利用された欲望
燈は大輔と別れた後、駅のホームで電車を待っていた。
背後には何故か多くのサラリーマンが横に広がって並んでいる。 制服を着た女の子の背後にスーツ姿の男達が群がる光景は、駅員も首を傾げるほど異様であった。
(な……何だろう? なんか、この先の町でイベントでもあるのかな?)
燈は背後の視線に気味悪さを感じながら制服のポケットからスマホを取り出すと、大輔にショートメッセージを送った。
『なんか、メチャクチャ電車混んでる!』
泣き顔の絵文字を添えてメッセージを送ると、すぐに大輔から『くれぐれも気を付けて』という返事があった。
(……『気を付けろ』って言ったって)
燈が不安げな目で大輔からのメッセージを見つめていると、駅のホームへ電車が侵入して来た。
電車が止まり、目の前のドアが『プシュッ!』と開くと燈は目を疑った。
「いっ――!?」
なんと、車内には多くの男性客が乗っており、女性客が見当らなかったのだ。
「なっ、なんでこんなに混んで……?」
車内には白髪交じりの初老の男性や、人の良さそうな七三分けの中年男性等、多くの男達が犇めき合っている。
彼等は戸惑いを見せる燈に向って一斉に視線を向けた。
(ちょっと、ヤバい……次の電車にしよう)
燈はその異様な雰囲気に車内へ入ることを躊躇し、後ずさりをした。
「――キャッ!?」
ところが、燈の背後に控えていた男達が次々と燈の背中を押し始めた。
「ヤ、ヤダ! 止めて、押さないで――!」
燈は後ろから次々と押して来る男達に抗えず、車内へ押し込まれて行った。
――
車内は男達でごった返していた。 全員一様にスーツ姿であり、誰もカバンを持っていない。 その代り、何故か皆スマホを片手に持っている。
困惑する燈は行く手を阻むように立っている男達をかき分け、向かいのドアへ移動した。
(何か怖い……。 大輔に――)
燈はドアの方へ身体を向けて男達に背中を見せると、手に持っていたスマホに視線を向けた。
「――キャッ!」
すると、彼女のお尻に寒気のする感触が伝わってきた。
「ちょっ――!? イヤ! 止めてよっ!」
燈が後ろを振り向くと、妙に顔がテカテカしたオールバックの中年男が燈のお尻を撫で回していた。
(この、クソ親父!)
燈は男の手を思い切り引っ掻き、男の顔を睨み付けた。
すると、男は前歯が抜けた気味悪い笑みを口元に浮かべ手を引いた。
「この人、チカンです!」
周りを囲む乗客に助けを求めた燈。 ところが、乗客は下を向いたまま彼女の叫びを無視している……。
「……ちょ、ちょっと!? 誰かっ! 聞えないの!?」
思えば駅のホームから嫌な予感がしていた。 こんな夕方に下り電車が満員であるはずが無い。
男達は燈の叫びなど耳も貸さず『ハァ、ハァ……』と不気味な息を漏らしている。
(な、何コイツ等? ……気持ち悪――)
「――いっ!?」
今度は燈の真横に立っていた男が、彼女の胸を鷲づかみにした!
「――キャァ――!」
泡を食った燈は男を突き飛ばした。
血走った目で燈の身体を視姦する男達。 皆一様に股間が膨らんでいる悍ましい姿を見て、燈はあの時と同じ吐き気を覚えた。
(……私、また狙われて……?)
燈は中学生の時、教師の企みによって乱暴されそうになった事があった。 その時、燈を助けた者が大輔であり、それから燈は大輔に恋心を抱いた経緯があったのだ。
その時に見た暴漢達の醜悪な姿が、目の前に居るスーツ姿の男達と全く同じであったのだ。
「だ、大輔――!」
燈が思わず大輔の名を叫んだ時、男達は一斉に燈の身体に醜い手を伸ばしてきた。
「キャァ! 触らないで!」
燈は咄嗟にスマホの緊急通知ボタンを押そうとした。 ボタンを押せば大輔にすぐ繋がるようになっている。 大輔ならきっと助けてくれるに違いない。
「――ンンッ――!?」
ところが、一歩遅かった。
燈は両手を男達に掴まれて後ろから口を抑えられた挙げ句、制服を破かれた。
(イヤ、気持ち悪い!)
「燈ちゃん、良いおっぱいしてるね♡」
耳元で囁く老人の声。 燈の横目にはすでに七十は超えているような老人が『ハァ、ハァ』と臭い息を乱している姿が目に映る。
異常な老人の姿に燈は思わず目を背ける。 すると、今度は燈の頬に生暖かい感触が伝わると、吐き気のする異臭が鼻を刺した。
七三分けのサラリーマンに『ベロリ』と頬を舐められた燈。 勤勉を装った不実な男は妻子の写真を待ち受け画面にしたスマホを取り出すと、涙目の燈の顔を一心不乱に撮影し出した。
(イヤ! 大輔、助けて!)
幸運な事に燈が乗った駅から次の駅までの期間は短い。 車内のアナウンスはもう次の駅に到着する旨を告げている。
「ンンッ――!」
口を塞がれ、辱めを受ける燈。 男達はついに燈の下着に手を掛けて、下着を引きずり下ろそうとした。
男達はズボンから局部を露出していた。 見るに堪えない醜い姿に燈は目を疑った。
(ダ……ダメ……! ヤラれちゃう!)
燈の瞳に涙が浮かぶ。 すると、途端に電車がスピードを緩め、男達が進行方向に雪崩のように倒れた。
レールを踏みしめる電車がガタガタと揺れる。 車内アナウンスが駅の到着を告げると、ついに電車が止まった。
(――逃げなきゃ――!)
制服はビリビリに破かれ下着姿となっていた燈。 しかし、そんな事を気にしている余裕はない。 ホームには女性もいる。 駅員もいる。 車内から脱出出来れば、誰かが助けてくれるはず。
手垢にまみれた汚れた手が再び燈の身体を撫で回そうとする。
「フザケンナッ!」
燈は男達の手を払いのけると、身を屈めて四つん這いで駆け出した。
ところが、欲望の肉壁が少女を阻み、車内へ押し戻す。 小麦色の肢体を身震いのする手で撫で回し、ドアに向って手を伸ばす燈を床に抑え付けた。
「燈ちゃん、逃げられると思った?」
イヤらしい声で囁きかけた者は、燈の背中にのし掛かったカッパ頭の中年サラリーマンであった。 頭頂部が極端に薄いこの男は燈の顔を押さえ付けると『ピョコッ』とズボンから飛び出した“小物”を燈の顔に近づけた。
『――ドアが閉まります――』
冷酷な車内アナウンスが響き渡ると無情にも電車のドアが閉まった。
「そ、そんな……」
絶望に涙する燈を嘲笑うかのように、電車は再び走り始めた。
――
(大輔……。 助けて……お願い……)
燈はしゃがみ込んだまま必死に身を護っている。 破れた制服で必死に身体を隠し、亀のように背を丸くして蹲っている。
周りを取り囲んでいる者は全員、スーツ姿の大人達である。 三十代、四十代、果てや七十過ぎの大人達が一人の少女に欲情し、寄って集って乱暴をしようとする様は見るに堪えない忌まわしい光景であった。
「電車、発車しちゃったね♡ 次の駅までオジさん達と楽しもうね♪」
男達の姿は目眩がするほど穢れていた。
蹲る少女の背に抱きついている全裸の老人。 痩せ衰えた腕で一生懸命燈の頭を上げさせようとしているが燈はビクともしなかった。
目の前では七三分けで真面目そうなサラリーマンは怒張した逸物を晒して興奮した息を漏らしていた。 恐らく妻子もいるはずだろう男は制服から覗く少女の乳房に欲情し、救いがたい自慰行為に及んでいた。
「クソッ! このガキ、床にへばり付いたまま離れねぇ!」
数人の男達が身体を丸くする少女に手を焼いている。 燈は信じられない力で自らの貞操を守ろうと必死に戦っていた。
『――きっとまた、あの時のように――』
燈は信じていた。 愛する人がきっとまた自分を助けてくれるはずだと。
『――ニャァ――!』
すると突然、燈の耳元に猫の鳴き声が聞えた。
「ナナ!?」
思わず燈が叫んだ、その時だった。
『――ガァァァ――!!』
突然、猫の鳴き声が恐ろしい獣の咆吼へと変わった。
その瞬間『ガシャン!!』と車内の窓ガラスが割れる音が聞え、男達の悲鳴が響き渡った。
「ギャァァ! な、何だこの猛獣は!?」
男達は不可解な事を叫び、雪崩を打って隣の車両へ逃げていく。
「ジジィが首を噛まれたぞ! 逃げろ、逃げろ!
「助けてぇ!」
隣の車両へ下半身を剥き出しにした男達が移動して来た光景は“圧巻”であった。 ……圧巻の“地獄絵図”。 女性の悲鳴や男性の怒号が響き、車内には何処となく”血生臭い匂い”が漂って来た。
電車は緊急停車をしており、慌ただしい車内アナウンスが響き渡っている。
(……一体、何が……?)
まさか、大輔が助けに来てくれたのだろうか? それにしても何か様子がおかしい。
身を震わせる燈の耳には『グルルル……』という獣の唸り声が聞えて来る。 逃げ遅れた男の呻き声が聞えると、途端に獣の唸り声が『ガァァ!』と恐ろしい咆吼に変わった。
『――グシャ――!』
燈の耳に何かが潰れる音が聞えた。 まるでスイカが砕け散るような音……すると、男の声がパッタリ止んだ。
水溜まりが跳ねる音、絶命間際の喘ぎ声、獣の荒い息づかい、別車両から聞える怒声……あらゆる音が混じり合い、燈は恐怖に身を竦ませた。
(……大輔……)
燈は大輔の顔を思い浮かべ、唇を噛んだ。
「はやく、助けに来て……」
思い切り彼の胸に抱きついて噎び泣き、心の底から安心したい。
そう思った矢先――。
「――燈――!!」
燈が待ち続けていた“愛しい声”が耳に届いた。
「――大輔――!」
燈は安堵に包まれた。 目を輝かせ、息を弾ませて声が響いたドアの方へ顔を向けた。
……ところがその瞬間、燈は目を疑った。
「……へっ……?」
燈は言葉を失った。 頭が混乱し、一体何を見ているのか理解出来なかった。
破壊されたドアの向こうにいた者は大輔ではなかったのである。
「……ヒ……ヒョウ……?」
それはあまりにも巨大な赤目の黒ヒョウであった。
まるでクマのような体躯のヒョウは、その大きな口に七三分けのサラリーマンを咥えている。 身体中から血を吹出し、半裸の状態でガックリと項垂れているサラリーマン。 黒ヒョウの口の中で息絶えており、握りしめたスマホの画面には笑顔を見せる妻子の写真が覗いていた。
「燈、しっかりしろ!」
黒ヒョウは大輔の声を出しながら、怪しく光る紅い瞳で燈を睨み付ける。
「な、何で? だ……大輔が……バケモノ……?」
まるで大輔がヒョウに変身したのかという錯覚を抱いた燈。 あまりの衝撃に気が動転し、目を回した。
「燈――!?」
巨大な黒ヒョウの背後から大輔が躍り出た。
大輔は気を失った燈を瞬時に支え、燈の名を叫び続けた。
「燈、もう大丈夫だ! しっかりしろ、燈――!」
結局、燈は次の日まで目覚めることはなかった。




