『EP-00:15』-『裏切り者の檻の中で』
破壊音が鳴り響く。
後方から銃弾だけでなく、たまに巨大化した椅子や机が投げられてくる。
直線的に移動ばかりしているとすぐに直撃してしまう。
逃げるように、階段を駆け上がる。
『ど、どうするんですか?』
「テイシアには悪いが、倒すしかない。お前を狙っている奴を聞き出すためにもな」
『でも、それをお兄様が知っているかどうか……』
「暗殺未遂事件に関わっている奴は、軍内部に必ずいる。そうじゃなければ、あの時の軍の包囲網を突破できない。例えお前の兄が犯人を知らなくても、真犯人の尻尾ぐらいはつかんでいるはずだ」
そういっている間にも、机や椅子が一気に複数投擲される。
この猛攻、避けられるわけがない。
投げられた机だけに焦点を絞って『時間停止』する。
巨大化した机ならば、壁代わりになってくれる。
ドン! ガン! と壁となった机に何かをぶつけられ徐々に壊される音がする。
「今の内だっ!」
ドアが壊れんばかりの勢いで開き、転がりながら入る。
いくつかの黒い実験台が並んでいる教室。
フラスコ、試験管などのガラス製のもの。
微妙に凝ったつくりをしている人体模型。
実験で使用するマッチ箱が放置してある。
『ここは――理科室ですね』
ガスの元栓に触れながら、周りを見渡す。
開けっ放しの扉に駆け寄ろうとするが、
『危ないっ!』
投擲された巨大な上皿天秤が直撃する。
「うぐっ!」
窓際まで吹き飛ばされる。
『……既に、お兄様はこの理科室にいますっ……!』
扉から逃げようとすれば、今のように邪魔されるということか。
「もう逃げられない。この三階の個室ならば、逃げ場所など窓の外ぐらいなものだ。それおとも飛び降りてみるかな? 仮に三階の高さから飛び降りて生きられたとしても、空中では身動きが取れない分とどめは刺しやすいけどね」
どうする。
まだ、仕掛けが整っていない。
時間稼ぎと同時に情報収集でもしておくか。
「おい! 待て! お前、軍のトップなんだろ!? だったら、お前の妹の暗殺未遂事件に誰が関与しているかぐらいは見当つかないのか!?」
「君の相手をする前に、そいつを捕まえろと、そう言いたいのかな?」
当たり前だ。
こっちだって個人で動くには限界がある。だからひっそりと一ヶ月は何もせずにいたのだ。だけど、
「そんなこと、僕はするつもりはないよ」
「な、なにぃ?」
ニミアムは姿を隠したまま、
「何故なら僕は、『あの人』に命じられて暗殺未遂事件を起こしたんだから」
最悪の告白をしてしまった。
『えっ――!?』
「じ、実行犯だと、お前、自分の妹を――!?」
理解ができない。
家族を敵に回すなんて、自分には絶対できない。
「僕は優秀なんだ。誰も彼もが僕の下なんだ。いずれ王位を引き継ぐ僕は誰よりも偉いはずなんだ。……それなのに、僕の父上も母上も世間も、どいつもこいつも無能な奴らは僕の妹ばかり贔屓する。しかもその理由が、『生まれ持った才能』が素晴らしいから。……はっ、そんなのおかしいだろ?」
「……何を言ってる?」
「だから、おかしいんだよ。彼女は『時を操る』ことができる。それは凄いことさ。だけどさ、そんなもの生まれ持った才能じゃないか。そんなもので全てが決まるなんてひどいとは思わないか? う、ざ、い、ん、だ、よ。……あいつは。僕はザナドゥで最も上の権力と名声を手に入れる。そのはずなのに、どいつもこいつも頭がおかしい。才能だけあって、どんくさいテイシアばかりちやほやしてばかりだ。そんなの、おかしいだろうがよっ!!」
喋れば喋るほど、自分の場所を特定しやすくなってしまう。
そんなこと分かっているはずなのに、ペラペラとよくしゃべるものだ。
それだけ、妹と比較されるのが嫌なのか。
「僕は誰よりも優秀なんだ! 異例の若さで、僕がザナドゥ軍の総指揮をとっている!! それなのに、何もしていないテイシアの方が目立っている! 生まれ持った才能だけで! そんなの許せるか!!」
生まれ持った才能のなさで苦悩し続ける。
他人と比較して、自分を責め続けなければならない。
それは、『持たざる者』の自分には痛いほどよく分かる。
でも。
だからこそ、
「そんなことで、自分の妹を殺そうとしたのか……?」
そんなことで、とこいつを責めてやらなければならない気がした。
『そんな……』
悲しんでいるテイシアには何もできない。
だから、代わりに叩きのめしてやる。
「あいつが持っているのは才能だけじゃない。あいつは本当に優しい奴だ。俺のことをいつも心配してくれるいい奴なんだよ。お前みたいに権力だけ持っている奴よりかは百倍いい奴なんだ」
「はあ? 優しい? そんなものこの世界において何の意味もないんだよっ!」
周りにある実験台が四つほど瞬時に消えてしまう。
一瞬で、小さくされた。
瞬時に巨大化させて、こちらのことを押し潰してしまおうという魂胆だろう。
直撃を喰らえば、どうしようもない。
こちらが『時間停止』を使ったとしても、眼に見えないほど小さくなってしまったニミアムのことをその間に見つけられるわけがない。
「さっさと、役立たずの妹ごと死ねよ!!」
もう、自分には何もできない。
いや、何もできないというのは正しい表現じゃない。
「なんだ、このにおい……それにこの音は……」
ニミアムも気がついたようだ。
自分には何もできない。
というより、何もせずとも、こちらの策にニミアムは既にはまってしまっているということに。
「気がつくのが遅すぎたな。俺がここに逃げ込んだのは、お前が見えないままでも倒すためだ……」
理科室に備え付けられているガス栓。
この教室に入ったと当時にその元栓を開いていた。
今やこの部屋にはガスが充満している。
「馬鹿が。こんなもの僕が逃げ出せばいいだけの――なんだ――!?」
理科室の扉は開け放たれている。
ここに入ってから、ずっと視線を虚空に固定していた。
それは何故か?
――教室の扉を生成するためだ。
「逃げ、られない。なんだ、これは。見えない壁があるみたいな……」
「開きっぱなしのドアの部分の空気は、部分的に『時間停止』している。つまり、ここは今密閉空間ってことだ。逃げ場所なんてないだよ。……誰にもな」
「お前、まさか……自爆覚悟で――!?」
放置されていたマッチ棒を手にする。
あとはこするだけで火がつく。
そして教室に充満したガスに火がつけばどうなるか。
子どもでも分かることだ。
「やめろおおおおおおおおおおおおお!」
そして。
悲鳴をかき消すように、
ドゴォオオオオオオオオオオオオンッ!! と、理科室は爆破された。
この教室内にいた者は無事ではすまない。
ニミアムは勿論。
爆発の中心地にいた自分はもっと傷を負ってしかるべきだ。
だが、
「スマホの自撮り機能を使って、俺自身の時を停止させた。停止されている状態だと、どんな物理的攻撃も無効になる。誰かを傷つけない優しいテイシアの『特異魔法』に、あんたは負けたんだ」
全くの無傷。
手に持っていたスマホすらも、時間を停止していたから壊れてなどいない。
眼に入ってくる煙が目に染みる。
粉々になったガラスから心地よい風が入ってきて、空気が循環されていく。
煙が晴れていくと、倒れているニミアムが視認できた。
どうやら、気絶しているようだ。
『お兄様……どうして……』
「テイシア……」
泣いているような声色に、気分が落ち込む。
なんて言って慰めてやればいいのだろう。
『大丈夫……ですよ……。私は……』
「テイシア」
『落ち込んでいてもしかたないですよね。お兄様は罪に問われるかもしれないですけど、私にはまだレンさんがいます。だから――』
「ああ、これからどうするか一緒に考えるよ」
『ありがとう……ございます』
最後まで付き合う覚悟ならとっくに決めている。
ザナドゥ軍が協力してくれるかは分からないが、統率者のいない今が事情を訊くチャンス。
上から圧力をかけられない今なら、口を割ってくれるかも――
「レンくん!!」
思考を遮る声が下から聴こえる。
窓の外、グラウンドからだ。
「この声……マリア!?」
急いで外を見やると、やっぱり叫びの音源はマリアだった。
捕まっていたはずだが、隙を見て逃げ出したのだろうか。
窓枠に足をかける。
『ちょ、ちょっとここ三階ですよ!?』
「待ちきれないっ!!」
階段を駆け下りる時間すらもったいない。
窓枠を蹴り上げて、飛び降りる。
空気抵抗で制服の端がめくれる。
『きゃ――って、これは……』
重力に従って地面に落下するわけがない。
その前に、ちゃんと仕掛けを作る。
その仕掛けのおかげで、宙に浮いているように見える。
「空気の時間を停止して足場を作った。これなら、一直線にマリアのもとに行けるっ!!」
数度にわたって、空中ジャンプをすると彼女のもとに辿りつく。
「大丈夫かっ!! 傷は……」
マリアは手錠をつけられていた。
「うんっ、大丈夫!! 無傷だよ!」
「良かった……」
見た目は無傷のようだ。
嘘はついていないようで安心した。
手錠は手錠でも電子手錠なら、解除は簡単だ。
「テイシア、暗証番号を教えてくれ」
『分かりましたよ!』
ウェンの時と同じやり方で解除できた。
手首に跡は残っていない。
本当に良かった。
「ねえ、レンくん。あの皇子は?」
「……え? ああ、ちゃんと倒したよ」
唐突なマリアの質問に一瞬詰まってしまった。
やっぱりこちらの身を心配してくれているのだろう。
「……そう。だったら、テイシアさんもちゃんと健在なのね?」
「ああ、大丈夫だよ。ちゃんと俺の中にいる」
「――ふーん」
何故か不満そうな声を漏らす。
思うに、姉は過保護すぎる。
異性の話をするだけで、こうやって嫌そうに顔を歪める。どこか子ども扱いしている。心配し過ぎなのだ。
捕まっていて、心身ともに疲弊しているかと思いきや、いつも通りのマリア。
ある意味安心した。
だから、気がつくのが遅れてしまった。
「じゃあ、結局私がテイシアを利用するしかないんだ」
テイシアの存在を簡単に認めたことを。
執拗にこちらの言葉を信用せず、精神科の病院まで薦めていたのに。
いつの間にか、彼女の名前すら知っていたことを。
「なっ――」
一気にマリアの全身から溢れだした殺気と魔力に、気圧される。
ボコボコと、地中で何かが蠢くような音が聴こえる。
その音が徐々に大きくなっていく。
ここだけじゃない。
地面を這っている何かは、物凄い勢いで校舎や校門。
ありとあらゆる場所に移動していっている。
「使えないね、あの男も。……たった一人の女も殺せないなんて」
「マリア……!?」
まるで別人になりかわったマリアを中心に、爆ぜるみたいに地中から一気に出てくる。
これは――
「『樹創天蓋』」
樹の根だ。
触手のような木の根は、急速に空へと駆け上がっていく。
複数の樹の根は中空を覆いつくし、まるでドームのように学校の敷地内を囲んでしまう。
光の入りきらない空間。
闇に堕ちてしまった。
「この『特異魔法』は……?」
『樹で学校の敷地内が覆われていっています。これはまるで――樹の檻』
こんな、『特異魔法』は知らない。
こんなこと、マリアができるはずがない。
偽者だ。
マリアは小さな植物を生やすことぐらいしかできないはず。だけど――
レンの真下から樹の根が飛び出す。
「な、んだ――!?」
飛び出してきた樹の根を『時間停止』させて、なんとか避ける。
だが、一気に飛び出した木の根の大群を避けきれたのは、自分だけのようだった。
「がっ、あっ!」
「きゃっ!」
樹の根に絡みとられていく。
それは、一人や二人どころの話じゃない。
大勢の、本当に大勢の人間の悲鳴が次々に聴こえてくる。
血の気が引いていくのを感じる。
「マリア! みんなに何をやってるんだ!?」
「……ああ、そっか……。レンくんには、私の『特異魔法』はただ植物を操るだけだって記憶を改竄してたんだっけ……。だったら、私が今やっていることが分からなくても当然だね……」
「記憶を……改竄……!? なにを……?」
「私の『樹創天蓋』は、他人の心を操ることができる。つまり、私の根に触れた者は、誰も彼もが私に服従する操り人形になるの」
樹の根に絡め取られていた人達には、根がはられている。
血管にそっているのか、皮膚に浮き出ている根がたまに突き破っている。
ドグン、ドグン、と脈打つように樹がたまに動いているのが、気味が悪い。
瞳の色がない。
どいつもこいつも、自由意志など持っていない。
茫然と立ち尽くし、口を半開きにしている。
「嘘……だ……。マリアが、こんなこと……」
かぶりをふる。
信じたくない。
瞳に映るもの全てが、絶望に染まっている。
これが現実に起こっていることだとしたら。
こんなのあまりにも酷過ぎる。
「嘘だよ。――何もかもがね」
突き放したような言い方で、
「だって、私はあなたの姉なんかじゃないもの」
どうしようもなく距離ができてしまう。
「な――に――!?」
「だ、か、ら、全部嘘なの。私はあなたの実の姉なんかじゃない。捨て子なの。あなたの家に預けられていた子どもの内の一人。家がなかったから、あなたの記憶を改竄して、姉として演技をし続けてきたの」
「全部、嘘――!?」
「そう。あなたの過去の記憶がないのも、全部私のせい。……理解した?」
何を言っているのか、分からない。
マリアの言っていることのどこからどこまでが嘘なのか、真実なのか分からない。
「どうして、そんなことを……」
「住む場所が欲しかったの。別に誰でもよかったんだけどね。あなたと、あなたのお父さんとお母さんがあまりにもお人よしだったからね……。騙しやすくて利用しやすかった……。それが理由かな?」
「違う……。嘘だ……。マリアは誰かに操られているんだ」
そうだ。
それなら、納得がいく。
首謀者が他にいるはずだ。
「これでも?」
潔白だと思い込みたいのに、マリアが手で合図するとガチャガチャと音が一斉に鳴り響く。
大勢の軍人が銃を構える音だ。
『が、学校の人間だけじゃない……。お姉さん……ザナドゥ軍の人間さえも操っていますね。……っていうことは、私のお兄様も……?』
「…………っ!」
もう、何も言えない。
疑うことすらできない。
マリアは完全に黒だ。
「邪魔が入るといけないから、境界線の周囲には操り人形を配置させておくね。これからすることは、とっても大切なことだから」
発砲音が重なる。
刹那――視界に捉えて銃弾の時を止める。
しかし、前に注意を払ったせいで背後から襲い掛かってきた、樹の根に反応しきれない。
「――うっ!」
ザグンッ! と背中が尖った樹の根で斬れてしまう。
「なに――を――!」
「避けないで、受け止めて。――私の全てを」
複数の樹の根が、まるで津波のように襲い掛かってくる。
さっき背中に受けた傷は擦り傷程度だったが、まともに受けた場合。特に足を止めた時は、身も心も支配されてしまう。
常に動き続ける。
他の攻撃にも注意しなければならないが、常に根が生えてくる地面に意識を裂かなければならない。
「これ以上、なにをするつもりなんだ……。俺なんかを操っても――」
「そう。私が操りたいのは、テイシアのこと」
「目的は……なんなんだッ!」
銃を持っている軍人達を眼球に映して、時間を止めた。
マリアの後ろに回りこんで、一気に勝負を決めたいところ。
「私の目的は簡単なこと――」
後頭部に一撃を与え、それから怯んだところに首を絞めて意識を喪わせる計画でいく。これ以上、戦い続けたくない。だけど――
「八年前の悲劇をなかったことにすること」
マリアの目的を聴いた瞬間、一瞬振りかぶった腕が止まってしまう。
それを見逃さずに、地面から樹の根を一気に生やして自分の周りに殻を作る。
「なっ! そんなこと、できるはずが……」
樹の根が腕を掠った。
全方向の防御態勢と同時に、攻撃にもなっている。
冷や汗を噴き出しながら、後ろに飛び退く。
『――できます』
「えっ……?」
「できるのよ、テイシアの『特異魔法』を使えばね……」
使いこなせていない。
それはテイシアの兄にも言われたが、その真意を理解できていなかった。
「……まさか、本来の『黄金の時間』は、ただの『時間停止』じゃないのか……」
「『時間を自在に操る』……そう。つまり、時計の針を戻すことも可能っていうこと」
「過去に戻って、あの出来事をなかったことにする。そんなことが……!?」
時間を止めるだけでも、相当危険な『特異魔法』だったのに、『時間を遡る』こともできるのか。
『私にはできません。だけど――』
「私ならできるの。ニミアムの思考を覗き見てそれを確信した。テイシアは確かに強大な力を持っているけど、まだまだ未熟。それに使う度胸もない。だけど、それを私が扱ったとしたら? 他人を操ることができる私なら、愚図な持ち主なんかよりもよっぽどうまく『黄金の時間』を使ってみせることができる」
「本当なのか……」
『できるかもしれません。マリアさんは、その……言いづらいですけど、レンさんのことをずっと欺いてたんですよね。そこまで記憶の改竄を入念にできて、そして今学校の敷地内にいる人間全てを操れるほどの力を持つ人なら、もしかしたら……』
もしかしたら、できるかもしれない。
テイシアはそう言いたいのだろう。
「私なら、誰もが笑っていられる幸せな世界を取り戻すことができる。だからね、引き渡して欲しいの。――テイシアを」
一ヶ月前のことを思い出す。
カナサにも同じようなことを言われた。
だが、あの時とは状況がかなり違う。
「そんなこと……」
「できるよね。一ヶ月前のことは、お互いに窮地に陥ったから仕方なく協力しただけなんでしょ? でも今なら大丈夫。レンがまた『持たざる者』に戻っても、私がちゃんと守ってあげる。だから、ね。この手を取って。そして、一緒に救われようよ」
マリアが伸ばした手を取れば、全てがうまくいく。
テイシアはというと、口出しする気がないようだ。
選択権は自分にある。
死んだ両親を取り戻し、そしてこの一ヶ月のことも全て綺麗さっぱりなかったことにできる。
傷だらけになったことも、全部なかったことにできる。
だから――
「嫌だね」
だからこそ、嫌なんだ。
傷だらけになっても、テイシアを守った過去が全てなくなるなんて考えられない。
そして、両親はもう死んだのだ。
「……死んだお父さんやお母さんにもう一度会いたいとは思わないの?」
「思うよ。だけど、死んだんだ。父親も母親も……。死んだ人間は二度と戻ってこない。その悲しみがあって、それを乗り越えたから、今の俺達がいるんじゃないのか……。なにもかも帳消しにしてしまったら、俺は今の俺を否定することになる。もしも八年前の悲劇がなかったことになったらとしたら、俺はテイシアのことを守ろうとしなかったかもしれない。辛いことがあったからこそ、誰かに手を差し伸べることができる心を持つことができたんだよ」
『…………』
「…………」
真の力を取り戻しさえすれば……。
都合のいい未来を描くことができる。
まるで神のように思い通りに世界を改変できる。
だが、そんなものは全てまやかしだ。
どんなに辛くても、辛い現実があったから、今の強い自分がいるのだ。
「みんなが救われるかもしれない。だけど、どうしてテイシアを操ってまで強硬策をとろうとしたんだ。それに、どうしてこんな囲いをつくったんだよ。まるで俺が誘いを断るのを前提に準備しているみたいだ」
マリアは気がついていたんだ。
誘う前から、こちらが断ることを。
そして、
「――決裂した俺と戦うことを」
全てを覚悟した上で事情を話した。
なら、こちらも戦う覚悟を決めなければならない。
彼女はきっと止まらない。
自分の想いのために。
そういう人間だってことを、自分は知っている。
「……昔はさ、レンくんはとてもいい子だったんだ」
ぽつり、と小さくマリアは闇の中で呟く。
「私の後ろについてきて、私の忠告をきてくれる賢い子で、それがとっても可愛かった。……なのに、成長するにつれて私の言うことを聴いてくれなくなってきた。私がどれだけレンくんのことを心配していたか知っている? いつも傷だらけになって、誰かを助けようとするレンくんのことを見るのは耐えられなくなってきた。……そして決定的だったのが、一ヶ月前のこと」
「……一ヶ月前?」
「『特異魔法』を手に入れたレンくんは、本格的に反抗期に入ってしまった。私の言うことを全く聞いてくれなくなってしまった。それは全部――あの子のせいだよね。泥棒猫さえいなければ、私だけのレンくんだった。だからね――少しぐらい痛めつけてやりたいって思っただけなの。……分かってくれるでしょ?」
マリアは気がついていない。
彼女の瞳が自分のことを見ていないってことを。
もっと遠くの方。
自分の妄想の中にいる自分のことを、めでている。
楽しそうに、赤ちゃんでもあやすように話している彼女は、もう完全に狂ってしまっている。
「私たちの手で、過去をやりなおそう。そして、明るい未来を手にしようよ」
「……そんなの、分かるかよ。俺はあいつの涙を二度と見たくない。……それに、確かに魅力的な提案だけどな、死んだ人間は二度と生き返らない。墓場を暴くのは死者への冒涜だ。――未来ってやつは、今生きている奴らが紡いでいくものなんだよ」
「ひどいよ、レンくん……」
涙を流しながら、マリアは車ほどの太さの根を横に薙ぐ。
「うっ!」
樹の根を『時間停止』するが、足元に何かが絡み付く。
別の樹の根かと思いきや、違う。
人の手だ。
軍人の手ならば蹴り上げて逃げられただろう。
だが、足首をつかんでいたのは、
数日前に手紙をくれた女性だった。
マリアの『樹創天蓋』と拒絶反応を起こしているのか、浮き出た血管から血が溢れている。
眼球の傍の血管から溢れていて、まるで血の涙を流しているようだ。
「ぐっ!!」
あまりにも残酷な仕打ちに目を逸らしてしまった。
その瞬間――樹の根が全身に絡み付く。
「しまっ――た――」
完全に、捕まってしまった。
「どうしてなのかな? やっぱり、もう一度洗脳し直した方がいいみたいだね。みんなが救われる道があるのに、敢えて背を向けるなんて。そんなの弟が姉に反抗したいがために駄々をこねているようなものだよね。今は分からないかもしれないけどさ、経験を積めば分かるんだよ。どうすれば正しい道を楽に歩むことができるのかってことが」
『レンさん……』
「大丈夫……だ……。もう少し一緒に戦ってくれ。俺の姉は、お前の兄みたいにちょっと間違ってしまっただけなんだ……。それを正してやるのが弟の役目だろ?」
「また内なる自分と対話しているわけ? いい加減それもうざったくなってきたわね」
「俺はお下がりの選択肢なんていらない。それを押し付けるっていうんなら、俺だって俺の正しさを押し付ける。それが俺にとっての、今までよくしてくれた姉に対する恩返しだ」
金色の左眼が意志にそって煌々と輝く。
「例え偽者だったとしても、マリアがいてくれたからここまで強くなれた。だから、その強さで、マリアの目をさまさせてやる!!」
想いを乗せて『時間停止』させた。
そのつもりだった。
だが、
「…………力が…………入らない…………!? 時間が止められない……?」
首に巻かれた樹の根が、皮膚に突き刺さる。
血が、どんどん吸われていくのを感じる。
まるで巨人の腕のようにまとまった樹の根に首を絞められながら、空中に持ち上げられる。
呼吸が、うまくできない。
血だけじゃない。
もっと根源的なものまで吸われている気がする。
「私の『樹創天蓋』の根は、生命力をも操り、奪うことができる。もちろん、今私のために働いてくれている操り人形たちからも少しずつ必要な分をもらっているの……」
「な、なにを……?」
「言ったでしょ? 私の目的はテイシアだって。このまま絞って、絞って、絞りかすにしてあげれば、おのずとでてくるでしょ? あなたの中から泥棒猫が」
手先の温度を感じなくなっている。
目が霞んできた。
もう気絶してしまいたいぐらい弱っているが、より強く首を絞められる。
「うぐっ!」
「無駄だよ。さあ、呼吸するのすらもう辛いんじゃないの?」
「ぐがっ、ああああ!」
『やばい、です。これは――』
ブブブ、と肉体の輪郭がズレる。
精神体となっていたテイシアが、今、顕現しようとしている。
「ああああああああああああ!」
『ああああああああああああ!』
肉体から、テイシアがでてくる。
意識を喪っているようで、両目を瞑っている。
「でたわね」
左眼で見える景色が一瞬完全に真っ黒になる。
だが、すぐに元通りになる。
しかし、眼球を反射して見えるその左眼は――金色ではない。
黒い、本来の自分の瞳。
多少、ぼやけているが、完全に元通りになってしまった。
「……テイシアッ……うっ……」
「これでようやく私のレンくんが、持たざる者である私だけのレンくんが帰ってきてくれた。大丈夫だよ。このまま眠っていれば、全部が元通りになっているから……」
生命力を奪い取ったマリアの瞳は、逆に金色になっている。
「眼が……」
しかし、自分と違って片方の眼だけじゃない。
両目とも金色になっていた。
「彼女の魔力のほとんどを吸いきった。そして私はもう手に入れた。――彼女の『特異魔法』を。これでわざわざあなたや彼女の了解を得なくても私は自在に彼女の『特異魔法』をいつか扱えるはず。……今はまだ馴染みきっていないから、危なくて『時間逆行』には使えないけどね……」
まずい。
本当に何もできないまま、彼女の力を奪われてしまった。
「うぐぐぐッ……」
指一本動かすことすら困難。
もう、なんの力もない。
これじゃあ、なにもできないまま気絶するしかない。
だから――。
首を絞め続ける木の根を――
上空から飛び降りてきた闖入者に、たたき折られるのを見ていることしかできなかった。
「がはっ! げほっ!!」
ようやく息が吸える。
だが、立ち上がることができない。
誰かのおかげで助かったが、その人間がぼやけて見えない。
意識を保つことすら難しい。
「――誰ッ!? 私の『樹創天蓋』は確実に学校敷地内にいる者全てを支配下に置いたはずなのに……いったい誰が……!?」
まずい。
誰が助けにくれたかは知らないが、今のマリアに対抗できる人間がいるとは思えない。
見たところ助けに来てくれた人間は一人だけ。
だが、マリアが学校の敷地内にいる者全員を傀儡にしている。
多勢に無勢で勝ち目があるとは思えない。
それなのに、マリア顔に余裕の色はないようだ。
「手が、腕が、それどころか……身体が動かない……!? この『特異魔法』は……まさか……!?」
マリアの身体が動かない?
そんなことができる『特異魔法』……どこかで見た記憶がある。
しかし、もう正常に頭が働く状態ではない。
「……誰……だ……?」
マリア達がどんな戦い方をするのかを見届けることもできずに。
意識を完全に喪失した。




