第十五話 弁当協奏曲
四時限目の授業ともなると、ひらりくんはもう気もそぞろだった。
ずっと上の空で、そわそわと時計を気にしている。
そして――終業の鐘とともに、ひらりくん待望の昼休みが訪れた。
お弁当の入ったバッグを片手に、浮き足立つ気持ちを抑えきれず、早足で廊下を進んでいく。
薫ちゃんのクラスの前で、ひと呼吸。
そして、席を見る。
――いない。
「ねぇ……薫は?」
教室の出入り口から出てきた男子生徒に尋ねる。
「あー……今日、休みじゃね?」
「……え?」
ひらりくんの目の前が、暗転した。
ドサッ。
その場に、弁当の入ったバッグが落ちる。
「黒崎くん……? 大丈夫?」
男子生徒が慌ててバッグを拾ってくれた。
「……何か病気とかですか?」
「えっ?」
「橘薫。病欠ですか!?」
「ああ、橘さん? ……担任は何も言ってなかったよ。昨日は普通だったし。どうかな?」
「……そうですか」
「うん。黒崎くん、元気出して……」
ひらりくんは、よほど落ち込んで見えたのだろう。
肩をトントンと叩かれ、いつの間にか集まってきた薫ちゃんのクラスメイトたちにまで励まされていた。
ひらりくんは、かなり落ち込んでいた。
一歩、一歩。
ぬかるみを歩くように足取りが重い。
きっと顔面蒼白。
背中には、漫画でいうところのベタ塗りの暗幕でも背負っていることだろう。
教室に戻ったひらりくんは、バッグを机の上に投げ出し、ドカッと席に座った。
(……のばら)
『なに?』
(今日の弁当……)
『うん』
(……薫に、食べてもらえない……)
『……うん』
(……どうすんの、これ)
『食べればいいじゃない』
(……無理)
ひらりくんは弁当を机に置くと、そのまま机に突っ伏してしまった。
完全に不貞腐れている。
そこへ、レンくんたちが近づいてきた。
「おい、ひらり。それ何?」
「弁当」
「いや、それは見れば分かる。……ずいぶんデカくね?」
「……」
「もしかしてファンから?」
「違う」
「じゃあ誰から?」
「……俺」
「え?」
「俺が作った」
二人の会話を盗み聞きしていたクラスメイトたちが、一瞬、動きを止めた。
そして――。
「ひらりが!?」
「ひらりくんが!?」
「黒崎が!?」
教室中が、ざわめきに包まれる。
レンくんが口火を切った。
「お前、料理できたの?」
「んー。昨日から」
「昨日!?」
「うん」
「そりゃ急だな!」
「……悪いかよ!」
「なー! 一個もらっていい?」
レンくんが弁当箱の蓋を、トントンと指で叩く。
うつ伏せた腕の隙間から、ひらりくんが顔を覗かせた。
「……いいけど」
レンくんは嬉しそうに笑い、ゆっくりと蓋を開けた。
すると、クラスメイトたちが山なりになって弁当箱を覗き込む。
パカッ。
蓋が開いた瞬間――。
「おー!」
「タコさんウインナー!」
「かわいい♡」
「これ、ひらりが作ったの?」
「食べたい!」
歓声が上がった。
レンくんが箸入れから箸を取り出し、玉子焼きを一切れつまむ。
ぱくり。
「うんまっ!」
「マジ?」
「ひらり、マジでお前が作ったの?」
レンくんが、ひらりくんの顔を覗き込む。
「……そう」
ひらりくんは呆然としたまま顔を上げ、ぽつりと答えた。
すると、それを合図にしたように、クラスメイトたちが次々と箸を取り出した。
「俺も食いたい!」
「私も!」
「タコさん一個ちょうだい!」
「ネギ入り玉子焼き、食べていい?」
気づけば、ひらりくんのお弁当を中心に、人だかりができている。
「タコさんかわいい!」
「これ、めっちゃ美味い!」
「ひらり、料理できんじゃん!」
「すごーい!」
ひらりくんは、ただ呆然と眺めていた。
そして――。
気がつけば、お弁当はクラス内を一周していた。
ひらりくんの目の前に戻ってきたのは、
――空っぽの弁当箱だった。
「……俺の弁当」
ポカンと口を開け、空になった弁当箱を見下ろしている。
『よ、よかったじゃない』
私は、ひらりくんを元気づけようと、なんとか声を絞り出した。
(……薫に食べてもらうはずだったのに……)
『でも、みんな喜んでたわよ』
(……うん)
ひらりくんは、空になった弁当箱をじっと見つめている。
すると――。
「ひらりくん、ハンバーグどうぞ♡」
女の子が、自分のお弁当を持ってやってきた。
「お弁当のお礼です!」
「私も! まだ食べてないから、これもらって!」
「俺は、豚の生姜焼きを二枚……」
「ナポリタン好きかな? 食べてね!」
次々と差し出される、おかず。
気がつけば、ひらりくんの目の前には、クラスメイトから分けてもらったおかずが並んでいた。
ハンバーグ。
生姜焼き。
ナポリタン。
卵焼き。
色も形もばらばらの、寄せ集めのお弁当。
ひらりくんは、それをじっと見つめていた。
(……なんだ、これ)
『ふふ。お弁当のお返しね』
(……俺の弁当より、豪華じゃん)
『そうね』
ひらりくんの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
薫ちゃんには食べてもらえなかった。
それでも――。
自分が作ったものを、みんなが美味しいと言ってくれた。
その経験は、きっとひらりくんにとって、大切なものになる。
私は、そう信じている。




