232.羊水からの帰還
アイリスが目を覚ますと、そこは水の中だった。
その瞬間、猛烈な恐怖に襲われ、アイリスは激しくもがき出した。
『アイリス、落ち着いて!』
水の中であるはずなのに、声がはっきりと聞こえた。
『大丈夫、息ができるから。深く水を吸い込んでみて』
その声に導かれ、アイリスは恐る恐る周りの水をゆっくりと胃に『飲み込んだ』。
お腹が苦しくなり、ゴボッと吐き出したが、おかげで今度はその水を肺に『吸い込む』事ができた。
(あれ⋯? 苦しくない)
アイリスは液体が肺に満たされる不思議な感覚を感じなら、少しずつ落ち着きを取り戻した。
周りを見てみると、眼の前には服を着たサラとエマが立っていた。
アイリスが2人のもとへ近寄ろうと手を伸ばすと、その指先は硬い感触に押し返された。
自分と彼女たちの間には、透明な壁が立ちはだかっていたのだ。
そこでようやくアイリスは、自分が全身すっぽりと入るサイズの巨大な水槽の中にいることがわかった。
(何?これ…)
⋯
アイリスの耳には水中でも外の音が聞こえるようイヤホンが装着されていた。
まず、手術を担当したサラがカプセルの外から状況を話し始めた。
『アイリス、あなたを救うために私とエマで手術を始めたの。でも、患部を注意深く観察した結果、汚染が予想以上に深刻で、背中のかなり奥まで広がっていたわ。そこでエマと相談して、汚染部分をすべて切除することに決めたの』
続いて、エマが専門家の視点で言葉を継ぐ。
『その結果、用意していた培養組織だけでは、欠損部分を十分に補えなくなったの。⋯こんな事もあるかもしれないと、事前にこの大型の培養タンクも準備していたの。今はあなた自身をタンクに入れて、欠損部分を直接培養しているのよ。組織単体で培養するよりも、あなた自身が培養液に浸かる方が3倍は早く修復が進むの。』
サラが説明を引き継いだ。
『エマの判断は正しかったわ。手術開始から今日で3日目。あなたの背中の組織はほぼ再生された。だから、こうして目を覚ますことができたのよ』
エマが優しくカプセル越しに語りかける。
『あと1日。あと1日だけそこで我慢すれば、以前のような健康な体に戻れるわ。もう少しだけここで頑張って』
説明を聞いたアイリスは、液体の中でこくりと静かにうなずいた。
⋯
翌日、アイリスが再び目を覚ましたタイミングで、培養液がタンクから抜かれた。
水位が下がり、液体がすべて抜かれたタイミングで、アイリスの肺に溜まっていた液体も強制的に排出された。
「ゲホッ、ゴホッ!」
アイリスは激しく咳き込み、一時的な苦しさに身をよじったが、次の瞬間には新鮮な空気が肺を満たした。
空になった透明なタンクが静かに持ち上がり、液体に濡れたアイリスが外の世界へと解放された。
エマが大きなバスタオルを差し出した。
「まずは、その手術着を脱いで体を拭いて」
アイリスは何も気にせず、全裸になり、体を拭き始めた。
いつもなら、背中の患部に触れるだけで鋭い痛みが走る。
だが、今はどこを拭いても痛みを感じなかった。
アイリスは確認するように、裸のまま近くにあった鏡の前まで走った。
「足元が滑るから気をつけて」
サラが声をかけたが、今のアイリスには聞こえていないようだった。
鏡の前に立ち、ゆっくりと背中を映してみる。
いつもなら、首筋の接続デバイス付近の肌は赤く腫れ上がり、痛々しい姿を晒していた。
しかし、今の肌は驚くほど健全で滑らかな状態に戻っていた。
それどころか、そこにあるはずの接続デバイス自体が跡形もなく取り払われていた。
鏡に釘付けになっているアイリスに、サラが説明を加えた。
「デバイス自体も汚染されていたから、今回は丸ごと取り除いたわ。もし必要なら、最新の接続デバイスを付け直せるようにするけれど、どうする?」
サラの問いかけに、アイリスは迷うことなく、力強い声で返答した。
「⋯ネットに繋ぎたい」




