希望への後退
真裕から聞いた魔術書の話は、ステラが海外へ行った時に聞いた伝説とそっくりであった。
『男に裏切られ、親友にも裏切られた女が願ったのは復讐――。
地から湧き出でる恐るべき漆黒の憎悪を纏うと、何処からともなく奇妙な魔術書が飛んで来た。
復讐を願った女に忌まわしい呪いの言葉を授けた魔術書。 圧倒的な力を手に入れた女は復讐を遂げ、魔術書に魂を捧げて砂となった』
そんな恐ろしい伝説を持つ魔術書を、何と夢見が丘中学を襲撃した殺人犯が所持していたと言うのだ。
「本当かどうかは分かりません。 清香のお父さんが魔術書の研究をしていて、実際に本を持っていたそうです。 ……そして、亡くなった清香の為にその本を使って復讐を実行したんだと……」
真裕はそんな話を何処から聞いたのだろうか? まさか、希海や勇希がそんな事をペラペラ話すはずもない。
「……あっ、はい。 この話は学校一の情報通『金田君』から聞きました」
(はぁ? 誰よ、ソイツ)
自称情報通の“中坊”の話など、信用出来る訳が無い。 ところが、ステラは清香の父の名を聞いた時、奇妙な因縁を感じた。
(涼本翔琉って……確か、姉さんが通っていた大学の……)
ステラは姉と殆ど口を利かなかったが、姉が父と会話している内容を耳にする事はあった。 大抵は自分に対する悪口であり、聞くに堪えない罵詈雑言であったのだが、時々学校生活について話題を出すことがあった。
魔術書という言葉が姉の口から出た記憶はなかった。 ところが姉が『涼本先生』という言葉を何度か口にしていた事は覚えていた。
真裕の話では魔術書は現在警察署に保管されているという。
(……調べてみる価値はありそうね)
ステラは再び魔術書について徹底的に調べる事にした――。
ステラは真裕と別れる前、彼女に「絶対、キラキラにさせて上げるから!」と約束して車で真裕を自宅まで送ってあげた。
「有難うございます、ステラさん! 私、絶対キレイになってやる!」
真裕はそう意気込んでステラに頭を下げた。 そして、颯爽と駐車場から車を出すステラの様子に憧れの眼差しを向けながら、車が角を曲がって見えなくなるまで手を振っていたのであった。
――
ステラはその後、徹底的に魔術書について調べ上げた。 魔術書についての伝説はどれも大体同じような内容であった。
『孤独と絶望を抱えた者でなければ、いくら人を恨んでも魔術書は力を貸さない』
魔術書には発動条件があるようだ。 幸い……いや、不幸な事にステラはその条件にかろうじて当てはまっていた。
勇希にフラれた事で孤独に涙し、絶望に身を震わせていた。
……ただ、一つ気になることがあった。
真裕の存在である。
ステラは真裕と会った後、身を凍らせる孤独が和らいだような気がした。 ジンワリと心が温かくなり、自然と笑みがこぼれた。
もしかしたら、そんなステラの状態ではいくら警察署から魔術書を回収しても、魔術書は力を貸さないかもしれない。
『真裕はただ利用するだけの娘。 同情などする必要は無い』――ステラはそう言い聞かせ、孤独と絶望を育んだ――。
(魔術書は本当に力を貸してくるのかしら……?)
ステラは一抹の不安を抱えながらも、魔術書を手に入れる為に警察署へ向った。
(……とにかく、まだ魔術書が本物か偽物かも分からない。 実在するものかどうかも怪しいのに、悩んでいても仕方ない)
ステラは警察署を訪ね、涼本翔琉が起こした事件の時に回収した不気味な本があるかどうか警官に聞いた。
すると、確かに警察は現場から魔術書を回収しており、保管していた事が分かった。
「……保管していた?」
ステラが目を白黒させて警官に真意を問うと、何と警官は『その本は涼本翔琉の教え子に返してしまった』と答えた。
「――はぁぁぁん――!?」
ステラは泡を食った。 何故、貴重な犯人の遺留品を犯人の関係者だからと言ってアッサリ返したのか? 警察の愚行に腸が煮えくり返ったステラは猛然と警官に食ってかかった。
「ちょっ、止めなさい!」
「ウルセェ! アンタ、取り返して来いよ!」
……ところが、警官が次に放った言葉を聞いてステラは耳を疑った。
「しつこいな、アンタは! あの気味悪い本はもう『黄瀬遙』という学生さんに返した! そんなに欲しけりゃ黄瀬さんに頼みなさい!
だいたいアンタ、涼本翔琉の何なんだ!? 涼本の愛人か? ええっ――!?」
ステラの猛烈な抗議に腹を立てた警官が口を滑らせた名『黄瀬遙』――。
「……黄瀬……遙……?」
なんと、魔術書を持ち去ったのはステラの姉『遙』であったのだ。
ステラは驚愕の事実にしばらく絶句し、警官の前で立ち尽くした。 その時のステラは名状しがたい様々な感情が渦巻いていた。
まず始めに燃え上がった感情は憎悪であった。
それから、疑問――『何故、姉が魔術書を持ち出したのか?』――姉は婚約者がおり、目眩がするほど腹の立つ幸福に浸っていたのではないのか?
そして、ステラの心に湧上がった最後の感情――それは奇妙な期待感であった。
「魔術書を手に入れる事は私の運命」
運命という因果が本当にあるかどうかは分からなかった。 ……しかし、ステラが憎悪に身を委ね、強烈な怨念を放つほど、魔術書は確実に自分の手元に近づいて来ているような気がしたので、彼女はそのように口走った。
……そして、魔術書を自分が所持する運命であれば、家族を殺害する事もまた運命。 ステラは積年の恨みを晴らすべく、父と姉がいる実家へ向けて車を走らせた。
――
ステラは妊娠中であった遙を惨殺し、魔術書を強奪した。 さらに、帰宅した父の首を刎ね、遅れて帰宅した遙の夫の心臓を抉り出した。
父と遙の夫は呪術によって殺害した。 これで恐るべき魔術書がステラに力を貸してくれた事が証明出来た。
「ディ・エイビケ・リラ・ロイフ・イズ・“アラフェール・ライラ”。
アルツ・ツェシュメルツン・イン・フィンツテルニシュ、アインゲシルト・イン・ネプル・オン・ア・ソフ。
オーベル・ザイン・エクジステンツ・ブライブト・イン・セデル。
ドス・リフト・ヴォス・ライフト・イン・フィンツテルニシュ――ハル・エス・アイン・イン・リランシュライエル、マフ・エス・ツ・ネプル。
グフ、ネショメ、ザフ、“マナス”――ファルバルグ・アルツ・イン・デム・グロイセン・セデル」
三人の凄惨な遺体を前に、難解な呪文をスラスラと唱えるステラ。 すると、彼女の身体を薄らと紫煙が纏った。
さらに彼女が呪文を続けると、今度は血のにおいが充満する部屋に火が付いた――。
「……終わった……」
燃えさかる黄瀬家を背に呟いたステラ。 生まれて来てから今日までの間、ずっと願っていた姉と父への復讐が今、終わった。
……殺すだけなら何時でも出来た。 しかし、ステラはただ姉と父の死を願っていただけではなかった。
『存在そのものを消し去りたい』
それがステラの復讐であったのだ。
ステラは魔術書に記述されている呪術“アラフェール・ライラ”によって、父と姉、そして姉の夫の存在を希薄化した。 世間は三人の存在を意識しなくなり、まるで始めから居なかったかのように錯覚した。
三人の存在は『道ばたに落ちている小石』となったのだ……ステラがかつてそうであったように。
……ステラの復讐はこれで終わったはずであった。
魔術書の力を借りて復讐を遂げた者はその魂を魔術書に奪われる……はずであったが、何故かステラが死ぬ事はなかった。
魔術書はステラの懐に留まり、表紙に刻まれた悪魔のような顔は血のような赤い口から醜怪な舌を出したままであったのだ。
そう、ステラの復讐はまだ終わっていなかったのである。
「……“呪われた子”に復讐を……」
一聞するとステラの発言は“呪われた子”と呼ばれた自分自身に対する復讐――つまり、自殺をするのではないかと疑われるような言葉である。
希海の家族に復讐をした木佐貫蒼汰は『自分自身に対する復讐』として希海が突き立てた刃によって自害した。 蒼汰は自分の運命に復讐をしたのである。
ステラも蒼汰と同じように自分の呪われた運命に対する復讐をしようというのだろうか? それとも、彼女以外に“呪われた子”という存在がおり、その存在に復讐をするつもりなのだろうか?
ステラが繰り返し漏らすこの不可解な決意――その決意が一体何であるかは、彼女に力を貸す魔術書ですら分からなかった――。
父と姉に復讐をしたステラは、次の復讐の為に準備を開始した。
まずは“アラフェール・ライラ”を使って自分の存在を“希薄化”した。 有名インフルエンサーであったステラは多くのフォロワーから人気がある一方、“アンチ”も多かったからである。 彼女は呪術によって自分の名前、経歴を隠蔽し、過去の人格と現在の人格を切り離した。
ステラの行なった事はとどのつまり『過去を捨てた』事と同じであった。 忌まわしい過去を捨て去り、新たな自分として生まれ変わる――誰も過去のステラなど覚えておらず、誰も彼女が父と姉を殺害したという事実など知り得ない世界に生まれ変わった。
ステラはまんまと身体を覆っていた悪人の皮を剥ぎ取る事に成功したのであるが、彼女の行動には一つの疑問が残った。
何故、ステラは勇希の記憶をも封印したのであろうか? いくら過去を捨て去りたかったとしても、勇希に対して自分の過去はおろか、名前すら忘れさせた理由は一体何なのか?
そもそも、ステラは勇希に自分の過去を打ち明けていたはずである。 今更自分の名や過去を勇希に隠す必要などないはずだ。
勇希はステラの不可解な行動によって彼女の名前、過去、容姿すら記憶の水底に封印され、忘れてしまった。 アメリカから戻ってきた勇希は、インフルエンサー『ステラ』が自分に付きまとっていたストーカー『ステラ』と同一人物である事に気付かなかったのだ。
勇希がステラの事を忘れてしまう事――それはステラにとって耐え難い苦痛であるはずではないのか?
もしかしたら、ステラは勇希の記憶を封印するつもりなど毛頭無かったのかもしれない。 うっかり彼も術の対象とし、記憶を心の深層に沈ませてしまったのだろうか?
……いや、ステラは決して間違いを犯した訳ではなかった。
勇希の記憶を封印する事――それこそが、ステラが言う『“呪われた子”への復讐』を成就させる唯一の方法であったのだ。




