幕間1「白石の決断、深緑の決意」
諍い、終わって
見境いないよ、もう
酒を、呑みたまえよ。
「お大事に」
常盤深緑は深々と頭を下げて入院病棟の一室から退室した。
自分のコンサートを観に来ていて、事件に巻き込まれて重傷を負ったファンを見舞っていたのである。
ここは、東京再生会病院一般病棟。
昨夜、深緑は念願の日比谷野音で開催されたコンサートに出演していた。
そこに深緑アンチをこじらせた暴漢が、強化機甲服を着こんで乱入してきたのだ。
死者こそ出なかったものの、取り押さえようとした警官を含めて三十人以上の負傷者を出す事件となった。
コンサートは出だしの二曲のみで中止せざるを得なかった。
病室の外で待機していたマネージャーの白石瑞月によると、希望者には半額返還で調整中とのことであった。
「……ホンマ、大損害や。ボケの幸地のせいもあるけど、なんやあの警官は。カキワリに始まってステージの床から骨組みまでボコボコにしよってからに。あのセットはリースやし、その弁償までこっちもちや。日比谷野音から請求されとる損害賠償の方は、巻き込まれ事故の被害者で押し切るつもりやけど……」
深刻なのは物販も同様である。
昨夜に集まった二千人以上に売りさばく心づもりの大量のグッズが宙に浮いてしまった。イベントでもなければ一気に捌ける量ではない。これを保管する倉庫のリース料もタダではない。
深緑が所属するサンセットプロモーション事務所は、弱小とは言わないまでも、中堅の中ではかなり下の方に位置している。
深緑を拾い上げるだけあって、なかなかにピーキーで開拓者精神に満ちた事務所なのだ。
要は、日比谷野音でのコンサートはこの事務所にとっては社運を賭けたイベントであり、単なる大損害で済まない未来が待っていることを意味していた。
白石にとって、深緑は三年しかない付き合いではあるが、単なる担当アイドルではない。
渋る社長を説得し、オーディションから、ほぼ付きっきりで育て上げた看板娘(候補)なのだ。
そして、これからのエース候補だと事務所内の空気を盛り上げて臨んだ日比谷野音コンサートだったのだ。
天候で売れ行きの伸びにくい日比谷野音で二千席以上の指定席前売り券を捌いたことで、次のゼップ新東京の機運も盛り上げようと意気を上げていた矢先であった。
ゼップ新東京をはじめ、予定していた今後の会場担当者から『事件を鑑みて中止』の打診が次々と舞い込んでいた。
――度を超えたアンチが、あの幸地で最後とは思えない。
逆の立場であれば、白石もそう思うのかもしれない。
しかし、白石は深緑のマネージャーだった。
いまや愛娘のごとき深緑が、こんなアクシデントで潰れていくのを見たくなかった。
『必ず、この半月の間に、常盤の人気を爆発させるから』
そう無理やりに説得して、なんとか会場の中止要望を跳ねのけているのだった。
「グッズだけでも、早急に捌かんと……」
白石は、早急に妙案が欲しかった。
そんな白石を何かが見かねたのか、不意に天啓がよぎったのだ。
白石を憐れんで手を差し伸べたのは、神か、精霊か、妖精か。
それとも悪魔なのか。
白石は、並んで歩いている深緑に向き直った。
「深緑、今からお前に、重大な決断を迫る」
新曲の振り付けをなぞりながら歩いていた深緑は、白石の突然の重大っぽい発言に目を丸くした。
「可哀想やが、あまりにも残された時間が少ない」
白石は指を一本立てた。
「まず、事務所の運転資金。事件のせいで日比谷野音での売り上げが見込みより激減して、損害賠償の請求までされとる。深緑のせいやないけど、お金は現実や。これをどないかせんといかん」
深緑は頷いた。
お金は、大事だ。
「返金差額で入ってこない金、それと出ていく金、請求されとる損害賠償金はもちろん、固定費、これはすぐには変わらん。ワシらでどないかできるんは、昨夜売れ残った大量のグッズや。放っておいても金にはならんし、保管しておけばその分、倉庫代も飛んでいく。まず、グッズを捌くことや」
深緑は頷いた。
確かに自分たちでどうにかできるお金は、そこら辺だろう。
――でも、どうすればいいんだろう。
手売りにしても、場所取りとか販売許可とか、そもそも周知とか。
ここで、白石は荷物を脇に除ける仕草をした。
「その話はいったん、置こか。次に今後のスケジュールや。割とスカスカやが、それでもコンサートは、この先の二カ月で五つ待ってた。これが、どの会場担当者も貸し渋りを匂わせとる」
深緑は思わず口元を押さえた。
「え……じゃあ、私、コンサートなくなっちゃうの?」
白石は慌てて首を横に振った。
「待て、待て。『深緑に場所を貸さんとは、見る目のないやっちゃ』、ワシはそう言うて引き止めとるで。ただな……」
自信家の白石にしては珍しく、顔を伏せた。
「深緑の人気を、すぐにでも爆上げするって、ことで……」
なんてことを、と深緑は目を剥いた。
そんなことが易々とできるなら苦労はしない。
しかし、そこまで強気で言わなければ、相手が逃げてしまいそうな状況だったのかもしれない。
深緑は十九年の人生で何度目かの覚悟を決めた。
「任せて。私、脱いでもいいわ。覚悟はある。ボディラインに自信もあるから!」
今度は白石が目を剥く番だった。
「阿呆っ! 仮にも嫁入り前の女子が、公然で何ちゅうことを! 阿呆、阿呆!」
白石は、今どき古風な男だった。
「可愛い深緑にそんなこと、ワシが死んでもさせるかい。水着もワンピースまでや。それもパレオありでな。誰が可愛い深緑の肌を見ず知らずの獣の前に晒せるかい!」
白石は超過保護な男でもあった。
「……脱線したわ。深緑、『アイドルになりたい』っちゅう、その志。あのオーディションの日に胸を打たれてからこっち、ワシも固定観念に縛られとった。お前の可能性に蓋をしていたことに、今気づいたんや」
「えーと?」
深緑は女性にしては高めの、百八十八センチの身長を誇る。
それでいて、八頭身で均整の取れたプロポーション。
手足も長く、運動能力も五輪代表に匹敵する逸材であった。
「そうそう、父が空手世界大会二位の猛者でぇ……」
エレクトラ・コンプレックスの気がある深緑が、いつものようにねっとりと父親の自慢を始めた。
「うるさい」
深緑は、実は格闘一家のサラブレッドでもあった。
父は、先ほど深緑が述べたとおり。
母はかつて柔道で全日本三連覇し、国際大会でも入賞の常連だった。
兄は日本拳法の学生チャンピオンで、現在は人気団体でプロレスラーの若手を務めている。
弟は剣道で全中大会を優勝して、強豪高校の推薦入学を勝ち取ったばかりだという。
もし、深緑が目指すのがアクション俳優なら、大手事務所が放っておかなかっただろう。
なんなら今頃は、国民的な存在になっていた可能性だってあった。
しかし、アイドルとしては、その大きさがネックだった。
グループ売りアイドルが主流となって、もう一世紀近い。
メンバーとのバランスを欠くと、オーディションの入り口で断られ続けた深緑だったのだ。
『それでも、アイドルになりたい――』
その深緑の決意に、白石は惚れ込んだ。
「脱線しすぎや。早い話が、マーケットを変えよう。『売れないアイドルを売るなら、アイドルヲタクをターゲットに』。ワシのこのプランが間違ってたのかもしれん」
深緑は顎に手を当てて考えてみた。
でも、わからなかったので、諦めた。
「これから提案するのは、たぶん、深緑にとっての正解。最適解や。しかし、ある意味、さらに辛い道や。はっきり言うぞ。女性に飢えた世界へ踏み込むことになるんや」
絞り出すような声の白石の肩に、深緑が安心しろと手をポンと置いた。
「さっきも、言いましたよね。」
そして、おもむろに襟元から右腕を抜いて肩から先をむき出しにすると、二の腕を強調して見せたのだった。
逞しき力こぶが、そこにはあった。
「脱いでも、自信あります」
白石はその場に崩れ落ちた。
「お前のあかんのは、そういうとこやんか……」
だが、深緑はとうに覚悟を決めていて、今まさに承諾したのだ。
――ともに修羅の道を行こう。
地に伏したまま、白石は強く拳を握った。
白石「一日署長? 何をケチ臭いこと言うてるねん。こっちは治安の名の下にコンサート会場をぶっ壊されとるんや。補填したるわ、くらいの気持ちを見せてくれや」
警察の広報課長「いえ、そうおっしゃっても……」
白石「別に、バカ高いギャランティを寄こせって話やないんや。金で揉めている同士が、国民には仲良うしてるとこを、たくさん見せておこう、そういう話や。そないに悪い話やないやろう?」
警察の広報課長「とはいえ……その、東京都内にある全ての警察署で、一日署長を、この短期間でいっぺんには、その……」
白石「同じ警察署で何週間も一日署長させろとか、そんな無茶は言うてへんやん。ぐるぐる回るだけや。あと、物販もさせてや。これはこちらが警察に損害賠償で民事裁判起こさへん分の、お気持ちとして、絶対に認めてや。これだけは、譲られへん」
警察の広報課長「あ、えー……」
白石「……別に、警察署内で売り歩いてもええんやで?」
警察の広報課長「さすがに、持ち帰らせてください」
警視庁の偉い人「謹慎中の……あの莫迦どもと一緒に、各地をパレードさせとけ。まあ、物販もあちらで管理するなら、まあいいだろう」
警察の広報課長「では……そのように」




