↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
7/27

過去編 第4話 兄の帰郷 挿絵有り

 ――グレゴリオ歴四百三十六年、春。


 ロスの館へ来てから、一年が過ぎていた。

 庭を走っても息切れしなくなり、アレクは九歳になった。

 魔術の腕も上がった。マーカスに叱られる回数は、あまり減らなかった。


 兄が来る。


 朝食の席でそう聞いてから、アレクは落ち着かなかった。


「今日?」

「ええ。午後の列車で」


 ブランカが答えると、アレクは窓を見た。


 朝の日差しが庭へ差し込んでいる。

 午後までは、まだずいぶんある。


「駅まで迎えに行っていい?」

「ヨハンさんがお迎えに行くわ。あなたは、おうちで待っていましょう」

「でも――」

「一緒に行ったら、また列車へ飛びつきそうだもの」


 アレクは口を閉じた。


 飛びつくつもりは、なかった。

 止まる前に下りたことはあったが。


「兄上、今度は本当に来るんだよね?」


 母は匙を置き、アレクを見た。


「ええ。今度こそ」


 本当なら、兄も同じ列車に乗るはずだった。


 出発の前夜、帰ってきた兄はそう約束した。

 ところが朝になって、仕事の使いが来た。


 兄は父と何か話し、それからアレクの頭を撫でた。


『先に行っていてくれ。すぐに追いかける』


 その「すぐ」は、仕事の都合で何度も延びた。

 秋にも、年の暮れにも、また今度という知らせが届いた。

 そうして、ようやく一年後の春になった。


 首都にいた頃から、兄は忙しかった。

 同じ家に住んでいるのに、夕飯の席にはいないことが多い。

 アレクが寝てから帰り、起きる前に出ていく日もあった。


 研究室へ泊まる。

 よその町へ出かける。

 王宮へ呼ばれる。


 兄がする仕事のことは、よく分からない。


 ただ、帰ってくるたびに、家の大人たちが感心していた。


 アレクも、誇らしかった。


 もう少し家にいてくれたら、もっとよかった。


     *


「兄上が来るんだ」


 庭で会うなり、アレクはレイラへ言った。


「昨日も言ってた」

「今日、来るんだ」

「今朝も聞いた」


 レイラは木の根元にしゃがみ、細い枝で土を掘っていた。


 アレクはその隣へしゃがんだ。

 すぐに立った。


「何時くらいかな」

「お父さん、まだ車のところにいるよ」


 振り返ると、ヨハンが自動車の横で箱を閉じていた。


「ヨハンさん! もう行く?」

「まだだ」


 アレクは頷いた。


 少し待った。


「もう?」

「お前が聞くたびに、列車が早く来るわけじゃないぞ」


 レイラが笑った。

 アレクは隣へ戻り、今度こそ座った。


「兄上って、すごい魔法使いなんだ」

「アレクより?」

「俺より、ずっと」


 それは、考えるまでもなかった。


「宮廷にしか伝わってない陣魔法を、古い書物から自分で調べたんだ。大学の先生だって、兄上の研究を見に来るんだよ」

「お父さんも、魔導自動車のことで聞きたいことがあるって言ってた」

「何でも知ってるからね」


 アレクは胸を張った。

 自分が褒められたわけでもないのに、嬉しかった。


 レイラは枝を置き、手に付いた土を払った。


「じゃあ、今日のお勉強は?」

「あ」


 忘れていた。


     *


『今日は、いつにも増して気が散っとるのう』


 マーカスの声に、アレクは手元を見た。


 五つの灯りが浮いている。

 そのうち一つだけ、妙に大きかった。


「あれ?」


『その一つで、残り四つの明るさを賄えるぞ』


 アレクは慌てて魔力を絞った。


 大きな灯りが消えた。

 隣の二つも消えた。


『ほれ』


「今日は兄上が来るんだよ」

『それは、さっき聞いた』

「だから、早く終わらせようと思って」


『急ぐと失敗する。失敗すれば、やり直しじゃ。昨日も言うたな』


 アレクは唇を尖らせ、指先へ魔力を集めた。


「灯れ」


 指先に小さな陣が浮かび、その隣へ、同じ陣がもう一つ生まれた。

 複製された陣が元の陣の周りを一巡し、光の線と文字を残す。ひと回りすると、直径が三倍の陣が描き上がった。

 その四方にも小さな陣がともり、細い線で中央へ繋がる。

 五つの場所へ、灯りが生まれた。


 今度は、五つとも同じくらいになった。


「できた!」


『うむ』


「これ、兄上に見せてもいい?」


 マーカスが、少しだけ黙った。


『兄には、ワシのことを話したのか?』

「まだ。会ってないもん」


 アレクは老人の顔を見上げた。


「兄上なら、ここにいる理由も分かるかもしれないよ」

『……そうかもしれんな』


 マーカスは髭を撫でた。


『じゃが、今日のところは、その灯りを見せてやればよい。せっかく帰ってくるんじゃ。ワシの話より、お主の話をせい』


 アレクは頷いた。


 話したいことなら、たくさんあった。


     *


 砂利を踏む音がした。


 アレクは廊下の窓へ駆け寄った。

 黒い自動車が、庭の道を曲がってくる。


 後ろの座席に、人がいた。


「兄上!」


 返事が届く前に、アレクは走り出した。


 階段を下り、玄関ホールを抜ける。

 扉の前で、セバスがこちらを見た。


「アレク様、お足元を――」


 最後まで聞かなかった。


 車が止まる。

 ヨハンが運転席から下りる。


 後部の扉が開いた。


 長い脚が砂利へ下り、その上に、見慣れた顔が現れた。


 ザイールだった。


「兄上!」


 アレクは、その胸へ飛び込んだ。


 兄が一歩下がる。

 肩に手が掛かった。


「……アレク?」


 頭の上で、驚いた声がした。


 アレクは顔を上げた。


「お帰り!」


 兄はしばらく、アレクを見ていた。

 それから、ゆっくり笑った。


「ただいま。元気だったか?」


「うん!」


挿絵(By みてみん)


 答えると、兄の目が足元へ向いた。


「今、玄関から走ってきたのか?」

「二階から」

「二階?」


 アレクは頷いた。


 兄の手が、肩から腕へ移った。

 軽く握られる。


 指先が、袖の上から手首の内側へ滑った。

 脈を探すような触れ方だったが、兄はすぐには離さなかった。

 親指が一度、二度と同じ場所を押す。


「息は苦しくない?」

「全然」


 兄は返事を聞きながら、アレクの胸元へ目を落とした。

 呼吸の速さを数えているようだった。

 それから、喉元、鎖骨のあたりへ視線を移し、何かを確かめるように目を細める。


「……見違えたな」


 その言葉が嬉しくて、アレクは笑った。


「もう、庭を歩いても疲れないんだ。昨日はレイラと森の手前まで行ったよ」

「そうか」


 兄の指が、袖の上から腕をなぞった。


 肘の内側で一度止まり、今度は肩へ戻る。

 筋肉の具合を確かめるように、指先が細かく動いた。


「ずいぶん、しっかりした」


「毎日、残さず食べてるからね」

「そうか」


 兄は優しい言葉を、無表情で返した。その目はアレクの顔ではなく、腕から肩へ移る魔力の流れを追っているようだった。

 触れられた場所だけ、皮膚の下で魔力が薄くざわめく。

 アレクには、兄がただ喜んでくれているようにしか思えなかった。


 頭を撫でられると思い、アレクは少し顎を引いた。


 けれど兄の手は、腕に置かれたままだった。


 親指が、今度は手首の脈の上で止まる。

 兄の表情から、ほんの一瞬だけ笑みが消えた。

 すぐに元へ戻ったが、その間に視線がアレクの指先へ落ちた。


「ザイール」


 玄関から、母の声がした。


 兄が顔を上げる。


「母上。遅くなりました」

「本当に。すぐ追いかけるなんて言って、ちっとも来ないんだから」


 ブランカはそう言いながら、息子へ両腕を伸ばした。


 兄はアレクの腕を離した。

 離れる直前、指先が袖の上でわずかに止まった。


 母に抱き締められ、少し困ったように笑う。


 いつもの兄の顔だった。


     *


 兄が来ると、屋敷の中が少し賑やかになった。


 祖父は寝台から起き、書斎で待っていた。

 セバスが苦い顔をしていたが、兄を前にすると、何も言わなくなった。


「ようやく顔を見せたか」

「申し訳ありません。仕事が立て込んでいて」

「若いうちから、暇のない男になったものだ」


 祖父は兄へ椅子を勧めた。


 アレクも隣へ座ろうとした。

 母に呼ばれ、扉の前で振り返る。


「お祖父さまとお兄ちゃんは、お仕事のお話があるの」

「俺も聞きたい」

「分からないお話ばかりよ」

「兄上が教えてくれるよ」


 兄が笑った。


「あとで、ゆっくり話そう。アレク」


 そう言われれば、待つしかなかった。


 アレクは頷いた。


 扉が閉じる直前、祖父の声が聞こえた。


「王宮の方にも、出入りしとるそうだな」


 兄の返事は、聞こえなかった。


     *


 夕飯の前に、兄はアレクの部屋へ来た。


「ここが、お前の部屋か」


 窓際の机。

 祖父にもらった本。

 庭で拾った石と、レイラがくれた曲がった枝。


 兄は、机の上を順に眺めた。


「これは?」

「剣」

「……なるほど」


 兄は枝を元へ戻した。


 アレクは椅子を引いた。


「座って。俺、見せたいものがあるんだ」

「何だ?」


 手を上げる。


「灯れ」


 指先に、小さな陣がともった。


 隣へ同じ陣が生まれ、元の陣を中心に一巡する。

 軌跡に文字が並び、直径が三倍の陣が完成した。

 その四方へ、四つの小さな陣が浮かぶ。

 細い光が中央と四方を結ぶと、五つの灯りがいっせいにともった。


 揃っていた。


 今までで、いちばん綺麗にできた。


「どう?」


 アレクは兄を見た。


 兄は笑っていなかった。


 五つの灯りを見ている。

 けれど、その目はすぐに、アレクの手へ移った。


「……これを、お前が?」


「うん。お祖父様に、魔力の流し方を教わったんだ」

「この陣も?」

「これは、別に――」


 言いかけたところで、兄が立ち上がった。


「もう少し、明るくできるか?」


 アレクは頷いた。


 五つの灯りが、強くなる。

 窓硝子に映っていた空の色が、見えなくなった。


「まだ、余裕がある?」

「うん」


 兄が近づいてきた。


「止めなくていい。そのままで」


 肩へ手が置かれた。


 首都で魔法を教わった時も、兄はこうして、体に触れながら流れを確かめてくれた。


 だから、アレクは動かなかった。


 指先を巡っていた魔力が、わずかに乱れた。

 一つの灯りが揺れる。


 兄の手は肩に置かれたまま、指先だけがゆっくりと位置を変えた。

 首筋から鎖骨、肩口へと、魔力の流れを追うように触れていく。

 触れられた場所では、アレクの魔力が灯りへ向かう流れから一瞬だけ外れた。


 兄はそれを見逃さなかった。


「……兄上?」


「大丈夫だ」


 兄の手に、少し力が入った。


 その指が、肩の奥を押さえる。

 痛くはない。

 けれど、魔力を押し留めるような、妙に正確な触れ方だった。


 兄の視線は灯りではなく、アレクの手首と肩を行き来していた。

 五つの陣が揃っていることよりも、アレクの体内を巡る何かを確かめているように見えた。


「よくなったんだな。本当に」


 顔を上げると、兄がこちらを見ていた。


 嬉しそうだった。


 けれど、アレクが兄へ見せたかったものは、目の前に浮いている。

 兄は、もうそちらを見ていなかった。


挿絵(By みてみん)


 首筋が、少し冷たくなった。


 窓は閉まっている。


「ザイール様。アレク様」


 扉が叩かれた。


「お食事の用意が整いました」


 セバスの声だった。


 兄の手が離れた。

 離れた瞬間、肩に残っていた魔力の違和感が、細い糸のようにほどけていく。


 アレクは息を吐き、灯りを消した。


「行こうか」


 兄が扉へ向かった。


 アレクは自分の肩へ触れた。

 何も変わっていない。


 そう思ったのに、指先には、兄に触れられた場所だけが妙に鮮明に残っていた。


「兄上」

「ん?」


「さっきの、どうだった?」


 兄は振り返った。


 目元が和らいだ。


「上手だった。よく練習したな」


 アレクは笑った。


 聞きたかったのは、その言葉だった。


     *


 その夜、兄は長く食卓にいた。


 母の話を聞き、祖父の問いに答える。

 ヨハンが魔導自動車のエンジンについて尋ねると、兄は皿の脇へ紙を置き、簡単な図まで描いてくれた。


 アレクも、何度も口を挟んだ。


 庭のこと。

 レイラのこと。

 祖父にもらった本のこと。


 兄は、全部聞いてくれた。


 首都では、話し終える前に誰かが兄を呼びに来た。

 今日は、最後まで話せた。


「今度は、何日いるの?」


 食事が終わり、廊下へ出たところで聞いた。


 兄は少し考えた。


「しばらくは、いられると思う」

「明日も?」

「明日も」


「じゃあ、魔法を教えて」


 兄が足を止めた。


 アレクも立ち止まる。


「兄上みたいになりたいんだ」


 兄は、静かに答えた。


「そうか」


 その手が、今度こそ頭へ載った。


「じゃあ、明日は一緒に勉強しよう。楽しみだな」


 兄の顔は、影に隠れて見えなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。