第7話 ただいま
物語の最後となります第7話。
ひとつの旅路の終わりと、剣士としてのイサヨイの生き様を描きました。
最後まで彼女を見守っていただければ嬉しいです。
景初二年八月某日ーー
まさか、あんな格好で現れるとは思わなかった。
陶華葉の装いは、絢爛というより、もはや戦利品だった。
金糸の織り込まれた衣、揺れる耳飾り、そして腕に抱かれた子の首元には珠玉の数珠。
それもこれも、あとで売るつもりなのだそうだ。
私の隣には、騎乗した金飛廉が控えている。
陶華葉に続き、ハヤブとクズハが彼女の両脇に乗り込んだ。
私は御者として、手綱を握っていた。
私たちは、脱出を目論む公孫淵の騎兵隊に紛れ込んでいる。
燕王の妾の同行者としてーー。
私は陶華葉の軽車を騎馬隊の最後尾へと進めた。
途中、私たちをじっとりとした目で睨みつける武将がいた。
「……ふんっ。死に損ないめが……せいぜい王の盾になるが良い」その武将が呟いた。
「ふふ……太子の、ご武運を……」陶華葉の声が背中から聞こえる。
他の軽車に乗った妃らしき人たちは皆、鎮痛な面持ちで下を向いていた。
私たちが入る数十両の軽車隊は、王のため魏軍の囮になるのが役目らしい。
だが、私たちには、そんなつもりはさらさらない。
騎馬隊が二列になって北門に整列し、鉄の門が降りる鎖の音が周囲に響く。
軽車隊も一列になってその後に並ぶ。
「ーー出撃!」
号令と共に、前方の騎兵が一斉に駆け出した。
「あら、皆様、参りませんの? では、お先に行かせて頂きます」
戦場に飛び出すことを躊躇う軽車隊の中で、陶華葉ののんびりとした声が響いた。
私が振り返ると、陶華葉は無言で頷いた。
私は手綱を強く握り直した。
前方の軽車を避け、最前列に軽車を運ぶ。
そして駆け出すーー
「ーー華葉さん、走ります!」
返事はなかったが、陶華葉が昨日そう言ったのだ。
騎馬隊の直後について行った方が安全だ、と。
※
馬は全力で走っていた。
だが、うっかりすると気を抜く。
私はさらに鞭を入れた。
斜め前では金飛廉が、車に近づきそうな魏兵、進路を塞ぐ兵を次々に射ている。
ハヤブとクズハも盛んに矢を放っていた。
「これは……突破されることを見越した陣形だな」
金飛廉は大声で言った。
「城の東の陣は動かねえな!」
ハヤブが言う。
「西から騎兵! でも、もっと先を目指してるみたいね!」
クズハも状況を教えてくれた。
魏陣を突破したーー
歩兵が追ってくるが、軽車の方が速かった。
魏陣から離れたら、右方向に進路を取りーー港を目指す。
城の方を見ると……
倒れたり、崩れたりした軽車の列に、魏兵が群がっていた。
※
先に行った公孫淵軍も見えなかったが、後方の魏軍も見えなくなった。
馬なりで進む軽車はゆっくりすぎた。
林の中の脇道に隠れて、私たちは進んだ。
「今のところ作戦通りだな!」ハヤブが嬉しそうに言う。
「ええ……このまま港まで行けるといいわね」
私はそう言いながらも、背中の汗がまだ乾かないことに気づいた。
何かが起こるような予感がしたーー
「ーー止まれ!」
林から魏の歩兵部隊がぞろぞろ出てきた。
百人隊か……?数が多い。
金飛廉、クズハ、ハヤブが弓を構えたーー
「ーー待って!」
私が声を上げると彼らは目を丸くした。
馬車は隊長と思しき男の前で止まった。
「我々は、鮮卑王狼愚の配下、狼愚一党です。姫様を護送中です」
「………………」
仲間たちは、さらにしんみりとした顔になった。
「……狼愚一党……?」
隊長らしき男は顎に手を当てながら、不審そうにこちらを見ていた。
沈黙が、じわじわと広がっていく。
やがてーー
「ーーあーっ、あの時の?!」
「はい! 覚えていてくださいましたかっ」
「ああとも!」
「ちょうど、馬に飲ませる水場を探していたのです」
「ああ……それならこの先に川があるよ。橋の近くに別の部隊もいるから」
「ありがとうございます!」
通行を許可され、水場も提供してもらった。
私たちを追うはずの魏軍の中でとる休憩は、誰もが無口だった。
だが、馬は休めたようだ。
(まさか通るとは……)
再び歩き出し、しばらく進んだところで、ようやくみんなが口を開いた。
「……狼愚一党って何ですの?」
「わ、分かりません……」
「ネキまで使うと思わなかったぜ……」
「あんたもその口だったかい……」
「えへへ……」
後ろを振り返るとーー
(ーーやばい!)
砂塵が見えた。
私はまた馬に鞭を入れた。
※
金飛廉とハヤブが口々に叫ぶ。
「ーーだめだ! 追いつかれる!」
「騎兵三十てとこだな!」
私は鞭を入れ続けているが、これ以上の速さは出ない。
陶華葉がぽつりと言った。
「この屋根……取ってしまったらいかがかしら?」
「屋根取ると違うのか?!」
「あんた! しのごの言ってないで! その縄だよ!」
クズハとハヤブが、縄をほどくと、屋根布が後方に飛んでいった。
「やった! 騎兵が二人……三人転んだぞ!」
「ざまあねえ!」
「気持ちイイわね! もっとないかしら?!」
軽車は速くなった。
だが、騎兵には及ばない。
馬上の金飛廉が後ろを振り返りながら矢を放った。
クズハとハヤブも後ろ向きに矢を放つ。
「あんちゃん! その安息式射法、どこで習ったのよ!」
「独学だ!」
「アニキ! 三本撃ちも頼むぜ!」
「それは※※の見過ぎだ!」
「あたいは|円盤買ったよ!」
「九! ……よしっ、十!」
「あと二十!」
「ーー止まったわ!」
私が振り向くと、追手の馬は止まっていた。
(はあ……振り切った……)
一瞬気を緩めたが、すぐに敵の隊長らしき男が叫んだ。
「ーー射程に入るな! 速度をゆるめて追撃だ!」
※
ハヤブが弓を構えながら唸る。
「……くそう……届かねえ距離で着いてきやがる」
ゆっくり走ればゆっくりと、速く走れば速く、敵は追いかけてくる。
「……奴ら、有利な地形を選んでる。どこかで止めるしかない」
金飛廉も振り返りながら唸る。
目の前には分かれ道が。
一つは港に続く街道、
もう一つは岩山が裂けた隘路……ただし、どこに続いているのかは分からない。
と、そこにーー
「八咫烏が……あれ、三本目の足が白い……」クズハが上空を指差した。
「だが、降りて来んな……」飛廉が呟く。
「あっちへ行くぜ!」ハヤブが指差すのは、隘路の方だ。
「ーー道を変えるよ! 付いてきて!」
私は進路を隘路に向け、馬に鞭を入れた。
(ーー誰かいるんだ!)
今まで程々の速度で走っていた馬は急加速にも対応してくれた。
後方から魏将の声が聞こえた。
「進路変更だと?! あの裂け目に入られるな! 包囲、急げ!」
敵の騎兵が迫る。
私の頭上を何本かの矢が通った。
「……くそ! しぶといな!」
金飛廉は先ほどと同じように矢を放つが、相手は倒れないようだ。
「敵さん、頑張ってんな! ほれ、ご褒美だ!」ハヤブも矢を放つ。
背後から、鉄鎧が地面に叩きつけられる音がした。
「隘路の入口で足止めする!」
金飛廉はそう叫ぶと馬足を緩め、急激に後ろへ下がって行った。
「よし、俺っちも行くぜ!」
「あたいも降りる!」
クズハとハヤブは馬車から飛び降りた。
振り返ると、受け身をしながら着地して、ゴロゴロと転がっていた。
良い子には真似できない着地の仕方だった。
馬車に残ったのは、陶華葉とその赤子、そして私ーー
でも、今は走らないと。
※
隘路の向こう側は……行き止まりだった。
あるのは、ぽつんと佇む漁村だけ。
(……なぜ? 八咫烏は……見間違い?!)
私は泣きたくなった。
その時だったーー
「ーーおーい! イサヨイ!」
懐かしい声が、風に乗って届いた。
「久米?!」
「こっちだ!」
漁船の上で、手を振る人影があった。
久米がいるーーなぜ?
分からない。でも、今は迷っている暇はない。
私はそこまで駆け、軽車を止めた。
「久米!」
「イサヨイ、おかえり!」
その瞬間、船から一羽のカラスが飛び立った。
西の空へ、まっすぐに飛んでいった。
「よかった……。さあ、乗って!」
陶華葉を車から下ろしていた私に、久米が駆け寄ってきた。
その顔は、こらえきれない笑みを浮かべていた。
私は、一瞬立ち尽くした。
手を伸ばせば届く場所にいるのに、久米の顔が遠くてにじんで見える。
久米は、両手を広げ、ただ笑っていた。
まるで私が飛び込んでくるのを待っているかのように。
だがーー
私は桐の木箱を抱えて、久米に手渡した。
「久米……この人と、この箱をお願い」
「イサヨイ……?」
「私は……戻らないと!」
私は軽車に駆け戻った。
「仲間を残してきたの! すぐ戻るわ!」
「ーーイサヨイ?!」
久米のいる方を振り返らず、再び馬車を走らせた。
久米の顔を見ることが出来なかった。
振り返ったら、仲間の元には戻れないとも思った。
久米には、また会えると信じていた。
※
「飛廉! ハヤブ! クズハ!」
私が戻った時にはもう、金飛廉たちは隘路の出口まで押されて来ていた。
もう馬は捨てたのか、徒士になっている。
「ーー避けて!」私は叫んだ。
私を振り返った三人が通路を開けた。
私は軽車を道に進ませると、鞭を打った。その反動で体をひねり、脇へ身を投げるように飛び降りた。
軽車は馬もろとも追撃者たちに激突し、ちょうどよく道を塞いだ。
「これでもう、騎兵は……止まるはず」
(……止まって!)
「進めぇ!」
敵将の声が響いた。
壊れた軽車を避けて、わらわらと槍兵が寄ってくる。
「歩兵もいるの?!」
「見ての通りだ!」
私は剣を抜いた。
出雲一文字が力強く光を放った。
※
もう何人斬っただろう……。
矢は尽きた。
私たちは入れ替わり立ち替わり、斬り込み、後ろに回っては石を拾って投げた。
繰り返し、繰り返し。
辺りはもう暗くなった。
敵は次々に押し寄せ、逃げる機会を与えてくれない。
金飛廉の体には矢が二本刺さり、クズハとハヤブの顔には疲労の色が見える。
(引いて……!)
私はそう祈りながら、斬り込んだ。
その時だったーー
「ーーもうよい! 引け!」
敵将の唸ような叫び声が聞こえた。
わたしたちを追ってきた百人隊が退却を始めた。
(……終わった……)
だが、ここで立ち止まるとまた追って来る。
私は追撃した。
他の三人もそう思ったのか、私を追い抜いて行った。
ついに敵兵は、叫び声を上げながら走り出した。
金飛廉が立ち止まると、皆も走るのをやめた。
「これで……終わった……」
「魏軍……強えわ……」
「ふう……はあ……」
四人で集まって手を叩き合った。
私たちは隘路の出口へと向かった。
「船が来ているわ……行きましょう」
私がそう言うと
「マジかよ! 早く行こうぜ!」
「あんた! 待ちなよ!」
ハヤブとクズハが小走りに駆け出す。
彼らを遠目に見ながら、金飛廉は笑っていた。
(これで……久米の元に帰れる……)
今度こそは、彼の目をしっかり見つめよう。
彼の胸に飛び込もう。
我の国に帰ったら、また失格巫女に逆戻りだ。でも、それすら嬉しい。
姉様に結婚の報告をして、クビにしてもらおう。
大巫女様はなんて言うかな?
イヨとナカツヒコにもお礼を言おう……阿蘇の社のみんなにも……。
隘路の出口は、松明で照らされていた。
私と金飛廉も、自然と小走りになった。
ハヤブとクズハの大きな声が聞こえてきた。
※
「ああっ、痛え! 痛えよぉぉぉぉ!」
「もう、死んでる! 死んでるから!」
私たちを出口で待っていたのは、魏軍だった。
金飛廉は、私の前に飛び出した。
「イサヨイ、危ない!……くっ!!」
背中に何本もの矢が突き刺さり、金飛廉が膝をついた。
「司馬昭様! 全員討ち取りました!」
「……四人いたはずだぞ。 探せ!」
「はっ!」
私はその声を呆然と聞いていた。
(ハヤブ……クズハ……どこにいるの……?)
(飛廉……なぜあなたは私を庇ったの……?)
私は立ち上がり剣を抜いた。
それを大きく横にはらうと、背後から強い風が吹いてきた。
※
「松明が消えた……ぐわっ!」
「うぐっ!」
私は声のする方に進んだ。
「見よ、剣が光っておる。 あそこじゃ!」
魏将がそう言うと、私に向けて無数の矢が飛んできた。
だが、私には止まって見えた。
その一つ一つを剣で払い落とす。
魏兵が剣を振りかざして向かって来る。
私は彼の胸ぐらに手を伸ばすと、その首を剣で跳ね飛ばした。
私に向かって来る槍を左手でつかみ、それを引き寄せる。
そして持ち主の体に剣を食い込ませる。
暗がりの中、魏兵を一人一人薙ぎ払っていく。
向かってこようと、立ち止まっていようと、怖気づいていようと。
いつもより強く光る出雲一文字が、たったひと振りで彼らの命を吸い取ってゆく。
「あの魏将まで、あと十歩……」
また無数の矢が飛んできたが、私には当たらない。
何人向かって来ても、彼らは全てこの剣の錆となった。
私が司馬昭と呼ばれた武将を睨みつけると、彼は馬首を返して下がっていった。
「あの者を討ち取れ!」と叫びながら。
「あと六歩……」
隘路の口に出た。
急に景色が開け、明るくなった。
海も見えた。
久米が乗っていた船が、沖に出ていくのも。
船の上から、久米がこちらを見ていた……ような気がした。
「……久米……」
その時だった。
魏兵の槍が私の胸を貫いたのは。
※
私は、空高くから魏兵を見下ろしていた。
彼らは盛んに槍で地面を突いている。
(よしっ、ここから飛び降りて、あいつらを……あれ?)
体がない。
私の体は、あそこにあるようだ。
それに降りられないし……。
あの魏将が大声を上げている。
「ふっ。この者たちの首も、京観に飾ってやろうぞ……はっはっはっは……!」
もう、どうでもいい内容だった。
(そうか……終わったんだ……)
私はただ、天に登っていくだけ。
(帰ろう……久米のところへ……)
※
船の上では、久米が桐の箱を抱えてうずくまっていた。
「……イサヨイ!」
その傍には船頭らしき人が、申し訳なさそうに久米に言った。
「魏軍に囲まれちまったんだ……諦めてくれ……」
「……分かっています。……分かっていますが……」
華葉さんは、船床に座り、俯きながらしっかりと赤子を抱えていた。
よく見ると、その目に涙が溢れている。
「申し訳ありませんでした……」
「いいえ、貴女は何も……お子さんはイサヨイの希望です……」
久米……良いこと言うわね。
「イサヨイが……守った社の宝……」
久米は呻きながら、桐の木箱の蓋を開けた。
私も気になっていたけど見なかった。中身は……?
「……なんだこれは……」
鰐の歯……
赤染の布……
骨の勾玉……
わあ……そうだったんだ……。
「こんなものの……こんなもののために、イサヨイは……死んだのか?!」
久米は一瞬で剣を抜いて、高々と振り上げた。
(ーー待って!)
聞こえたのかな……?久米の手が止まった。
華葉さんが呟いた。
「久米さん……剣に光が集まっています……ご覧なさい」
そう、それは私。
帰って来たよ、久米。
ただいま!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
イサヨイの戦い、そして彼女の想いが、少しでも届いていれば幸いです。
次回更新からは、本編・第2章「親魏倭王印・輸送作戦」を再開いたします。(10/23・木を予定しています)
今後とも「和志倭人伝」をよろしくお願いいたします!




