↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
15/27

第10話 戻ってくる仕事 挿絵有り

 朝の食堂には、小麦粉の袋が一つ置かれていた。


 昨日運び込んだものだ。

 袋の口はもう開いていて、台所から焼けたパンの匂いが流れてくる。


 アレクは空になった皿を見た。

 もう一つ頼もうとしたところで、向かいのモルデカイが帳面を閉じる。


「食い終わったなら、一度立ってみろ。昨日みたいに膝が揺れるようなら、今日は休ませる」


「まだ終わってねえよ。もう一つ頼もうと思ってたんだけど」


「追加を頼む前に済ませろ。立つたびに誰かが支えねばならんようでは、仕事は任せられんからな」


 椅子から立つ。

 昨日のように、膝が勝手に折れることはなかった。


 モルデカイは足元を見てから、顔へ目を戻した。


「ふらつかんな。頭が重いとか、気分が悪いとかはないか?」


「ねえよ。だから、もう平気だって。ちゃんと寝たし、今も腹が減ってる」


『手を出してみい』


 胸ポケットから、白い鼻先が出た。


 アレクは卓の下で指を開いた。

 指先に、小さな光の円をともす。


 輪郭を保つ。

 魔力を絞る。

 光が薄くなっても、線は乱れなかった。


『そこで止めい』


 陣を解いた。


「どうだよ」


『細かい加減は戻っとるな。じゃが、それで昨日と同じだけ魔力を出せると思うなよ。寝起きに歩けたからといって、山まで走れるわけではなかろう』


 アレクはポケットを軽く叩き、椅子へ戻った。


「少しなら働けるぞ。ずっと座ってる方が、どうにも落ち着かねえんだ」


「なら、まず話を聞いてもらおうか。力を貸してもらうにしても、何のために使うか分かっとらんと困る」


 モルデカイが隣の卓へ顎を向けた。


 昨夜、荷を受け取った男が座っている。

 その前には、折り畳んだ地図と、何枚もの伝票が並んでいた。


     *


「倉庫の残りは、こちらです」


 男が帳面を差し出した。


 モルデカイは頁をめくった。

 太い指が途中で止まる。


「油が少ないな」


「車を動かす分を、先に取り分けました。灯りの方は、各家で節約してもらってます」


「薬はどうだ。診療所へ渡した分と、倉庫に残した分は分けて数えとるか?」


「はい。薬は昨日の荷で、しばらく持ちます。ただ、小麦粉は次が来なければ……」


 男は言いかけて、口を閉じた。


 モルデカイは続きを急かさなかった。

 帳面へ目を落とし、別の数字を確かめる。


「港へ送った注文の控えはあるか」


「はい」


「なら、届いてない荷から照合する。代わりを送らせて、あとから二重に来ても困る」


 男が伝票を揃えた。


 アレクは二人の手元を見ていた。

 荷物を下ろした時より、モルデカイの顔が険しい。


「……荷を下ろして終わりかと思ってたけど、まだ、届けるもんがあるのか」


「あるとも。昨日の荷で何日持つかを数えて、その間に次を届ける。店を開いとるうちは、その繰り返しだ」


「いや、それは分かるけどさ。なんで、あんたがそこまでやってんだ?」


 アレクは椅子へ背を預けた。


「あんたくらい偉いなら、荷物運ぶのはほかの奴に任せるんじゃないのか」


 男が、ちらりとモルデカイを見た。


 モルデカイは鼻を鳴らした。


「運ぶだけなら、な」


 帳面を卓へ置く。


「ここから、支店を引き払うかもしれん」


 アレクは背を起こした。


「商売、やめるのか?」


「それを決めに来たんだ。道が使えん、人が足りん、次の荷が届くか分からん。港から来る報告だけでは、金を出せば続けられるのか、人を引き上げねばならんのか、判断がつかん」


 男は黙っていた。


「支店を一つ畳めば、従業員の働く先も、取引先の売る先もなくなる。だが、続けろと言うだけで荷が届くわけでもない。どちらに決めるにせよ、事情を見てからだ」


「じゃあ、昨日の荷は? やめるかもしれねえのに、わざわざ運んできたのか」


「引き払うと決めたところで、今日の飯を食わんで済むか? 移る先を探す間も、人は食うし、病気にもなる」


 モルデカイは男へ帳面を返した。


「支店を畳んでも、ここに住んどる人間まで消えるわけではないからな」


 台所で、鍋の蓋が鳴った。

 パンの載った籠を抱えた主人が、二人の話を邪魔しないよう、そっと卓へ置いていく。


 アレクは、その籠を見た。


     *


「昔から、ここで商売してたのか」


「この集落だけではない。ロス地方には、いくつも取引先があった」


 聞き慣れた名に、アレクの指が止まった。


「……ロス地方」


「ああ。お前の父親に紹介してもらってな。最初は、支店の倉庫も小さかった」


「親父、商売のことにも口を出してたのか? 家じゃ役所の話ばっかりしてたのに」


「出したとも。農具を売るなら、修理する部品まで届けろとな。一度売って終わりにするなと、商人の私に説教を始めた」


「……言いそうだな」


「言うだけではない。必要な部品の表まで寄越した。ヨハンと二人で、こっちが聞いてもおらんところまで書いてな」


 アレクの口元が、少し緩んだ。


「それも、やりそうだ」


「おかげで、長く商売ができた」


 モルデカイは帳面の端を揃えた。


「あの時の紹介で、付き合いの長い客もできた。引き払うなら、私が来て理由を話す。それくらいはせねばならん」


 モルデカイは窓の外へ目を向けた。


「農具の部品を運んで、帰りに穀物を積む。薬や布も売れた。行きも帰りも荷がある、いい土地だった」


「……その支店は、今どうなってるんだ?」


「その倉庫は、黒い壁の中だ」


 アレクは口を閉じた。


「残った者で、港に店を移した。内陸の取引先とも、細々と続けてきたんだ。ここも、その一つだ」


 男が頷いた。


「港から荷が来るうちは、畑を続けられます。余った作物を売る先もありますから」


「それが途切れると、出ていく者が増える」


 モルデカイが言った。


「客が減れば、運ぶ荷も減る。荷が減れば、車を出せん。そうなる前に、手を打ちたい」


 アレクは、窓の向こうの畑を見た。

 朝の光の中を、鍬を担いだ人が歩いている。


 昨日は、荷物を待つ人たちだった。

 今日は、その荷物を使って働いている。


「……そりゃ、あんたが来るわけだ。荷物を運ぶのとは、別の仕事なんだな」


「分かったなら、運ぶ方も丁寧に頼むぞ。袋一つ破けば、それを当てにして待っとる客に迷惑が掛かる」


「そこは気をつけてるって。……でも、もっとでかい商売の話で来てるんだと思ってたよ。店を畳むかどうかまで、あんたが考えるんだな」


「でかい商売も、小さい取引が続いてこそだ。もっとも、情だけで続ければ、ほかの店まで潰しかねんがな」


 モルデカイはパンを一つ取り、割った。


「続けるなら、儲かるようにせねばならん。従業員に賃金を払えて、次の荷を仕入れられるようにする。その方法を考えとるんだ」


     *


 廊下から、軽い足音がした。


「パパ、ここにいた」


 マリアが、赤い髪を揺らして入ってきた。

 レイラもその後ろにいる。朝の車の点検を済ませたらしく、手を拭く布を畳んでいた。


「おはよう」


「おう」


 アレクが返すと、マリアは父の隣へ座った。


 モルデカイが、割ったパンの片方を娘の皿へ置く。


「よく眠れたか」


「うん。パパ、もうお仕事?」


「ああ。もう少しかかるから、ここで朝ご飯にしような。パンはまだ温かいぞ」


 マリアは頷き、パンへ手を伸ばした。


 アレクは地図を避けて、籠をそちらへ寄せた。


「マリアも、店を見に来たのか?」


「パパが、連れてきてくれるって」


「港の支店と、馴染みの取引先を何か所か回る予定だった。宿の者にも会わせてやろうと思ってな」


 モルデカイが答えた。


「船も宿も、いつも使うところだ。道の被害は聞いとったが、護衛を付けて昼間に移動すれば足りると思っていた」


 娘がパンをちぎるのを見て、声を少し落とす。


「連れてきたのは、私の見込み違いだ」


 アレクはモルデカイを見た。


 言い訳は続かなかった。

 男は娘の皿へ目を戻し、水の入った杯を手元へ寄せてやった。


「……じゃあ、帰りは先に道を確かめようぜ。車に乗せたまま、また群れにぶつかるのは嫌だろ」


 アレクが言うと、モルデカイは頷いた。


「私もそうしたい。お前を頼りにするにしても、昨日のような戦いを毎度させるわけにはいかんからな」


     *


 地図が開かれた。


挿絵(By みてみん)


 港から伸びる街道。

 昨日通った休憩所。

 今いる集落。


 モルデカイの指が、その先へ動いた。


「昨日通った街道は、群れが出たうえに休憩所もなくなった。途中で車に故障でもあれば、助けを頼む先がない。こちらから迂回して、港へ戻れんかと考えとる」


 男が、地図の端を押さえた。


「ただ、今朝までに通った者はいません。最後に車が来たのは、三日前です」


「魔物は?」


「以前は、もっと壁の近くで見かける程度でした。この辺りまで来るようになったのは、最近です」


 レイラが卓へ近づいた。


「この曲がり角の先、木の橋があったよね。最後に車が通った時、傷んでるところはなかった?」


「ええ。通れたと聞いています。ただ、板の状態までは……」


「それなら、橋は見ておいた方がよさそうね。その先の坂は? あそこ、雨が降ると土が流れてくるの」


「雨のあとに、少し崩れました。荷車一台なら通れますが、離合は難しいです」


 レイラは指で道を辿った。


 アレクには、線の途中に何があるのか分からなかった。

 レイラが橋や坂を確かめるたび、地図に描かれた道が、少しずつ具体的なものになる。


「要するに、車で見てきて、荷物を載せて通れそうか確かめりゃいいんだろ。だったら、俺も行くぞ」


 アレクが言った。


 モルデカイが顔を上げた。


「行くのは構わんが、魔物が出たらどうするつもりだ? 昨日みたいに、片端から相手をする気ではなかろうな」


「少しなら追い払える。群れだったり、あの黒い奴がいたりしたら戻るよ。俺だって、昨日のが楽だったわけじゃねえからな」


『追い払うのが先なのが、お主らしいのう。相手に気づかれず戻れたら、魔力を使わずに仕事が済むぞ』


 胸ポケットから、すぐに念話が来た。


「分かってるよ」


 モルデカイが眉を寄せる。


「誰に言った」


「爺さんだよ。見つからずに帰れば、戦わなくて済むだろって」


「私も先生に賛成だ。魔物を追い払うたびに疲れていては、道の続きを見られんだろう」


 アレクは地図へ目を戻した。


 道の先に、鉛筆で塗り潰された場所がある。

 途中で切れた線路が、その黒い縁へ伸びていた。


「……この辺りまで行ったら、黒い壁も見えるのか?」


 男の顔が、少し強張った。


「丘へ上がれば」


 レイラが答えた。


「この分かれ道から、少し入ったところ。昔の見張り台があるの。晴れてれば、向こうが見渡せる」


 アレクは、その場所へ指を置いた。


「そこまで行きたい」


     *


 モルデカイは、しばらく何も言わなかった。


「見たいのは分かる。お前の家があった場所だからな。ここまで戻って来て、気にならん方がおかしかろう」


 アレクは顔を上げた。


 モルデカイは地図から目を離さなかった。


「だが、今日は道を見る仕事だ。壁を調べに入る仕事ではない」


「入らねえよ。今すぐ何とかできるなんて、思ってねえって」


 答えてから、アレクはもう一度、黒く塗られた場所を見た。


「……ただ、どんなふうになってるのか、自分で見たいんだ。今まで、人に聞いた話ばっかりだったから」


 レイラも、地図を見ていた。

 腰の道具袋へ添えた手が、動かなかった。


 モルデカイは二人を見比べ、地図へ視線を落とした。


「レイラさん、丘まで行って戻るなら、どれくらいかかる?」


「朝のうちに出れば、道が塞がっていない限り、昼までには戻れると思う。橋や坂を見る時間を取っても、それくらいね」


 レイラが答えた。


「見張り台へは、最後だけ歩く。車は道を外れたところに置ける」


 モルデカイは鉛筆を取った。

 分かれ道と見張り台に印を付ける。


「ここまでだ。その先へ下りるな」


 次に、アレクへ目を向けた。


「昼には引き返せ。道が悪い、魔物が多い、そうなったら丘まで行かずに戻れ。何も見つからんかったからといって、仕事を増やすなよ」


「分かった」


「その返事だけでは、聞いたのか聞き流したのか分からんな。先生が説教したくなるのも、少し分かるわ」


「聞いてるよ。丘まで、それより先へは行かない。昼には引き返す。これでいいだろ」


「そうだ。見たいものを見つけた時も、今の話を覚えとけ」


 地図の上へ、太い指が置かれた。


「どこまで車が通れるか。魔物を見たなら、どこに何匹いたか。見てきたことを、帰って話せ。それがお前の仕事だ」


 アレクは、印の付いた場所を見た。


「……どうしても邪魔な奴がいたら、倒していいんだよな?」


「逃げるために必要ならな。だが、倒した数で賃金は増えんぞ。道を見てきた話を聞きたいんであって、武勇伝を買うつもりはない」


 レイラが、少しだけ笑った。


「倒してもお給料は増えない、か。それなら、寄り道せずに帰ってくるわね」


「お前まで、俺が暴れに行くみたいに言うなよ」


 モルデカイは鉛筆を置いた。


「お前の父親には、学生の頃から無茶な頼みをされた。息子にまで振り回されてたまるか」


「俺、まだ何もしてねえだろ」


「なら、そのまま帰って来い」


 アレクは言い返しかけ、やめた。


「……分かったよ」


 モルデカイは頷き、レイラへ顔を向けた。


「レイラさん、車を頼めるか。通れんと思ったら止めてくれ。アレクが急かしても、無理に進む必要はない」


「ええ。私が運転する。丘までなら道も分かるし、車の具合も今朝見ておいたから。橋や崩れているところでは、一度下りて確かめるわ」


「じゃあ、俺とお前で行くか」


 アレクの言葉に、マリアが顔を上げた。


「……二人で?」


「ああ。荷物も少ないしな」


 アレクは地図を覗いたまま答えた。


 マリアの指が、卓の縁を撫でた。


「マリアは、パパと留守番だ」


 モルデカイが娘へ顔を向ける。


「お昼は宿で食べような。昨日の煮込み、うまかったろう」


「……うん」


 レイラは地図を畳み、アレクへ渡した。


「これ、持ってて。車を借りるって、運転手さんに話してくる」


「おう」


 二人が立ち上がる。


 マリアも椅子から下りた。


「お兄ちゃん」


 アレクが振り返った。


「気をつけてね」


「おう。戻ったら、飯だな」


 マリアは小さく頷いた。


 父のそばへ戻ると、大きな手が赤い髪を撫でた。


「心配せんでも、あいつは丈夫だ」


 マリアは何も言わず、扉の方を見ていた。


挿絵(By みてみん)


     *


 宿の前で、レイラが車へ水の袋を積んでいた。


 工具袋。

 予備の部品。

 包帯を入れた小箱。


 アレクは、その横へ食堂で包んでもらったパンを置いた。


「昼には戻るつもりなのに、それ、ずいぶん多くない? 私たちの分も入ってるの?」


「当たり前だろ、俺だけ食うわけにいかねえし。道が悪かったら、戻るのが遅れるかもしれないじゃん。爺さんの分も、ちょっとだけな」


「それなら持っていこう。戻る途中でお腹が空いたって言われても、買うところはないもの」


『修練へ行く時にも、それくらい先を考えてほしいもんじゃ。弁当の用意だけは、言われずともできるのにのう』


「腹が減ったら困るのは、爺さんもだろ」


 ネズミは答えず、ポケットへ引っ込んだ。


 レイラが運転席へ乗る。

 アレクも隣へ腰を下ろした。


 肩の袋を足元へ置き、その中の球に硬いものが当たらないよう、工具の箱を少しずらす。


「先生も、乗った?」


「ああ。二人と一匹だな」


『一匹とは何じゃ、一匹とは』


 アレクが笑う。

 レイラは鍵を回した。


 車体の奥で、低い振動が始まった。


     *


 門を出る前に、レイラが車を止めた。


「地図、出して」


 アレクは膝の上で紙を開いた。

 モルデカイが付けた印が、朝の光の中に見える。


「最初の分かれ道は右よ。その先に橋があるから、見えてきたら教えて。手前で一度止まるね」


「右で、橋の前で止まる。よし。……俺、地図見ながら道を教えるの、初めてだな」


「私も、あなたに頼むのは初めてよ。橋の先は道が細くなるから、そっちも前を見てきてほしい。どこまで車輪を寄せられるか、分かると助かる」


「おう」


 車が動き出した。


 門番が片手を上げる。

 アレクも手を上げて返した。


 集落の柵が後ろへ遠ざかる。

 畑の間を抜けると、道の両側に木が増えた。


 アレクは膝の上の地図へ目を落とした。


 途中で切れた線路。

 その先にある、黒く塗られた場所。


 子供の頃、母と乗った列車は、そこへ向かって走っていた。


 紙の端が、風にめくれた。

 アレクは掌で押さえた。


「……ちゃんと、戻るよ」


「何?」


 レイラが前を見たまま聞いた。


「いや。あいつに言われた仕事の話。戻って、見たことを話すまでだよな」


「そうよ。だから、地図もしっかり持っててね。帰る方の道まで、飛ばされちゃ困るから」


「ああ」


 アレクは地図を持ち直した。


 今度は、帰る道も確かめながら。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。