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イケメン高校生の中に、おばさんが転生しました。  作者: 毬藻 闇雪


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第九話 失われた未来



 ひらりくんの脳内で、私はふわふわと浮かんでいた。

 大の字になって寝転んでみる。


 概念というか、ただのイメージにすぎないはずなのに、手足を伸ばすと妙に気持ちがいい。

 思いきり伸びをする。

 すうっと身体の内側まで空気が入ってくるような感覚がした。


 やはり、他人の身体を操るのは神経を使う。

 ましてや、慣れない男性の身体だ。

 私には荷が重すぎる。


 ――けれど。


 ふと気づく。

 ここは、どこだろう。

 暗闇の中にいた。


 ひらりくんの意識下――ではない?


 何の感情も流れてこない。

 映像もない。

 音すらしない。


 今、自分がどういう状態なのかも分からなかった。


 もしかして、今までの出来事は、全部夢だったのだろうか。

 そんな考えが浮かんだ瞬間。


 私は、あの日のことを思い出した。

 ひらりくんに助けられた日。






 ――私は、死ぬつもりだった。



 十年付き合った彼に、「彼女が妊娠した」と告げられた。


 カノジョ ハ ワタシ ジャ ナカッタノ?


 怒りや悲しみより、驚きのほうが大きかった。

だって。


 私たちは、十年間付き合っていた。

 少なくとも、私はそう思っていた。


 付き合うって、何だろう。


 お互いに「恋人だ」と認識して、初めて成立するものじゃないの?


 それなのに。


 私は一人で、彼氏彼女のつもりになっていただけだったのだろうか。


 いや。


 違う。


 違うはず。


 だって、恋愛関係だったからこそ、彼は私に別れを告げたのだ。

 恋人じゃなかったのなら、別れる必要なんてない。


 じゃあ――。


 私の認識は、間違っていなかった。


 ……本当に?


 分からない。

 何も分からない。


「男は、そういうものだよ」


 彼は、そう言った。


 そういうもの?

 どういうもの?


 恋人がいるのに、別の女性を好きになること?

 恋人に何も告げず、別の女性を妊娠させること?


 それを、「男はそういうもの」の一言で済ませること?


 私は、子供が好きだった。

 ずっと、彼の子供が欲しいと思っていた。


 結婚するなら、彼以外は考えられなかった。

 彼もそう言ってくれていた。


 子供は、結婚してから考えよう。

 そう言われれば、私は納得した。


 仕事が落ち着いたら。


 もう少しだけ待ってほしい。


 あと半年。


 課長に昇進してから。


 私は、その言葉を疑わなかった。

 結婚することに自信がないのだと思っていた。

 仕事を頑張っている彼を、私は理解しているつもりだった。


 いつか、その日が来る。

 そう信じていた。


 ――十年間。


 ずっと。


 仕事終わりに呼び出されたレストラン。

 店先で、彼は別れを告げた。


「分かった」


 何も分かっていないのに。

 私は、そう答えた。


 何一つ分かっていないのに。

 聞き分けのいい女を演じた。


 ――この十年で植え付けられた、彼好みの聞き分けのいい女を。


 ぼんやりと歩き出す。

 何を考えていたのか、覚えていない。


 ただ、ふと振り返った。


 店の中から、若い女性が出てきた。


 そして――。


 私に見せつけるように、彼にしなだれかかった。

 彼女の手が、自分のお腹を撫でる。


 その瞬間。


 頭の中で、何かが切れた。

 私は夢中で駆け出していた。


 低いヒールが、夜の街にコツ、コツ、コツ、と激しく音を立てる。


 待ち合わせのお店の予約まで、彼は私にさせた。


 なのに。


 どうして。


 どうして、あなたはその人と一緒にいるの?


 あなたは、私と付き合っていたのに。


 どうして、別の女性と結婚するの?


 どうして。


 どうして。


 どうして――。



 そして――。





 ぱちっ。


 暗闇の中から、目が覚めたような感覚がした。


 次の瞬間。


 強制的に、映像が流れ込んでくる。

 これは、ひらりくんの見ている視界。


 ひらりくんの世界。


 私は、ただそこに浮かんでいる。



 あの日、私は、ひらりくんに救われた。

体だけじゃない。


 死にかけていた――心を。


 ひらりくんの温もりに包まれて、私はもう一度、生きる側へ引き戻された。


 だから今度は、私が彼を――。


 ひらりくんの冷えた心が、あの教室にあるような気がしていた




 結局、ひらりくんの教室に入れたのは、あれ一度きりだった。


(ひらりくんの作り出したイメージだから、ひらりくんと一緒じゃなきゃ、入れないのかもね……)


 そう考えると――。


 また、あの場所に行きたくなった。

 誰もいない教室。

 何も起こらない場所。

 何も要求されない場所。


 あそこにいると、何も考えなくていい。

そんなことを考えていたときだった。


「おはよう!」

 突然、ひらりくんの声が脳内に響いた。


 一息置いて、私は返事をした。

(おはよう。……ひらりくん)


 ――ちょっとだけ、胸が熱くなった。



 たった一言、挨拶を交わしただけなのに。


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