告白
時間は午後10時を過ぎていた。
閑静な住宅街の中にある公園には、何処からともなく机が持ち込まれていた。 机の前には希海が座っており、目の前にはスマホを片手に持った若い男性が立っていた。
街灯の明りがボンヤリと公園を照らし、希海の瞳がキラキラと光っている。 希海の背後には疲れた顔をした真裕が控えており、希海に向ってスマホを向けている“最後の男”に『早く帰れ』と目で訴えていた。
希海は『サラ、サラ』と慣れた手つきで色紙にサインをしたためていた。
そして、目を細めて男にサインを渡すとイスから立ち上がり、男の手を取って丁寧に握手をした。
「こんな遅くまで待っていてくれてありがとう♪ これからも応援、宜しくね♡」
狂乱の集団を率いて公園へ移動した希海は、即席の握手会を開催していた。
『騒ぐファンには握手もサインも一切しない』
そう宣言した希海のお陰で、握手会は粛々と行なわれた。
午後一時から始まった握手会は、公園をはみ出して道路へ溢れ出た長蛇の列を作りだした。
希海は握手を求めて整然と並ぶ一人一人を笑顔で迎え、彼等の手を両手で優しく包み込んで行った。 そして、ようやく最後の一人との握手を終えた頃には夜10時を過ぎていたのであった――。
「ふぅ……。 さすがに疲れたわ」 (……力を制御するのに)
握手の時にうっかり力を入れると相手の手が粉々に砕けてしまう。 大勢の人数に対応する疲労より、なるべく力をかけないよう気を遣っていたせいで希海は疲れていた。
「希海さん、お疲れ様! こんな遅くまで一人残らず対応するなんて、やっぱりスゴイね!」
真裕が手放しに希海を賞賛すると、希海は後ろを振り向き『ジトッ』と真裕の顔を見た。
(……もう、真裕ったら何言ってるの? 最後まで待っててくれた人にお礼もしないで……)
呆れる希海に、真裕は気まずそうに目線を下げた。
「……希海さん、ゴメンなさい。 こんな遅くまで付き合わせちゃって……」
悄然と項垂れる真裕。 彼女は自分が観衆を呼び集めた責任を気にするより『希海に嫌な思いをさせた』という後ろめたさの方が強いようだ。
希海は「ふぅ……」と一つ息を吐くと、机を片付けながら真裕を宥めた。
「別にアータが悪い訳じゃないわ。 皆が私に期待しているから、その期待に応えてあげたかっただけよ。
そんな事よりライブを企画したのはアータなんだから、皆に来てくれたお礼をちゃんと言わなきゃね」
希海は真裕に対して怒っている訳ではなかった。 真裕の誘いを受け入れたのは自分自身。 大勢の人を呼んだのは真裕であるが、希海が彼等に囲まれた事は真裕が仕向けた訳ではない。 希海を見たくて集まった人々だからこそ、希海は彼等の期待に応えてあげようとしただけである。
一方、真裕は自分が呼んだ観客に対してお礼の一言でも述べたのか? ……いや、真裕は希海とステラに気を遣うことばかりに集中し、ライブの主催者たる責任を全く果たしていなかった。 希海はそんな真裕の対応に苦言を呈したのである。
「私が伊奈様の養子だから、皆私に期待しているだけよ。
……皆の期待を裏切れば、私は伊奈様の期待を裏切る事になる」
『自分の人気はあくまでも伊奈という存在がいるからだ』
希海がそう言って謙遜すると、真裕は何故だか唇を少し噛み、不貞腐れたような仕草を見せた。
(……? 真裕、何を怒っているのかしら?)
真裕が急に不機嫌になった事は希海も分かっていた。 ただ、今はまだ何が原因かまでは分からなかったので、取りあえず後片付けを始めた。
希海は机を抱えると、公園の隣にある民家を訪ねた。
「急なお願いを聞いて戴いて、有難うございました!」
机は隣の民家から借りて来たようだ。 希海はお礼に民家の住民にサインを描いて握手をすると、笑顔を見せて一緒に写真を撮った。
機嫌を良くした住民は「夕食をご馳走する」と希海を誘ったが、希海は丁重に断って真裕と共に帰路を急いだ。
――
「ステラさんを置いて皆と外へ出ちゃったけど、大丈夫だったかな? 真裕の方からも謝っておいてね」
真裕が住むタワーマンションの前で、希海はステラを気遣った。 真裕は「……うん」と言ったきり何やら思い詰めたように下を向いていた。
「真裕、大丈夫? 疲れちゃったんだね。 こんな遅くまで付き合わせちゃってゴメンね」
希海は真裕が不機嫌であった事に気付いていたが、彼女の態度を咎めなかった。
すると、真裕は慌てて希海の言葉を否定した。
「そ、そんなじゃないよ! むしろ、希海さんの方が疲れてるんじゃないかって心配して……。
その……私のワガママを聞いてくれて、しかもあんなに大勢の人達の為に嫌な顔一つしないでこんな時間まで……」
真裕はそう言うと途端に口を噤み、再び目を伏せて俯いた。
希海は真裕がその場を取り繕っている事に気付いていた。 彼女の身体から放たれる複雑な感情の光がそう教えてくれた。
「……真裕、何か変。 一体、どうしたの?」
真裕は希海の問いかけに目を瞑り、唇を震わせた。
「何かあったの? 私で良ければ相談に乗るよ」
希海は穏やかな笑みを称え、真裕に優しく語りかけた。
駐車場を照らすオレンジ色の外灯は、アスファルトに二人の影を創り出している。 俯いたままの真裕の顔から『ポツ、ポツ』と涙がこぼれ落ち、足元の影に吸い込まれて行った。
マンションの敷地内に植えられた木々の葉が『ザワ、ザワ』と風に揺らめく。 希海は少し冷たくなった風を感じながら、真裕の言葉を待っていた。
「……私、希海さんの事が……キライだった」
真裕は重い口を開いた。
真裕から出た言葉は希海の胸を抉る鋭い刃であった。
「……えっ……?」
希海は言葉を失った。
『真裕に対して何か酷い事でも言ったのか?』
『何か真裕に嫌われるような事をしたのだろうか?』
真裕と出会ってから今までの過去を振り返る希海。 自分の言動、自分の行動――全てを思い出しても『何故?』という疑問符しか出て来なかった。
真裕の口から放たれた言葉が氷の刃となって、希海の心に突き刺さる。 俯いたままの真裕の目に映る希海の足元は『ガタ、ガタ』と震えていた。
真裕は希海の悲痛な姿を見ることが出来なかった。
(ゴメンね、希海さん)
真裕の心もまた鋭い刃によって抉られていた。 自分の本音を伝えることがこんなに苦しいとは……。
だが、それでも真裕は必死に言葉を絞り出した。
『――希海との友情の為に――』
真裕は下を向いたまま、希海に対する自分の想いを告白し始めた。
――
「……私、希海さんのようになりたかった。
器用で、明るくて、そして誰よりも美人な希海さんのようになりたかったの。
だから、私は自分を変えたいと思って“堀翔”へ入学した。
お父さんの事は大嫌いだった。 お母さんと私にあんな酷い事をした挙げ句、“鬼”になって死んでいったお父さんなんて……。
……でも、そんな大嫌いなお父さんの力を借りなければ、私は“堀翔”に入学することすら出来なかった」
真裕は希海に憧れて陰気な自分の性格を変えようと堀翔女子高へ入学する決心をした。
ところが、堀翔女子高は一般受験では殆ど合格することの出来ない“狭き門”であった。 必死に勉強し一般受験に挑んだ真裕は努力の甲斐無く不合格となった。
失意に暮れる真裕を見かねた母『真琴』は俳優であった亡き夫の人脈を使い、真裕を堀翔女子高へ裏口入学させた。
「……そんなズルをして入学しても、結局私はC組にしかなれなかった」
堀翔女子高はA組からF組までのクラスがあった。 C組は真裕が嘆くほどレベルの低いクラスではなかったのだが、真裕はクラスメイトから『父親の名前を使ってもC組にしかなれなかった出来損ない』とバカにされていたのである。
「だから、私なりに頑張ろうとしたの。 無理して入学させてくれたお母さんの為にも『必ずA組になってやる』って。
私は希海さんのように美人じゃない。 伊奈さんのように歌が上手い訳でもないし、ダンスも出来ない。 でも、A組になった子は私のような子もいた。
その子は“ミー・チューバー”だった。 “ミー・チューブ”でゲーム配信をしていた子だったんだけど、A組の他の子と比べてもお世辞にも可愛いとは思えなかった。
それでも、その子はA組に編入出来た。 その子は100万人くらいのフォロワーが付いていて、ゲーム配信では結構有名だったから」
真裕はそんな現状を「理不尽だ」と感じたらしく、A組の女の子を真似てSNSの魔境へと飛び込んだ。
「“IG”を始めれば、きっと私もA組になれる。
……そう思ったんだけど、誰も私の“アカ(アカウント)”なんて見てくれなかった。
日に日に“小石”が積み上がって来て、クラスの子には『賽の河原積み』とバカにされた」
再び屈辱を味わった真裕は“IG”を止めようと思った。 ところがその矢先、有名インフルエンサーであったステラが真裕に近づいて来たのである。
「ステラさんは突然私の“アカ”をフォローしてくれた。 そして、積み上がった“小石”を次々と消してくれたの」
真裕の話では“IG”のアカウントに積まれた“小石”は他人に除去してもらう事が出来るそうだ。 しかし、除去した者はその代償として自分のアカウントに“小石”が積まれる事になってしまう。 要するに“小石”を除去するという行為は、人気の無いユーザーの身代わりになるという行為であった。
身代わりとなって積まれた“小石”は、投稿に“いいね”が付くと消える仕様になっていた。 毎日の投稿に数万件の“いいね”が付くステラにとって、真裕の“小石”を拾う事など小枝を拾うようなものであった。
「私はビックリしてステラさんにお礼も出来なかったんだけど、しばらくしたらステラさんから連絡が来たの。 私が公開していた“おまじない”に興味があるって……」
真裕の話を聞いていくうちに、希海は次第に落ち着きを取り戻していった。 しかし、真裕が何故、希海の事をキライになったのかはまだ分からなかった。
希海は真裕の本音を聞きたい一心で、黙って真裕の話を聞いていた。
時間はもう0時を過ぎていた。 いつの間にか二人は駐車場の縁石に腰を降ろしていた。
希海は地面を見つめながら、真裕の口から漏れて来る“本当の声”に耳を傾けていた。




