第六話 放課後の美少女
ガランとした放課後の教室で、私は机に突っ伏していた。
もう、ピクリとも動けない。
心身ともに疲労困憊。
徹夜明けに飲み会へ誘われ、そのまま朝までオールした翌日のような疲れ方だった。
――もういい加減、ひらりくんと交代したい。
「ひらりくん? ……そろそろ出てきてよ」
『……』
「もうすでに、限界なんだけど……」
『……』
「ひらりくん?」
返事がない。
「……え?」
さっきまで散々ツッコミを入れていたのに。
「ひらりくん……?」
胸の奥が、すっと冷たくなる。
まさか――。
「ひらりくん!?」
そのときだった。
「ひらりくん?」
教室の出入り口から声がした。
反射的に顔を上げる。
そこに立っていたのは、長い黒髪を一つに束ねた女の子だった。
清楚という言葉を、そのまま人の形にしたような子。
白くきめ細かな肌。
大きく黒目がちな瞳。真っ赤な唇に、くるんとカールした長いまつ毛。
女の子はゆっくりこちらへ歩いてくると、目の前の席に腰を下ろした。
私は思わず息を呑んだ。
(……え、なにこの子)
近くで見ると、ますますスゴい。
(お人形さんみたい……)
「……びっくりしちゃった」
「え?」
「あなたみたいな綺麗なお嬢さん、生まれて初めて見たもの……」
「……えっ?」
女の子が目を丸くする。
しまった!今の私は、ひらりくんだった。
しかし女の子は、目をぱちぱちさせながら唇に手を当てる。
「ひらりくんに褒められるなんて……ウソみたい……すごく、うれしい」
顔を伏せ、その大きな瞳はこちらに向けたまま、もじもじしていた。
慌てて取り繕う。
「な、なーんちゃって!」
両手の先を頭のてっぺんに付け、腕をハート型に広げながら――ペロッと舌を出した。
(部長がいつもこれやって、課のみんなが笑うのよね……令和の女子高生にもウケるといいけど……)
「ブッ……!」
女の子の肩が震えた。
「……なに……それ」
口元を押さえている。
「ウケるんだけど……!」
次の瞬間、とうとう耐えきれなくなったらしい。
「あはははははは!」
お腹を抱えて笑い始めた。
「えっ……」
「ひらりくん、今日なんか変!」
「え?」
「いっつもクールだけど……今日、めっちゃいい!」
「……そ、そう?」
「うん!」
女の子は涙を拭いながら笑っている。
どうやら、本当に気に入ってくれたらしい。
(やった……!)
思わず頬が緩む。
やがて笑いが落ち着くと、女の子はふぅっと小さく息を吐いた。
そして、上目遣いでこちらを見る。
「ね。ひらりくん……」
「……なに?」
名前を呼ばれただけなのに、なぜか心臓が跳ねた。
(……ひらりくんじゃないのに。なんだか、ドキドキしちゃう)
「今日こそ、名前呼んでほしいな」
「……は?」
(……な、名前!?)
知らない。
ひらりくんから、名前なんて聞いていない。
この子は、きっとひらりくんの彼女だ。
この距離感、この雰囲気。
絶対そうよ!
ここで名前を間違えたら、それこそ――ひらりくんの「高校生活、詰んだ」だ。
ミスは許されない。だが、ヒントは何もない。
絶体絶命の大ピンチだった。
「……お願い」
「……は、恥ずかしいな」
なんとか時間を稼ぎながら、私は必死にひらりくんの脳内を探った。
何かない?
名前を思い出す手がかりは?
「……名前を、呼んで」
女の子が、少し寂しそうに尋ねる。
(なんて可愛い子なんだろう……おばさんなのに、思わず抱きしめたくなってしまう)
切なげな表情で見つめられると、胸の奥がじんと熱くなってい……かない!
(……なったらダメ!絶対にいけない!ここで変な反応したらダメ!)
私は慌てて目を逸らした。
(円周率!3.1415926535……8979323846……)
「ふぅー……はぁ……」
床に向かって顔を伏せ、深呼吸をする。
すると――。
視界に、女の子の上履きが入った。
左足には【七瀬】。
右足には【美依紗】。
私は目を見開いた。
(……これだ!)
「みい……さ、ちゃん?」
「……は、はい」
女の子が答えた。
その大きな瞳から――大粒の涙が、ぽろりと落ちた。




