ある男の終わらない夏祭り
ひんやりとした湿り気のある土の感触。
屋台の食べ物の匂いが夏の夜の生ぬるい風に混ざり、鼻をくすぐる。
すごく長い時間寝ていたような、そんな感覚。
…あれ、でも何でこんな外で、しかも土の上で寝ているんだ?
青年は体をゆっくり起こし、辺りを見回した。
ここは縁日の屋台がある通りから少し外れた、木の生い茂る雑木林の中だ。
最後に覚えていた記憶は、お面屋のお面を買ったところまで。
その後、何が起きたか、なんでここで寝ていたのか、ポッカリと記憶が抜けている。
いや、正確には"思い出せない"と言うべきか。
例えるなら、そう、数ヶ月前に覚えた英単語を久しぶりに勉強してド忘れしているあの感じ。英単語を勉強したという事実は覚えているが、そのスペルが出てこないような。
お面をつけた後に何かをしていたことは何となくわかる。しかし、その内容が思い出せそうで全く思い出せないのだ。
そして、最後の記憶からかけ離れているのは、場所だけではない。
自分の格好は黒のTシャツとジーンズだったはずなのに、今は藍色の袴を着ていた。生地からして、結構お高めのものだと思う。
更に何より不思議なのは、髪の毛だ。
3週間に1回は床屋にいっていたため、スッキリとした短髪であったはずだった。しかし、何故か頭が重いと思ったら、髪を後ろで結っていたのだ。
まるで、自分の身体だけ時間が経過したかのようだ。
そして、そんな自分の手には新聞が握られていた。ただのゴミか、それとも記憶喪失の手がかりになるのだろうか。
「陽太!いたいた、探したぞ。」
「……洸。」
洸は縁日に一緒に来た友人の1人だ。彼もまた、藍色の袴を着ていた。髪も少し伸びている。
「お前も変な服に着替えてんな。何があったか覚えてっか?」
「いや……思い出せない。」
「そーだよなー。ま、思い出せないもんはしょうがねーよな。それよりさ、もうすぐ花火始まるらしいぜ!見晴らしのいいとこ行くぞ。」
洸は相変わらず楽観的な奴だ。やれやれと笑って流すところだが、何故か彼に対して抱く感情は以前の物とは違っていた。
ほんの少しの怒りと疑念、そして大きな罪悪感。
「……悪い。ちょっとだけ、1人になっていいか?花火は先に見に行っていてくれ。」
「?……ああ。」
気持ちも記憶も混乱し、気がつけば、洸から距離をとっていた。
再び1人になったところで、再度新聞を見る。
読んでみると、なかなか衝撃的な殺人事件の記事であった。こんな事件、ニュースに疎い自分も知っていそうなレベルなのだが、少しも聞いた事がない。
随分と昔の新聞なのかと日付を確認すると、とんでもない事実が発覚した。
「今年の11月って……、未来のことじゃないか!」
今は8月の中旬。ってことは、悪ふざけか何かで作られたと思うのが妥当だろう。
……だが、非現実的な状況が続いている今、どうにもこの新聞が偽物ではないような気がして仕方なかったのだ。
《3年後》
都内某所の病院の一室にて。
個室にしては広い部屋の中央で、黒髪の美しい青年が眠っている。
その体には点滴やら機械やらがいろいろ繋がれていた。
その病室のなかで、お見舞いにしてはピリッとした空気の若い男女が2人いた。
「マジ最悪ぅ。なんで、今日が警護の日なわけぇ?夏祭り、彼氏と行く予定だったんだけどぉ!」
金髪にバチバチのピアス、そして制服をこれでもかという程に着崩した女子高生がイライラした様子で携帯を触る。
「まったく、警護中に携帯を触るなよ。しょうがないだろ、陰陽師界は万年人手不足なんだから。それに紫苑を守るのは最重要任務だぞ?」
藍色の袴を着て、髪を後ろで結った男が呆れ顔で言った。
「はぁ?真面目ぶんなし。あんただって嫌々警護やってたじゃんか。最近は機嫌が良いみたいだけど……何、彼女できたわけ?」
「……違う。最近、いろいろ記憶が戻ってきたんだよ。今までずっと疑問だった事がようやくわかってスッキリしてんの。」
「ある日、急に着ていた服が変わってて、妖怪も視えるようになったとかいうやつ?その半年後に紫苑から陰陽師としてスカウトされたんでしょ。」
「そうそう。」
あの後、新聞に書いてあることが万が一起きないように最善を尽くした。
新聞に書いてた事件の起きる日、時刻を見計らって、山に怪しい人がいると警察に通報をしていたのだ。
結果、姉弟の重症は避けられなかったし、犯人も捕まらなかった。だが、死亡者も出なかったため、まぁ成功したと言っていいだろう。
しかし、その後に想像もしていないことが起きた。
誰がどう考えても不審な通報に、今そこで眠っている青年、陽道紫苑が興味を持った。
彼はどんな情報網を使ったのか半年かけて俺の所までたどり着いた。紆余曲折を経て、最終的に妖怪が視える所と武術が優れていた所を買われて陰陽師となった。
当時は急に妖怪が視えたのも、武術を習ってもいないのに体が覚えていたことも謎でしかなかったが、つい最近、断片的に少しずつ空白の記憶が埋まっていくようになった。
……そして恩人の存在も思い出した。
「理斗と茉莉花、か……。会いたいなぁ。」
「なんか、、、キモ……。」
独り言を呟きながら、物思いにふける彼の姿を見て、女子高生は嫌悪の表情になった。




