第55話 テセウスの船
「テセウスの船ってなんだ?」
加藤がハズキに耳打ちした。
ハズキが小さなため息を吐いて説明する。
「大昔にテセウスって人が船を作って、航海に出たの。船が壊れるたびに部品を交換していって――」
加藤が真剣な顔つきで頷いた。
「全部が入れ替わった時、はたしてそれは同じ船なのかって話」
「……いや、それ同じじゃねえだろ」
「そうね、同じじゃないわ。でも、姿形は元の船と変わらないのよ?」
「え? え……えーと」
考え込んだ加藤を見て、ハズキはまた小さなため息をついた。
「つまり、そういう思考実験なのよ――そして、目の前で同じ事が起こっているわ」
ノーマンの顔を見ると、額に玉のような汗が浮かんでいる。
「うんと厄介な形でね……」
「つまり……俺は遺伝子を書き換えられていたと言うことか」
「ナノマシンによる遺伝子改造と言っても、全くの別人を変えるわけじゃない。整合率が高い遺伝子を選んで改造している。そういう意味では、僕の子孫と言っても過言ではないはずだ」
アルケーの目がノーマンの瞳を見据えた。
「遺伝子が同じと言っても、君の意識は僕とは違うだろう」
「俺の意識は、俺のものなのか?」
もしかしたら自分はアルケーの意識のままなのじゃないか?ノーマンの中で疑心が頭をもたげた。
古代遺跡文明に心惹かれたことも、カーラを初めて見たときの、あの胸を引き裂くような痛みも――全部、仕込まれていたのか。
「じゃ、じゃあ。俺の本当の気持ちはどこにあるんだ……」
「今あなたが感じている葛藤が答えになりませんか?」
ハズキが捨てられた子犬を見るような視線を送りながら答える。
「葛藤……?」
ノーマンが縋るような視線を返した。
「コギト・エルゴ・スム(Cogito, ergo sum)ですよ」
「コギト・エルゴ・スム?」
「大昔の哲学者が言った言葉です。――考えているあなたがいる限り、あなたはあなたです」
「……」
「一万年も経つと、僕は影になってしまっているのだな。ノーマン、君の意識は君のものだよ」
「別に、二重人格ってわけじゃないでしょ? あなたはあなたよ」
ハズキが励ますように言うと、急がせるようにノーマンの肩を叩いた。
「次はカーラの方をどうにかしないとでしょ? おちこんでいる暇なんてないわよ」
「あ、ああ、そうだな。……カーラを目覚めさせないと」
ノーマンはよろりと立ち上がり、格納庫から出ていった。
「大丈夫なのか? あいつ?」
加藤が誰に聞くともなく、心配そうな声を出す。
「今は混乱していますけど、お姉さまがいる限りあの人は大丈夫ですわ」
ルリがノーマンの背中を追って、メンテルームに向かっていった。
中央のドックに横たわるカーラの身体には、無数のコードが接続されている。
天井から伸びたアームが、無機質な動きでその作業を続けていた。
「……お姉さま」
その姿は、眠っているようにも見える。
けれど、触れれば冷たいのではないか――そんな不安が胸を締めつけた。
「スルト・カーラと同じだ、完全に機能を停止している」
アルケーが険しい表情でモニターを見ている。
「前のスルト・カーラ戦で倒れた時のように、お姉さまを起こす事は出来ませんの?」
ルリが縋るような眼をしてアルケーに聞く。
「あの時はまだ、カーラの深層領域には意識と呼べる部分があった。今回は完全に沈黙している。呼び覚ますのはかなり難しいだろう……」
ルリの顔を見たアルケーは、わずかに言葉を詰まらせた。
「全力を尽くす」
制御室のコンソールに触れる。
「オリジナルがなくて上手くいけますか?」
ハズキがアルケーにそっと聞いた。
「初めて起動するときは、オリジナルボディがありました。今回はありません」
「記憶自体はマザーオーブに記録されている筈だ、それを呼び出す」
「成功する確率は?」
「全くのゼロではない」
ハズキはアルケーの顔を見つめてから、ふぅと息を吐くと、ゆっくり頷いた。
「ノーマン、深層探査スキャナーを立ち上げて、カーラを起こす準備をします」
「ああ、了解した」
コンソールのキーを叩く指に無意識に力が入る。
「深層探査スキャナー、マザーオーブに接続した」
「こっちも、モニタリングいつでもできるぜ」
「お姉さまの状態、条件付きでグリーンですわ」
チャンネルの接続状態を知らせる、無数のラインがモニターを埋め尽くした。
「まず、カーラの情報位相の同期パターンを模倣してマザーオーブにアクセスしてみる」
「待って! パターンのデータはあるの?」
「僕が持っている」
ハズキが眼を丸くした。
「同期パターンは持ち出し禁止だったはずよ」
「高次物質科学研究機構がビルごと消滅した今、持ち出し禁止もないだろう?」
「あなたって人は……」
ハズキが額に手を当てると小さく首を横に振った。
ハズキに構わず、アルケーは作業を続けていった。
「同期パターンをマザーオーブに伝えた」
もう一つのモニターには、マザーオーブの映像が映っている。
マザーオーブがミルクのような白い光を放った。




