第3話 荷物と値札 挿絵有り
『アレク。起きろ』
鼻の上で、何かが動いた。
アレクは目を閉じたまま、顔の上へ手を伸ばした。
「……今日は首、あるだろ」
『ある。寝ぼけとらんで起きい』
目を開けた。
見知らぬ天井があった。
梁ではない。積み上げた木箱でもない。
寝返りを打っても、寝床が揺れなかった。
「……ああ。陸か」
枕の脇に、パン屑が落ちていた。
アレクは白いネズミを見た。
ネズミは、そっと目を逸らした。
*
「今日は、倉庫を手伝ってもらう」
朝食を終えると、モルデカイが言った。
卓上には帳面が開かれ、横には銀貨が置かれている。
「昼まで荷を運んで、この額だ。部屋と飯の分を引いた、お前の取り分になる。午後は出かける用があるから、続きはまた明日だ」
アレクは帳面へ目を落とした。
示された金額を確かめ、頷く。
「分かった」
「それから、魔術は使うな」
アレクの顔が上がった。
「使った方が早いだろ」
「昨日の店主も、そう思うか聞いてこい」
反論は、出なかった。
「中に何が入っとるか知らん荷物を、まとめて振り回されては困る。まずは、人の手でどう扱っとるか見て覚えろ」
モルデカイは帳面を閉じた。
「重くて持てんものがあれば、誰かを呼べ。一人で無理をするなよ」
アレクは、もう一度頷いた。
*
倉庫には、昨日下ろした荷物が積まれていた。
樽に木箱、布で包んだ長い荷。
入口では荷車が待ち、奥では二人の男が箱を数えている。
「新入りか。こっちの箱を、その荷車へ。印を手前に向けて積んでくれ」
倉庫係が、床に並べられた木箱を指した。
アレクは一つ持ち上げた。
重かった。
持てないほどではないが、抱えたまま階段を走りたくはない重さだった。
『よい修練じゃのう』
胸ポケットから、声がした。
「黙って乗ってる奴は、楽でいいな」
『お主、今朝の修練を省いてやった恩を忘れたか』
アレクは箱を荷車へ載せた。
印を手前へ向ける。
隣の箱とぶつけないよう、少しずらした。
「次は?」
「同じ印のやつだ。六箱ある」
戻って、運ぶ。
また戻って、運ぶ。
四箱目を載せたところで、アレクは床に残っている二箱を見た。
一つには、同じ商会の印がある。
もう一つにも、ある。
ただし、その下に書かれた荷番号が違った。
「これも、持っていくのか?」
「ああ。同じ印だろ」
「こっちは、違う番号だぞ」
倉庫係が近づいてきた。
箱へ屈み、伝票と見比べる。
「……本当だ。そいつは奥だ。待て、じゃあ残りの一箱は」
アレクは積み上げられた荷へ目を向けた。
「あれじゃないか。樽の後ろ」
同じ番号の箱が、半分隠れていた。
倉庫係は頭を掻いた。
「助かった。別の店へ送るところだった」
「印だけで分けないのか?」
「いつもはな。今日は船から下ろしたばかりで、混ざっとる。悪いが、番号も見てくれ」
アレクは伝票を受け取り、宛先と箱の数を確かめた。
それから、荷車に載せた四箱にも目を走らせる。
「こっちも、見ておく」
少し離れた入口で、モルデカイが足を止めていた。
声はかけず、アレクが箱の印を順に確かめるのを見ている。
*
昼前には、腕が重くなっていた。
アレクは最後の箱を持ち上げた。額の汗が、頬へ伝ってくる。
「魔術なら、一回なんだけどな……」
『昨日も一回で、財布が空になったのう』
「しばらく、それ言う気か?」
『忘れぬようにしてやっとるんじゃ』
倉庫の入口に、赤い髪が現れた。
「お兄ちゃん! 終わった?」
マリアが片手を振っていた。
アレクを見つけると、ぱっと顔が明るくなった。
一歩駆け寄りかけ、抱えている木箱を見て立ち止まる。
「それ、最後?」
「ああ。ちょっと待ってろ」
マリアは頷き、入口の端へ寄った。
その後ろには、黒服の男が立っている。
荷車へ箱を載せ、アレクは額の汗を袖で拭った。
「たぶん。何か用か?」
「パパがお店に行くから、私もついていくの。お兄ちゃんも来ていいって!」
アレクは倉庫係を見た。
男は伝票を揃えながら頷く。
「ここは済んだ。行ってこい」
アレクは手を洗い、外へ出た。
待っていたマリアが、隣へ並ぶ。
「お兄ちゃん、こっちだよ」
案内するように、半歩先を歩いていく。
支店の入口で、モルデカイが待っていた。
「ご苦労だったな」
銀貨が、掌へ載った。
今朝、約束した額だった。
「箱の番号を見てくれたそうだな」
「書いてあったからな」
「そうだ。書いてあっても、見ん奴はおる」
モルデカイは顎で、倉庫を示した。
「荷を持ち上げるより、そっちの方が助かることもある。次も頼むぞ」
アレクは銀貨を見てから、袋へ仕舞った。
「……ああ」
*
大通りには、煉瓦造りの建物が並んでいた。
港で嗅いだ潮の匂いは薄れ、代わりに焼いたパンと、馬と、煙の匂いがする。
荷車の車輪が石畳を鳴らしていた。
モルデカイは通りの途中にある店へ入り、黒服の男が後に続いた。
マリアとアレクは、入口の見える広場で待つことになった。
「遠くへ行くんじゃないぞ」
「分かってる、パパ」
マリアは返事をしてから、すぐ隣の焼き菓子の店を見た。
窓の向こうには、小さな菓子が並んでいる。
アレクもそちらを見た。
「……それも、ついてきた理由か?」
「それだけじゃないよ」
それだけでは、あるらしかった。
広場の中央には、石の台座があった。
上には、何も載っていない。
表面に残る金属の跡を見て、アレクは足を止めた。
「あそこ、何が立ってたんだ?」
「王様だって。前の国の」
マリアは菓子店の窓から目を離した。
「お店の人が言ってた。ずっと前に、なくなっちゃったんだって」
台座の正面には、新しい銘板が取り付けられていた。
その端から、古い文字が少し覗いている。
ローデリア。
アレクは、読めたところまで目で追った。
通り過ぎる人間は、誰も台座を見ていなかった。
荷車がその前を横切り、見えなくする。
「お兄ちゃん?」
「ああ。何でもない」
アレクは、菓子店へ顔を戻した。
「買うなら、早くしろよ。親父さんが出てくるぞ」
「パパだよ」
「俺のパパじゃねえだろ」
マリアは笑い、店へ入った。
*
マリアは銅貨を出し、焼き菓子を二つ買った。
紙に包まれた片方を、アレクへ差し出す。
「はい」
「俺の分も買ったのか?」
「お兄ちゃん、今日はお金を使わない方がいいでしょう?」
アレクは返事に詰まった。
胸ポケットが、かすかに動いた。
爺さんが笑っている気がした。
「……ありがとう」
マリアはほっとしたように笑い、アレクの隣へ並んだ。
「ここの、おいしいんだよ。一緒に食べたかったの」
受け取った菓子は、まだ温かかった。
マリアは一口かじり、目を細めた。
アレクも食べた。
甘い。
中には、干した果物が入っている。
「おいしい?」
「ああ」
マリアは、アレクがもう一口食べるのを待ってから、自分の菓子もかじった。
「よかった。パパも好きなんだ」
アレクは、手元の菓子を見た。
それから、二つを包んでいた紙を見る。
「親父さんの分は?」
マリアの口が止まった。
店の扉が開き、モルデカイが出てきた。
「待たせたな……お前ら、何を食っとる?」
マリアはアレクを見た。
アレクもマリアを見た。
モルデカイが近づいてくる。
アレクは懐の袋を押さえた。
今度は、値札を見てから買った。
*
支店へ戻ると、倉庫の前に荷車が増えていた。
車輪を確かめる男がいて、綱を揃える男がいる。
朝、アレクが運んだ箱も、一台の荷車に載っていた。
「出発するのか?」
「明後日だ。内陸へ行く」
モルデカイは荷車の脇で足を止めた。
「私らも、それに同行する。ここの用は、もう少しで済むからな」
アレクは箱へ目を向けた。
今朝確かめた番号が、外を向いている。
「お前は、この町に残るつもりか?」
アレクは少し考えた。
泊まる場所はある。
仕事も、ある。
だが、ずっとここにいるつもりで、船へ潜り込んだわけではなかった。
「まだ、決めてない」
「なら、一緒に来んか」
マリアが顔を上げた。
アレクも、モルデカイを見た。
「護衛か?」
「それも頼む。ただ、魔術で手伝ってほしい仕事もある。途中で水が要ることも、車輪が泥にはまることもあるからな」
モルデカイは、荷車の車輪を指で叩いた。
「何が積んであるかは、今度は分かっとる。どう運んだかも、見ただろう」
「……酒瓶は?」
「ある」
アレクは口を閉じた。
モルデカイが笑う。
「全部を浮かせろとは言わん。出来る仕事を頼む。無理なら、無理と言え。別の手を考える」
マーカスが胸ポケットで動いた。
しかし、念話は飛んでこなかった。
「旅の間の飯と寝床はこちらで用意する。賃金も出す。詳しい勘定は、帳面を見ながら話そう」
アレクは、荷車の向こうを見た。
倉庫の入口で、朝の倉庫係がこちらへ手を上げた。
「……俺でいいのか?」
「お前に頼んどる」
モルデカイは、短く答えた。
「荷の番号を見落とさん奴で、困っとる人間を見たら手を出す奴だ。魔術も使える。頼める仕事は、いくらでもある」
アレクは目を逸らし、鼻の下を擦った。
「猫もいるか?」
「私は積む予定はない」
胸ポケットから、ようやく声がした。
『引き受けい』
アレクは笑った。
「じゃあ、帳面を見せてくれ」
モルデカイが頷いた。
マリアは、嬉しそうに父の袖を引いた。
「お兄ちゃんも、一緒に行くんだね!」
アレクは袋の上から、残った銀貨を確かめた。
船では、隠れて乗った。
今度は、仕事をして乗るらしい。
「兄さん、俺はどうしたら良いんだろな」
アレクの呟きは風に流され、誰にも届かなかった。




