第1話「初めまして。全力機甲警察です」
この物語の始まりは、西暦二千五十五年。
きっかけは西暦二千四十年のことだった。
数々の偶然が重なって奇跡的に発明された疑似反重力エンジンが、人類を新たなステージへ押し上げるターニングポイントとなった。
重力のくびきから、疑似的にとはいえ解放する技術を手にしたのだ。
疑似反重力エンジンは、効果範囲内にある物体の重力と慣性を軽減することができる。
さらに周囲の空気にも作用するため、移動時の空気抵抗も大幅に抑制される。
その結果、従来の動力機関が生み出す出力の大半を、そのまま運動へ振り向けることが可能になった。
つまり、見かけ上の出力を大幅に跳ね上げることができるようになったのだ。
課題さえ解決できるのであれば――
疑似反重力エンジンの効果範囲は、単純比較で力場を発生する装置の大きさのせいぜい五倍まで。
そして、その疑似反重力には、力場の発生源からの距離が大きくなるほど、必要電力はその距離の三乗に比例して増大するという燃費の悪さもあった。
数々の科学者や技術者がこの難解な課題に挑んでは、消えていった。
疑似反重力エンジンは、人類には早すぎたのだ――
誰もが実用化を諦めかけていた西暦二千四十六年、一人の天才がついに最適解を導き出した。
そう、強化機甲服の誕生である――
「みなさん、こんばんは」
東京都千代田区、日比谷公園。
日比谷公園大音楽堂。通称、日比谷野音。
大正時代に開場し、約三千人の収容能力を持つ、日本の音楽史においては特別な格式を持つ野外会場の聖地である。
今この会場で、一人のアイドルが大輪の花を咲かせようとしていたのだった。
「おやぁ元気がないぞぉ、こんばんは」
『こんばんは』
「毎度~の人も、久しぶりの人も、初めましての人も、もう一度、こんばんは!」
『こんばんは!』
「今日は、私、常盤、深緑の、初めての日比谷、公園、大、音楽堂、でーす」
アイドルとして中堅に位置するこの少女、常盤深緑にとって、今宵は今後の試金石となる野外コンサート。
心配していた天候も、やや曇りがちとはいえ雨に降られることもなかった。
肝心の観客の入りの方は、席が七割を埋めるほどであるが、深緑クラスのアイドルであればまずまずの成功といえた。
身長一八八センチ。六十八キロ。
グループ主流のアイドル界に割り込んだ、長身のソロアイドル。
――その上背では、アイドルとして大成できない。
――平均身長一六〇センチの中に、君がいると……
――ダンスも、歌も悪くない。でもね、他の娘と同じ衣装を着ているように見えないんだよ。グループの統一感がね、台無しなんだ。
今の事務所に拾われるまで、三桁に届くオーディションにふるい落とされ続け、それでも女王のような堂々たるスタイルと可憐な笑顔で、マニアな人気を地道に築き上げ、デビューから三年でついに日比谷野音までたどり着いたのだ。
「まずは、この、曇り空をぶっ飛ばす、ご機嫌なフレーズから、行っきますよーー」
深緑のMCの終わりに合わせて、軽快なドラムとベース音がステージの脇と会場の周囲に設置された大型スピーカーから流れ始めた。
深緑の可憐な容姿に似合わないビート&サウンドが近隣の日比谷公園内の歩道だけでなく、警視庁前の国会通りにまで鳴り響いていく。
一方、日比谷野音の目と鼻の先にある警視庁本部庁舎には、コンサートの音はほとんど聞こえない。
野音ステージの真後ろに位置しているものの、治安の要である警視庁本部庁舎は、非常に強固で密閉性の高い構造になっているおかげである。
窓もぶ厚い防音ガラスであり、窓を閉め切った室内は、野音の爆音や重低音とは無縁なのであった。
庁舎の十七階にある大会議室。
大規模な会議や事案発生の際に指揮拠点として使用される部屋には、錚々たる面子が顔を並べていた。
正面にある縦型の電子看板にはこう映し出されていた。
『警備部機動隊特殊機甲班について』
今からおよそ一年前に発足した、実験的な部隊である。
近頃普及し始めた強化機甲服による犯罪に対応するため、急遽立ち上げられた。
配属された警官たちの士気の高さもあり、目覚ましい成果を上げている。
出動回数は実に四百回を超え、認知した暴徒の九割以上を現行犯逮捕するという、驚異的な検挙率を誇っている。
そこだけを見れば、大成功の部類である。
その一方で。
「被害総額、申し出のあったものだけで2億円を超えている」
苦情の多くは騒音であったが、実際に騒動に巻き込まれて破壊された建築物や施設からの申し立ては実に百二十件、一件あたり百五十万円を優に超えている。
ここでは発表できなかった、内輪でもみ消したミスまで含めると、会議に出席している警視庁幹部一同、胃薬がいくらあっても足りない思いだった。
「どちらが暴徒か、わからないじゃないか」
「これでは、奇行班じゃないか」
会場中がざわつく。
「……班をまるごと、謹慎とした方が良いか」
警視監が苦々しげに吐き出し、警視総監の方を見た。
本音を言えば、はっきりと『停職』や『免職』といった具体的な処分を口にしたいところであるが、監察官への結論ありきの業務指示誘導になりかねない。
ギリギリのところでそれを踏みとどまった末の言葉だった。
同じく苦い表情を浮かべた警視総監が頷くのを確認すると、警視監は警務部長を指さした。
「では、ただちにそのように計らいます」
警務部長はその場で監察官室に『警備部機動隊特殊機甲班』を丸ごと謹慎させるために懲戒処分手続きを進めるよう、電話を入れたのだった。
「人事第一課にも、処分事務を監察官室と並行して進めるように伝えておきなさい。明日も連中が通常勤務をしているようであれば、職務怠慢で君ごと謹慎とする」
それまで黙っていた警視総監がそう告げたのをきっかけに、この会議は終了となった。
一方、警務部監察官室では――
監察官が無理難題に頭を抱えている横で、人事第一課長がさっさと処分内容を決めろと急かしていた。
「謹慎……ってことは、上は停職以上をお望みか。一人ならまだしも全員? 班長が原因なら部下は一級下かお咎めなし、部下の暴走なら管理責任の上司は一級下だってのに……処分日数で差をつけるか?」
急かしはしたものの、規則と命令の板挟みになって判断を下せない監察官を見かねた人事第一課長は、頼まれるよりも前に引き伸ばし策をひねり出した。
「……同期のよしみだ、仕方がない。とりあえず処分検討中を理由に人事から『警備部機動隊特殊機甲班』に業務停止命令を出す。文字通り、謹慎だな。これでひとまず、上への言い訳は立つ」
そう言うと、人事第一課長は電話で部下に手続きを始めるように指示を出した。
「今から準備となると、日付が変わるまでには、発令になりそうだ。無期限扱いにはするが、それでも長くて二週間が限度だ。今月分の給料計算が〆られなくなるからな。連中の懲戒処分の方、早くしろよ」
頑張り過ぎた警備部機動隊特殊機甲班の警官たちは、皮肉にもその実績により業務を凍結される羽目になったのである。
ところで、強化機甲服を利用して悪さを働く者たちは、そんな警視庁のお偉方の事情など知ったことではないのであった。
日比谷公園の霞門に一台のワンボックスカーが停車し、中から強化機甲服を着こんだ男性が姿を現した。
彼の名は、幸地友則。
現在、日比谷野音でコンサートを行っている常盤深緑がデビューした折から追いかけ続け、あまりの自分勝手さに出入り禁止を申しつけられたかつての迷惑ファンの一人であった。
それまでの深緑への愛情を見事に裏返して、今や典型的かつ急進的な反転アンチと化していたのだ。
「うへへ。俺をハブりやがって。俺の金で、ここまで来たくせによぉ」
幸地は、後ろからクラクションを鳴らして発進を催促する赤いレクサスの前輪すぐ後ろのサイドシルを掴むと、エイヤっとひっくり返したのだった。
ブブーーーー
中の運転手がハンドルに引っ掛かっているのか、けたたましいクラクションが鳴り響いた。
「イッツ、ショオ、タイム。だぜ?」
どこまでもダサい幸地であった。
事件発生から、警察への通報まで十秒もなかった。
もちろん、そこは警視庁本部庁舎のお膝元である。
見た目が装甲車のような常駐警備車はそこかしこに駐車、停車しているのだ。
市民の通報を待つまでもなく、まずは待機していた機動隊員たちが、透明なポリカーボネート製の盾を掲げながら、巣を荒らされた蜂のように一斉に飛び出してきた。
ひっくり返した車を蹴とばして気が済んだのか、幸地は日比谷野音に向かおうとしていた。
そこへ二十名を超える先遣の機動隊員たちが、取り囲もうと幸地の元へ殺到して……すべて跳ね飛ばされた。
「特殊機甲班だ。特殊機甲班を、日比谷公園、霞門まで回せっ! 大至急だ。警視庁の真ん前で、舐めやがって!」
路上へ転がされた機動隊員のうち、意識のあった一人が、無線へ怒鳴った。
二曲目を終えて、すでに汗だくの深緑が軽いトークコーナーに入ろうとしたところ、すり鉢状になった野音の観客席、中ほどに何か大きなものが投げ込まれたのを目撃した。
それは、引っこ抜かれた樹だった。
下敷きになった観客と、その周囲で悲鳴が上がった。
観客席に逆さに生えた、日比谷公園の象徴であるイチョウの樹。
深緑は周囲を見回した。
局地的な強風、竜巻だろうかと疑ったのだ。
曲が終わって、心なしか左手の外が騒がしい気がする。
――ステージ上にいる自分が一番状況を把握できるはずだ。
ここに集まった観客たちを安全に誘導できるのは、自分なのだ。
深緑の目が、向かって左にいた異物、不審人物を捉えた。
強化機甲服を着こんだ何者か。
考える間もなかった。
深緑は手にしたマイクをオンにして大声を張り上げた。
「みんな、『西幸門』に逃げて!」
深緑は右手を挙げて、闖入者である幸地から距離を取りながら脱出できるルート、つまりこの日比谷野音から日比谷公園外へ抜けるのに最も近い『西幸門』へ向かえと避難誘導をした。
『ふーかーみーどーりーーーー』
強化機甲服のスピーカーで増幅された、聞き覚えのある粘着質な声が聞こえてきた。
深緑の脳裏に、とある人物の顔が浮かび上がってきた。
不快な記憶とともに。
「ゆきちーーーっ!」
マイクを通じて、野音中に深緑の怒りのヴォイスが轟いた。
「出禁にしても、何度も何度も押しかけて、他に趣味はねえのか――――っ」
『認知、してんじゃん。なら、俺の話を聞けよーーーっ』
「お断り、だ―――」
観客が無事に避難するまで、自分が惹きつけておくその一心で。
しかし、深緑が幸地の標的なのだから、本当なら真っ先にその場を離れなければならなかった。
狂気じみた笑い声を上げながら、幸地がこれまた狂気じみた速度でステージまで駆け寄ってきた。
万事休す。
誰もがそう思ったとき――
ステージ後方の描き割りを、何かが突き破って二人の間に割り込んできた。
紺色ベースの強化機甲服だった。
ステージの照明にきらめく金色の桜紋をあしらったデザイン。
『動くな。警視庁、機動隊特殊機甲班、副班長の小金沢蒼児巡査部長だ』
独特なシルエットの強化機甲服が深緑を庇うように位置取るのだった。
「貴様は、器物損壊罪、暴行罪、公務執行妨害罪、建造物侵入罪、威力業務妨害罪、傷害罪、脅迫罪の容疑がある。これ以上は余計な罪状を増やすんじゃない。素直に投降しろ」
『うーるせええーーーー』
幸地は構わず小金沢ごと吹き飛ばそうとタックルを仕掛けてきた。
小金沢は腰を深く落とすと、幸地の股ぐらに右腕を差し込んで、相手の勢いを活かして肩まで担ぎ上げた。
『もう一度、機会をやる。強化機甲服をオフにして、投降しろ』
幸地は手足を宙でばたばたさせて逃れようともがくだけだった。
『聞き分けのないおっさんだ……そこのお嬢さん、少し離れていてください』
深緑は小金沢の指示に従って、素直にバックステージの方に避難したのだった。
小金沢の耳にバックアップ要員からの情報が入った。
《副班長、犯人の着てる強化機甲服は、建築・解体重機モデル『ゴライアス・ミニ』ベースの、ネットにあふれている簡易な違法改造っぽいです。》
「なら……コアはノーマルの位置でいいな。とりあえずコアを制圧する」
小金沢の言うコアとは、強化機甲服の疑似反重力エンジンへエネルギーを供給する中枢パーツである。
ここを機能停止させることで、周囲への被害を最小限に抑えながら、疑似反重力エンジンを停止させることができる。
しかし、誤って力場のコントロール装置を破壊したりすると、無慣性状態の暴走が始まり――
《小金沢、適当にやるなよ。コンサート会場の避難が完了してない。しかもそこは歴史ある日比谷野音だ。前みたいに周囲五〇メートル四方が焼け野原とか、減俸と始末書だけじゃ済まんぞ》
班長から小金沢に向けて、慎重に無力化しろと忠告してきた。
「分かってますよ。今回はちゃんとコアを制圧します」
総理大臣を狙ったテログループの強化機甲服の力場制御装置を損傷したミスは、忘れもしない。
危うく護衛対象ごと蒸し焼きにするところだったのだ。
そうとは知らない総理大臣からは、窮地から救い出したとして、後日表彰されてはいたのだが。
「ライフルとは言いませんが、拳銃を使わせてもらえたら、もっと簡単に制圧できるんですけどね」
『警察官は、辛いよ』なのであった。
これが、常盤深緑と機動隊特殊機甲班の最初の出会いであった。




