第十一話 弁当を君に
スーパーの店先で、ひらりくんがふと立ち止まった。
『ひらりくん、どうしたの?』
(この時間だと、主婦の人が多いなと思って……)
『そうね。七時過ぎに出直す?』
(……いや。行く!)
なんのことはない。
昼休み、薫ちゃんにたまごサンドを褒められて有頂天になったひらりくんが、明日も内緒でお弁当を作るのだと意気込み、買い物に来ているだけだ。
なんて素直で、かわいい子なんだろう。
私は、少しだけ感心してしまった。
私がひらりくんの脳内に居候させてもらうようになって、すでに三日が経つ。
それなのに、ご両親はまだ家に戻っていない。
あまりにも子供を放任しすぎているのではないかと、他人ながら心配になってくる。
ひらりくんはあっけらかんとしているけれど、まだ十七歳だ。
将来への不安や悩みだって、きっとたくさんあるはずなのに。
『薫ちゃんはパンが好きなの?』
(……んー。どうだろ? 聞いたことなかったかも)
『じゃあ、ひらりくんは何が好きなの?』
(ハンバーグとか、パスタ類と……玉子焼き)
『それ! 玉子焼き、いいんじゃない?』
(えー。今日と卵かぶりじゃん!)
『いいのよ。お弁当って、誰かに作ってもらうと特別じゃない?』
(……知らない)
ひらりくんの足が止まった。
(作ってもらったこと、ない)
卵の並んだ棚の前で、ひらりくんが俯く。
さっきまであんなに浮かれていたのに。
私は、かける言葉を失った。
(……玉子焼き。やってみるよ)
しばらくして、ひらりくんは顔を上げた。
『そうね』
私はそれ以上、何も言わなかった。
『それと、パックねぎとソーセージも買って!』
(どうするの?)
『ネギ入り玉子焼きと、タコさんウインナーって、どうかな?』
「たこさん!」
思わず、ひらりくんが声を上げた。
何人かのお客さんが、一斉にこちらを振り返る。
クスクスと笑う声。
その視線の先には、思わぬところで素の反応を晒してしまった、端正な顔立ちの高校生。
女性客たちは、そんなひらりくんを見てうっとりしている。
こういうとき、ふと我に返る。
いつの間にか、私はこの子の近くにいることを当たり前のように思っていた。
けれど、本来なら、こんなふうに言葉を交わすことさえない。
私たちは、同じ世界にいながら、決して交わることのない場所にいたのだ。
くだらないことで笑ったり、叱ったり、時には子供扱いしてむくれられたりもする。
けれど、それは今、ひらりくんの脳内に私がいるからだ。
本来の私なら――。
こんなふうに、ひらりくんと対等に言葉を交わすことさえ、できなかったのだろう。
そう思うと、少し不思議な気持ちになった。
ひらりくんは、はっと我に返った。
そして、スン、と表情を戻す。
けれど、耳だけはまだ赤い。
(……最悪)
『ふふっ』
(笑うなよ!)
『だって、かわいいんだもの』
(もう絶対しゃべらない!)
ひらりくんは足早にレジへ向かった。
会計を済ませると、そのまま浮き足立ったように家へ駆け込む。
玄関のドアを閉めるなり、買い物袋を置いて、ソファーにうつ伏せに倒れ込んだ。
「ヤバい!」
ひらりくんが顔だけを上げる。
「タコさんウインナー、楽しみすぎる!」
『……そこなの?』
(そこ!)
即答だった。
私は思わず笑ってしまった。
――明日は、どんなお弁当になるのだろう。




