幕間3「常盤家襲撃事件顛末」
小金沢巡査部長が日比谷野音で逮捕した『幸地友則』。
常盤警視正が銀座通りで逮捕した『馬場公平』。
彼らが起こした事件の捜査を進めるうち、とあるSNSの存在が浮かび上がってきた。
そのSNSではネットスラングや符丁が飛び交っており、内容は非常に難解であった。
これらを解読したところ、どれも突飛で支離滅裂なものであり、正気を疑う内容であったが、実際に頻繁に活動している登場人物は、五つのアカウントに絞られた。
♯ユキチ。
自称、推しに裏切られた男。自意識過剰で運営に説教し続けた。
イベント出禁処分を受けた。
にもかかわらずイベントに出張っては警察に通報されて連れ出されている。
♯ババ
運営徹底抗戦を主張するアンチ。認知拗らせ型。ファンサの場で自分が感じた差を「不当な差別」と主張して暴れた。
以下、同文。
♯マサヒロ。
公式ストーカー。イベント会場等での出待ちやマンションでの待ち伏せ、接触イベントでの粘着行為を「熱意」と主張していた。
以下、同文。
♯シンジュロウ。
自称、真実を語る元ファン。勝手な「正義感」で他のヲタクや運営をSNSで叩き、何度も何度もアカウントを凍結される男。
以下、同文。
♯リュウト。
自称、表現の自由を守る騎士。SNSでの誹謗中傷やセクハラ紛いの投稿を積み重ね、開示請求からの民事裁判《損害賠償額合計およそ三千万円》や刑事裁判《前科四犯》をくぐり抜けてきた。
以下、同文。
他の書き込みは、先の五つのアカウントの利用者が複数所持しているアカウントによる書き込みであったり、治安部隊気取りの荒らし行為であったり、あるいは単に物見遊山気分でのからかいであったりした。
そのログを整理して、ある程度意味を成している文章を抜き出して再構成したものが、次の資料である。
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SNSの会話タイムライン。
《以降、これらの会話から派生するネットワークをエゴ・チェンバーと称する》
♯ユキチ
「今日もまた、運営から理不尽な理由で入場拒否された。こっちは初期から何十万円以上も使って、グループを支えてきた自負がある。少しでも良くしようと運営にアドバイス《※実際は独りよがりで過度な説教》しただけで『出禁』とか、今のエンタメ界は狂ってる。熱心なファンほど不当に社会から虐げられるの、本当におかしいよ」
♯ババ
「ユキチさん、本当にそれな。俺も『他の客の迷惑になる執着』とか言われて出禁にされたけど、ただ人一倍、愛が強かっただけ。今の運営は、マニュアル通りのライト層、ニワカだけ優遇して、俺たちみたいな『本物のファン』を排除しようとしてる。完全に人権侵害だし、社会的な迫害だよ」
♯マサヒロ
「横から失礼するナリ。俺も全く同じナリよ! 会場外で少し話しかけようとした《※会場での出待ちやマンションでの待ち伏せ》だけで、ストーカー扱いですよ?こっちは彼女たちのために人生の時間を削って、純粋な熱意で動いてるのに。犯罪者予備軍みたいに扱う世間の目、マジで異常。俺たちはただ、正当な権利を主張してるだけなのに」
♯シンジュロウ
「皆さんの言う通り。結局、今のアイドル業界って、都合のいいイエスマンしか求めてないんですよね。俺がSNSでメンバーのスキャンダル《※無責任な噂話を根拠にした断定》を注意喚起したら、運営の圧力で出禁。社会全体が、俺たちみたいに『真実を見抜いて声を上げる強者』を恐れて、言論統制しようとしてる。まさに不当な排除といえます」
♯リュウト
「本当それ。SNSに感想を上げた件《※執拗なセクハラ発言と誹謗中傷》で出禁喰らったけど、表現の自由の侵害以外の何物でもない。警察に通報するとか脅されてさ。俺たちがどれだけあいつらの知名度に貢献したか分かってない。社会は『オタク=弱者』だと思って見下し、叩いていい存在だと思い込んでる」
♯ユキチ
「みんなありがとう。やっぱり俺たちが間違ってないって確信した。あいつらは俺たちの熱意に怯えてるだけ。俺たちが受けた不当な仕打ち、もっと拡散して世間に現実を知らせてやろうぜ。ここにいる俺たちの固い絆こそが、今のアイドル界の闇を暴く唯一の光だよ」
♯ババ
「間違いない。俺たちの純粋なエネルギーをナメたらどうなるか、あいつらが正当なファンである俺たちを『アンチ』と呼びたいなら、それでいい。これからは『アンチ』として徹底的に現実を教えてやる。あいつらを社会的に引きずり下ろして、『アンチ』を『あるべき姿のファン』という意味に世間の認識を覆すのが、当面の俺たちの使命だな!」
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船才将大。
現在はトップアイドルとなった冨永さゆりが、まだ駆け出しだった頃、各地のイベント会場等での出待ちをしてスタッフから注意されていただけに留まらず、当時の冨永が借りていたマンション周辺での待ち伏せ行為や、握手イベントでの度重なる粘着行為を繰り返し、警察の取り調べでは真面目な顔で『熱意』と主張していた人物である。
現在は冨永の半径二キロメートル以内への接近を裁判所から禁じられた身である。
早い話がストーカーであった。
その船才はとある住宅街に息を潜めていた。
――同志たちへの、不当過ぎる扱いを許すわけには、いかないナリ。
船才が見張っていたのは、表札に『常盤』と書かれた、その一角では目立つ広い敷地の大きめの建物だった。
――やはり、かの娘ごの傲慢さは、ブルジョワ由来ナリか。
これは、正し甲斐がある……
船才は舌なめずりをして、右手を銃の形にして、狙い撃つ仕草をしたのだった。
《ねえ、早く、来てくださらない? いつもの、常盤さんちの深緑さん目当てだと思うんだけど、いちいち動きが気持ち悪いの。絶対、痴漢だわ。ひょっとしたら誘拐犯かも》
ご近所のおばさまが既に船才の行動に不審なものを覚えて通報していたのだった。
船才が見張りを始めてから一時間の間に、所轄の警察署には六件の通報が届いていた。
船才本人は、物陰に隠れて気配を消したつもりでいる。
ご近所さんに見つかっているぐらいである。
通行人に気づかれないわけもなく――
まだ幼い顔の男子学生が船才に話しかけてきた。
「あの……何をなさっているのですか?」
驚いた船才が振り返ると、そこには自分よりも背の低い中学生と思しき少年がいた。
部活帰りなのか、その少年は肩に剣道の竹刀袋と防具袋を担いでいた。
――気配を消した俺を見つけ出すとは、どんな手練れかと思いきや……
中坊のガキか。
あんまりうるさいようなら、黙らしちまうか。
少年のあどけない見かけに、船才は舐めてかかった。
「けっ……正義を為すナリよ。俺たちの、正道を示すナリ」
少年は遠くを見る目をした。
――近ごろの姉ちゃんみたいなこと言ってるな。
つまり、この少年は深緑の弟、常盤蒼であった。
「つまり、張り込みですか?」
警官にしてはずいぶん野鼠っぽいなと思いながらも、丁寧な応対をする蒼だった。
「正義ナリ。あの常盤って家の娘っ子、直接は恨みもねえナリが、あの目ん玉をカポって……」
――敵か。
蒼の目が据わった。
意識する間もなく、バックステップをして船才から距離を取ると、防具袋を投げ捨てて竹刀袋から竹刀ではなく木刀を抜き取った。
肩口に木刀を担ぐ八双に構えた蒼の殺意が高い。
「なんナリか……」
一撃必殺を狙うなら、突きの一手である。
しかし、まずは不審者の動きを止めなければならない。
となれば、斬撃で手足を狙って自由を奪う。
――姉ちゃんに、こいつを会わせるわけには、いかない
船才の自慢の一つ。
それは学生時代は登山部で鳴らした、人一倍頑丈な体だ。
崖を登る際に三メートルほど転落しても、かすり傷しか負わなかった。
「くっ、無駄に頑丈だな」
十数合。
手加減を止めてからは一撃で骨折させていてもおかしくないくらいの斬撃を、蒼はこの不審者に加えている。
しかし、痛みを訴えこそするものの、膝すらつく様子も見せない。
――全中大会を優勝し、高校の推薦入学を早々に決めて、緩んでしまったか。
蒼は八双から正眼に構えを変え、切っ先の狙いを船才の喉元に定めた。
万能な構えだが、中段に溜める姿勢は突きに最も向くという。
それまで以上の殺気が、蒼を包んだ、そのとき――
蒼の後頭部をパシンと叩く者がいた。
成人男性としては少し大きめの上背であるが、特筆すべきはその横幅と臀部から下の足腰のごつさだった。
「……兄さん。久しぶり……じゃない。何で邪魔するんですか」
その男性は、常盤家の長男、光陽であった。
蒼をヘッドロックする腕も、まるで常人の脚のようだ。
その足元には、巡業で買い込んだお土産がたくさん置いてあった。
「何があったか知らんが、相手は素手じゃないか。……違った。お前は剣道家だろう。弱い者いじめなんか、兄として見過ごせんぞ」
蒼は光陽のヘッドロックを力づくで振り払うと、兄の尻を思い切り蹴飛ばした。
蹴られた光陽は、全くケロリとしていた。
「蹴るなら、そこじゃない。……違った。一応、言い訳は聞いてやる。話せ」
蒼は事態を掴みかねている船才を指さした。
「あいつ、姉ちゃんを待ち伏せしてた怪しい奴なんだ。自分で、そう言ったんだ!」
光陽の醸し出す空気が変わった。
音が聞こえるような気がするくらいに。
ただし声色は、先ほどまでの好青年と変わらなかった。
「蒼、ステイ。いや、待て。いいか、大事なことを教えておいてやる。可愛い深緑に害をなす奴を●すのは、常盤家の長男である……この俺の義務であり、権利だ!」
お前は後片付けを手伝え、そう言うやいなや光陽は船才に向かってタックルを放った。
仲間内では『象をも倒す』と称される光陽のタックル。
しかし、船才は倒されなかった。
かろうじて光陽のタックルを凌ぐと、そのまま逆に襟元を絞り上げてきたのだ。
「なんだ、こいつ。バランスがいいじゃないか」
船才のもう一つの自慢。
登山で培った、この人並外れたバランス感覚だった。
しかし、弟の前でタックルを凌がれて面目を潰された光陽にとっては、多少、襟元を絞られるぐらいは気にもならなかった。
「まあ、いいや――」
光陽が使えるのはレスリングだけではない。
習い覚えたものの中でも、光陽が最も信頼を置く日本拳法の技術で、なおも襟元を絞り上げてくる船才の腕を捩じり返した。
肘揚捕、船才の肘を下から突き上げるようにして関節を極め、体勢を崩すと、逃げようともがく動きを利用して辺捕、関節技を極めて一気に制圧したのだった。
一方で蒼は、自分の斬撃を耐え抜いた不審者を、手加減を調整しながら制圧したように見える兄に感心することしきりだった。
「脱捕で、その顎を砕かれなかったことに感謝しろ」
光陽は内心ではしくじったと舌打ちをしながら、弟の手前、息一つ乱さぬ風を装った。
一瞬の出来事に、蒼はつい兄に向けて拍手してしまうのだった。
《お願い、早く来て。常盤さんの息子さんたちが痴漢を●しちゃう!》
近所のおばさんの再三の通報で、船才は九死に一生を得たのだった。
父「運が良かったな。私が見つけていたら、全ての急所に正拳を叩き込んでいたところだ。そいつの命が九つあろうともな」
母「お優しいこと。私なら逝く寸前で何度も蘇生しますよ。加減は分かっています。警察に渡す直前で、加減を誤ればよいのです」




