第5話 助けて/信じて
魏軍が動く──。
軍のいない隙を突き、私たちは宝を奪いに向かった。
だが、思わぬところで、あの「顔」と再会することに──。
人ひとりすれ違えるかどうかの狭い路地だった。
金飛廉と、夜の襄平を歩いていた。
城内の様子を確かめるために、ここ数日は交代で夜回りをしている。
そんな折、私は見覚えのある黒い覆面姿を見つけて、思わず息を呑んだ。
ーーあの時、風呂場の裏で見た男たちだ。
私は飛廉の制止を振り切り、走り出していた。
「おい! 今ことを荒立てては……」
相手は三人。他に一人、家の中にいる。
女と男の声がする。
「……私の命は差し上げます。どうかこの子の命だけは……」
「ふっ……その子供に用がある」
こちらには気づいていないーー
ーーざくっ!
ーーすぱっ!
ーーシャキン!
「……っ……!」
私は入口を開け放した家の内側を覗き込んだ。
男が一人、女に剣を向けている。
女は座り込み、胸にしっかりと赤ん坊を抱えて男を見上げていた。
「ーーそこまでっ!」
私は男に飛びかかり剣を突き出した。
ーーシュバッ!
私の突きはかわされた。
だが、その男の覆面を払った。
月明かりの下、白い顔があらわになる。
「っ……!」
その顔を見て、女が息を呑んだ。
「……あっ……!」
男は一瞬だけ、女を見返した。
その目には、怒りも、羞恥も、何もなかった。
そして彼は、踵を返して逃げ去った。
「……大丈夫ですか?」
私は剣を鞘に収めながら、その女に尋ねた。
女は答えず、赤ん坊を抱きしめたまま、ただ黙って震えていた。
(……無理もないか……)
私は逃げるようにその場を後にした。
金飛廉のいる所まで戻って来ると、背後から大声がした。
「キャアァァァァァァァァ! 人殺しぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
先ほどの女の声だった。
私は驚いて一瞬振り返ったが、すぐに金飛廉に腕を引かれた。二人して全力で駆けた。
※
(なによ、あの女……助けてあげたのに……)
朝になっても、心に澱のように残っていた。
クズハと西の市に買い物に出ると、門前に人だかりが出来ている。
「なんだろうね?!」クズハが群衆の中に駆けて行った。
だが、私には異様な光景が見えた。
表札を見に行くと、こう書いてあった。
「この者共、市中にて母子を害し、盗掠を重ねたる凶徒なり。以て斬首し梟示す」
しかし、その中に昨日見た男の顔はなかった。
(あの男は、何者……なの?)
私は全身の血気がすーっと引いていくのを感じた。
※
「おい、また八咫烏が来てたぞ」
隠れ家に戻ると、金飛廉が細い布の文を読んでいた。
「カラス、どっちに飛んでった?」私が尋ねると
「いや……気づかなかった」と彼は答えた。
(その方向にナカツヒコがいるのに……)私はそう思ったが、言葉は飲み込んだ。
「魏軍が、また攻めてくるらしい。今度の大将は太尉・司馬懿だそうだ」
「てことは……好機ね」
「ああ、軍が出払うからな……みんなが集まったら作戦を確認しよう」
※
数日後ーー
燕軍元帥・卑衍率いる兵が続々と出征していき、襄平城はもぬけの殻のようになった。
ーーいよいよ、決行だ。
目指す宝物庫は、政庁の東隣にある。直接通ずる道はなく、政庁の前か裏を通らなければならない。
政庁の前には大きな広い階段と広場があるが松明が煌々と焚かれているので避ける。
政庁の西隣にある兵舎には、普段は大勢の兵が寝起きしているのだが、今はがらんとしていた。
わずかに灯る兵舎の明かりが、暗い道をほど良く照らしている。
見つからないよう忍足で通り抜けた。
政庁の脇に出た。中には灯が煌々と灯っている。
大勢集まっているようで、さまざまな声が聞こえてくる。
「敵将・司馬懿殿は魏軍随一の智将、勝ち目はございませぬ!」
「ーーそんなことはない!我が燕軍は昨年魏軍を破っておる。司馬懿、何ほどの者ぞ!」
「……お待ちください、諸将! 先日、城下にて朱冠を戴き赤装をまとった犬が現れたと申します。古より赤狗は災の兆し。これは、よからぬ前触れにございましょう!」
私は、縁の下から中を覗いた。
(……それはハヤブの悪戯で……クズハのちゃんちゃんこ……)
するとーー
「ーーそんな臆病風に吹かれていて、どうする?!」
私はとっさにその声がする方を見た。
(あいつはーー)
王座の隣に立っていたその男を見て、私は思わず息を呑んだ。
あの日、女と赤子に剣を向けていたーーあの白い顔だった。
ふと、北平の酒場で聞いた噂が脳裏をよぎった。
(本当だったんだ……)
先ほどの発言者二名が表に連れ出されようとしていた。
私は仲間に無言で合図をし、政庁の裏手に回った。
政庁の裏を抜け、宝物殿に辿り着いた。
入口には衛兵が二人立っており、篝火が焚かれている。
だが、ここからは安心だ。衛兵の一人をナカツヒコが買収したそうだからだ。
衛兵どうしが話す声が聞こえる。
「おい、少し休めよ」
「おう、悪いな。どうせ何も無いのにな……」
「ああ……しかし、形式だけでも守らないとな」
やがて一人の衛兵が去っていった。
残った衛兵がこちらをちらりと見た。
そして、自分の兜をポンポンポンと三回叩いた。あの衛兵がそのようだ。
私達は走った。
その衛兵は、持っていた鍵で宝物殿の二重扉を開けながら小声で言った。
「話は聞いてます。早く終わらせてくださいよ」
私は無言で頷いた。
開け終わると、彼は床に寝転がった。手筈通りのやられた振りだ。
宝物殿の中はがらんとしており、宝らしい物はほとんど無かった。
桐の木箱もすぐに見つかった。
ここまでは何とも呆気なかった。
※
だが、背後から大きな声が聞こえた。
「ーーおいっ、どうした?! 何があった?!」
私たちは一斉に剣を抜いた。
松明を手にした衛兵が二人、宝物庫に入ってきた。
すかさず、ハヤブとクズハが飛びかかる。
私は、倒れた衛兵を飛び越え、表に立っていた上役らしき兵に踊りかかった。
その兵は既に剣を抜いており、とっさに私の剣を受けた。
「ーー曲者だ! 出会え、出あ……」
しかし、その声は途切れた。金飛廉の剣が脇腹に刺さっていた。
「ーー逃げるぞ!」
逃げるとなったらなりふり構わず、私たちは政庁を背にして広場へ駆け出した。
衛兵が数名ずつぞろぞろと出てきた。
次々と繰り出される槍を払い除ける。
二人組で現れた衛兵は、互いの槍を交差させ、逃げ道を塞ごうとする。
それにはハヤブとクズハが素早く飛びかかり、彼らを引きずり倒す。
私たちはそれを飛び越えて走った。
(ーー宮殿さえ抜ければ!)
市中には隠れるところがいくらでもある。紛れ込めば逃げ切れる。
私たちは走った。
剣を持った衛兵が二人同時に、私に向かって来る。
ーーシュバ!
ーーギーン!
一人は倒した。
もう一人と鍔迫り合いになった。そこにーー
ーービュッ!
飛廉の短矢が、相手の首を射抜いた。
私は振り返って親指を立てて見せーーようとした。
その一瞬の隙だった。
「後ろッ!」
私の声が届くより早く、背後の影が飛廉に斬りかかる。
ーーザクッ!
「く……ッ!」
振り返った飛廉の背中が、赤く裂けていた。黒い衣が音もなく濡れてゆく。
「飛廉ッ!」
私は叫びながら敵に斬りかかった。剣を交える間もなく、一閃で斬り伏せた。
「……走れる?」
飛廉は足元に手をつき、膝をつきながらも、私を見た。
「……大丈夫だ、走るぞ……!」
※
正面突破しかないーーそう判断した私は、政庁の広場を駆け抜けた。
金飛廉たちも迷わずついてくる。
門番が何人か叫び声を上げたが、もう追いつけない。
私たちは闇に紛れて裏通りへと飛び込み、物陰を探しながら細い路地を走った。
肩が触れ合うほど狭い通り、頭上から垂れ下がる洗濯物……
やがて人通りの絶えた密集地に辿り着き、ようやく足を止めた。
狭い路地に大きな樽を見つけ、その脇に身を隠した。
金飛廉はその場に座り込んだ。
「飛廉……」
背中に手を当てると、血がべっとりと着いた。
「……すまん。俺はここに置いていけ……」
「そんなこと出来ない」
「そうだよ!」
「頑張るのよ!」
声を殺しながら、皆で飛廉を励ました。
するとーー
戸板ががらっと開き、私は首根っこを掴まれたかと思うと、次の瞬間には中に引き摺り込まれていた。
尻餅をついた私の目の前に、あの女の顔があった。
「さあ……早く!」
女は声を殺してハヤブとクズハに言った。
あのときのような恐怖は、もう彼女の顔にはなかった。
代わりにあったのは、ただ強く、沈黙を貫く母親のまなざしだった。
ハヤブとクズハが飛廉の手を引き、中に入ると、女は一度ぴしゃっと板戸を閉めた。
そして、内土間に隣接した部屋に押し込まれた。
「隠れて!」
私たちはその場にしゃがみ込んだ
すると、女は入口のふすまを閉めた。
ーーガラガラバタン!
すぐに戸板を開け閉めする音が聞こえた。
女はどうやら家を出て行ったようだ。
部屋の壁際に置かれた籠の中では、子供が寝ている。
やがて、遠くの方から女の声が聞こえた。
「キャアァァァァァァァァ! 助けて!」
私はぎくりとした。
衛兵たちが駆け寄ってくる足音と、女の声が聞こえる。
「ーー何事か!」
「……急に猿みたいのに飛び掛かられて……」
(ん……猿?)
「ーー男二人組だったか?!」
「ええ、向こうへ行きました……」
(ん……男?)
「ーーそうか!」
衛兵らしき複数の駆け足の音が、徐々に遠ざかって行った。
(あの女は……もしかして……)
私を庇うために叫んだのだろうか。あの時も……?
しばらくすると、女が戻ってきて、ふすまを開けた。
「……もう大丈夫よ、女剣士さん」
その顔は、確信に満ちていた。
叫んだのは「助けて」ではなく、「信じて」だったのかも知れません……。
公孫淵の怪談話は、これにて回収完了です。このためだけに書いた本作ーー
残すところ二話となりました。
次回「剣と女と夜の家」、女の戦いが始まります。乞うご期待──!(?)
※10月17日(金)20時ごろ更新予定です




