↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
4/27

過去編1 ロス家への帰郷 挿絵有り

 ――グレゴリオ歴四百三十五年、春。


 窓の外を、雪の残る山々が流れていった。

 山裾の森を抜けると、黒い土を掘り返した畑が広がる。畦道を歩く人影が見え、遠くでは、小さな農機が白い鳥の群れを追い立てていた。


 アレクは窓枠へ両手を掛け、身を乗り出した。


「お母さま、見て! 駅!」


 線路の先に、明るい色の建物が見えた。

 新しい木の壁に、赤い屋根。駅名を記した看板には、大きく『ロス』とある。


「ええ。座っていなさい。もうすぐ着くから」


 母の言葉を聞き終える前に、アレクは座席を離れた。

 長く座っていたのに、脚が少しも重くない。胸の奥につかえていたものまで、いつの間にか消えている。


 首都では、庭をひと回りしただけで息が切れた。

 今日は、どこまででも走れそうだった。


 汽笛が響いた。

 蒸気機関車が白い煙を吐き、客車と貨車を連ねてホームへ滑り込む。


「着いたー!」

「サンドラさん、まだ――」


 列車が止まりきる前に、アレクは出入口から飛び出した。


 思っていたより、地面が速く流れた。

 着地するはずの場所が足の下を通り過ぎ、体が横へ傾く。


「わっ!」


 兄に教わった言葉が、とっさに口をついた。


「緩め!」


 足元に、小さな光の輪が灯った。

 輪から伸びた線がもうひとつの陣を描き、靴底の下で淡く輝く。


 体を引っ張っていた勢いが、ふっと弱まった。

 アレクは両足でホームへ下り立った。


挿絵(By みてみん)


「……出来た」


 自分の足を見た。

 それから、客車を振り返った。


「お母さま! 見た? 今の!」

「見ました」


 返事が、少し冷たかった。


 母は車掌へ頭を下げてから、停車した列車を下りてきた。

 歩くたびに旅装の裾が揺れる。微笑んでいるのに、アレクは一歩後ずさった。


「列車が動いている間に飛び下りてはいけません」

「でも、ちゃんと――」

「着地出来たから、いいのではありません」


 母はアレクの前へ屈み、両肩に手を置いた。


「あなたは治癒魔法が効きにくいのよ。また怪我をして、寝台から出られなくなったらどうするの?」


 アレクは靴の先へ目を落とした。

 ようやく外に出られたのだ。寝台へ戻るのは、嫌だった。


「……ごめんなさい」


挿絵(By みてみん)

「それから。今の、お兄ちゃんが組んだ陣でしょう。いつ教わったの?」

「兄上がおうちに帰ってきた時。練習は、まだ駄目だって言われたけど」

「それは覚えていたのね」


 母の手が、肩から頬へ移った。

 怪我がないことを確かめるように顔を覗き込まれ、アレクはそっと口を尖らせた。


「だって、体が軽いんだ。こんなの初めてだよ。首都じゃ、あの陣も光るだけだったのに」


 手を開き、握る。

 指先まで、力が行き渡っている感じがした。


「ロス地方はマナが濃いって、兄上が言ってた。本当だったんだね」

「ええ。あなたには、ここの空気が合っているのね」


 母は立ち上がり、アレクの銀髪に指を通した。

 肩に触れる長さで切り揃えた髪が、春の日差しを受けて光る。


「ロス家には、たまにあなたのような子が生まれるの。体の中のマナが濃すぎて、外のマナが薄い場所では、うまく調子を整えられない子が」

「じゃあ、ここにいたら治る?」

「それを確かめるために来たのよ。まずは、ゆっくり暮らしましょうね」


 アレクは頷いた。

 ゆっくり、というところだけは、少し聞き流した。


     *


「ロス家って、駅にも名前が付いてるんだね」


 改札へ向かいながら、アレクは看板を見上げた。


「昔、この辺りを治めていたからよ」

「でも、貴族はもういないんでしょ? うちだって、普通のお役人の家じゃないか」

「お父さまは、普通のお役人ではありません」


 母の背筋が伸びた。


「魔法局で立派なお仕事をなさって、王室から庭付きのお家をいただいたのよ。大変、名誉なことなんです」

「お庭、あんまり使わせてもらえなかったけど」

「あなたが植木の陰で魔法を練習するからでしょう」


 返す言葉がなかった。


「それに、さっき『俺』と言いかけたでしょう。お父さまの前では、きちんと『僕』と言えるのに」

「ぼ……俺だって、もう八歳なんだよ」


 アレクは胸を張った。

 細い体では、あまり迫力が出なかった。


「兄上みたいな、格好よくて強い男になるんだ。それから、サンドラじゃなくてアレクって呼んで」

「どうして?」

「兄上もお父さまも、アレクって呼ぶじゃないか。サンドラって、小さい子みたいだよ」


 母は、少しだけ困ったように笑った。


「小さい頃から、そう呼んでいるんだもの。急には変えられないわ」

「もう八歳なんだけど」

「ええ。アレクサンドル・ロス。立派なお名前に負けないように、大きくならないとね」


 母の手が、そっと頭へ載った。


「でも、お母さまにとっては、もう少しサンドラさんでいてほしいわ」

「名前まで大きくなるのを待つの?!」


 母は楽しそうに笑った。


     *


 駅前には、一台の自動車が止まっていた。

 黒く磨かれた車体に、真鍮色の灯具。大きな車輪の奥では、細い管が何本も機関へつながっている。


 アレクは母の手を引いた。


「魔導自動車だ! 煙突がない!」

「本当ね」

「首都じゃ、蒸気のしか見たことない。誰が乗るんだろう」


 車の傍らに立っていた男が、こちらを向いた。

 背筋の伸びた初老の男だった。執事服には皺ひとつなく、白い手袋をした両手が、きちんと揃えられている。


「お帰りなさいませ、ブランカお嬢様」


 深く頭を下げた男に、母の顔がほころんだ。


「ただいま、セバス。変わらないわね」

「お嬢様も、お変わりなく」

「もう息子が二人もいるのよ。いつまでもお嬢様はやめてちょうだい」

「私にとっては、いつまでもお嬢様でございます」


 母はため息をついた。

 けれど、どこか嬉しそうだった。


「お母さま、先週、四十二歳になったもんね。兄上の二十四歳のお祝いと一緒に――」

「サンドラさん」


 アレクは口を閉じた。


 セバスは目元だけで笑い、今度はアレクへ向き直った。


「初めてお目にかかります、アレクサンドル様。お会い出来る日を、楽しみにしておりました」

「あ……よろしく、お願いします」


 頭を下げようとすると、母に背中を軽く支えられた。

 どのくらい下げればよいのか、分からなかった。


「さあ、お車へ。館の者も、皆様のお帰りをお待ちしております」

「この車、俺たちが乗っていいの?」

「もちろんでございます」


 後部の扉が開いた。

 アレクは母を見た。

 母は、どうぞ、とでもいうように微笑んでいた。


     *


 駅を離れると、舗装はすぐに途切れた。

 車輪が轍へ落ちるたび、座席が弾む。


「あはは、揺れる!」


 アレクは座席の縁を掴み、窓の外を見た。

 歩いていたらすぐに疲れてしまう道を、車は畑も小川も置き去りにして進んでいく。


「よく、こんなものを用意出来たわね」


 母が、前の座席へ声をかけた。


「魔導式は、整備するだけでも専門の方が必要でしょう?」

「大旦那様が、お嬢様とアレクサンドル様の移動に必要だとお考えになりまして」


 助手席のセバスが振り返った。


「運転と整備は、こちらのヨハンが務めます」

「……それだけをしに来たわけじゃない」


 ハンドルを握る男が、初めて口を開いた。

 日に焼けた首筋に、短く刈った髪。上着の袖口には、油の染みが残っている。


「魔法局魔導具室のヨハン・ローガンだ。マナの濃い地域で、機関の稼働を調べるために派遣された」


 セバスの眉が、わずかに動いた。


「こちらの滞在中は、お嬢様方の移動もお任せすることになっております」

「それは聞いてる」


 ヨハンは、道の窪みを避けた。

 車がゆるく傾き、アレクは母の腕へぶつかった。


「ルドルフからも頼まれた。奥さんと息子をよろしくってな」

「お父さまのお友達なの?」

「大学で一緒だった」


 母が、ヨハンの横顔を見た。


「ああ。あなたがヨハンさん。主人から聞いています。機械の話を始めると、夕飯を忘れてしまう方だって」

「あいつだって、魔法の話なら朝まで帰らなかったぞ」


 母が笑った。

 ヨハンの口元も、少しだけ緩んだ。


「局では、ずいぶんご苦労があったそうですね」


 セバスが言った。

 ヨハンの口元が戻った。


「……上司と意見が合わなかっただけだ」

「ルドルフ様のお口添えで、今回の赴任が決まったと伺っております」

「世話になったことは、分かってる」


 車内が静かになった。

 車輪の下で、小石が跳ねる音がした。


「ヨハンさん」


 アレクが呼ぶと、ヨハンは前を向いたまま、短く返事をした。


「この車、どうやって動いてるの?」

「座席の下に魔晶石がある。そこから機関へマナを送ってるんだ」

「耕運機みたいに、手を置いてなくてもいいんだね」

「走ってる間ずっと手を置いてたら、曲がるのも大変だろう」


 アレクは、ハンドルを握る手を見た。


「あ、そっか」

「後で止めたら、機関を見せてやる。勝手に触るなよ」

「うん!」


 弾んだ返事に、ヨハンは鏡越しに目を向けた。


「よろしくな、アレク」


 アレクは、にっと笑った。

 この人は、ちゃんとアレクと呼んでくれた。


     *


「煙が出とらんな」


 畑の農夫が、道を走る車へ目を向けた。

 手元の魔導耕運機から、片手を離す。


「あれが魔導自動車か。どこのお貴族様だべ」

「よそ見するな! 畦まで掘る気か!」


 隣の畑から、老人が怒鳴った。

 農夫は慌てて両手を戻し、耕運機の向きを変えた。


「あれはロス家のお嬢様じゃ。二番目のお子の静養で、首都から戻ってくると聞いとる」

「お嬢様ねえ。もう貴族がなくなって、三十年近く経つべ」

「家がなくなったわけじゃない」


 老人は腰を伸ばした。


「身分解放の時、お前の親父が畑を買えたのは、どこの金のおかげじゃ」

「そりゃ、ロス家だ」

「結界の手入れは? お前、その耕運機を、よその土地でも同じように使えると思っとるか」


 農夫は、手元へ目を落とした。

 古びた機体は、今日も土を掘り返していた。


「……ありがたいとは思っとるよ」

「なら、それでええ」


 老人は帽子を脱いだ。

 近づいてくる車へ、深く頭を下げる。


 車窓から、その姿が見えた。


 アレクは振り返った。

 老人は、車が通り過ぎるまで頭を上げなかった。


「お母さま。今の人、知り合い?」

「お顔は覚えていないけれど、この土地の方でしょうね」

「どうして、俺たちにお辞儀したの?」


 母は、窓の向こうへ小さく会釈した。


「お祖父さまに、お世話になったのかもしれないわ」


 アレクも頭を下げようとしたが、老人はもう見えなくなっていた。

 落ち着かなくなり、膝の上で手を組んだ。


 首都では、お父さまの息子だった。

 ここでは、まだ会ったこともない人が、自分をロス家の子として知っている。


 窓の外へ戻した目に、鉄の門が映った。


「……あれ?」


 門の奥には、広い庭があった。

 刈り込まれた木々の間を道が続き、その先に、蔦の絡んだ煉瓦の館が立っている。

 首都の家より、窓の数がずっと多かった。


「あれ、全部がおうち?」

「ええ。ご先祖のマクシミリアン様も暮らした、古い館よ」


 車が門をくぐった。

 砂利を踏む音へ変わり、アレクは座席から少し腰を浮かせた。


「俺たち、どの部屋に住むの?」

「あなたのお部屋は二階。日当たりのよいところを、お祖父さまが選んでくださったそうよ」

「庭に出てもいい?」

「明日、案内してもらいましょうね」

「今日じゃ駄目?」


 母はアレクを見た。

 アレクは、そっと座り直した。


 それでも目は、窓から離れなかった。

 庭の奥には大きな木があり、その向こうには森がある。

 行ってみたいところが、次々に増えていく。


 車が止まった。

 館の扉が開き、人々が出てくる。


 アレクは扉の取っ手へ手を伸ばしかけ、止めた。

 母を振り返る。


「もう、下りてもいい?」


 母は笑い、頷いた。


「ええ。今度は、足元に気をつけてね」


 アレクは、魔法を使わず車を下りた。

 靴の下で、砂利が鳴った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。