第三話 男の体の取扱説明書をください
「まあ、現象の理由はわかったけど……立ち上がるのも一苦労ね」
私がベッドの上でモゾモゾと不自然な体勢で身悶えしていると、脳内のひらりくんが深い溜め息をついた。
『……放置すれば治まるから変に動くな。刺激を与えるなよ、マジで』
「分かってるわよ」
顔を伏せたとき、袖から覗く前腕の筋に目が留まった。
骨が太くて、皮膚が薄くて、浮き出た血管がなんだか男らしい。
「……見て。腕の筋、すごいわ。ジャムの瓶のフタとか一発で開けられそう!」
『開けられるよ。て言うか、今はジャムの話はどうでもいいから静かにしてろ!!』
数分後、ようやく「鎮まり返った」ことで、私は無事にトイレに向かうことができた。
「……ひらりくん。これ、目の前がぼやけてよく見えないんだけど」
洗面所の鏡の前に立った私は、目を細めて自分の顔を覗き込んだ。
通った鼻筋も、シュッとしたラインも、全体的にうっすらと霞んで見える。
『は? 俺の目は両目1.5だけど。……あ、もしかしておばさんの意識のせいか!? 脳が老眼のつもりで処理してんのかよ!』
「老眼じゃないわよ! 近視なの! ああ嫌だ、眼鏡がないと何も見えないわ……」
私の眼鏡は壊れてしまった。
ひらりくんのバッチリな視力を持ってしても、私の「おばさん脳」が勝手に視界をぼやけさせてしまうとは……。
「ひらりくん……眼鏡を買ってちょうだい……」
『……あんた、意外に図々しいな。それは、あとで考えるから! それより早くトイレ行けよ! さっきからずっと我慢してるだろ!』
視界がぼやけたまま、私は手探りでトイレのドアを開けた。
しかし、私に新たな壁が立ちはだかる。
「ねえ、ひらりくん。これって……立ってやるの?」
『普段の俺は立ってやってるけど……まさかおばさん、立ち小便のやり方分かんないの?』
「分かるわけないでしょう! 経験ないんだから!」
下着に手を掛けて、ふと考える。
「……というか……私がやるの?……ひらりくん、ちょっと代わってくれない?」
「代われるもんならとっくに代わってるよ! 出来ないから困ってるんだろ。……頼むから漏らさないでくれよ」
(……えー)
私はギュッと強く目を瞑った。
未成年者の大事なところを直接見るなんて、大人の倫理観が許さない。
絶対に視界に入れないし、直に触るなんて滅相もない!
視界を遮断した状態で下着に指先を掛け、慎重に膝下まで一気に下げた。
『え、なんで!?』
「……おしっこ」
『座ってやるの?』
「……そ、そうですけど……」
『勘弁してよ……』
私は薄目のまま、手探りで便座に腰を下ろし、ふぅと息を吐いた。
(ギリギリセーフだったわ……間に合って良かった)
おしっこがやけに長いので、目を閉じたまま手探りでカラカラとティッシュペーパーを指先に絡め取る。
『……え?大きい方も出ちゃったの?』
「いえ。おしっこを拭こうかと……」
『拭かないよ』
「……拭かないの!?」
『拭かねえよ! 男は振って切るんだよ!』
「振ってって、そんな。……拭いてもいいんでしょ?」
『……おばさん頼むからティッシュを使わないで!? 友達に見られたら「黒崎、小便のあと紙で拭いてたぞ」って噂が広まるだろ!!』
「じゃあどうするのよ! 触れないのに、振るなんてできないわよ!」
『知らん!! 腰をシェイクしろ!!』
「……」
便座の上で目を固く瞑ったまま、腰を揺らし「水切り」をした。
何とも疲れる朝のトイレタイムは、こうし
て幕を閉じたのだった。




