第十話 以心伝心
(これは、聞こえる?……おはよう!)
……!?
『えっ!? いま、どうやったの?』
(おばさんと話すのに、喋らなくてもいいことに気付いたんだ!)
『そっか! 脳は共用だから、考えるだけでいいのね。あなた、頭いいわね』
(そういうこと!)
ひらりくんが得意げに笑っているのがわかる。
声だけなのに、表情まで浮かんでくるから不思議だ。
『それじゃ、視界の制御もできるかしら?』
(一緒にやってみる?)
『ええ』
意識を集中させる。
視界を遮断――。
(……)
『……』
意味はないかもしれないけれど、私は目をつぶってみた。
それでも、部屋の中の景色はずっと見えている。
左目の視界だけが暗くなった。ひらりくんが片目を閉じたらしい。
(……集中……)
『……』
(……どう? できた?)
ひらりくんが耐えきれずに聞いてきた。
『……だめみたい。ずっと見えてるわ』
(んー! やっぱ難しいか)
『特訓が必要なんじゃないかしら』
(……なるほど。イメージトレーニングね)
どうやら、朝から新しい課題ができてしまったらしい。
『それより、時計見て。もう七時よ? 学校の準備をしましょう?』
(……何の?)
『朝ごはんとお弁当よ!』
(朝はいつも牛乳を飲むか、水だけだよ?)
『だめよ! ひらりくんは今、大事な時期なんだから、ちゃんと食べなくちゃ!』
(……うざ。親でも言わねえって、そんなこと)
文句を言いながらも、ひらりくんは冷蔵庫を開けた。中には卵のパックがある。
『卵があるわね。今日はこれにしましょう』
(卵、どうするの?)
『ゆで卵を作りましょう。まずはお湯を沸かして――』
ひらりくんは、私の指示を聞きながら手を動かしていく。
ゆで上がった卵を剥き、小さなボウルへ入れる。
『フォークで潰してみて』
(こう?)
『そうそう。もう少し細かくね』
あらかた潰れたところで、マヨネーズと塩コショウを加える。
『味見してみて』
(いいの?)
『もちろん。ただし、スプーンを直接舐めたらだめよ』
ひらりくんは少し考えてから、手のひらに少しだけ玉子を落とした。
(うっまー!)
目を丸くして、嬉しそうに笑う。
その笑顔を想像して、私まで嬉しくなってしまった。
できあがった玉子を食パンに挟み、十字に切り込みを入れる。
白い皿に並べてみれば、それなりに立派な朝食に見えた。
ところが、調子に乗ったひらりくんは、残っていた食パンまで全部たまごサンドにしてしまった。
『ねぇ! それ、お弁当に詰めましょうよ!』
(えー)
『入れなさい』
(やだ)
『入れて』
(……恥ずい)
『いいから』
そんなやり取りを何度繰り返しただろう。
結局、家を出るぎりぎりになって、ひらりくんが、(……チッ)と舌打ちしながら、渋々かばんの奥へタッパーを突っ込んだ。
こうしてお弁当を持参し、いざ学校へ。
朝の通学路では、ひらりくんは相変わらず女の子たちの視線を集めていた。
それをクールにかわしていく。
途中で合流するレンくんが、愛想を振りまく王子様タイプなら、ひらりくんは完全に正反対。
視線を向けられても、ジロリと睨むだけ。
挨拶されても、知らん顔。
『こら! 女の子が挨拶したときくらい、挨拶を返しなさい。それが礼儀よ!』
私が小言を言うと、ひらりくんは耳を塞ぐような仕草をした。
(静かにして。頭の中でワーワー言わないで!)
『あなたが無視するからでしょう?』
(……もう!)
ひらりくんが困ったように笑う。
その瞬間、周囲の女子たちが一斉に、
「きゃっ♡」
と湧いた。
私は聞き逃さなかった。
――冷徹王子の氷の微笑よ!
……あんなにお喋りなひらりくんが、冷徹王子だなんてね。
学校でも、ひらりくんは、相変わらずクールに過ごしていた。
男友達とは普通に話す。
けれど、女の子にはどこか素っ気ない。
もしかして、女の子が苦手なのかしら……。
そんなことを考えていると、お昼休みになった。
薫ちゃんがやって来る。
「ひらり、お昼買いに行くから付き合って……」
「分かった!」
返事だけは、妙に早かった。
「ひらりは、何を買う?」
「ん……牛乳とか? 薫は?」
「私は……たまごサンドかな」
薫ちゃんが少し考えてから、ぽつりと続けた。
「……朝から食べたいって思ってたの」
ドクン!
ひらりくんの心臓が、大きく跳ねた。
(ひらりくん!)
「お……俺、作ってきた、けど。……食べる?」
「……え?」
「たまごサンド……」
「……たまごサンド? ……ひらりが?」
「そう。今朝……一番に」
ひらりくんは、少し照れながらタッパーを机の上に置いた。
蓋を開けると、ぎゅうぎゅうに詰め込まれた、たまごサンドが顔を出す。
「ホントだ……! たまごサンドだ!」
薫ちゃんの顔が、ふっと緩んだ。
それを見たひらりくんは、嬉しそうに笑う。
「私のために?」
「薫に食べてほしい」
「以心伝心したみたい……」
ひらりくんは頷いた。
「俺、初めて作ったんだ」
「……そうなんだ。……うれしい」
薫ちゃんが一つ手に取る。
ひらりくんは、じっとその様子を見つめていた。
まるで、自分の大切なものを託すみたいに。
「いただきます」
一口食べた薫ちゃんの表情が、ぱっと明るくなった。
「……美味しい!」
「ほんと!?」
ひらりくんの声が弾む。
「うん。すごく美味しい」
その言葉だけで、ひらりくんはもう満面の笑みだった。
「よかった……!」
ひらりくんの笑顔を思い浮かべただけで、私は思わず微笑んでしまう。
朝、あれだけ嫌がっていたお弁当なのに。
「俺、もっと作ればよかった」
「え?」
「薫、いっぱい食べるでしょ?」
「……うん。食べる」
薫ちゃんの声のトーンが変わった。ひらりくんに甘えるように、小さく囁く。
「……ね、これ、全部食べちゃうよ?」
「ふふ。……食べて」
ひらりくんは嬉しそうに、タッパーを薫ちゃんの方へ押し出した。
……まったく。
朝からあんなに「恥ずい」と騒いでいたくせに。
好きな子に喜んでもらえると、こんなにも素直になるのね。
私も少し、誇らしかった。我が子の成長を喜ぶ母親のような気持ちってところだろうか?
(のばらは、お母さんじゃない!)
『……のような、って言った!』
ひらりくんの脳内ツッコミが、妙に心地いい。
……ん?
今、のばらって呼び捨てにした!?
(名前、違った?)
『……名前は合ってます。敬称略でしたが……』
(省略します)




