275.薄氷の道程
何とか特攻船のおかげで難を逃れたギルバートたちであったが、スターブリンガーの状況は決して芳しくはなかった。
不審船のレーザーによってスラスターエンジンの1基は完全に大破しており、残されたもう1基の出力は、これまでの30%しか出せなくなっていた。
さらに追い打ちをかけるように、船内の気圧低下を告げるアラートが鳴り響く。
どこからか空気が漏れているようで、このままでは遠からず酸欠になる可能性があった。
「先生、空気が漏れてるわ!今のうちに宇宙服を着ておきましょう!」
リラはブリッジの壁面に備え付けられたロッカーへと駆け寄り、緊急用の宇宙服を引っ張り出した。
ゴワゴワとした宇宙服へ足を滑り込ませ、ジッパーを上げて着込んでいく。
ヘルメットはまだ被らず、いざという時にすぐ被れるよう、首元のリングに固定しておくにとどめていた。
ふと足元を見たリラが、車椅子の夫に気づいて焦った声を上げる。
「大変、先生! ギルバートに宇宙服を着せるのを手伝って!」
「なぜですか?」
先生は首を傾げ、不思議そうに問い返した。
「だって、このままだとギルバートが酸欠に……」
言いかけて、リラはギルバートが「完全義体」だったことを思い出した。
呼吸を必要としない今の彼には、酸素も、宇宙服も必要ない。
緊急用の宇宙服は最低限の仕様で、服の部分を着ているだけでも通気性が悪く、お世辞にも快適とは言えなかった。
じわりと汗ばむ不快感に耐えかね、リラは車椅子の夫をジト目で睨みつけた。
「なんか、アンタだけズルいね」
「そんなことを言われてもなぁ…。セレノグラフィアについたらもっといい宇宙服に変えておくよ」
今のギルバートは口を動かし、苦笑いを返すしかなかった。
⋯
ギルバートたちは他の海賊からの追撃を警戒し、救難信号は出さないままセレノグラフィアへ向かうことに決めた。
推進力が落ちたため、到着までの時間は少し伸び、ここから丸1日半かかる計算だった。
移動中、ギルバートは、ひたすら電脳空間に意識を没頭させていた。
リベラが宇宙の至る所に隠密配置している、『小型特攻船』を見つけ出し、自分の電脳で直接操作する。
しかし、本物のAIであるリベラや、天才のアイリスとは違い、ふつうの人間だったギルバートには、複数の特攻船を同時に制御することは極めて難しかった。
細かく操作をするなら1機だけ。
単純な方向指示程度なら、なんとか2機まで。
それ以上を一度に動かそうとすると、特攻船のエンジンが停止してしまった
それでもギルバートは諦めなかった。
地道に同調を繰り返すうち、少しずつ操作できる距離は伸び、遠くにある特攻船を動かせるようになっていった。
調子よく2隻を並行して動かしつつ、さらに3隻目の船に意識を繋ごうとした、その時だった。
突如として、ギルバートの視界が真っ白な光に包まれ、強烈な精神的衝撃が叩きつけられた。
「うわっ!」
ギルバートは叫び声を上げ、反射的に上半身を大きくのけぞらせた。
「ギル!どうしたの!?」
リラが驚いて駆け寄るが、ギルバートはただ激しく肩で息をするばかりで、すぐには言葉が出てこない。
しばらくして、電脳のログを確認したギルバートは、ようやく事態を把握した。
3機目の特攻船に意識を集中していた所、操作中だった2隻の内の1隻が、近くの小惑星に激突して大破したのだ。
意識を深く繋いだままの船が突然破壊されたことで、ギルバートの脳は強烈な錯覚を起こしていた。
それは、かつて彼が経験した、あの生々しい「臨死体験」の恐怖そのものだった。
「ハァ、ハァ、⋯死ぬかと思った」
冷や汗を流す夫を見て、リラは冷静に、状況を説明した。
「ねぇ、今、アンタ、体が動いてたよ。後ろに飛び退いたもの。首から上と右手しか動かないはずなのに」
「え…?」
言われてみれば、麻痺しているはずの胴体が、確かに今、自分の意思で動いていた。
ギルバートはなんとなく理解した。
この眠ったままの義体を再び完全に動かすには、脳への尋常ではない大きな『刺激』が必要なのだと。
それからさらに時間が経過し、あと1時間ほどでようやく目的地であるセレノグラフィアにつく、という所までやってきた。
リラはホッと深くため息をついた。
「色々あったけど、何とか無事につきそうだね…」
安堵に満ちたその言葉が、静まり返ったブリッジにフラグを立てた。




