の声が聞こえてきた。
(誰よ……? 隙間が開いてるじゃないの……)
私は襖を閉めようと一瞬身を乗り出したが、急に怖くなって止めた。
「あら、お傷が痛みますか?」
「いいえ……思い出していました。来る時に会って来た息子のことやら、妻のことやら」
「どんな時も、忘れられないものですわね。愛した人は、消えても……胸の奥に残るから」
隣の部屋では、金飛廉がうつ伏せになり、横を向いていた。その目には涙が溢れていた。
その視線の先では、陶華葉がもろ肌脱ぎになって赤子に乳をやっている。
(……仕方ないのか……てか、飛廉……何見てるのよ……?)
陶華葉は赤子を籠に寝かせ、そっと布をかけると、金飛廉のそばに膝をついた。
「でも……過去は、決して貴方を温めてはくれません」
そう言うと、うつ伏せの背に、そっと手を這わせた。
「……涙、拭いてさしあげましょうか?」
金飛廉は何も答えなかった。
だが、陶華葉は金飛廉の頬に指を添えた。
「私は……奥様の代わりになりたいとは思いません。でも、こうして隣にいて、泣いている貴方を見ていると……誰よりも、今夜だけは、貴方の味方でいたいのです」
そう言う間にも、陶華葉の手は背から腰、そして下肢へと滑っていく。
「あら。こんなになって……おかわいそうに……」
「うっ……ご夫人……」
金飛廉が唸りながら身を起こすと、陶華葉は静かに微笑んだ。
「飛廉様、無理はなさらずに……あっ」
「……ご夫人……」
「……名前で、呼んでくださいな」
「ああ……華葉……」
(私は……見てはいけないものを見ているのかもしれない……)
そう思いながらも、目が離せなかった。
※
翌日の朝ーー
陶華葉が出かけたのを見計らい、また裏庭で誰かが来るのを待った。
間もなく、クズハも来た。
「イサヨイちゃん……目が赤いよ……」
「どーせ、私は※※※※※※※よ……」
私は気力が湧かず、関係ないことを口走った。
「……なによ、胸くらいで……」
「……イサヨイちゃん! 大丈夫、本当に?!」
もう大丈夫じゃない、私……。
これからは、襖をちゃんと閉めて欲しい……。
※
金飛廉の傷がだいぶ癒えてくるとーー
「はぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
私は、朝の裏庭で剣の素振りをする習慣がついた。
トシグリさんのようでいて、全く別ものだ。
久米もトシグリさんも、こんな気持ちでは剣を振るわないだろう。
もう、あの二人は毎日、夫婦のように過ごしている。
(あいつは、もう……忘れたんだわ……何もかも!)
陶華葉が何を考えているのか分からない。
(おのれ……カマキリ女……)
そういう時は、こうして剣を振るか、
長屋の玄関口を端から端まで往復するか、
いつもの場所……風呂小屋の裏の地面に丸や渦巻きを描いては消す。
ちょうど目の前に、大きなカマキリが飛んできた。
「(カマキリ女憎ければ、カマキリまで憎し……)はぁぁぁぁ!」
私の剣は空を切った。
カマキリは風呂小屋の屋根に止まり、こちらを見ていた。
まるで斬れるものなら斬ってみろ、と嘲笑われているかのようだった。
陶華葉の声が聞こえる。
「……昨日の使いは『囮になれ』と言っているのです……くすんくすん……」
囮……?聞いておこうと、家に近づいた。
だが、私はすぐに彼らから見えない場所に隠れた。
「……それなら逆に……利用してやりま……しょう……んっ……」
(ーー聞けよ、飛廉!)
私はふと、気になった。
飛廉はなんと答えるだろう?
しばらく待ったが、彼は言葉では何も答えなかった。
出雲一文字は、まだ光を失ったままだ……。
※
また別の日ーー
私はクズハとハヤブに誘われて、久しぶりに街に出た。
籠城中だからか、私たちのことはもう忘れられたかのようだった。
気分も晴れて、華葉の家に戻ってきた。
さっそく、陶華葉と金飛廉が話す声が聞こえてきた。
「……一緒に……行ってくださらないの……?」
「イサヨイたちに迷惑を、かけてしまいます……」
「……ひどい人……私はもう、貴方なしには生きていけないと言うのに……」
陶華葉の啜り泣く声が聞こえる。
(金飛廉……目、覚めたじゃん!)
私は思わず部屋の中を覗いたが、すぐに後悔した。
(そういう話……やりながらする?!)
私の中に、ふつふつと黒い考えが湧き上がった。
私は出雲一文字に手をかけると……手をかけたが……
「抜けない……」
剣が抜けないのだった。
壁の影に隠れて、私は考えた。
※
その日の夜は、飛廉も華葉も静かに眠っていた。
私は枕元の出雲一文字をそっとつかみ、裏庭に出た。
夜空に浮かぶ十六夜の月。
庭の草葉が銀に染まっていた。
私は剣を抜き、ゆっくりと構えた。
そして、思念を込めて振り下ろす。
(私に、華葉さんのような華やかさと気品があるかーー否)
出雲一文字の光は、まだ月影だった。
(私に、華葉さんのような情念があるかーー否)
剣は鈍く唸るばかりだ。
(私に、華葉さんのようなーー否)
私は闇雲に振るのを止め、剣先を見つめた。
「……私には、剣がある。 その気になれば、出来ることがある……」
華葉の部屋の窓を振り返った。
「でも……あの女は……」
そう呟いた時、剣の刃がわずかに光を返した。
※
数日後ーー
金飛廉が、私たちに向かって、両手をついた。
「君たちだけで脱出してくれ。俺はここに残る。残って華葉を守る」
私たちは、しばらく黙って聞いていた。
だが、この男が頭を上げた時、ついに堪忍袋の緒が切れたーー
「ーーバカなの、あんた?!」
私は出雲一文字を手に立ち上がると、剣を抜いた。
「ーー待て! 何をする! 華葉は悪くない!」
金飛廉も抜いた。彼は剣を横にした。
私は下段に構え、ゆっくりと歩み寄る。
そして彼に向かって剣を振り上げた。
ーーガイーン!
剣が重なり、力の勝負となった。
私は柄に左手を添えた。
彼も剣に全力を伝えてくる。
だが、私の考えが正しければ、この剣が力をくれるはずーー
「ーーはぁぁぁぁぁぁぁっ!」
私は剣を跳ね上げた。
金飛廉は剣を手にしたまま内土間まで飛ばされ、転がっていった。
出雲一文字が、煌々と輝いていた。
陶華葉は一瞬、目で金飛廉を追ったが、やがて私の方を向き直った。
彼女は毅然とした態度で座敷に正座し、私を見上げていた。
「華葉さん、準備をして下さい」
そう言うと、彼女は目を丸くした。
「燕王の出撃に合わせて脱出しましょう。ーー私たちと一緒に」
お読みくださり、ありがとうございました。
繊細な心の機微を描くぶん、ちょっと長めになってしまいました。
三国志演義でもローグ・ワンでもなくなり、強い女たちの話になってしまいました。
次回は最終回「ただいま」、襄平脱出行です。
※10月20日(月)20時ごろ更新予定です




