↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
18/27

第13話 最後の一人 挿絵有り

 出発前、モルデカイが宿の前で包みを寄越した。


「これを着とけ。荷に残っとったものだが、お前の寸法なら合うだろう」


 広げると、濃い灰色のローブだった。

 厚手の生地に、丈夫な縫い目。裾にも袖にも、ほつれ一つない。


「……いいのか? 売り物だろ」


「これから外で働いてもらうんだ。雨風を防げる服くらいは用意する。ただし、裾を踏んで転ぶなよ」


「そこまで間抜けじゃねえって」


 古い上着を袋へしまい、袖を通す。

 肩を回しても突っ張らず、腰帯を締めれば裾も足に絡まなかった。


 胸元へ移した白いネズミが、新しい布を前脚で撫でた。


『ようやく、弟子を連れて歩いても恥ずかしゅうない格好になったのう』


「ネズミに言われたくねえよ」


 モルデカイが眉を上げたので、アレクは慌てて胸ポケットを指した。


「……あんたじゃなくて、爺さん」


「分かっとる。ほれ、車へ乗れ」


     *


 最初の一匹は、畑の畝から頭を上げた。


 アレクは窓へ掛けていた肘を引いた。


「レイラ、止めて。後ろにいる」


 車が止まる。

 扉を開けて下りる間に、銃を持った男が振り返った。


「一匹か?」


「今、見えてるのはな。先へ知らせてくれ。列は止めなくていい」


 灰色の体が、畝を越えた。

 長い前脚が土へ刺さる。跳んだ。


「退け」


 指先の陣が開いた。外周を巡る光が、次の円を描く。

 灰色の体は空中で横へ流され、畑の石垣へぶつかった。


 銃声がした。

 立ち直りかけた前脚が崩れる。


「そのまま下がって! 俺の横へ出るなよ」


 男が頷き、銃を開いて薬莢を落とした。


 アレクは車へ戻りかけた。

 畑の向こうで、麦が揺れた。


 風とは、違う動きだった。


     *


 車へ乗る暇は、なくなった。


 三匹を押し返す。

 荷車へ回り込んだ一匹を、道端の溝へ落とす。

 歩く人の背中を追う体へ、斜めに力を掛ける。


 銃を持つ男たちも、歩きながら撃っていた。

 アレクは装填する手が止まらないよう、その前へ防御を置いた。


 昨夜は眠れた。朝も腹いっぱい食った。

 体の中を巡る魔力には、昨日の朝より確かな張りがあった。


 それが、陣を開くたびに削れていく。


「まだ橋じゃねえのか」


「次の曲がり角だ! 先の車は、もう渡り始めてる!」


 走って戻ってきた男が叫んだ。


 アレクは後ろを見た。

 荷車の車輪が、浅い轍にはまっていた。押している男の隣で、女が子供を抱き上げる。


 その向こうにも、人がいる。


 自分が五歩下がる間に、列は二歩しか進まなかった。


     *


「阻め!」


 道を横切る陣が広がった。

 飛び込んできた二匹が、見えない壁へ腹からぶつかる。


 アレクは掌を引き、押し返した。

 重なった体が転がる。


 左の麦畑から、別の一匹が顔を出した。


「そっちもかよ!」


 左へ陣を置く。

 右で、銃声がした。


 群れは、道だけを走ってこなかった。

 倒れた体を避け、畑へ散る。そこから前へ回り、歩く人たちの脇へ飛び出してくる。


『後ろへ広く張っても、横が空けば同じじゃ。人の位置を見て、陣を移せ』


「見てるって!」


 胸ポケットの白いネズミは、出てこなかった。

 肩の袋も、そのままだった。


 アレクは道の左側へ寄った。

 畑から来た三匹が、揃って顔を向ける。


 足を止め、魔力を練る。


 群れが、向きを変えた。


「……爺さん。こいつら、俺に来る」


『気づいたか。じゃが、餌になるつもりなら止めい』


「食わせねえよ。人の方へ行かれるより、まとめて来た方が楽だろ」


 道から数歩、畑へ入る。


「餌はこっちだ! こっちに来やがれ!」


 灰色の背中が、こちらへ向いた。


『足を止めすぎるな。集めた後で、お主だけ先へ走るわけにはいかんぞ』


 アレクは頷いた。

 引きつけた体へ、次の陣を開いた。


     *


 曲がり角の先に、橋が見えた。


 川幅は狭い。

 けれど、橋も狭かった。


 荷物車が一台、ゆっくり向こうへ渡っていく。その後ろで、徒歩の人たちが岸へ寄り、次に渡る車を待っていた。


「歩く者を先に! そっちの荷車は、寄せて待ってくれ!」


 集落のまとめ役が、腕を振った。

 対岸から、モルデカイの声が返る。


「渡ったら先へ進め! 橋の出口で止まるんじゃないぞ!」


 アレクは畑の端まで下がった。

 そこから先は、川へ向かって道が落ちている。


 陣の向こうに、灰色の体が重なった。

 一匹を倒すと、その背を踏んで次が跳んだ。


 掌が、じんと痺れた。


「……埒が明かねえな」


 アレクは、橋を振り返った。

 こちら側には、まだ人がいる。


「少し下がってくれ! 畑の方へ、でかいのいくぞ!」


 銃を持つ男が、近くの二人を道へ引いた。

 アレクは左手で、その背中へ防御を残す。


 右手を、開いた。


     *


 親指と人差し指の間に、小さな円がともった。


 掌へ滑る。

 その縁を巡った光が、ひと回り大きな陣を描いた。


 次の円は、腕の長さを越えた。

 さらに外周を巡り、アレクの背丈を越える。


 四方に、小さな陣が開いた。

 離れた円を線が繋ぎ、その外側にまた新しい円が生まれる。


挿絵(By みてみん)


 麦の穂が、光の方へ傾いた。


 アレクは陣の向きを、畑へ振った。

 掌の前から離れた大きな円が地面と平行になり、群れの足元へ広がっていく。


 土埃が、一筋、輪を描いた。


「吹き荒れろ!」


 畑が、鳴った。


 灰色の体の間を、風が走る。

 正面から押す風ではなかった。地面を這って集まった空気が円に沿って曲がり、群れを巻き込みながら上へ立ち上がった。


 前脚が土を掻いた。

 爪の下から、土ごと剥がれた。


 麦の葉。折れた茎。灰色の背中。

 それらが巻き上がり、巨大な渦の中で見えなくなる。


 轟音が、銃声を呑んだ。


 外へ飛び出しかけた一匹が、別の流れに横から捕まる。

 周囲の小さな陣が向きを変え、散った体を中央へ戻した。


 アレクは、両足を踏ん張った。


 左手の防御へ、小石がぶつかる。

 右手からは、魔力が流れ続けた。


「今だ! 渡れ!」


 自分の声も、風に消えかけた。

 男が頷き、橋へ走った。


     *


 群れが消えると、前へ進む人の足が速くなった。


 でも、車は急に速くならなかった。


 橋の手前で、農具を運ぶ小さな車が止まった。

 運転していた男が何度も操作桿を動かす。車体の下で金属が鳴るばかりで、車輪は回らない。


「動かん!」


 レイラが乗用車から飛び下りた。

 荷台へ一度、目を走らせる。


「みんな下りて。歩けない人は、そっちの荷車へ移して!」


 道の脇へ屈み、車体の下を覗く。


 アレクは右手を握った。

 渦が細くなる。

 巻き込まれた体を畑の奥へ放り出し、陣を解いた。


 風が途切れた瞬間、膝から力が抜けた。


 踏み直す。

 耳の中に、まだ轟音が残っていた。


 畑には、倒れた灰色の体が並んでいる。

 その向こうを、別の背中が走っていた。


「……何匹いるんだよ」


『息を整えい。次を描く前に、今の陣を全部解いたか確かめろ』


 アレクは頷いた。

 指先に残っていた光を消す。


 魔力は、半分どころではなかった。


     *


 車から下ろされた老人が、道端へ座り込んでいた。


 杖を突く。

 腰が浮きかけて、また落ちる。


 そばにいた老婆が腕を支えたが、立たせるだけの力はなかった。

 息子は、足を怪我した御者を荷車へ移していた。


 老人が顔を上げ、その背へ何か言おうとする。

 川沿いの草が揺れた。


「伏せろ!」


 アレクが手を振った。

 開いた陣の向こうで、灰色の前脚が滑る。二人へ跳びかかった体は、道から逸れて浅瀬へ落ちた。


 アレクは老人の前へ膝をついた。


「立てるか? 橋、渡っちまおう。肩、貸すから」


 差し出された手を、老人は見つめた。

 背後ではまだ銃が鳴り、薄い光の陣が灰色の体を押し返している。


 その光を背にした青年へ、老人が顔を上げた。


「……アズール様」


「え?」


 節くれだった手が、アレクの袖を掴んだ。


「あの時も……そうして、戻って来てくださった」


 声が、震えた。

 老人の頬を涙が伝う。


「戦で脚をやられて……皆が下がっていくのを、儂は見とるしかなかった。もう、置いていかれると思うたのに……」


 掴んだ袖を、離さなかった。


「最後まで、儂らの後ろにおられた。あの方は……」


 アレクは老人の腕を、自分の肩へ回した。

 老婆がその顔を覗き、息を呑む。


「……ブランカお嬢様」


 白髪の下で、目が大きく開いた。


「その髪のお色も……目元も、お若い頃のお嬢様と、よう似て……」


 アレクは老婆へ顔を向けた。

 次の銃声が、返事を急かした。


「ああ。母さんと爺ちゃんだ。二人のこと、あとで聞かせてくれ。今は、ここから出ようぜ」


 老人は、泣いたまま頷いた。


「ロス家の……嗣子が……」


 戻ってきた息子が、アレクを見た。

 荷車を押していた男も、顔を向ける。


「こっち、手を貸してくれ! 俺ももう、あんまり力が入んねえんだ」


 息子が慌てて母の肩を支えた。

 アレクは老人を抱え起こし、橋の入口まで連れていく。


「ここから頼む。ゆっくりでいいから、向こうまで渡ってくれ」


 息子が父の腕を受け取り、両親を支えた。

 老婆が何か言いかけたが、アレクは頷いて三人を送り出し、群れへ振り返った。


     *


「直せるか!」


 レイラは車体の下から腕を出した。


「伝動鎖が外れたの! 戻せれば動く。でも、軸を少し回したい。そこの車輪、浮かせられる?」


 アレクは、車の後ろへ手を向けた。


「浮け」


 小さな陣が車輪の下へ滑る。

 車体が片側だけ、わずかに上がった。


 レイラが木の台を差し込む。


「載った。解いていい!」


 アレクは陣を解いた。

 すぐに、畑へ向けて別の陣を開く。


 銃を持った男が、肩を押さえて後ずさった。

 灰色の体が足元へ潜り込む。


「退け!」


 体が、横へ飛んだ。

 さっきのようには遠くへ行かなかった。


 アレクは、男の襟を掴んだ。


「下がってくれ。橋の向こうから見てていいから!」


「だが、お前一人じゃ――」


「装填できねえ腕で、ここにいんな!」


 男が、唇を噛んだ。

 別の男へ銃を渡し、橋へ下がっていく。


 アレクは左へ陣を残した。

 正面へ、もう一つ。


 指が、言うことを聞かなかった。


     *


 出す魔力を、減らした。


 一匹を吹き飛ばす代わりに、前脚を払う。

 倒れた体が道を塞ぐ間に、次の一匹を横へ逸らす。


 大きな防御は張らない。

 跳んだものの前にだけ、陣を開く。


『そうじゃ。全部を受け止める必要はない。届くところだけ変えろ』


 マーカスの声が、近かった。


 アレクは息を吸った。

 胸の奥から、残っているものを引き上げる。


 陣の縁が、一度揺れた。

 押さえる。


「阻め」


 一匹、止まった。


 右に、もう一匹。

 陣を移す。


 左手で握っていた魔力が抜けた。

 薄くなった防御を、長い前脚が破る。


 アレクは体を捻った。

 袖が裂け、二の腕に熱い痛みが走った。


 地面を蹴る。

 拳を突き出した。


「爆ぜろ!」


 陣が、弾けなかった。


 小さな光だけが、拳の前で潰れた。


 アレクは前脚を掴み、体ごと引いた。灰色の体が道へ転がる。

 手を離した途端、足がもつれた。


 片膝が、土へ落ちた。


     *


「動いた!」


 レイラの声がした。


 車輪が回る。

 木の台が引き抜かれ、荷台へ放り込まれた。


 アレクは右手を上げた。


 指先に、円を描く。

 輪郭の半分で、光が途切れた。


 もう一度。


 胸の奥が、空振りした。

 息は吸えるのに、魔力がついてこなかった。


「……あと、ちょっとだろ」


 向こう岸に、モルデカイが立っていた。

 動き出した車へ腕を振り、それからこちらを見た。


 最後の乗用車は、まだ橋の手前にいる。


 自分が乗れば、出られる。


 立とうとした。

 膝が、持ち上がらなかった。


『アレク』


 胸ポケットから、声がした。


『少し、体を貸せ』


「……魔力、もうねえぞ」


『残っとる。お主が陣を揃えようとして、ばら撒いとる分がな。今は、それも拾う』


 灰色の体が、起き上がった。


 アレクは、息を吐いた。


「頼む。みんなを守ってくれ」


『当たり前じゃ』


     *


 右手から、力が抜けた。


 落ちると思った掌が、膝の上で止まる。

 指が一本ずつ開いた。


 アレクは、その動きを見ていた。

 乱れていた呼吸が、ゆっくり整う。


 足の裏が土を捉えた。

 体が、静かに立ち上がる。


 胸ポケットの中で、白いネズミが丸くなった。

 肩の袋が、軽くなる。


 銀の球が、口紐の間から浮き上がった。

 肩の高さへ来ても、飛び回らなかった。


 アレクの半歩後ろで、一つの陣をともす。


 小さな光だった。

 そこから細い線が、掌の前へ伸びた。


 自分なら、もう一つ大きくする。

 もっと魔力を流す。


 指は、それをしなかった。


「退け」


 自分の口から、低い声が出た。


 跳んできた灰色の体が、ほんの少し傾いた。

 着地するはずの前脚が、道の端を外す。


 後ろから来た一匹が、その背へ乗り上げた。

 二つの体が、溝へ転がる。


 アレクの体は、それを確かめようともしなかった。


 車へ向き直り、一歩を踏み出す。

 急がなかった。


 背筋は伸び、肩には余計な力が入っていない。

 道が空いている時と、同じ歩き方だった。


 銀の球が、肩の後ろを静かについてくる。

 小さな陣も、一緒に移った。


     *


 左から、一匹が飛び出した。


 体は、避けなかった。

 踏み出す足の速さも、変わらない。


 掌がわずかに返り、薄い陣が前脚の脇へ差し込まれた。

 灰色の体が傾く。


 その爪が地面を掻く頃には、アレクの体はもう隣を通り過ぎていた。


 次の一匹へは、陣を向けなかった。


 道端に転がった石へ、細い光が渡る。

 石が、前脚の着く場所へ滑った。


 踏んだ脚が崩れる。

 倒れ込む体の鼻先を、靴がゆっくり通った。


 歩幅も、足取りも変わらなかった。

 群れが迫るたび、歩く先に必要なだけの道が空いていく。


 魔力が増えたわけではなかった。

 胸の奥に残る、わずかな流れを、アレクは感じていた。


 その流れが、途切れない。

 次の陣を描く場所も、魔力を渡す線も、迷わず揃っていた。


『よく見とけ。押す力は小さくても、崩れる場所へ当てればよい』


 橋へ歩きながら、左手が上がった。

 草の間から来た体の鼻先へ、薄い陣が差し込まれる。


 頭が、横へ逸れた。

 勢いのついた胴体は、そのまま川岸へ落ちた。


 水音がした。

 足は、止まらなかった。


『倒れたものへ、もう一度撃つな。もう、お主には届かん』


 アレクは、動く自分の手を見ていた。


 なぜ、こんなに小さな陣で間に合うのか。

 なぜ、あんなに近くを通って、爪一つ触れさせないのか。


 周囲では、土が跳ね、灰色の体が転がっていた。

 その中を、自分の体だけが、何の妨げも受けずにまっすぐ歩いている。


 優雅とさえ思える足取りだった。


 最後の車の扉が、開いていた。

 運転席から振り返ったレイラが、呼びかけようとして口を止める。


 まっすぐ歩いてくるアレクが、穏やかに微笑んでいた。

 目元の力が抜け、口の端がほんの少し上がっている。

 いつもの彼なら見せない、こちらを安心させるような顔だった。


挿絵(By みてみん)


     *


「アレク!」


 レイラが、運転席から呼んだ。


 アレクの手が、扉の縁を掴む。

 片足を載せ、座席へ体を押し込んだ。


 銀の球が肩を越え、足元の袋へ戻る。


『ここまでじゃ。陣を解くぞ』


 アレクは頷こうとした。

 顎が、胸へ落ちた。


 体が、急に重くなった。


「……乗った」


「見れば分かる! 腕、入れて!」


 肘を引く。

 扉が閉まった。


 車が動き出す。


 後ろで、銃声がした。

 対岸の男たちが、橋へ近づいた魔物を撃っている。


 車輪が板を踏んだ。

 揺れが、背中へ伝わった。


 橋を渡り終えたところで、モルデカイが車の脇へ来た。


「全員、渡った。歩く者も、もう先へ出とる」


 アレクは顔を上げた。


「……ほんとか」


「名前を確かめた。お前で最後だ」


 アレクは、息を吐いた。


 視界の端で、川と橋が遠ざかる。

 灰色の体が見えたが、数えられなかった。


     *


 街道へ戻るまで、レイラは車を止めなかった。


 前には荷車がいた。

 その先を、家族が歩いている。


 アレクは、座席に沈んでいた。

 右手を持ち上げようとして、やめた。指先が、膝の上で震えている。


 胸ポケットの中で、何かが動いた。


『眠れ。今の手本の話は、起きてからじゃ』


「……爺さん、歩くのも、うまいんだな」


『お主が、止まりすぎなんじゃ』


 アレクは笑おうとした。

 息だけが、漏れた。


 窓の外で、あの老人の乗った荷車が並んだ。

 息子に支えられ、老人がこちらへ頭を下げる。


「アレク様……」


 震える声がした。


 アレクは、目を向けた。


「……様はいらねえよ。俺、雇われてるだけだし」


 老人は何度も頷いた。

 それでも、涙は止まらなかった。


 後ろから、声が重なった。


「ロス家の方だったのか」

「ブランカ様の……」


 アレクは、目を閉じた。


 さっき言ったことを、今になって思い出した。


 レイラが、少しだけこちらを見た。

 すぐに、前へ目を戻す。


「寝てて。港まで、私が連れていくから」


 アレクは返事をしようとした。

 声にならなかった。


 最後に聞こえたのは、自分の名を呼ぶ人たちの声だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。