第19話 お守りはいらない 挿絵有り
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二日後、アレクは港外れの空き地に立っていた。
潮風が、ローブの裾を揺らす。
左腕を曲げ、伸ばす。傷口には細い布を巻いているが、引きつれる感じは随分と薄くなっていた。
医師には、傷が開くような真似はするなと念を押された。
昨日は、言いつけどおり休んだ。
ハルトマンにも調査の話をした。男は出発日と帰還の予定を確かめ、戻ったら兵舎の修繕の様子を見てほしいと言った。
引き止められると思っていたので、用意していた言葉が余った。
その代わり、今朝、商会へ荷物が届いた。
外套の下へ着る厚手の肌着と、靴底へ打つ予備の鋲。それから、道中で食べるための干した果物。
礼を言いに行く時間がないと言うと、商会の男は、無事に戻られてからで結構ですと答えた。
アレクはローブの襟を直した。
今日は、戻って礼を言える。
少なくとも、この空き地からなら。
*
「お待たせしました」
ヴァルターが、二人の男を伴って歩いてきた。
一人は、細身の魔術士だった。
灰色の上着の袖口に、細かな刺繍がある。手にしている短杖は、木の先を銀色の金具で包んだ簡素なものだった。
もう一人は、大きかった。
背丈も肩幅も、アレクより上だ。刈り込んだ髪の下に、日に焼けた顔がある。上着を脱ぎ、厚い革の胴着を着けていた。
その男が、こちらへ目を向けた。
左腕を見る。
昨日、車を確かめに行った時にも、同じ目で見られた。
「こちらがクラウス術士。地上班の護衛には、ケスラー伍長が加わります」
「エーミル・クラウスです」
細身の男が礼をした。
「ブルーノ・ケスラーであります」
大きな男は、踵を揃えた。
アレクも名を述べ、頭を下げる。
伍長の傍らには、蓋を開けた木箱が置かれていた。布の間から、鉄の塊と、長い柄が見えている。
「本日は、互いにどのような対応ができるか、確かめておきたいと思います」
ヴァルターが空き地へ目を向けた。
地面へ、白い石灰の線が引かれていた。
その外側では、兵が見物人を下がらせている。レイラとヨハンも、その向こうにいた。
「まずは、クラウス術士と。よろしいですか」
「はい」
「お怪我が障るようでしたら、お申し出ください」
伍長が言った。
「途中で止めることは、恥ではございませんので」
言葉は丁寧だった。
アレクは、その顔を見上げた。
「……痛くなったら、言います」
*
開始位置へ歩く途中、後ろから声がした。
「本当に、連れていくんですか」
伍長の声だった。
アレクは足を緩めた。
「護衛を増やす余裕はありません。お坊ちゃんのお守りまでとなると、配置を変えねば」
「そのために、確認するのでしょう」
ヴァルターの声が返った。
それ以上は聞こえなかった。
アレクは、止まりかけた足を前へ出した。
『耳は、よくなったのう』
胸ポケットから声がした。
『つまらんところへ気を取られるなよ』
『分かってる』
少しだけ、腹が立っていた。
けれど、昨日から二度、腕を見られただけだ。
あの男は、自分が魔物を倒すところを見ていない。
こちらだって、あの男が何をできるか知らない。
アレクは白線の内側へ入り、振り返った。
クラウスは、三十歩ほど離れた場所で待っていた。
*
「私は、離れた場所からの制圧を得意としております」
魔術士が言った。
「今回も、その形で始めさせていただきます。近づかれるなら、お好きなように」
「そっちの防御は、もう?」
「ええ」
クラウスが左手を持ち上げた。
陽炎のように、向こう側の景色が揺れる。
体を囲む防御は、すでに整えられていた。よく練った魔力が、薄く、均等に張られている。
アレクは頷いた。
「分かりました」
胸ポケットへ指を触れる。
『爺さん。引っ込んでろよ』
『当てられるでないぞ』
白い頭が、布の中へ消えた。
クラウスは、短杖を胸の前へ立てた。
左手の指が、順に曲がる。
アレクは両手を下ろしたまま、相手の足元を見た。
後ろへ下がる場所を、残している。
自分が近づけば、距離を取り直すつもりなのだろう。
「始めてください」
ヴァルターが言った。
*
「風よ、我が手に集え。束ね、貫き、彼方へ至れ」
クラウスの杖が、中空へ光の線を引いた。
弧の内側へ文字が並ぶ。杖先が最後の線を結ぶと、閉じた円の中へ魔力が満ちた。
アレクは、その向こうにある顔を見た。
口はもう動いていない。けれど、杖を握った手は止まらなかった。
陣が、傾いた。
中央で空気が歪む。
「阻め」
アレクの指先に、小さな陣がともった。
隣へ滑った同じ円が、一周する。光の軌跡に浮かんだ文字が繋がり、ひと回り大きな陣へ変わった。
その前で、空気が弾けた。
髪が後ろへ流れる。
頬を撫でた風の向こうで、クラウスはもう杖を横へ振っていた。
完成した陣が、その動きに従う。
続けて放たれた衝撃を、アレクは防御の角度を変えて横へ逃がした。
一発ごとに描き直しているわけではない。
あの陣を保ち、狙いを変えながら撃っている。
アレクは、一歩、前へ出た。
「分かたれよ、三つの矛となれ」
クラウスの左手が、杖の前へ伸びた。
二本の指が陣の内側をなぞる。書き加えられた文字へ魔力が通り、円の中に三つの小さな輪が開いた。
胸。肩。膝。
それぞれが、違う場所へ向く。
アレクの左に、小さな陣がともった。
右にも、もう一つ。
三つの衝撃が、ほとんど同時に来た。
正面を受ける。
肩へ来たものを斜めに逃がす。
膝を狙った一撃は、地面へ落とした。
靴の横で、土が跳ねた。
『ほう。陣を保ったまま、よう射線を変えとる。魔力の流し方も丁寧じゃ』
胸元から、感心した声が届いた。
『感心してる場合かよ』
『お主も見習えと言うとるんじゃ。あの男、よう鍛えられとるぞ』
クラウスの杖が持ち上がった。
三つの輪が、こちらを追う。
「風よ、絶えず連なり、進む者を押し返せ」
陣の縁を、光が走った。
次の衝撃が来る前に、アレクは前へ踏み込んだ。
胸の前へ残した防御とは別に、指先で新しい陣を組む。
『じゃが、お主の敵ではない』
マーカスが言った。
『十年、何を仕込まれたと思うとる。さっさと蹴散らしてこい』
『……言われなくても!』
アレクは、地面を蹴った。
衝撃が、肩の横を抜けた。
次の一撃が来る場所へ、先に防御を滑らせる。
光の向こうで、クラウスの目が動いた。
杖が引かれる。
陣が追いつくより先に、アレクはその横へ踏み込んでいた。
*
クラウスが、短杖を引き寄せた。
「風よ、我が前を払え!」
声とともに、完成した陣が杖先へ寄った。その中央が、アレクへ向く。
近い。
アレクは右手を払った。
「退け」
杖が横へ逸れた。
陣から放たれた衝撃が、空いた地面を叩く。
クラウスは攻撃の陣を解き、左手を握った。
体の周囲で、防御が強くなる。
アレクは、開いた掌をその表面へ触れさせた。
硬い。
魔力を押し込めば、押し返される。
だから、押さなかった。
掌の前へ、爪ほどの陣をともす。
細い光が、防御の表面を辿った。張り巡らされた流れへ触れ、その向きに沿って曲がる。
クラウスの眉が寄った。
力を増やそうとした、その時だった。
「開け」
掌の下だけ、手応えが消えた。
アレクは右手を通した。
指を軽く曲げる。
クラウスの胸元を、こつんと弾いた。
*
魔術士の体が、一歩、後ろへ動いた。
踵が地面を擦る。
アレクは手を引いた。
二人の間で、小さな陣が消えた。
クラウスは、自分の胸へ目を落とした。それから、防御の表面へ左手を当てる。
まだ、残っていた。
穴を開けたところも、すでに閉じている。
「……今のは」
アレクは返事を待った。
魔術士は、こちらの右手を見た。
「防御を、破られたのですか」
「手を通したところだけ。全部壊すと、危ねえから」
言ってから、アレクはヴァルターへ顔を向けた。
「これで、いいですか」
男は、すぐには答えなかった。
手にしていた時計を閉じ、こちらを見た。
「ええ。そこまでにしましょう」
クラウスが、ゆっくり息を吐いた。
「参りました」
杖を下ろし、頭を下げる。
アレクも、礼を返した。
*
「……防御を張ったまま、あの速さで」
クラウスは、まだ右手を見ていた。
「術の構築と、移動と。どこで切り替えておられたのです」
「切り替えてないです。防御は残して、その横へ次を出してるから」
「次の術式を、同時に?」
「はい」
魔術士は、唇を閉じた。
遠くで、ヨハンの声がした。
「ほう」
その隣でレイラが何か言っていたが、ここまでは聞こえなかった。
アレクは、右手を開いたり閉じたりした。
腕は痛まない。
胸の奥の魔力も、十分に残っている。
大きな陣を一枚、広げ続けるより楽だった。
『最後、指が余っとったぞ』
ポケットの中から声がした。
『弾く前に、触れた時点で終いじゃ』
『……分かってるよ』
少しだけ、余計だったらしい。
*
木箱の前で、伍長が屈んだ。
鉄の槌が、持ち上がる。
長い柄の先へ、鉄の頭が横向きに据えられていた。打つ面の反対側には、短い噴射筒が突き出している。
男は両手で柄を握り、その重さを確かめるように一度、手首を返した。
「ベルク様」
ヴァルターが顔を向ける。
「私も、お願いできますか」
伍長の声は、先ほどより低かった。
「そのために来ていただいています」
「承知しました」
男は、アレクへ向き直った。
「先ほどは、失礼をいたしました」
頭が下がる。
アレクは少し、目を瞬いた。
「……何がですか」
「こちらが、お守りを引き受けるつもりでおりました」
どうやら、聞こえていたことも察しているらしかった。
アレクは、槌へ目を落とした。
「それ、魔物に使うんですか」
「はい。近づかれた時、脚や硬い部分を砕くために」
伍長は槌を傾けた。
金属の擦れる音がした。
「次は、こちらも本気で参ります。よろしいですか」
アレクは相手の足を見た。
肩幅より、少し広い。
重い武器を持っているのに、膝は柔らかかった。
「……はい」
*
白線の外へ下がったクラウスが、杖を立てた。
「風よ、境を巡れ。内より来たるものを、外へ通すな」
杖先が大きな弧を描き、その軌跡へ文字が並ぶ。
空き地の端で、薄い光が揺れた。
見物人の前へ、防御を置いたのだ。
アレクはそれを確かめ、伍長へ向き直った。
距離は、さっきより短い。
十歩もない。
「始め」
ヴァルターが言った。
伍長が、踏み込んだ。
*
速かった。
槌の重さを感じさせない踏み込みで、男の体が近づく。
頭の高さへ来ると思った槌は、途中で沈んだ。
膝。
アレクは陣を下へ置いた。
鉄の頭が、防御へ触れる。
その瞬間、槌の後ろが光った。
轟音。
白い煙が、打つ面とは逆向きに噴いた。
「っ!」
防御陣が、足元まで押し込まれた。
アレクは踵を浮かせ、体を横へ流した。槌が地面を掠め、固い土を一直線に削る。
陣の向こうから、柄が来た。
腹へ突き込まれる。
アレクは右手を引き、二枚目を開いた。
鈍い音。
槌の柄が止まった。
伍長は、もう体を離していた。
*
「……何だ、それ」
アレクの口から、声が漏れた。
伍長の槌から、煙が細く上がっている。
「加速用の火薬です」
男は呼吸を乱さず答えた。
槌を持ち直す。
打つ面の後ろで、かすかな赤が消えた。
「点火と消炎に、術を使います」
「なるほどな」
振り始めを見ても、最後の速さが違う。
防御へ当たってから、さらに押し込まれた。
アレクは右手を下ろした。
「面白え」
伍長の口元が、少しだけ動いた。
「使う方は、気を遣いますがね」
次の瞬間、男が動いた。
*
今度は、上から。
伍長は柄の下寄りへ両手を揃えた。腰を捻り、槌を肩越しに振り下ろす。
アレクは、後ろへ跳ばなかった。
右へ陣を置き、斜めに傾ける。
鉄の頭が、その上を滑った。
また、光る。
爆音が耳を打った。
槌は、陣に沿って加速した。
アレクの横で、地面が抉れた。
砂が顔へ飛ぶ前に、小さな防御が弾く。
その向こうから、伍長の肩が来た。
アレクは左足を引いた。
革の胴着が、鼻先を通り過ぎる。
槌を振り切った体が、そのままぶつかってくる。避ければ、手元へ戻した柄が追ってきた。
近づけば、打つ面だけを見ていればいいわけではなかった。
柄。
肩。
踏み込んでくる足。
アレクは小さく陣を移した。
肘の前で、一枚。
脇腹へ、もう一枚。
薄い力場へ打撃が触れるたび、乾いた音が鳴った。
伍長は止まらなかった。
*
槌が、横へ流れた。
空振り。
そう見えた。
けれど、伍長の足は残っている。
アレクは、相手の腰を見た。
回りきっていない。
伍長は両手の中で柄を返し、足を踏み替えた。
引き戻された槌の打つ面が、再びこちらへ向く。
その背面に、あの光がともった。
アレクは右手を上げた。
噴射が、始まった。
戻りかけた槌が、爆音とともに振り込まれる。
アレクの眼前で、陣が開いた。
光の線が左右の円を結ぶ。
槌が、防御へぶつかった。
轟音の中で、足元の砂だけが吹き飛んだ。
アレクは、そこに立っていた。
半歩も、下がらなかった。
*
鉄の頭が、目の前で止まっている。
槌の向こうで、伍長の腕が張った。
押してくる。
アレクは、その力を受けた。
防御陣の縁が、薄く光る。
これだけ強く当てるなら、魔物の殻も砕けるのだろう。
けれど、次の噴射は、すぐには来なかった。
アレクは、槌の筒を見た。
煙。
赤い光は、もうない。
火薬を使う以上、いつまでも続けられるわけではないのだ。
伍長の右手が、柄の途中へ滑った。
武器を引く。
アレクは、防御の角度を変えた。
鉄の頭が横へ滑り、引こうとした腕が、わずかに外へ開く。
その隙間へ、一歩入った。
*
伍長の膝が上がった。
アレクは、そこへ薄い陣を置いた。
膝が止まる。
右手で、槌の柄を押さえる。
男の両腕が、引き戻そうとした。
重い。
力だけなら、こちらが負ける。
アレクは力比べを続けなかった。
「沈め」
伍長の後ろ足の下で、小さな円が光った。
踵が、土へ落ちる。
ほんの、指二本ほど。
支えがずれた。
男の肩が傾く。
アレクは柄を押さえたまま、体の横へ引いた。重い槌と、そこへ掛けられた腕の力が、一緒に流れる。
伍長の足が、地面を離れた。
*
空中で、男の体が捻れた。
受け身を取ろうとしたのだろう。片手が柄から離れる。
アレクは、先に手を離した。
「浮け」
背中の下へ、陣が滑る。
伍長の体が、地面の少し上で止まった。
槌だけが、低い音を立てて土へ落ちる。
静かになった。
男は仰向けのまま、自分の下を見た。
次に、アレクを見た。
「……参りました」
アレクは息を吐いた。
ゆっくり、陣を下ろす。
男の背中が地面へ着いたところで、光を消した。
*
伍長は、すぐには起きなかった。
空を見て、息を一つ吐く。
アレクが右手を差し出すと、男は目を向けた。
「まだ、お手を借りるほどでは――」
「そこまで気にしなくていいって」
太い指が、差し出した手を握った。
男は苦笑し、自分の脚で立ち上がった。
近くへ来ると、汗と、焦げた匂いがした。
伍長は、こちらの肩越しへ目を向けた。
「ベルク様」
「ええ」
「私の方に、護衛が要りそうです」
白線の向こうで、誰かが息を漏らした。
伍長も、少し笑った。
それから、アレクへ向き直る。
「お怪我は」
「ないです。そっちは?」
「ございません」
男は一度、深く頷いた。
「助けていただき、ありがとうございます」
「訓練だろ。怪我させるつもりで、来てねえよ」
答えてから、アレクは地面の溝を見た。
「……でも、それは、普通に当たったらやべえな」
「ええ。ですから、確かめたかったのです」
伍長が槌を拾い上げた。
今度はこちらの腕を見なかった。
*
クラウスが歩いてきた。
防御を解いたらしく、白線の向こうで兵たちが動き始める。
「陣魔法、なのですね」
魔術士が言った。
アレクは頷いた。
「ローデリアの宮廷魔術士が使っていたという話は、読んでいました。ですが、今のように組み替えるものとは」
クラウスは、自分の杖を見下ろした。
「私は、次の術を準備しているつもりでした。あなたは、その間に防いで、近づき、こちらの防御まで調べていた」
「防御は、近くまで行かないと細かいところが分からなかったけど」
「近づける時点で、こちらの想定が外れています」
魔術士は、苦笑した。
「家で、習われたのですか」
「……ええ。まあ」
胸ポケットの中で、ひげが動いた。
アレクは、そこへ手をやらなかった。
クラウスは、もう一度礼をした。
「同行の際には、ぜひ連携を教えてください。こちらの術を邪魔にしない位置を、先に確かめたい」
「俺も。さっきみたいに、あちこちから飛んでくるなら、立つ場所は決めておいた方がいいと思う」
魔術士が頷いた。
話が、ようやく調査隊のことになった。
*
ヴァルターが、二人の間へ来た。
「ありがとうございました。動きは、よく分かりました」
アレクは背を伸ばした。
男の視線が、地面の溝を辿る。
そこから、こちらへ戻った。
「アレクサンドル殿。一点、伺ってもよろしいですか」
「はい」
「今ほどの術を、現地で使った場合。魔物は、どの程度の距離から反応するとお考えですか」
アレクは、すぐには答えなかった。
さっき立っていた場所を見る。
伍長の槌を受け止めた陣は、大きくはなかった。けれど、そこへ流した魔力は、最初の魔術士との戦いより多い。
「この前、魔物を引きつけた時よりは、使う魔力を抑えてます。ただ、これでも、遠くの群れに気づかれるかもしれません」
「術の大きさより、使う魔力の量でしょうか」
「たぶん。ただ、まだ比べてないです。調べるなら、先に周りを見て、人の位置を決めてからにしたい」
「分かりました」
ヴァルターは、手帳を開いた。
「その手順について、打ち合わせでお聞かせください」
ペンが動いた。
アレクは、その手元を見た。
先日、何の立場で返事をするのか聞かれた時には、喉が詰まった。
今は、答えられた。
全部は、分からない。
けれど、何が分からず、何から確かめたいかは言えた。
「……はい」
返事をすると、ヴァルターは頷いた。
*
「お疲れ」
白線を出ると、レイラが水を差し出した。
アレクは受け取り、口をつける。
「腕、大丈夫?」
「ああ。ほとんど右しか使ってねえし」
「それなら、よかった」
レイラは、背後へ目を向けた。
ヨハンが、伍長と向き合っていた。
男の持つ槌へ顔を寄せ、何か尋ねている。
「その後ろの筒、外せるのか」
「整備の際には、外しますが」
「ほう。ちょっと見せてもらっても――」
「親父」
レイラが呼んだ。
ヨハンは振り向いた。
「見るだけだ」
「船の時も、そう言ってた」
アレクは、水を飲み込みながら笑った。
胸ポケットから、白い鼻先が出る。
『さて。明日からは、今日の最後の手を直すかの』
「……何で、そこだけ覚えてんだよ」
『勝てた時こそ、余計なことを覚えやすいからじゃ』
アレクは杯を下ろした。
向こうで、伍長が槌を木箱へ戻している。
途中でこちらを見つけると、男は手を止め、顎を引いた。
アレクも、頷き返した。
今度は、腕を隠したくならなかった。




